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雅楽伝奏、の家の人  作者: 喜楽もこ
十九章 有財餓鬼の章
308/314

#05 諾なう藹々、整数論の残酷な定理とか

 



 元亀二年(1571)四月三日






 大前提、すでに兄弟子には頼り過ぎている。果たして転生してもその恩に報いることができるのか。そうとうかなり怪しいくらいに。



 神屋にもこれ以上の無理は頼めない。京に居る茶屋には猶更のこと。ならばレコメンドは。


 大坂を頼る。むろん大坂とは大坂本願寺を指す隠語であり、茶々丸、即ち教如上人の御座す在所である。

 その迎賓の間に天彦はいた。差し向かいにつんつるてんのこめかみピキーン美男子と向き合って。


 ずずずず。


「呑気やのう。しかし天彦、神仏の食い扶持にたかるとは不届き千万。悪鬼羅刹も裸足で逃げ出す最悪の所業や。と、お前にゆーてもしゃーないな。で、なんぼ入用なんや」

「お蔵さん三つほど」

「おい」

「なに」

「何やない。銭の単位を蔵で申すな蔵で」

「ほな十つ?」

「増やしてどうする。しかも無心している当人が足らずの正確な額を把握しておらぬときたか。ったく、お前ときたら変わらぬな。息災であったか、天彦」

「ん、この通りピンピンねん。かわいいさんやろ」

「ふん」


 どうやら教如に異論はないらしい。実際に可愛らしいかはさて措いても。


「で、どないさんやろ。貸してくれるかな」

「その口ぶり、返すんか」

「……あ、うん」


 本願寺もけっして楽な状況ではない。織田との戦の賠償金に追われつつ、土倉の禁止とダブルパンチをくらっている。

 しかも信徒も日を追うごとに減っていて、この変革した世界線での最大の被害者が大坂本願寺ではないだろうか。そう思えるほど割を食っていたのだ。


 だがさす教如。そんなことはおくびにも出さず、親愛なるずっトモに涼しい顔で向き合っていた。


「天彦、言葉には責任が宿る。言い直せ」

「はい。ください。蔵を。丸ごと三つほど」

「お前」

「なにさん?」

「ちっ、信徒の手前、大坂の蔵はやれぬ。……じゃが儂の息の掛かった土倉なら紹介してやれぬこともない」

「ほんま」

「儂が一度でも嘘を申したか。お前と一緒にするな大ウソつきめが」

「お茶々」

「ふん、好きなだけ持って行くがええやろ」

「お茶々――ッ」

「ええい、犬のように纏わりつくな!」


 天彦は言葉以上に纏わり付いて感激の感情を表現した。笑笑


「狐はイヌ科や。しゃーないねん」

「またそうやって訳のわからん論説で煙に……ん? ほんまなんか。あれの属性は犬なんか」

「嬉しいくせに誤魔化して」

「な、わけあるかいっ」

「あるやろ」

「ないやろ」

「あるやろ」

「お前と言い合っても埒が明かん。なんでや。なんでそう思うんや」

「だってお茶々、視線を逸らして鼻先を掻いたやん」

「っ――、帰る。儂は帰るぞ、誰ぞあるかっ!」

「ここはお茶々のお家なのに?」


 周囲から失笑が漏れ聞こえる。むろん上座(菊亭)側限定だが。

 下座側はくすりとも笑わない。笑わないどころか逆に頬を引きつらせているほど冷めきっている。

 常から緊迫感を強いられている教如周辺の取り巻き界隈にとって、これは異常事態ともいえる大異変であった。


 だがそんなことはお構いなしに、天彦は数少ない自分を曝け出せる相手に全力で甘える。


「ほな身共が住もかな。お茶々のお家に」

「なっ……!? いつまで弄っとんねん! やかましい、儂が帰ると言ったら帰るんや」

「ぷぷぷ。一瞬喜んだくせに。ええよ、どうぞお好きにしい」

「ふん。お前に言われずとも儂はどこでも好きに振る舞う。そうやって今日まで来たんや」

「うん。かっこええさんよ」

「そうでも、ある。ふん、好きなだけ居るがよいぞ。お前にはそれを許されるだけの名と権威と、培ってきた実績がある」

「おおきにさん」


