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雅楽伝奏、の家の人  作者: 喜楽もこ
弐章 臥竜鳳雛の章
31/314

#02 心映え清らかにて

 



 永禄十二年(1569)一月十七日(旧暦)






 蔵人所の職務内容は多岐にわたる。なにせ両手では数えきれない殿上の雑事を一所ですべて総轄しているのだ。


 いよいよ参内当日となった。


「若とのさん、遊義門ゆうぎもんまでは送りましょうか」

「心配してくれておおきにさん。でもなお雪ちゃん。最初から見送りには来るんやで。なぜなら君は身共の一の家来やからやで」

「む、嫌味ったらしい言い回し。某、家内の取り纏めで忙しいので参れへんようになりました」


 しくった。


 気難しさに火を点けてしまった。天彦は応接を間違えたと瞬時に気づいたが時すでに遅し。


「待った! うそやん、冗句やん。そんないけずいわんといて。な」

「行きません。お一人でどうぞお参りやす」

「え、ほんまに来いひん気」

「はい。いけずでゆうてるんと違いますよ。公務で行けへんのです。陰ながらご健勝を祈願してます。あんじょうお気張りやす」

「いけずやん」


 それが意地悪と違ったら何が意地悪やのん、ってくらいにいけずやん。

 あり得んって。

 加えて突き放すかのような京町言葉(風)口調、もろ刺さる。


 天彦痛恨。晴れの門出にいきなり吝嗇がついてしまった。

 だがむしろ幸いした。このお馬鹿なやりとりがなければ天彦は緊張の面持ちで菊亭屋敷を後にしたはずである。

 どれほど緊張していたかというと、一周回ってキレ散らかすほど上がっていた。例えば禁忌である承明門(最も格式の高い常は閉ざされている正門)から“頼もぉ”する気だったとかなかったとか。いずれにしてもそれほど舞い上がっていたのである。

 ところがこれで緊張がほぐれ平常心が保てたのだ。感謝こそすれ不愉快な気など一ミリもない。うちの子天才。


「殿、いってらっしゃいませ」

「うん、留守を頼んだで佐吉」

「はっ。お任せあれ」


 欲目もほどほどに、まさかのごねられるという大技を食らったものの代わりにラウラに見送ってもらい義勇門へと徒歩で向かう。

 小さな変化だが佐吉が天彦のことを殿呼びに変えていた。正式に当主となったので不自然さはないが当人はまだ慣れない。


 中庭中ほどに差し掛かったとき、ラウラが咳払いと同時に無言で咎めてきた。

 ああ、とすぐに感付いて直立し身を任せた。案の定いろいろ身繕いをされた。そこはちゃうやろという部分まで。

 なんとなく気休めの感も否めないが、やりたいようにやらせてやる。最近とくにお姉ちゃん風を吹かせたがるようなので。


「はいこれで完璧です」

「おおきに。かっちょええか」

「素敵です。御職場でも女子おなごが列をなすと思います」

「あ、ウン」


 ハズい。めちゃんこハズい。


 だが天彦にはそうはならない自信があった。哀しすぎて確信とまでは断言しないが絶対ならない。そういうのは実益や久脩の領分であって、すくなくとも天彦のポジションではなかった。

 だから敢えてレスは返さず屋敷を出た。家来を悲しませる意味はない。得はもっとない。

 因みにだが作りはそれほど悪くない。むしろに二択ならよい部類に分類される。すくなくとも卑下し神を呪うほどではない。

 なのに鏡が天敵だった。天彦は決定的に目性が陰気臭かった。キラキラ・サラサラ・きらリンが実益のオノマトペなら、天彦のはヒュッ・ギスギス・グゴゴゴォである。低く見積もっても終わっていた。



 閑話休題、

 込み合う時間帯なのだろう。屋敷を出てすぐの大手筋は多くの牛車で込み合っている。

 通勤で自宅前が渋滞するなど現代人でもかなりのストレスだが、立地に文句もいえない以上粛々と受け入れる他ないのである。まあ親の顔よりよく見る光景なので天彦にはどうってことない。慣れとはそうしたものであろう。


