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雅楽伝奏、の家の人  作者: 喜楽もこ
十八章 神算鬼謀の章
303/314

#17 前に進めば後ろにも下がる、それが人

 



 元亀二年(1571)三月二十二日







「織田ではなく菊亭に下るか。越後の龍、味な真似を」


 上杉の態度の一報を訊きつけ吐き捨てるように言ったのは織田信長であった。

 その信長はこれから予定される会談が不首尾に終わることを予見したのか、早々に大津を出立し京へと舞い戻っていた。



 そんな反乱予備軍掃討作戦が終了した翌日、午後。


 本丸、天守の間。


 結局、織田・上杉は双方ともに折り合いがつかず、会談は先送りとなった。

 感情論が先立つなど常の二人ならまず以ってあり得ない。だが事実として結果は先送りとなった。

 それもそのはず。双方ともに互いの出した条件を一ミリたりとも譲ることがなかったのだ。交渉が物別れとなって尤もである。


「あり得んやろ」

「あり得ました。如何なさいますお心算で」

「如何もなにも、普通にびびる」

「びびるだけですか」

「それ以外の感情は今のところない」

「なるほど。ですが天彦さん。あなた様はそうとおわかりだったはずなのに、仲裁せずに放置を選ばれたのですよね」

「ひどい誤認ねん」

「何をお考えなのですか」

「何も考えてへんと言えばそれもそうやし、真剣に考え込んでいると言えばそれもそうや」

「このラウラを煙に巻くお心算ですか。いい度胸です」

「う」

「悪い大人の真似はよしなさい」


 天彦の心臓は六月初旬のプールの授業くらいきゅっとなった。


「悪い大人の真似はよしなさい」

「ん」


 ラウラに冷たく突き放されたところで。

 確かに一方の事実として、事態の収束を図らなかったのは天彦の瑕疵なのだろう。けれど。


 天彦をして、後々まで残るだろう禍根の芽は植えられなかった。だからといって摘むこともできず、だからこそこうして態度を保留としている。

 これは高度な超政治的判断なのだ。けっして双方の当主がおそろしい……、怖すぎやろ。


 普通におっかない。だから逃げた。その何が悪いというのか。


「どちらかの肩を持つと、バランスが崩壊するん」

「そういうことにしておきましょう。しかしそれにしても関東管領様、見事な引き際を見せられましたね」


 謙信公は大津を拠点とすることを諦め、千とちょっとの僅かな手勢だけを残し本体数十万を越後の本拠地へと帰還させていた。まさにこれぞ引き際の妙といった技前をまざまざと見せつけて。

 これは相当度胸のいる選択である。ほとんど単身で大津にやってきた魔王といい、どうして戦国大名の胆力はこうも太く分厚いのか。鉄強といって過言ではない。


 天彦とて同じ男子。やはり気後れしてしまう。


「ドラゴンさんとて魔王様はおっかないと見たんやろ。知らんけど。そんなことより問題なんは身共の方や。板挟みで自由に動けんようなってしもた」

「端から想定されたこと。ではございませんか」

「いや。あそこまでとはさすがに……。こうなると、身共の有り余る魅力が怖いん」

「お戯れを。それともあるいは核心を突いているのでしょうか。いずれにしても天彦さん。あなた様はやはりお自覚なされるべきです。あなた様の魅力はこの日ノ本一であることを」

