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雅楽伝奏、の家の人  作者: 喜楽もこ
十九章 有財餓鬼の章
306/314

#03 天下無想の悪巧み

 



 元亀二年(1571)三月二十四日






 東洞院と烏丸通りの交差する場所。実益と別れた天彦は、その足でここへ向かった。


 そこには一軒の大邸宅がある。周囲四隅を物々しい警備に守られた大邸宅が。

 通用門を兼ねた正面東口玄関には、この家名が唯一の使用者である独占紋の松毬菱まつかさびしがでかでかと掲げられ周囲に堂々威を放つ。


 そう。ここはかつての摂津・丹波・土佐・讃岐を領有した大大名家、細川京兆家の邸宅である。

 細川氏と言えば九曜門が思い浮かばれるが、あれを頻繁に使用するようになったのは嫡男忠興が奥州細川家へと養子に入って以降のこと。目下は専らこちらを主に使用している。


 その邸宅の一室。おそらく貴賓を遇する一室なのだろう味のある和室に、天彦はいた。

 むろん定位置である上座におっちん。いつも通り持ち前の権高い表情で、人を喰った態度にみられがちな雰囲気を纏い庭先をじっと見つめる。


 天彦の視線の先に立派な一本の松がにょき。美しい線形を描く。


「あ」


 その松を見つめていた天彦から驚きの声が上がる。庭先に紛れ込んでいたのだろう野生の小動物が池に向かってダイブした。だが次の瞬間、


「ありおりはべりいま右曲がりおる」


 このあまりのしょーもない実況つぶやきは、ゴホン。隣室で控える側近イツメン衆の誰かの咳払いに打ち消される。あるいは複数同時の咳払いによって。


 リスと思っていた小動物はムササビだった。

 ムササビは美しい右アーチを描いて池ポチャを回避。地上に降り立つと何かを選別して拾い、そしてそれを頬張った。満足いったのかいそいそとまた松の根元へと戻っていった。飼いたっ! あれ欲しいん。――ごほん!