 どうやら教如、そうとう嬉しいようであった。


 と、


「ごほん」


 さす教如。公称三千万信徒の頂点に君臨しているだけのことはある。

 咳払いひとつで、ぴきーん。この雑然としていた四間四方の間にそんな擬音が幻聴されるほどのひりつく静寂をもたらすのだから感心する。


 教如は自身も居住まいを正すと、下座に向かって言葉を発した。


「それで天彦。本題はなんや」

「無心も本題ねんけど。実は――」

「待て」

「待つ」

「お前の改まった物言い。切り出す雰囲気。視線、醸す温度感。間。どれひとつ取ってもええ予感がせん。いや鉄板で悪い」

「ひどい! ほな申したろ」

「待てと申した。此方にも相応の覚悟が必要や」

「あそ。お好きにどうぞ、なさってください」


 天彦はwwwと脳内の吹き出しに入れながら教如の心の準備とやらを待った。

 教如は側近に何かを託けると、ほとんどを下がらせた。


 遣いに走っていたのだろう側近が戻るなり何事かを教如に耳打ちする。すると教如は目を細めて何事かを考えこんだ。


 よほど厭な事実にでも思いあたったのか。常の渋面を更に険しく渋らせて教如はひとつ嘆息した。


「よいぞ天彦、申せ」

「ん。貰う銭の対価くらいにはなると思う」

「前置きはええ。心構えはできておる。疾く申せ」

「そ」


 天彦はそっと立ち上がると、いつものように扇子をぱちり。

 なんでもない風にとんでも飛び切りの爆弾発言をお見舞いした。


「悪法も法なり。組織に属している以上は法に従うべし。そうやろ、お茶々」

「続けよ」

「大抵の場面で権威は効力を発揮する。そやから身共は黙ってるん。そやけど……」

「……」

「意図的に殺しに掛かってくるのなら。それは話が別さんや」


 言ってトン。扇子をそっと閉じて仕舞った。

 そして天彦は教如に向けて、つい魅入ってしまう。あるいは人に依ってはつい仰け反ってしまうほどの冷ややかな視線と言葉を浴びせ掛けた。



「性能と機能――、


 これをはき違えたらお仕舞いなんやで」



 と。


 天彦は言って露悪的で能動的な眼差しを向ける。

 教如にではなく、その背後に隠れた彼の側近のひとりに向けて。


 天彦の視線が捉えて離さない人物。それは三人の本願寺家老(坊官・奏者)の内の一人、刑部卿法橋こと下間頼廉だった。


「……嘘や。嘘やと申してくれ、天彦」


 察しのいい。いや良過ぎる教如はこれだけで事態の深刻さに気付いてしまう。

 そして彼にしては珍しく、現実から目を背けようとして駄々っ子のように駄々をこねた。


 だがこれは冗談ではない。むろん夢でも。


 どこまでも非情でどこまでも冷酷な超現実なのである。

 天彦はだからこそなのか。これといった感情を伺わせない淡々としたあっさり口調で言い放つ。さも義務的に。至極事務的に。


「あまりにも酷い噂が飛び交っていた。調べてみると何と吃驚。出所はまさかの大坂さんではおじゃりませんか」

「なにッ」

「なあお茶々。公卿である身共には、幼少の頃より嫌というほど見せられてきた習いあるお手筋さんがあるんやけど、それが何か知ってるやろか」

「っ――」


 骨肉の争い。もしくは担がれた陣営同士の醜い陣取り合戦。


 京都御苑の公家町に住まう公称138家の公家家。

 そんな彼らは三千家門の頂点に君臨する貴種中の貴種である。


 その血は洗練され、研ぎ澄まされ、ときには穢れて今日までその血脈を繋いできた。

 天彦の言う習いある手筋とは即ち。


 家督を継ぐべく嫡男以外のお家の乗っ取りに他ならない。

 歴史はすべて勝者が作る。成れば官軍、負ければ賊軍。そういうこと。

 事の顛末は勝者総取りの理。その世界線に措いては下克上こそが唯一の一発逆転ホームラン。


 実に単純で明瞭なハイリスクハイリターンチャレンジであった。


「阿古丸。いや阿古丸を神輿に担いだ誰ぞが主犯か」

「神輿にお人さんは乗られへんのん」

「……こんなときにまでお前というやつは。ほな山車や」