「……」

「なんですかその目は」

「かわいいさんやろ」

「はい」


 はっず。


 普通に照れる。いや照れるを突き抜けて猛烈に薄ら寒い。

 天彦は、そんな何とも言えない妙な感情に見舞われる。


 そう。

 織越会談に先駆け、織田家、上杉家は双方ともに天彦の後見を求めたのだ。

 どんな罰ゲームかとも思うが、彼らはまじのまんじに大真面目だった。


 大物同士の会談には大抵そういった間を取り持つ仲裁役を挟むことが専らで、貴種でなければ僧侶であるとか。いずれにせよ武家以外の貴人を後見役に指名して望んだ。

 それが今回はバッティングした。双方ともに菊亭家を指名するという異例の重複指名となった。重なったのでではくじ引きで。とはむろんならない。


 但しそこはTPOを弁える彼らのこと。如何なる禁則事項も付与してこなければ申し入れもしてこない。そんな僭越はしてこないのだ。

 だから天彦は態度を保留できたのだが、彼ら支配者は常に人を試す。それは殿上人である天彦も同様で、つまりすこぶる不愉快であった。あるいは現在進行形で不快である。


 本来なら涼しい顔で遺憾の意を表明し、代理人など突き返してやればよい話なのだがそうはいかなかった。

 申し入れてきた代理人のあの気迫、熱意、威圧感を前にすれば、如何な天彦とてちょけるわけにもいかなかった。


『チェンジで』


 精々が申し入れの代理人選定に不満を表明する程度。なんの解決策にもならない。

 短い間に二度三度とチェンジを告げた。結果先延ばしている間に会談は不首尾となり会談そのものまでもが御破算となってしまった。


 だが天彦は悪くない。天彦は単に日ノ本お役所文化に倣い回答を保留としただけにすぎないのだから(棒)。

 どちらの申し入れも固辞すれば会談が必ずお流れになると承知しながら。


「会談の不首尾に意図があったことはわかります。ですが天彦さん。上杉殿。引き入れるには時が熟していなかったのではございませんか」

「どっちの本気もちょっとずつ見誤ってたん」


 と、


「負けを御認めになられる。あら珍しい」


 ルカの不意な嫌味カットインに天彦は渋面を浮かべた。

 だが言葉はない。天彦は僅かな不満も漏らさずただじっと彼女を見つめた。

 剃髪部分の頭部を布で包んで覆い隠す、尼ルック、尼僧コーデの新鮮な姿の射干ルカを。


 彼女は宣言通りまさかの剃髪をした。切支丹であるはずの彼女が。

 心境はわからない。これに関して何一つ言葉を交わしていないから。

 そもそも異性など別種族。理解しようとするだけ無駄。あるいは理解できている風な時点で錯覚であり、既に地雷を踏んでいるのだ。

 故に関心は持つが踏み込まない。それが天彦の流儀であった。それにしても。


「つんつるてんが多すぎねん!」


 菊亭うちは寺院ちゃうで。


 そう。


 この場に集うイツメンのほとんどが、いや。射干ラウラと長野是知を除くすべての人員が物の見事につるっ禿げ。美しい剃髪を晒していた。


 むろん当主の天彦も。


「お雪ちゃんはあかーん! なんでやったん」

「みんなさんしはるからつい」

「ついて! 東宮さんにいったい何と申し開きする心算や」

「宮様には……、お務めお休みに」

「あかん」

「くぅ」


 天彦に選択肢はなかった。逆忠臣を突き付けられた天彦に取れる術はほとんどなかった。故の逃げの剃髪である。

 京都の夏は控えめに言って地獄である。その地獄の夏を少しでも涼しく過ごしたいから、という安易な理由ではない。けっしてない。おそらくきっと。


 といった実に神仏を神仏とも思わぬ罰あたりな逃げ技だが、神仏には大いなる貸しがあるとか何とか嘯いて、抜け抜けと罰当たりをやってしまうのもまた菊亭天彦なのである。

 そしてそもそも、その公家の高貴なる長髪には冠を固定させるという以上の意味などないと思っている派の天彦に、理髪が禁忌などという大それた愚かしい感覚は端からなかった。


 だが世間の評価も目も違う。

 巷ではまたぞろ神仏に不敬を働いているだなんだと揶揄されることは請け負いであり、家内では。

 びびりのくせに恐れ知らず。それもどちらにも極端に振れた。

 といったいつもの評価に加点されることだろう。


 それが天彦の、菊亭家内における偽らざる評価なので。


「ラウラもするか。涼しいし頭さん軽なるよ」

「あははは」


 乾いた笑いで聞き流される。解せぬ。


 そんなつんつるてん彦は、僧籍を方便に使い、けれど妙なところだけは注意を払う。そう。ちゃんと注意を払っている。

 どの角度で払っとんねん。この確度である。どの仏門に下ったのかは門外不出としていたのである。


 僧界界隈は非常にナーバスである。経団連が台頭し、対比的に寺社倉庫界隈は沈滞している。パイに限りがあるのだ。当然の理であろう。

 故に寝る子を起こす必要はない。彼らは銭に精神論を持ち込んでくる。ときには呪いだなんだと心を蝕んでもくる。そんな彼らには長い間、おとなしく眠ってもらっていてこそ日ノ本の安寧が図れるのだ。と、天彦は考える。とか。


 それは建前。そんな建付け論より何よりも、天彦としては一流派にお墨付きを与えるわけにはいかなかった。あの親の顔よりよく見てきた、超絶おっかないつんつるてん代表選手の鉄拳制裁を喰らわないためには。