 そんな天彦の心の声はまたしても隣室の咳払いによって掻き消され、なかったこととされてしまう。あるいは前回よりも確固たる強さのやつで。


 天彦とて常にガキっぽいわけではない。むしろ普段は大人ぶり聞き分けはいい方である。

 ただ単に今が手持無沙汰なだけなのだ。つまり暇。天彦は家主不在で目下待ち惚けを食っていた。


 だが不快ではない。当たり前だった。アポを取っていない急な訪問にもかかわらず家人が快く迎え入れてくれただけでも丁重な扱いの部類なのだから。


 と、


「殿、こちらの御仁が」

「ん」

「おじゃまいたします」


 襖が是知の手によって開けられた。すると取り次いだ是知の脇には一人の侍が。

 裃を美しく着こなした壮年の文官らしき人物は、折り目正しく叩頭して、御声掛かりをじっと待つ。


「面をお上げさん」

「はっ。ようこそお越しくださいました。家人を代表し、御来臨厚く御礼申し上げます。また御尊顔を拝しますこと、光栄至極に存じ奉りまする」

「うむ。苦しゅうおじゃらぬ」

「はっ。お待たせいたしておりますこと、たいへん申し訳ございませぬ。主人大蔵卿法印は急ぎ舞い戻り御前に参りまする。もうしばらくお寛ぎくださいませ」

「無理を申したのはこちら。詫びなど無用におじゃる」

「は、はは。御前、失礼仕りまする」

「大儀におじゃった」


 おそらく家人筆頭なのだろう。名乗りもせずそそくさと立ち去っていった。

 だが不敬ではない。礼儀にはむしろ適っていて、天彦ほどの貴種に対し名を名乗ることの方がむしろ不遜とされている。


「法印さんか……」


 ずずず、茶を啜ると天彦は、自身が感じたちょっとした違和感をぽつりつぶやく。


 大蔵卿とは太政官右弁官局の被官であり財政、特に出納に関わる事務を行った。

 そして家人は主人藤孝を大蔵卿法印と敬称で呼んだ。

 だが天彦の記憶が定かなら史実での彼は今から十年後に仏門に帰依するはずである。つまりすでに法印を名乗っていることから、この世界線での彼は出家しているようであった。


 細川藤孝を訊ねたのには二つの理由があった。

 一つは公務で。西園寺政権では細川家に代表されるように、この文武混在の悪習の正常化を第一義としている。よって是正を図っている。すなわち返還。自主返納である。

 その申し入れを、こうして一軒一軒天彦自らが足を運び理解を願い出ているのだ。これを世間では圧迫交渉と言うらしいがそんなことは知らない。一般常識など興味もない。何しろ有財餓鬼なので。

 その手始めがここ細川邸の家主、細川藤孝大蔵卿法印なのであった。


 そして二つ目。天彦の用事としてはこちらがむしろ本命であろう。

 細川藤孝大蔵卿法印にとある人物の籠絡を依頼する。

 かなり難航することは必至。だが天彦の見立てでは藤孝はそれこそ家名を懸けて臨むことになるはずであった。


 何しろお強請りの対価は、管領職への復帰と官位の授受、なのだから。それも公式に。


 そのための必要な根回しを実益に依頼したのだ。敢えて上奏という形を取らず認可状という形式をとったのは実益の自覚と覚悟を促す意味があって。後は少し、実益の認可に箔を付けたい思惑もあって。

 織田家には算砂が。東宮家には雪之丞を遣いにやっての現在進行形での交渉中である。


 結果的には同時進行。こちらが先に決まってしまえば追認の形となるが、この策。通らないようでは西園寺政権延いては織田を中心とした中央政権は立ち行かない。

 要するにこの程度の案件、ごり押しであろうとなんであろうと、容易に通ってもらわなければ政権運営などお話にならなかった。


 天彦の見立てでは、細川藤孝。

 おそらくだがこの餌で十分飛びついてくるはずである。何しろ権威に疎い織田家にあって京兆家としての権威回復に熱心な細川家のこと。この好条件、喉から手が出るほど欲しかったはずなので。


 と、そこに。


「ようこそお越しくださいました。たいそうお待たせいたし面目次第もございませぬ」

「大事ない。こちらこそ急な訪問、申し訳なくおじゃる」


 細川御大のご登場。


 世間話を二言三言、時間にして十分少々。中には上杉家を招き入れた大殊勲のお祝いに紛れた偽らざる嫌味の心境も紛れていたが嫌味のレベルとしてはかわいいもの。


『おのれ貴様、我が娘婿でなければ縊り殺しておったところぞ』


 魔王から頂戴した特大級の嫌味。という名の呪詛からすれば万分の一にも満たないか控えめなかわいらしさなのである。


「本日は二件。大蔵卿さんにお願いがあって参った次第におじゃります」

「……それは恐ろしいことを申されますな」

「はて、恐ろしいとな」

「そうでございましょう。殿から三国譲渡をご提案召され、躊躇する素振りも見せずに即答でお蹴りになられたと訊き及んでおりまするぞ。そのような豪儀なお方のお強請りなど。果たしてこの法印、恐ろしゅうてとてもではございませんが真面には聞けぬが道理かと存じまする」

「お武家にはお武家さんの。公家には公家の作法がおじゃる。身共は畏れ多くも畏くも、帝に仕える直臣におじゃる。他所様のお殿さんに、ご褒美を頂戴する謂れはおじゃらぬ」

「……に、ございますな。故に亜相様は恐ろしいのでございまするぞ」


 はて。なんでやろ。


 天彦はすっ呆けた。わかりきってはいるが交渉事において賄賂で動かない相手は怖い。あるいはめんどい。そんなことは百も承知の上である。

 常に銭無し虫の天彦であれば、喉から手が出るほどの申し出だった。痛恨!