「天彦さんも牛車をお持ちになられればよろしいのに」

「それは給金上げろの暗喩かな」

「言葉のまんまですけど」

「そやったら教えて進ぜたろ。ええかラウラ、徒歩一分のとこ通うのに維持費オニな牛車持つやつおらんのよ」

「維持費鬼。また新しい言語です」

「鬼、連想してみ」

「はい」

「どない」

「恐ろしいです」

「そういうこと。細かな点はニュアンスで伝わるやろ」

「ニュアンス、ですか。なるほど、まんじ」

「惜しい。どっちにしてもお無理さんや」

「では彼方は」


 ラウラの指さす方に視線を向けると、居た。ふつうに。


「まんじ」

「なるほど、そう活用するのですね」

「そういうこと」


 牛車が列をなして停滞しているその一角には、車窓から間抜け面を曝して手を振る和歌ガチ勢ならぬ烏丸の御曹司光宣の姿があった。


「それで彼方さんは牛車を所有なさっておりますが」

「あいつは外様やから無理せなあかんねん」

「外様とは」

「うちは内々。藤氏やから。他の源平橘はみぃんな外様。たとえ橘長者でも一緒」

「何か違いがございますので」

「大ありやろ。まず上位者との謁見時、あいつら外様は畳には座れん。差莚にお座り遊ばせるんや」

「酷い仕打ちに思いますが」

「そや。それがブラッドサインの為せる技や。な、キモいやろ」

「いいえ、まったく」


 この感覚って。

 一生埋まらない溝と確信して天彦は会話を続ける。


「まあええわ。そういうこっちゃ」

「なるほど。ですがはて。氏姓うじかばねと牛車。なんぞ相関関係がございますのですか」

「難しい言葉知ってるな。そっちのが驚きや」

「はい。実父は数学者でございましたので」

「なるほど。コロレイションを自力で意訳したわけか。褒めて遣わそ」

「お褒め預かり光栄至極。ですが私はむしろ天彦さんの叡智に驚きを禁じ得ません。いったい如何ほどの知識と教養がそのこんまいお頭に収まっておいでなのでしょうか」

「こんまいゆうなっ!」


 一応お約束なのでキレておく。

 叡智て(笑)。そら草生えるわ。ぼーぼーやろ。


 ぜんぜんまったく叡智などえの字も詰まっていないので放置。

 そんなことより何より、何か決定的な告白があった気がする。たとえばラウラの父親が教会関係者であるという遠回しな情報開示とか。それもかなり教養のある、即ち身分の高いぱっぱが居られるといった重要情報がさらっと明かされたとか。そんな告白がなされたような。


 知らんけど。


 が、天彦は家族問題には触れない。何を置いてもそこだけは徹底していた。

 万一相手側から相談されればその限りではない。だが自らパーソナルな扉はけっして開きにいかない。しんどいから。難儀だから。それに尽きた。


 到着。


「おおきにさん。ほな参ってくる」

「御武運お祈り申し上げます」

「武運は祈ったら……、どうなんやろ。どうなん」

「祈った相手に訊くのは如何なものかと」

「それもそうや」


 天彦はハテナを浮かべて遊義門をくぐっていった。




 ◇




 天彦の通った遊義門は内裏内郭の西側北方にある。

 西側正門である陰陽門北廊の築地に開けられている掖門である。西の正門である陰陽門に対して右廂門ともいう。


 西側回廊を南に歩き清涼殿を目指して進む。

 道中高位者とすれ違えば立ち止って教わった磬折ようせつという立って腰を折る礼の作法で挨拶をする。故実のゆうである。

 笏を両手で胸の位置に抱えるように持ち腰を折る。その際頭は下げず目線は相手を直視する。まじげろだるい。

 因みに上位者は一目瞭然となっている。中学ジャージのライン方式だ。身分によって服の色味が違っていた。


 諸々あってようやく清涼殿(帝の居所)にたどり着いた。

 同僚が誰もいない。先輩諸氏も。今日は栄えある初参内のはずだが。この緩さとは。

 だが天彦はこれといって驚かないし引かない。このルーズさこそがまさしく貴族が貴族たる所以であった。貴族(特に上級)はしばしば儀式や政務に遅刻をした。早退も日常的に常態化しているらしい。

 なぜなら時刻に拘束されないことこそがその尊貴性を担保していると信じて疑っていないから。阿呆である。帰ろかな。


「ストレスやわぁ。箒立ててぶぶ漬けでも食べとこかな」


 どうなるのか説が立証されたら恐ろしいので実行には移さないが。

 じっと間抜け面で待ち惚けていると、やっと同僚らしき人物が姿を見せた。


 同僚のようだが初見。故実で待ち構えていると、なにやらずんと天彦の顔が曇る。

 すぐに事情は判明した。これもいつもの光景だった。相手が天彦の姿を視認すると何らかの既知的反応を示し、他方の天彦は存じ上げていないといういつもの不具合が生じたのだ。

