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雅楽伝奏、の家の人  作者: 喜楽もこ
十九章 有財餓鬼の章
310/314

#07 でもあの可愛さは異常

 



 元亀二年(1571)四月四日






 躾のなっていない悪ガキ共を悪四郎矯正施設に送り出した天彦と雪之丞は、何事もなかったかのように静かに茶店で茶をしばき、ゆったりとした足取りで目的地北野天満宮を目指して向かった。


 洛中の道路状況はかなりよい。いやよくなった。

 一番には戦が起こっていないからだが、むろん最大の理由は計画的なライフライン整備事業の賜物である。

 正史では牛車が通れる程度の道幅だった今出川通が馬車が対面通行でき、かつ徒歩での往来が十分可能な道幅が確保されていた。


 これも天彦の献策の成果といって差し支えないだろう。

 実行しているのは織田家普請奉行所と大蔵奉行である兄弟子角倉了以だが、天彦の菊亭とてJV(共同企業体)の末端に名を連ねてもよいだろう程度には貢献している。自負はある。自負は。


 一つに今は亡き藤吉郎が推し進めるはずであった天正の地割をきちんと継承し図案化して上申していること。

 一つに都で騒乱が起こらないよう事前にすべての芽をすべて摘んで回っていること。そう。すべてである。

 この二点が挙げられる。ある意味で決定的な貢献度ではないだろうか。自画自賛乙。


「なんですのんお一人でニタニタしはって。気色の悪い」

「さいぜんの茶屋から思てたけど、えらいあたりきついな。どないしたんやお雪ちゃん」

「ふん、知りませんわ」

「さよか」


 天彦でなくとも、雪之丞の不機嫌さんは誰の目にも明らかで。

 だが触らぬ雪之丞に地雷なし。天彦ははちゃめちゃに気になりつつも、心を鬼にしてやり過ごした。


 さて、普段の突飛な言動から意外に思われるかもしれないが、雪之丞は真面まともである。

 いやさすがに真面は盛った。公家という極極小さな枠組みでは異端だが、一般社会という大きな枠組みの中ならどうにか普通に立ち回れる程度の知識と良識は持っている真面さん。あるいは部分的にならむしろ常識人寄りとしての一面を披露できるレベルの真面さんである。


 普通に考えればその通りで、彼の家柄はとてもよい。この時代の教育は環境がすべてだった。そこに例外はないといっても言い過ぎではないだろうほど、生まれた環境が常識を育むすべてであった。

 その一般常識に照らすなら雪之丞の教育水準はおそらく最高水準に達しているはず。


 そんな雪之丞の植田家は英雄家筆頭格である今出川家に先祖代々仕える諸太夫だ。彼はそれも筆頭格家の家柄の子女。当たり前だが教育水準は、あるいは他の公家縁者よりも高いはずで、躾だってそれなりに厳しかったはずである。


 そんな雪之丞だからこそ、庶人のそれも卑しいと格付けられている商家の子倅にいいように、ともすると格下のように扱われていた天彦の応接が、どうにも不満でならなかった。のだろう。あの膨れっ面から察するに。


 要するに、彼もお年頃ということなのだろう。知らんけど。


「あ、雲雀や! 見てみお雪ちゃん」

「急いてるのに巣を探す暇なんかありません」

「卵見つけたらカステラ作れるのに?」

「カステラさんはお店で出来上がったもんいただいた方が美味しいですわ」

「え」

「なんですのん」

「……いや、何もあらへん」



 お雪が常識的、だと……!?


 何より、

 ノリわるっ――!!!



 いずれにせよ雪之丞は天彦を別格として、公家、とりわけ殿上人と呼ばれる貴種にはある種の憧憬を抱いている。それは確か。

 彼とて権威社会の枠組みの中でどっぷり暮らしているのだから尤もであり、そんな自らが尊敬してやまない貴種公卿が、ああも軽々に気安く扱われることに対し複雑な感情を覚えない方が不思議だろう。


 故に雪之丞は、庶人の応接態度はもちろんだがそれを易々と許してしまう天彦にこそオコだった。


「どないしたんやお雪ちゃん、ほっぺた膨らませてかわいいさんやな」

「かわいいことありますかいな。若とのさんが、そんなんやから……ッ」


 あ、ヤバぁ。


 天彦は長年培ってきた勘と経験によってアラートを嗅ぎ取った。


「まあ一旦落ち着こ。そ、そんなんやから?」

「このお務めが終わったら伝えますわ」

「いやそれ主文後回しのいっちゃんおっかないやつ!」

「そう。そんなんですわ」

「え」

「参りますよ」



 えええええええええええええええええええ――!