「法印さん」

「はっ」

「大蔵卿をご返納いただきたくおじゃる」

「平安末期、源義康公よりつづく我が細川管領家に、無位無官の汚名を被れと。亜相様は申されまするか」


 場が一瞬にして緊迫し、ここにいても感じるほど隣室から総毛立つ気配が漏れ出ていた。

 天彦の家来が控えているのだ。細川とて控えさせていて当然である。


 今この瞬間ばかりはいつものお巫山戯ムードを封印して臨む。

 天彦は言葉を間違えないよう慎重に、得意ではないが感情に訴えるべく誠心誠意言葉をつないだ。


「侮っても虚仮にしてもおじゃらぬ」

「では」

「むしろ麿は不憫に思うておじゃる。織田さんとは今後中央政権を運営するにあたり、一門とも思える蜜月の間柄になってゆかねばならしゃりません。その織田さん筆頭の細川さんに、過去の栄光を取り戻してもらおうと考えるのに、何の不思議がおじゃろうか」

「筆頭などと畏れ多い。ですがはっ。下へも置かぬお心遣い、甚く感激してござる」

「うむ。尤もでおじゃろう。そこでじゃ。――是知、参れ」

「はっ、ここにございまする。御前、失礼仕りまする。某、主家菊亭家政所扶を預かりまする――」


 是知が入室し名乗りを挙げる。そして「よしなに」「よしなに」。

 双方の顔つなぎを終えるや是知は、事前打ち合わせの通り天彦の認めた文をそっと差し出した。


「お読みくだされ」

「確と承ってござる」


 無言の時間がしばらくあって。


「……なんとっ。こんなことが。夢ではござらぬのか」

「頬を抓るのがお約束におじゃる」

「では。流儀に従いまして。なるほど現。誠、忝くござる。この幽斎法印、御下知に従いまして法務卿をご返還いたしまする」

「うん、そうしたって」

「はっ。今後ともよしなにお引き立てくださいますこと、御願い奉りまする」

「例の件もよしなに」

「ははっ。確と承ってございまする」

「ん。おおきにさん。京兆家が再び日ノ本に羽ばたかれます日が参りますこと、この菊亭、御祈念さんにあらしゃいますぅ」

「は、ははー」


 例の件とやらの請け負いに、安堵の表情を浮かべて天彦は細川邸を後にした。






 ◇






「首尾は上々にございますな」


 定位置のルカではなく、男装の麗人から声がかかった。


「次郎法師か。なんや隣にルカが居らんと可怪しな気分なん」

「今頃、部下の失態挽回に駆けずり回っておられます」

「そんなんええのに」

「よくはございませんでしょう。御仁はあれで主家一門衆の御筆頭家ご当主なのですから」

「ええねん。ルカは。ルカはルカねん」

「あらルカ殿ばかり御贔屓になさいますの」

「……そう弄るな。そやから黙って参らせたやろ。安心感の問題や」

「ふふ、冗談にございます」

「冗談でもや」

「……はい。ですがすると本気で妬みますがよろしいと仰せで」

「堪忍て!」


 思わぬ天彦の本気の嫌がりに、次郎法師も慌てて態度を改めた。

 だがけっして引き下がらなかった。このポジションを誰にも譲らぬ。そんな巌とした意志が彼女の美しい双眸には浮かんでいる。

 射干と井伊。彼我の差が克明となったからなのか。あるいは一門が挙って菊亭麾下に参入しもう後がないからなのかはわからない。だが彼女は珍しく饒舌だった。


「殿、桜が美しゅうございますね」

「ほんまやなぁ。ほんまなら皆さんでお花見にでも興じたいところ。身共にはそんないとまもあらへんわ」

「今しばらくの忍耐かと。して、お次はどちらに」

「山科や」

「それは……」

「ずっトモにお強請りしに参るん」

「はぁ」


 山科と言えば一般的には本願寺である。普通はまずそれを連想する。武家ならば土豪国人の土橋、肥留田、高谷家あたりだろうか。

 まず山科家を連想する者はいない。いても非常に少数である。

 だが菊亭家における山科といえば山科言経である。何しろ数少ない盟友家なのである。


 だがここ近日はあまりよい顔をされていなかった。というのも無理なお願いばかりを強請っていたから。それはそう。

 しかも返礼は空手形ばかりとなれば、如何な言経卿とて渋い顔もしたくなるというもの。

 今回も飛び切り特級のお強請りを引っ提げての山科荘への訪問である。さすがの天彦とて、心なしか気後れしていた。あくまで感情論的にだけれど。笑


「天彦さん」

「どないしたんラウラ」

「細川殿には何をお強請りされたので」

「あー、それな」


 細川藤孝大蔵卿法印には清原家の籠絡を依頼した。清原とはむろん国賢であり宮内省主水司の彼である。

 細川家は武家である。かなり政争にも通じた家柄だが所詮は武家。究極的には武力で事を押し通す。だがそれでいい。いやそれがいい。それこそが天彦の真なる狙いなのだから。


 むろん公家の籠絡を武家に依頼するのは禁じ手である。だがこの際奇麗事では済まされない。清原家はやりすぎた。

 あの家は増長しすぎた。すでに裏は取れている。清原は清華家久我と通じ、東宮に揺さぶりをかけていた。東宮が天彦に対し、ここのところ色よい返事を頂けない一番の理由がそれだったのだ。むろんそれとは生野銀山。その開発利権であった。