 これでも天彦にとっては十分気まずさという不具合が生じているが、どうやら今回は更に上の不具合が生じているようだった。


 今回の場合、相手さんはどうやらいい感情を覚えていないようである。言葉を飾らずいうならとびきりの悪感情を抱いているよう。

 事情はさて措き、こうなるともはやお手上げ。天彦個人もさることながらぱっぱを筆頭に実益派閥そのものが忌避されている公算が高い。

 不可抗力の具現化である。拗れた感情など言葉を尽くしたところで解しようがない。少なくとも個人の力量は超えていた。


 腹をくくって待ち構える。心の中で、お前どこ中なん。身共禅林寺中やけどと備えつつ、言葉の暴力や毒ごときナンボのもんじゃいもし唾吐かれたら百倍で返したらっの精神で。


 ややあって、公家の若集が故実で礼を整えた。

 天彦も返礼する。


「菊亭さん、新年おめでとうさん。こうしてお互いに参内遊ばしてめでたいことです。これも何かのご縁さんです。お互いに気丈で務められるよう、よろしゅうお願い申します。なにかいたらんことあったらお世話さんでございます。よろしゅうに」

「あ、ハイ」


 あ、負けた。


 ズクダンズンブングンゲームを仕掛けられていた。いない。

 だが負けたのは確か。これがお前らのやり口か。そう。

 公家という人種の本領発揮である。天彦は内心をひた隠す卒ない言動の一々に少しの感心と大いなる薄ら寒さを覚えてしまう。ぶるぶる。


 本当にぶるぶると身震いしていると、


「おほほほ、なんやえらい違ごてはりますなぁ」

「ん?」

「我が家では鷹のようなお人やと持ち切りでしたんや。加えて勾当内侍がお驚きさんであらっしゃいましたやろ。麻呂も気ぃ張って気ぃ張って。ほらこのとおり手ぇなんか兎さんのようやし。今日という日がたんと難儀であらしゃいました」