 誰!? 



 さては偽物やなノリすら忘れてしまうほど、天彦はびっくり魂消ていた。


 と、同時にまさかの返しに天彦轟沈。

 銭をドブに捨てた時(比喩的に)よりも酷い顔をして肩を落とした。


 だが雪之丞も似たようなもの。

 そんな雪之丞だからこそ、庶人の公家に対する距離感には思うところがあるようで。

 そんな家来の感情に気付いているのかいないのか。喉元過ぎればたちまち涼しいいつもの表情に戻ってしまっている主君に対して、不満とまではいかない反感的な感情を露わにする。



 不意に足を止めると、


「おもしろって要りますやろか。こんな明日をも知れんしんどいご時世さんに」

「え……」

「ふざけるのといったい何が違いますんやろか」

「……」


 天彦は言葉を詰まらせた。男子の真面目な問いかけにちょけて答えるほど愚かではない。

 むろん天彦にその答えは出ている。いや自然と生じたが正しいのか。

 感情と精神を保つ上で、自然と生じた感情由来の解答が。


 だがそれを雪之丞の問いの答えにするのは直感が間違っていると訴えてくる。

 だったらきっと違うのだろう。ならば答えは持ち合わせていなかった。


 天彦は合理的な論理の引き出しは割合い多く持っている。だがこれがこと感情論に関してとなると途端、我ながら惨めなほどに少なくなった。つらたん。


 珍しく天彦がいじいじと言葉を探すように塞ぎ考え込んでいると、


「さいぜんかてそうです。あの庶人がほんまに腰刀抜いてたら、いったいどうないなっていたことか」

「……」


 絶対に助かっていた。その確信があったからこそ天彦はふざけられていた。

 だがこの場面、ネタばらしは興醒めか。

 天彦はその二択にさえ逡巡してしまうほど冴えがなかった。


 それにしても、こと雪之丞案件になると急に決断力が鈍るのはなぜなのだろう。理解に苦しむ。謎である。


「どうせ風魔党が駆け付ける手筈なんでしょう。一遍痛い目を見たはるのに性懲りもなくふざけはるわ。御立派なことで」

「……」

「言い返えさはらへんのですか」

「あ、うん」

「某は知ってるからよろしいんです。若とのさんの苦手なことも悪いとこもみーんな。若とのさんが主役さんのようにかっこええとこも、たんとぎょうさん見せてもろてますし。でも、あの民草どもは――」

「それまでや」

「でも!」

「それまでにしとき。それにな。身共はお雪ちゃんだけがわかってくれていたらそれでええんや」

「厭や!」

「え」 

「みんなに知ってもらわな某は厭や!」

「えぇ」

「若とのさんのアホ、ぼけ、吝嗇んぼ、嘘つき、ぶさいく、わからずやさん! 若とのさんなんか嫌いやぁ――」

「あっ」



 うそーん……。



 言って雪之丞は走り去ってしまった。町に繰り出せば秒で絡まれるでお馴染みのご主君をひとりぼっちの置き去りにして。


「誰が不細工やねん。かわいいっちゅうねん」


 そこだけは巌として。何が何でもどうしても否定しておきたかったが、果たして。


 何を思ったのか思わなかったのか。

 天彦ははたと虚空を見つめると、踵を返して屋敷のある公家町の方へと歩みを始めた。






 ◇






 夕刻、夕七つの鐘が鳴る頃。






「亜相様はいったい何をなさっておられるんや」

「天狗になっておられるようやな」

「御狐様やのにか」

「はん、笑い話にもならんの」

「ちっ、家令筋の分家の子倅め。大西園寺を舐め腐りおって」

「某、もう堪忍なりませぬぞ!」

「同じく業腹にござる」

「まあそう熱り立つな。耳に届くと厄介やぞ。あれはあれで一門の立派な旗頭なんじゃからな」

「斯様な旗振り、当家には要らぬわ!」

「ふん、それがどうした。それもこれも殿が甘やかされるから……」


 とか、


「飼い犬に手を噛まれる程度ならまだよいが」

「そうじゃ。近頃では物騒な噂も飛び交っておる」

「庇を貸して母屋を取られる。とならぬよう我らが心致さねばな」

「誠に。当家の土佐への下向とて、裏でいったいどんな絵図が描かれていたかわかったものではないからのう」



 そうじゃ、そうじゃ。


 そうじゃ、そうじゃ。



 三十有余名の西園寺青侍衆の、ほとんど総意といってよい同意の相槌で一旦会話が収まった。


 陽もすっかり落ちた夕刻、約束の刻は優に過ぎている。

 天満宮を借りて執り行われていた太政官府青侍採用面接はほぼ型通りの段階的試験を終え、残すは採用責任者の決定を待つ最終面談のみである。

 だがその採用責任者である西園寺家諸太夫たちの待ち人は一向に姿を現わさない。彼らが苛立つのも尤もだった。


 と、そこに。



 しゃりん、しゃりん、ぴーひょろろろ――。



「菊亭天彦様のおなーりー」


 お囃子隊を先頭に数列の騎馬隊に先導される一台の牛車が登場した。

 その牛車は三つ紅葉印のど派手な家紋が描かれた箱を牽引させて。

 そんな誰もの目を引くとびきり豪奢な一団が姿を現わせたのだった。


 