 たしかに所管として銀山利権を牛耳る清原家に排除されれば如何な宮家とて手出しはできない。

 だからといって織田に泣きつくわけにもいかず、菊亭にも相談はできない。公武の分別は西園寺新政権の一丁目一番地に掲げる最重要政策であった。

 ましてや銭の無さにかけては日ノ本に広くしられた菊亭唯一の泣き所である。相談などできっこない。


 となれば。

 東宮は襟を正した上で、自ら収入源を確保しなければならない。他の貴種と同様に。


 だが天彦にも手出しはできない。ならば泣き寝入るのか。な、わけなー。

 あの天彦がやられっぱなしですませるはずがなかった。銀山開発利権に加われないのなら、別の手立てを加えるまで。


 例えば銀貨鋳造を許認可制にした上で、流通の根っこである銀座その物を押さえるとか。


「舐めすぎねん。何ならゴールドとの交換レートを一時的にせよ大幅に引き下げたってもええねんぞしばく」

「……殿」

「殿……」


 左右に控えるイツメン文官から不安視されつつ。

 天彦の脳裏には思いつくだけでも他にも無数の対案が浮かぶ。ライフハックのプロ舐めんな! なのである。


 故にけっして遠くない将来、清原家には絶家となってもらわねばならない。

 そうなって初めて天彦の確たる意思が天下に広く知れわたる。その第一報に清原家は指名されたのであった。






 ◇






 天彦外交使節団一行は夕刻、日が暮れる前に目的に到着できた。


 移動手段に牛車を選ばず騎馬にする最大の利点がこの移動時間の大幅な短縮であった。公家らしくはまったくないけれど。


 山科荘訪問の理由はただ一つ。近衛家を取り込む。あるいは表面的にだけでもいい。どうしても取り込みたい。


 現状西園寺家は数的不利を強いられ中。


 五摂家は中立の近衛家を除くと一条家、九条家、二条家といった敵対家で占められ全滅であり、清華家に至っても筆頭家の菊亭、西園寺家以外は実に不穏。

 徳大寺、花山院、今出川、大炊御門家は中立だが政情次第でどちらにも転ぶ風見鶏。久我家、三条家にいたっては明らかな敵対姿勢である。数的優位はここにもなかった。


 おさらいとして、五摂家と清華家以外は雑魚である。これは増上慢でも特権意識でもなく厳然たる事実として。

 この二つの高貴なる家柄でなくては上がれない格式官位が内裏には厳然としてあった。これを公家の家格という。

 故に大臣家であろうと羽林家であろうと、名家であろうと半家であろうとなかろうと。無関係に格下なのである。


 そしてそれら公家たちは必ず上位の家門に組した。これを大きく門閥という。

 九条には九条の。西園寺には西園寺の。菊亭には下位の門閥はないが、生家の今出川家にはむろんある。


 即ち貴種の味方はいない。あるいは一門衆を除けば皆無に等しい。

 それが西園寺新政権の置かれた偽らざる状況であった。


 最も可能性があるとすれば近衛家であろう。天彦は近衛前久を取り込むため、一案を講じていた。


 天彦は出されたお茶をずずずとやって、盟友ずっトモ言経を前に実にいい(悪い)顔で、腹案を開示する。


「……そんな無茶な」

「身共はそうは思わんけど」

「あんたさんはそらそうやろ。存在自体が無茶苦茶なお人さんやもの」

「ひどい!」

「酷いのは亜相さんのお顔さんや。ほんまに見せられる側は無体におじゃる」