「ん。いずれにしても憎き仏敵菊亭をやっつけたという実績を引っ提げて、何か御大層な悪巧みを目論んでいたんやろなぁ」

「菊亭、お前が申すのや。確かなんやな」

「残念さんやけど」

「さよか。……繋がりから考えて、絵を描いたんは三条やな」

「それはちゃうと思う。転法輪さんはいいように使われただけで、ひょっとするとこの哀しい現実さえ知らんまであるかも」

「とんだ鈍くさ公卿やの。だからと言って知らぬ存ぜぬが通らん以上、どっちでも同じことやがな」

「ん。それが身共の生きる超美しい甘甘社会ねん。風雅やろ」

「粋やな。互いに」

「やね」


 風雅と書いてゼツボウと読み、粋と書いてアワレと読むのか。二人の意見は合致していた。

 骨肉は争う意思がなくとも、こうして結果的に争わされることもある。むしろある。

 どこまでも非情。どこまでも無情。


 それが一子相伝を是とする戦国社会の真の姿。その側面、あるいは全貌であった。


「と、なると。……九条。いや黒幕は関白二条か」

「ん。妥当な線でそうやと思う」

「なんや頼りない。全幅の信頼を寄せる側近を始末させておいて、それはないやろ」

「あの妖怪爺どもが尻尾を掴ませるはずがないさんねん」

「ふん、さよか」



 しばく。いやコロス。



 吐き捨てるように言って教如は今にも唾棄せんばかりの峻烈な視線を、側近の一人に向けて睨んだ。


「な、なりませんぞ上人様! そのような得体の知れぬ公家に騙されてはなりません!」

「黙れ」

「くっ――」


 悪法も法なり。


 この大坂本願寺に措いて、教如こそが法であった。


「己は絶対に楽には死なせん」

「ご、御上人様――ぁ!」

「やかましいわ! 誰ぞ、この虫けらを引き立ていッ」

「はっ」


 策の実行者を下がらせた教如は、


「この大坂、山狩りをすれば相当数の野伏が狩れることやろうなぁ」


 ぽつり。


 これまで天彦が聞いたことのない哀しいトーンでつぶやくのだった。






 ◇






 泊っていけ。勧められたがさすがにこの状況で滞在するほど野暮ではない。

 掃除を終えた天彦はその足ですぐに京へと舞い戻った。


 すぐと言っても籠である。大した速度は出したくとも出せない。

 周囲をぐるり。イツメンたちに取り囲まれるように、のんびりムードの帰洛である。


 と、籠の右側面から見慣れた顔が覗き込んだ。


「なんやお雪ちゃん、そのけったいなお顔さんは」

「けったいて。けったいなんは若とのさんの方と違いますやろか」

「何でや」

「だってぜんぜんちーっとも喜んではらへんのやもの。儲かったんと違いますのんか」


 図星だった。

 かなりの大金が舞い込んだはずの菊亭一行に、だが浮かれた雰囲気は天彦を含めて微塵もない。雪之丞以外は。

 そんな触られると感情を逆撫でられる図星を消し飛ばすように、天彦は殊更話題を広げて誤魔化す。あまり上手とは言えない手順で。


「……お前さんらも。揃いも揃って浮かぬ顔をして。いったいぜんたいどういう了見なんや」



 …………。


 …………。


 …………。



 誰一人として天彦の銭調達の成功を喜んでいる者はいなかった。かといって否定的な意見も出ない。ご存知でしょうにとも言い返せない。要するに、菊亭に措ける大金の存在とはこの程度の認識だったのだ。


 正確には信じている者がいないのだ。出資金の最終的な行方が主家菊亭家であることに確信が持てないと言い換えてもいい。

 この人ひとりの生涯なら果たして何週できるだろう大銭も、菊亭天彦の手に掛かればしゃぼんのように刹那で泡と消えてしまうことを、誰もが知ってしまっていた。


 それが国を変えるほどの大銭であってもきっと同じ。彼らにとって銭が銭である以上、哀しいこれまでの数々の出来事から、ほんの一時的な預り金程度としか捉えられなくなってしまっているのだろう。イツメンたちの温度感からはそんな寂寥の感情が察された。