 え。



「あ、いや……」

「まさ、か……」

「なんと……」


 待ち惚けていた受験者と西園寺家諸太夫たちは口をぽかん。誰もが驚嘆の言葉を口にするとすぐさま絶句し、そのまま唖然とするや言葉を失ったまま茫然とその場に立ち尽くす。両の眼を釘付けとされて。


 それほどに威容を誇る登場だった。

 あの口を開けば巫山戯るかちょけるか誤魔化すかの人物の登場シーンとはとても思えない威厳を放って。


 お囃子隊が演奏を止めると、列も移動の足を止めた。

 そして前後左右を屈強そうな騎馬隊に厳重に警護された牛車の箱から、一人の貴種が舞い降りた。天彦である。


「お待っとうさんにあらしゃります」

「は、はは」


 凛と引き締まった凛々しい表情。

 背筋をぴんと張った美しい姿勢での立ち姿。

 他を一切寄せ付けない息を呑むほどの権高い気配。


 どれ一つとってもお前だれさん、誰さんお前のハイエンド公卿である。


「最終選考会場はいずこにおじゃりまする」

「……」

「お尋ねさんやが、なんぞ不都合でもあらしゃりましたか」

「あ、いや、正直申さば、魂消ておるだけにござる」

「然様で。押しておじゃろう、取り急ぎ参らせませ」

「ですな。ささ、こちらにございまする。足元にご注意召されませ」

「ん、よろしゅうに」

「は、ははッ」


 天彦を親の仇の如く忌み嫌っていたはずの諸太夫の一人は、天彦の放つ威風に気圧されたのかそれとも場の雰囲気に飲み込まれたのか。手のひらを返して遜った。

 尤も掌を返すような反応を示しているのはこの応接役だけではない。

 おそらくだがこの場に集う者がすべて、天彦の演出する場の雰囲気に飲み込まれ委縮に委縮を重ねている。


「お殿様、どうぞ」

「うむ」


 と、ここでもまた誰もが度肝を抜かれてしまう。


 というのも天彦の歩む先には金色の髪色をしたルカ隊が先行し、あざやかな紫根染め技術で染められた淡紫に染まった筵絨毯が敷かれていったのだ。

 まるでそこだけを切り取った別世界のような華々しさには同時に、この世の穢れと対象者とを絶縁するかのような神聖さも感じさせた。


「あ」

「っ――」

「ふぁっ」

「……何たる」

「よもや……」


 面々の驚嘆絶句を尻目に、天彦は何食わぬ涼しい顔で敷かれた筵絨毯を一歩一歩、ゆっくりとした足取りで指定された経堂へと歩みを進めていく。


 言葉を失い立ち止ってしまう応接役の回復を視線で促し、天彦は道中一切の無駄口を叩かず穏やかな足取りで経堂へ向かう。そしてたどり着くと席次に目配せをひとつ入れた。


 そして軽やかに言う。


「主家ご家中さんに対し斯様なご無礼さんを働ける菊亭にはおじゃりませぬ。ささ、どうぞ主座にあらしゃりませ」

「あ、いや……」


 応接役である西園寺家諸太夫筆頭何某の躊躇に対し、言葉少なくけれど確とした意志で主座(上座)を譲ると、自身は確かな足取りでその隣へさっと腰を下ろした。


「……」


 だが応接役はもちろんのこと西園寺家諸太夫はまるで譲り合うかのように、誰もが主座を敬遠しあった。

 結局遂に主座は明け渡されたまま、上座不在で議事が厳かに進行していく運びとなった。


 関係者一同が注目する中、主座隣にポジションをとった天彦は美しい所作で降ろしていた腰を上げると、懐に差し入れていた一通の文(のような形態をした紙製の何か)を取り出した。