 はんなり。おいでやす。違う。違わないがウサギ? いやいやいや、野ブ、の間違いでは。

 同僚の名誉のために自粛しておくが、その自認は違うと断言しておこう。仲良くなったら教えて進ぜよ。るん。

 いずれにせよ話してみると180度転換してずいぶんとフレンドリーに変わっていた。


「薄以々(すすき・もちもち)と申します。長々とよろしゅう御頼みさんであらしゃいます」

「あ、ハイ。……菊亭天彦と申します。どうぞ、またいろいろと願いとうおじゃります。このとおり気安う御頼み申し上げます」


 ほら、な。


 名は体を表すことが実証されたことに気をよくした天彦は、踏み込んだろ。

 遠慮の仮面をはぎ取った。


「もっち。拝舞舞踏覚えた」

「も、もっち!? もっちなに」

「え、お前やん」

「お、おまっ……!」


 急に詰め過ぎたか。ええわ。押したろ。どうせ端からビビりまくられてたし。


「そんなことより拝舞舞踏や」

「そんなこと。……当たり前さんであらしゃいます」

「固い。くだけていこや。数少ない同僚やで、な」

「ほんまに?」

「うん」

「ほな、そないしよ。あまちゃん」

「それはアカン」

「へ!?」

「物には何事も限度があるやろ。まるでヘタレみたいやん」

「あ、ああ……」

てんちゃんにしとき」

「……?」


 以々(もちもち)は早々に理解を放棄した。冴えた直感だけでこの修羅の戦国を生き泳いでいけるタイプであろう。正解です。


「そんなことより拝舞舞踏や」

「勾当内侍にも仲良うせい言われてるし。なんぞ不安でもあるんか」

「うん。不安しかない。お知りあい?」

「義理の姉御前やで。でもそれは不味いやろ。この後すぐやで」

「そうなんや。どないしよ」

「どないもこないも、どないもできひんのと違うやろか」

「そんな他人事みたいに」

「え!? 他人事やん。見ず知らずの赤の他人やん」

「ひどっ」


 だった。くそっ、ホワイトオインク産のくせに。


 拝舞舞踏とは蔵人初参の作法の中で最も重要視される作法の一つ。

 まず宣旨を受ける。そして参内の栄誉を賜ったことへの謝意を表し、左右左さわうさを行う礼舞踏である。

 初めに再拝するのは詔命を欽ぶ意味であり、後に舞踏するのは恩恵に預かることを喜ぶ意味があるとのこと。


「難儀なお人さんや。麻呂の後につづきはり」

「おお、おおきに。この御恩さんはいずれ返します」

「ええよ、そんなこと」

「じゃあそれで」

「え!?」

「どっちやねん」

「気持ち返して」

「うん、わかった」

「ほっ」


 以々は手順を示してくれた。


「そこで膝を落とすん、なんで!?」

「作法になんでもへったくれもない。さあしよし」

「ぬぐぅ。どない」

「手はこう。袖を揃えて。腰はこう。まったく、難儀なお人さんや」

「う゛」


 再拝のち立ちながら腰以上(上半身)を左に向け、両手を左に伸ばして袖を合わせる。更にこれを右そして左に向けて、今度は跪いて右ひざを上げ同様のことを繰り返すのである。舞踏か、これ。


 何度か繰り返すとどうにか様になってきた。


「どないさんであらしゃいます」

「ばっちぐぅ!」

「へ、ばっち!?」

「そう。ばっち。死ぬほどたんとおおきにさんってことや」

「あ、ああ」


 以々はまるで得心いかない風に頷く。反面天彦は会心の笑顔で大威張りだ。

 友達百人出来るかな。無理だ。

 無理でいい。雪之丞との勝負にさえ勝てれば。三日以内に一人作る。少なくとも一人はゲットできそうだった。


 勝利報酬、なにもらおかな。











【文中補足・人物】

 1、位階制

 五位の位は昇殿制の成立以降貴族としての指標となっている。

 上級貴族には出発点として、中下級貴族にとっては目標地点であり終着点である。また昇殿とは内裏内清涼殿の南廊にある殿上の間に上ることである。


 2、清涼殿・殿上の間(南側)

 御上段の間(18畳):天皇の表御座所。二畳と少し段のある二畳とに分かれた部屋。二重天井。

 >中段の間(18畳):摂家その他高級貴族の座。天杯を賜る。二重天井。

 下段の間(18畳):公家が拝謁する座。親王・摂家(摂家門跡)・大臣・公家等の内々の拝謁・参賀・天杯を賜った。

 内々公家(藤氏)は畳を使うが、外様公家(源氏・平氏・橘氏)は差莚を用いる。そのため床は拭板敷となっている。

 猶、内々公家と外様公家の扱いの違いだが、席次や作法の他には然したる差はなかった。


(東側)

 >一の間(15畳):天皇の御居間。

 >二の間(15畳):身支度を整える間。

 >三の間(15畳):典侍(ないしのすけ)が伺候した間。行幸啓の折にはご寝室として使用された。

 >次の間(15畳):典侍・尚侍が伺候した間。

 >お清の間(10畳):神事・祭事が行われる前夜、天皇はここで夜を明かした。

 >御寝の間(18畳):天皇の寝室。


 その他

 >大盤所:食事を整える場所。女房(女給)の職場。

 >御湯殿:風呂。主に三番目の典侍がお世話をしたため“さんすけ”という言葉ができた。


 3、内外を囲む閤門(内門)

 >承名門(じょうめいもん)。

 建礼門の北に位置する内裏内郭南側中央の正門。ここから東西に回廊が延び、内裏内郭をぐるりと囲んでいる。この門をくぐると何庭を挟んで向こう正面に紫宸殿(儀式を執り行う正殿)がある。

 内裏の諸門の内でも最も重要な門だったため儀式・節会・行幸の際のみ開門され通常は閉ざされている。


 >武徳門(ぶとくもん)←混んでいた場合に使う二番目の通用門。

 内裏内郭の西側南方にあって陰陽門(西正門)の築地に開けられている掖門。西の正門である陰陽門に対し左廂門(さじょうもん)ともいう。

 入って東に進むと月華門にあたりそれを抜けると紫宸殿の前方南庭に出られる。


 >遊義門(ゆうぎもん)←天彦ん家の斜め前にある通用門。主にここ。

 内裏内郭の西側北方にあって陰陽門北廊の築地に開けられている掖門。西の正門である陰陽門に対して右廂門(うじょうもん)ともいう。


 4、薄以々(すすき・もちもち)数え13歳 従六位下・非参議

 地下人家、参議・薄以緒の養子。勾当内侍の義理弟。そして山科言継の実子。兄の諸光は秀吉に自刃を命じられお家を断絶させた悲運の人。その実弟。

















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