「ええいっ、鬱陶しい! ……みっちゃん。景気ええやついっちょ行ったってんか」

「ええー」

「なんや厭がって」

「この雰囲気、それは厭がってあたりまえにおじゃります」

「なんやしょうもない。ほな身共が一句――」



 織田がつき、上杉がこねし天下餅。座りしままに食うは菊亭。



「どや」

「どややない! こ、怖いのはやめて! それならまだ草を生やさはった方がなんぼかましやわ」

「ふふふ、都冗句に乗っかったった」

「ふふふやないのよ! 天彦さん。誰一人、笑われへんよ。諸太夫さんらも魂消たはるわ。いいや魂抜けたはるわ」


「殿……」

「……殿」

「殿」


 なるほど指摘の通り、佐吉と是知と九郎ら文官衆には不評のよう。完全にすべっているようである。けれど……。


 武官連中にはウケのいい模様。完全にツボったか。

 とくに高虎は足を止め腹を抱えて笑いこけているし、氏郷や紀之介らも釣られて大笑いしてしまっている。


「笑ろてるけど」

「……可怪しいわ。菊亭さんはご当主さんも諸太夫さんも」


 異論はない。


 といったいつもの菊亭家の日常よりちょい風刺の効いた天彦の辛口冗句も、実はあまり本調子ではない。


 というのも……。


「みっちゃんはなんで同行してくれたんや」

「はい。お目付け役を仰せつかりました」

「やっぱし」


 天彦に監視人員を送り込める人物は相当かなり限られている。

 その一人一人の顔を思い浮かべながら、状況とリンクさせて推測してみると、消去法で残った御方はただお一人。


「東宮さんか」

「残念でした。天彦さんでも推測を外さはることあるんやね。意外。ということで、土倉へ参ったら即座に東宮御所へ参ってくださいね」

「わかってるん。みっちゃんの裏切者」

「天彦さん、今日はちょっと言葉が強いよ」

「だってそうやろ。阿茶局の回し者役なんか引き受けて」

「やっぱり知ったはったんや。麻呂にとっては名誉なお話なんや。亜相さんに置かれましては、誤解を招く言い回しをお控えください」

「ふん。いややろ」

「な……っ!?」


 烏丸光宣も今回の大坂謁見に同行していた。烏丸家は正式に嫡男光宣が家督を継いだ。そして当主光宣を菊亭へ差し出すことで西園寺派である旗幟を鮮明にしていた。天彦にとっては嬉しい変化の一つである。