 そしてその何かの帯を解き、さっと広げて一方を左側へ放り投げるように解き放つと、


「太政官府採用試験にお集まりくださった有志諸兄に措かれましては――」


 予め認めていたのであろう採用面接官としての所信表明演説原稿の音読を始めるのだった。


 だが最終面談試験到達者たちへ向けた考課意思表明的所信表明演説の中身は凄まじく、とても興味本位だけでは聞いていられない濃く深い内容の長文で。

 意志というよりもそれはもはや思想といって過言ではない、天彦の内面そのものを映し出す鏡のような原稿だった。


「太政官府に侍従する諸兄は例外なくすべて、上下心を一にして、盛に経綸を行ふべし」


 だがこれは最終試験に残った面々や、西園寺家諸太夫に向けた演説なのではけっしてなく、ともするとたった一人の最愛の人に向けた、ザファイナル・ラスト・ジエンドアンサーだったのだ。


 そう。天彦は雪之丞のすべてを。そうすべてを受け入れる覚悟をこの公衆の場を借りて見せたのだ。

 可能な限り理解しようと努め、許される限り心を通わせ、出来得る限り寄り添う努力をする。――と、すでに心に決めている己の内面を見える化させて伝えているのだ。


「公に務める者は能う限り公平に、叶う限り公正であるべし。即ち中庸の徳に至るべし。是、中庸の徳は至れるものなり」


 天彦は転生者だ。共感はできないかもしれない。けれど自分次第で共鳴ならできる。

 言い換えるなら弱いからコールするのではなく、強いからコールできるのだ。そんな感情で。

 視界には捉えていないが、必ず境内の片隅で小さくなって息を殺して動向を伺っている、たった一人の伝えたい人の気配を意識して。


「上は天の時にのっとり、下は水土にる。辟えば天地の持載せざる無くふとうせざる無きが如し。辟えば四時の錯行するが如く、日月の代明するが如し。萬物並び育せられて相害わず道並び行われて相悖らず。小は川流し、大は敦化す。此れ天地の大為る所以なり。 唯天下の至聖のみ、能く聡明叡智、以て臨む有るに足り、裕柔、以て容るる有るに足り、發強剛毅、以て執る有るに足り、斎荘中正、以て敬する有るに足り、文理密察、以て別つ有るに足ると為すなり。溥博淵泉ふはくえんせんにして、時に之を出だす。溥博は天の如く、淵泉は淵の如し。見わして民敬せざるは莫く、言いて民信ぜざるは莫く、行いて民説ばざるは莫し。是を以て聲名、中国に洋溢し、施きて蛮貊に及ぶ。舟車の至る所、人力の通ずる所、天の覆う所、地の載する所、日月の照らす所、霜露の隊つる所、凡そ血気有る者は尊親せざるは莫し。故に天に配すと曰う。 唯天下の至誠のみ、能く天下の大径を径綸し、天下の大本を立て,天地の化育を知ると為す。夫れ焉んぞ倚る所有らん。じゅんじゅんとして其れ仁なり。淵淵として其れ淵なり。浩浩として其れ天なり。苟しくも固に聡明聖知、天に達する者にあらざれば、其れ孰か能く之を知らん――」