「しばく」

「そのお言葉、そっくりそのままお返ししましょ」

「あ、はい」


 絶家となっている鷹司家を再興させる。一見簡単そうに思えてその実、かなり危うい橋を渡る。

 しかも動いてもらうのはずっトモ言経。都合のいい駒と書いてずっトモと読むではない。けっしてない。おそらくきっと。

 山科家の天才外交官、侍従頭言経に仲介をお願いする他ないと固く信じての山科荘訪問なのであった。


「どないさんやろ」

「どないもこないも。損なお役回りばかりにおじゃりますなぁ」

「気のせいやろ」

「おほほほほ、御冗談にもまったく冴えがおじゃりませんなぁ」

「本気やしな」

「本気やったら猶更あかん」

「ほな冗談や」

「ほな笑わし」

「厭やろ」

「あんたさんなぁ」


 言経が呆れ果てて一時中断。

 一息いれるべく茶と茶菓子が運ばれた。ずずずず。


「身共は本気ねん」

「ほな麻呂も本気で臨みましょ。一万、いや二万貫。かかる経費を申請します。鐚銭一文まかりません」

「二万貫て。冗談やろ」

「いいえ。それこそ本気におじゃる」

「鐚銭は身共が駆逐したん」

「それは大いなる功績にございます。如何」

「足元見すぎとちゃうやろか。世間には友達価格といういい言葉がおじゃります」

「ご都合のいいときだけ世間様を持ち出すのは如何なものにおじゃりましょうや」

「身共は菊亭! 銭はない」

「ほなこのお話は――」

「待つん」

「待ちましょ」


 待たせたところで、どうなるものでもないけれど。ちくしょう。


 筋としては本筋の飴であろう。あるいは内裏が荒れに荒れるざんざんぶりの雨になるかもしれないが、それは彼方の事情である。

 ともすると出血の伴った真っ赤な雨になるかもしれない危うさを伴った策であることを承知で、天彦はずっトモ言経に頼んでいる。強請っているのだ。


「侍従さんを漢と見込んで」

「なにその安い口説き文句は。麻呂を買い叩くお心算なら一昨日来たってんか。お帰りは彼方さんやで」

「やり直します」

「どうぞ」

「言経ぇ。お願いて」

「貴方さんというお人は。その意味、理解して。……いや理解しているからこその提案におじゃりますんやろなぁ。ほとほと呆れた人さんで」

「さあ、何のことやろ」


 まったく。


 言経の感情のこもった言葉が虚空に消える。


 鷹司の再興は禁じ手である。菊亭の無茶が通るのならば、当家も当家も。

 再興したいと考える家門は無数にあるのだ。例えばそれこそ名門九条家ともなると絶家となった庶流など無数にある。

 それらが騒ぎ立てればどうなるのか。想像しただけでもげんなりする。誰が。むろん東宮が。


 廃絶にはそうなった理由が必ずある。それら大小の諸問題を根こそぎ解決することは至難を極める。つまり不可能なのである。時間も費用も。


 いずれにせよ目下絶家となっている鷹司家は近衛家の庶流。近衛家にとっては喉から手が出る提案のはず。それはいい。

 だが本題の山科家への手土産が、何一つ思い浮かばなかった。


 大前提として天彦に二万貫は用立てられない。不可能である。


 天彦は建前ひとつだけで、何の手土産も持たずにこの山科荘を訪れていた。

 甘え。あるいは信用。もしくは信頼感。そんな漠然とした感情に背中を押されてここまでやって来ていたのである。