 だがひとつ想定外だったのは、東宮。いや阿茶局が側近にこの光宣を指名したこと。

 光宣は正式に東宮の侍従として、侍従の職に就いていた。


「で、皇后さまは何を目論んだはるんや」

「それや。天彦さん、まさにそれや」

「……皇后。つまり正妃の称号か。阿茶局さん、ずいぶんと欲張りなお方のようで」

「天彦さん、お声を潜ませるでおじゃる」


 半分冗談で言った言葉が正鵠を射てしまった気まずさたるや。

 だがいよいよ後宮も刷新のときを迎えつつあるのだろう。阿茶局の動きからはそんな気配が濃密に漂う。


 通常後宮は主の交代と共に全取っ換えの総入れ替えが通例である。そこには惨劇とまでは言わないにしても非情とも思える交代劇も含まれる。

 中には例外として次代に引き継がれる女房衆もいるにはいるが非常にレアなケースだろう。

 権力の移行あるいは移譲とは、まさに既得権の刷新に他ならない。流血事件が起こったとしても誰も驚きはしないだろう。


 つまるところ現下、正親町後宮女房衆と、次代の帝である東宮女房衆との熾烈な場所取り合戦が静かに火花を散らしている模様のようであった。


「身共としては関わり合いとうないんやが」

「それは御無理な相談では。何しろご聡明な東宮さんのこと。この後宮人事も含めて天彦さんを別当に据えはったんと違いますやろか」

「……東宮さんは、どうやろな」


 天彦にとってキーマンだがまったくの未知数な一人がこの誠仁親王殿下であった。

 何しろ彼は病弱とされ、即位せずに身罷られたのだ。統治能力など知る由もない。

 故に東宮に関しては、少ない接点での拙いピースだけで全体図を想像しなければならないのだ。控えめに言ってしんどかった。


「あーしんど」


 だから二度いう。


 公私の区別を付けられない地位に天彦を据えた意味とは。

 あるいはあたかも自然を装った人材配置に隠された真実とは。

 そう。まるで美しいと思わせてその実、残酷なまでに非情な整数論の定理のように、けっして抗うことを許さない絶対性を彷彿とさせる。とか。


 単純に考えれば公武とのつなぎ役。即ち武家伝奏である。

 この武家伝奏は本来参議や侍従のお役目だが、それはこの際目を瞑るとして。

 やはり公家と武家との緩衝材としての役割を期待されていると考えるのが妥当だろう。けれど……。


 果たしてそうかな。


 実際はどうだろう。早くから目を付けられていたことを踏まえると。


 籠に揺られながら天彦は考え込む。


 菊亭を別当に据えた意味。延いては雪之丞を永代別当に抜擢した意味。意味、意味……。


 紐はついた。色も多少は。だが果たしてそこに東宮にとって何の利得が生じるのか。


 別当が太政官。それも実質の権限者となった今。


「あ」


 それ即ち菊亭の言葉が勅ともなることを意味し、行使できる権力以上の付加価値を生じさせている。裏を返せば天彦に権力が集中しすぎているとも取れてしまう。……いや、そうに違いない。


「こっわ。さす魔王さん。知らんうちに首に鈴付けられてたん」


 何しろ、その地位を利用した専横を疑わせるには余りある、悪風に曝されているのだ。

 菊亭が功を為すたびにヘイトが積もっていくシステムがすでに構築されていた。あるいは破滅シナリオか。


 捻らずに仮説を立てるなら、役目を果たした天彦を切り捨てられるシステムの構築。あるいは天彦を盾にした絶対君主制の確立と推測できるがどうだろうか。


 策意の陰に潜んだ魔王の意思が見え隠れして仕方ない。


 窮地に颯爽と現れる魔王。……ぽ。かっこよ。スキ。


「とはならんのよ。アホか。でもやっぱし、お姫様を娶らな纏まりつかへんのやろか」

「その件なんだけど、しばらくは様子を見てほしいそうや」

「へえ」

「うん」


 光宣は誰がとは言わないし天彦も訊ねない。


 天彦は核心を得るほど東宮殿下の為人を知らなかった。今は敵でないだけで十分な安全地帯だ。それ以上多くは望まないでおく。おいおい、追々。じっくりと紐解いていけばよいだろう。