 以上、中庸の書三十二節の引用を以って、麿の所信と表明いたすでおじゃる。

 ご清聴、おおきにさんにおじゃります。



 ぱち、ぱち、ぱち、ぱち。



 書の存在くらいは知っていても、意味まで理解できる者が果たしてどのくらい居たのかは定かではない。

 この最後までまばらなままの拍手の感じからは突き詰めずともお察しであろう。


 しかし他方では、菊亭青侍衆を筆頭に天彦に同行した諸太夫たちは余さずすべてが誇らしげに胸を張り、真っ直ぐな憧憬の瞳を主君に向けていた。


 ならばきっと天彦にはそれだけで万雷の拍手に相当する嬉しみではなかっただろうか。

 その感情がややトーンが上がった声色からも手に取るように伝わってくる。


「最終面談にまで至った諸兄はすべて、僭越なれどもこの菊亭が合格を認めるものにあらしゃります」



 ざわ、ざわ、



 お、おおおおおおおおおおおおおおお――ッ



 こんどこそ大きなリアクションが巻き起こった。

 ざわめきは歓喜の声へ変わっていき、やがて境内を席捲するほどの大歓喜へと姿を変える。


 と、


「ご自身のお持ちであらせられる経論をお説きにはなられはしませぬのか」


 嫌味たっぷりに西園寺諸太夫の一人が咎めだてしてきた。

 だが天彦は涼やかな視線を向けると、とくに発言を粒立てることもなく淡々と応接した。


「まさかそのような。釈迦に説法におじゃります」

「ほう。ならばもうお一つ。この者ら、すべて主家に纏わる縁故採用にござるが、誠によろしいのですな」

「何を申されますのか。ならばむしろ臨時採用では不足なほどの逸材揃いにおじゃります」

「ふむ。つまるところ我らの専横を許されると」

「専横などと滅相もおじゃらぬ。二心なき無心での賛同、惜しみなきお力限りの合力与力、いずれも心より御礼申し上げたき御働きにあらしゃります」


 諸太夫は目を見張った。


「……某、いいや我ら諸太夫一同、貴卿のことを誤解してござった。どうかご寛恕くだされ」

「古来より、過ぎた不幸を嘆くは新しき不幸を招く近道なり。と申します。我らは共に手を取り合い、この苦難に立ち向かわねばなりませぬ。こちらこそ。よしなにお頼み申し上げさん」

「何と寛容な。なればこれまでの因縁は水に流され、こちらこそよしなにお頼み申し上げまするぞ」

「おおきにさんにおじゃります」


 雪之丞が望むなら、求められるすべてに応じる心算の覚悟の一環として。


 やり手婆ならぬ煩さ方主家の小姑擬きを籠絡すると天彦は、周囲をさっと一瞥する。

 一瞬。ほんとうに一瞬だけこの想い伝われの感情で“にぱっ”と笑みを浮かべて、けれど終始凛然とした雰囲気を崩さなかった。えらい。


 お雪ちゃん、身共がんばったで。


 最愛の彼は今、あの柱の陰でいったいどんな顔をしているのだろう。望まれる期待には応えられたのだろうか。

 少しの期待と大いなる不安に駆られながら。














【文中補足】

 1、主文後回し。

 裁判官の判決読み上げ時、主文後回し宣告は専ら死刑宣告と同義であると扱われている。らしい。知らんけど。


 2、天正の地割。

 1590年(天正18年)豊臣秀吉は南北方向の通りの中間に新たに通りを建設しこれまで空き地だったところを新たな「町」にした。

 これは聚楽第や御土居の建設、寺院の寺町への移動などと並ぶ秀吉の京都改造事業の一環である。

 これにより京の街路は南北120m、東西60m間隔で長方形状に区画されることとなり現在に至っている。

 地割が行なわれたのは東は寺町通から西は大宮通にかけてである。新設された通りの北端は丸太町通、南端は五条通付近となっているものが多いが後に延長されたものも多い。

 また四条烏丸を中心とする一帯(下京の中心部)は地割以前から十分に市街地が発達していたため通りの新設は行なわれなかった。そのためこの地域では平安京以来の正方形の区画が残っている。


 3、戦国主要たんぱく源。

 キジ・ハクチョウ・マナヅル・ガン・ヒバリ・ツグミ。

 猶、ニワトリは入ってきているがそれほど流通はしていなかった模様。食肉用の養鶏もされていなかった。(主に都では)

 加えて陰陽道並びに仏教の教えが認識を阻害し、卵も需要がなかったとされている。


 4、打刀

 二本差しの長い方。一般的な日本刀のこと。短い方を腰刀と呼んだ。


 5、上下心を一にして、盛に経綸を行ふべし

 はい。皆さまご存じ五箇条の御誓文は明治政府の施政方針です。

 五ヶ條ノ御誓文は京都御所の正殿・紫宸殿で1868年4月6日(慶応4年/明治元年3月14日)に明治天皇が天神地祇に誓約する形式で公卿や諸侯などに示した明治政府の基本方針。


 6、中庸の徳(は至れるものなり)

 中庸とは儒教を起源として「極端に偏らず、また過不足なく調和がとれていること」を意味する。このお話では儒教において“四書”の一つであり、またその中心的概念の一つとして引用している。


 7、中庸書三十二節

 孔子の孫、子思の手によって纏められた詩経。仲尼、堯・舜を祖述し文・武を憲章す。

 猶、四書とは《大学》《中庸》《論語》《孟子》。 この称は宋の程頤(伊川)が《大学》《中庸》の2編を《礼記》中から独立させ《論語》《孟子》に配したのに始まり朱子学の聖典とされる。


 8、過ぎた不幸を嘆くは、新しき不幸を招く近道なり

 シェイクスピア四大悲劇オセロから。

 オセロとデズデモーナの交際に反対するデズデモーナの父ブラバンショに対して公爵が間を取り持とうとして言った言葉。


 9、蛮貊ばんぱく  

 南方の蛮人と北方の蛮人。  


 10、洋溢よういつ  

 あふれ出ること。


 11、副題

 あはい。当然の雪之丞さんですね。

 男子の反抗期(思春期)ってこんなもんでしょ。異論は認めます。そんなんちゃうでーの意見の方はどしどし感想ランへお寄せください。













 

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