「亜相さん。お訊ねしますが、仮にこの話を持ち出すとして。御前さん評議にはいったい何と筋を通されるお心算にあらしゃいますのか」

「正道の御為にと」

「ふはっ。おまゆうにおじゃりますぅ」


 言経はたまらず噴き出すように笑ってしまう。

 天彦が即ち、同門貴族の積年の無念を晴らしたい一心にと。その一点突破でこの無茶振りを強請っているのだと知ったから。


 だが数舜で嘲笑めいた笑いを引っ込めた。彼はその視線に気づき凍りつくように笑顔を消した。

 言経の視線の先。そこには一瞬たりとも同調しない天彦の凛とした冷ややかな双眸があった。


 言経は何かを察したように背筋をしゃんとすると、居住まいを正して天彦に向き直った。


「……本気のお心算で」

「ずっとそう申しておじゃる」

「亜相さん。本日はなんや趣が違いはりますなぁ。えらい毒々しくあらしゃいます」

「お言葉さんやけど侍従さん。いったい誰のせいで毒を吐いていると思ったはるんやろ」

「さあ誰さんのせいやろ」

「……」


 そこはさすが、戦国一の世渡り上手。

 天彦を呆れさせるほど交渉事には長けている戦国公卿の真の姿があった。


「堪忍ねん。嘘ではないけど許してほしい」

「まったく貴卿という御仁は……」

「銭は用立てられへん。けど三国やったら用立てられるよ」

「……冗談でも言ってよいことと……、は。まさか」

「かわいいさんやろ」

「あんたさんというお人は。そのお可愛いらしさに何度してやられたことにおじゃりますか」

「畿内に三国。寄越せと申さはるならいつでも用立てましょ」

「そんな物騒なもん、箪笥の奥にでもお仕舞いください」

「あれ。要りませんの」

「ふっ。無用の長物にて。麻呂は身の丈を承知しておじゃります」

「さすが言経。お利巧さんやね」


 言って今度は天彦が居住まいを正した。そしてちょこんと頭を下げた。

 かつてなら何でもなかったこの所作も、今となってはそうとうかなり敷居の高くなった行為である。


「お控えください」

「どうか何卒。まとめてお返しします。どうか一つ、お纏めローンの銀主さんになってください。この通りです」

「はぁ。またそうやってけったいなこと申さはる。ですがほんとうに頭はお上げくださいませ。あんたさんの頭はそう軽々しく下げてええもんと違います」

「言経ぇ」

「お黙り」

「う」


 山科家の家門よろしく稲妻のような叱責の言葉が雷鳴した。

 天彦はしょぼん。しょぼくれて言葉を待った。

 

 数舜悩んだ表情を浮かべた言経だったが、ややあってぽんと掌で膝を打つと、


「亜相さんの瞳の奥に本気のお覚悟を拝見いたしました。よろしい。内裏工作、この侍従が一肌脱いでご覧にいれておじゃる」

「おおきに!」

「藤原北家四条庶流羽林家山科氏。平安以来つづくこの家門を。権大納言天彦さん。あんたさんの想いとやらに、全部まるっとお賭けいたしましょ」

「……言経」


 快くかどうかはさて措き、どうにか請け負ってくれるのだった。


 言経卿のメンタル的死亡と引き換えにして。











【文中補足】

 1、無想

 おもいなき。と読むらしい。造語。













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