 一方で、組閣人事も早急に進めなければならなかった。

 何しろ古くて新たなボスは、ほとんどすべてを天彦にぶん投げる方針のよう。

 そんな太政大臣は果たして厭だ、なのかそれとも。


「丸投げ太政大臣さん。身共とは相性抜群ねん」

「ほんまに。感心するほどええ仲やわ。あんたさんらほんまは同腹違いますの」

「うん。……やったらええな」

「……あ。……ごめんなさい天彦さん。麻呂はそんな心算では……」

「気にせんといて。母御前恋しい年でもないし」

「はい」


 光宣は項垂れると、わかり味の深いAIのように黙りこくってしまった。


 シゴデキ有能貴族の特徴として、歌や楽器や舞はもちろん、馬好き、噂好き、衣装好き、そして舶来珍品好きが挙げられる。あと他家の系譜にやたら詳しいとか。

 気性も至って温和で銭を持てば気前がよく、食通または食道楽が大半である。流行にだってかなり敏感だったり。

 といった風に本来の貴族は、これ大丈夫なんか? ま? と思わず心配したくなるほど生活感も生活力も生産性もないのである。平和かな。平和やな。


 それこそが天彦の本来愛する同門同種の貴種の姿なのだが……。

 どうにも印象がよろしくない。

 九条や二条妖怪のように常から謀略を仕込み、隙あらば計略を仕掛けてくる者ばかりが貴族ではない。断じてない。と思いながらも、周囲にはそんな輩ばかりである。


 こちょこちょこちょ。


 こちょこちょこちょ。


「もうなに!」

「辛気臭い! 狭い籠内でしんみりは厭ねん」

「しんみり反省くらいさせてよ。あと、同類が同類を引き寄せているんやから考えるだけ無駄やよ」

「ちっ、光宣のくせに心の内読むなし」

「くせにってなによ。でもふふ、市井では何と思われていようが、麻呂にとっての天彦さんはとてもわかりやすい御方におじゃります」

「そんなことっ」

「そんなこと?」


 あるか、ぼけぇ。


 だが天彦は暴言を引っ込めた。

 光宣と会話しているとどうにも毒気を抜かれてしまう。ヒーリング効果でもあるのだろうか。そう思えるほどの癒しだった。


「今日も今日とて悪党を成敗したから、まあええさんや」

「物騒なこと申さんといてよ。天彦さんは神罰が怖ないの」

「こわい?」

「それはもう」


 ふーん。


 この虫も殺せぬ顔で悩み抜いた挙句、お家の大事を選んだのだからこれはこれで生粋の貴種なのだろう。やはり血は争えない。あるいは育った環境でも同じ。


 尤もこれこそが貴族本来の有り様なのだろう。だから正常性に疑いはない。

 その平和な貴種の代表格がマイメン烏丸光宣だっただけで、多くの貴種がきっとこの心持なのだろうから。


 だが東宮をお支えする侍従の両輪が二人のマイメン(言経・光宣)であることは果たして偶然の産物なのだろうか。思ったり思わなかったり。


 いずれにしても現下では、非常に心強く思える。今はその事実だけでよい。


「烏丸光宣」

「はい」

「入閣するか。今なら猟官は思いのままや」

「厭やろ。天彦さんが上役なんて絶対に勘弁ねがいます」

「おい」


 うふふ、むふふ。


 二人は白い歯を出して笑い合った。

 それでいい。天彦は純粋に嬉しかった。


「ときにみっちゃん。母御前まっまは健勝にしたはるん」

「唐突に、なんや貴色の悪いことにおじゃります。お陰様で健勝にあらしゃいますが、麻呂のお顔さんになんぞ思うところでもおありに?」

「ふふふ、みっちゃんはいつも以上に奇麗なお顔さんしたはるわ。ほんま奇麗さんやなぁ。どれ、撫で撫でしたろ」

「ふぁ!?」


 光宣は警戒感マックスで、けれど天彦の好き放題に身を委ねるのだった。

 それが一刻も早く逃れられる最善の解だと、重ねてきた付き合いの中で導き出した回答であることを知っている顔をして。















【文中補足】

 1、性能と機能

 機能は役割を指し、性能は能力を指す。


 2、法橋

 法橋は元々僧侶の位階の一つで、律師の僧綱に授けられるものだった。

 それがやがて官位格付けの意味合いを持つようになり、具体的な位階としては法印、法眼に次ぐ第三位に位置付けられ、五位に相当した。


 3、三人の本願寺家老(坊官・奏者)

 下間頼廉・下間頼龍・下間仲孝。


 4、刑部卿法橋頼廉(下間頼廉・しもつまらいれん1537~)

 証如の子で本願寺11世法主顕如に仕え元亀2年(1571年)に奏者となる。

 同族の下間頼総・下間頼資と共に奏者の3人制が確立された。このとき下間氏嫡流で上座でもあった頼総の名代も兼ねる。

 翌元亀3年(1572年)以降顕如の奏者・奉者として御書添状・御印書を発給し諸国へ法主の命令を伝達、顕如の長男教如と次男顕尊の奉者も務めた。


 5、顕尊(けんそん)1564~

 本願寺第11世門主顕如の次男。母は三条公頼の三女の如春尼。兄に教如、弟に准如。内室は冷泉為益の三女の祐心尼(元誠仁親王女房)。

 幼名・阿古丸。刑部卿法橋頼廉の子、下間頼亮が補佐役を務めた。


 6、神輿と山車(だし)

 神輿には神様の魂が乗っているので人が乗ることはできない。

 しかし山車は揃いのお祭り衣装を着た人が乗って太鼓や踊りを披露し、神様の先導やお供をする役割を担っている。 他にも山車に乗った神様をもてなすために人が乗ることができると言われている。知らんけどらしい。


 7、うべなう

 もっともなこと


 8、藹々(あいあい)

 穏やかな様子。

















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