「お茶々、絶対に乗り込んでくるん」


 と、


「あーあ。今頃、右腕ぶん回したはりますわ」

「血管を浮かせて周囲に怒鳴り散らしているだりん」

「あるいはあの凄まじい勘働きをご発揮なされ、今頃は西の空を睨んでおられますやもしれませぬぞ」

「いやあるいはすでに、具体的に大津と地名を口になさっておられるやも」

「文は認められておりまするな」

「あの坊主、いつかどつきまわす」

「同じく。いずれしばきまわす」


「氏郷殿高虎殿では、ちと荷が重いのでは」


「なにを新参の分際でッ」

「おのれ紀之介! ……む。なんじゃ祐筆殿、その目は」


「実に愚かしい。そして滑稽にございまするな」

「なにを!」

「貴様ッ」


「やめい二人とも。殿の御前であるぞ」


「くっ、覚えておれよ石田佐吉」

「ぐぬぬぬ、大谷紀之介め」


 氏郷・高虎、そして佐吉・紀之介連合軍の小競り合いは物別れに終わった。

 半分本気で半分冗談。菊亭にいれば親の顔よりよく見る光景である。

 だが瞬間的に本気度を増すのが彼らの喧嘩。それが侍、武士である。いついかなる時も気が抜けない。


 その波乱を予感したのか。さすがの貫禄を見せつけた、与六のすぐさまの一喝介入で喧噪が静まった。その与六がつづける。


「ご英断にございましたな」

「そう思う?」

「はっ。教如上人ならば、まず間違いなく烈火のごとく怒鳴り込んで参られましょう」

「与六、身共のこと守ってなぁ」

「……」


 剃髪してもイケメンはイケメンを地でゆく与六のまさかのノリアク! しかも良心の呵責に耐え兼ね咳き込むとか。

 それだけ茶々丸の圧がえげつないという証だが、菊亭家中は実際以上に教如を過大評価している節がある。


 たしかに彼自身有為の人材ではある。能力値だってけっして低くはないのだろう。熱血漢は好感が持てるし。

 だが他方、事実として織田家には圧敗している。信徒の獲得も横ばい状態、市井の評判も月次以上ではないと訊く。よって現状だってそれほど目立った活躍はできていない。突き詰めれば人柄も実に大阪人の悪いところがでているしんどい感じだし。


 だが菊亭家中では未だ神格視に近い目線で讃えられつづけている。

 それはなぜか。実績もさることながら、善きにつけ悪しきにつけ菊亭天彦というイレギュラー存在が評価軸となってしまうのだ。


 その人物が恐れ、戦慄き、懐いている。

 そして何よりこの神にも等しい五山の狐の御化身様を、有無を言わせぬ鉄拳と剛腕で押さえつける人物ともなると、それも無理からぬことかもしれなかった。



 閑話休題、


「しかし痛恨。仕込んでいた策がほとんどぜんぶ空ぶったん」

「如何ほどお仕込みになられておりましたので」


 天彦の何の気なしに発された心の声にラウラが応じた。


「そやな、都合十つほど。飛び切りのやつが一つにまあまあのやつが三つ、まんまとみーんな空ぶったん」

「……十つ。ただ十つと申されたいだけではなく?」

「おいて。ラウラ最近辛辣なん」

「ご無礼仕りました。戻って間もなく気を張っているのかもしれません。言い直します。大袈裟ではなく?」

「ん、大袈裟ではなく」

「それはまた……」


 勿体ないことをしましたね。あるいは神通力も薄れましたか。それともいつ発動するのですか。または次回に期待しております。とか。


 あくまで想像の域をでないが、発されなかった言葉はおそらくはそんなところだろう。呆れ顔のラウラの感情を裏読みすれば。


「わざとねん! なにそのお目目さんは」

「かわいらしいと評判ですわ」

「おまゆう」

「何かご異論でも」

「う」

「京に戻ればその他諸々、えらく目の回る日々がつづきます。御体調にはくれぐれお留意なさってくださいね」

「ん」


 その通り。都に戻れば諸々のお仕事が本格的におっぱじまる。

 まずは実益から依頼されている内閣の人事草案の着手に取り掛からねば。

 彼はああ見えて分を弁えている。弁えているといったら偉そうに聞こえるかもなので言い換えよう。彼は政に関心が薄い。笑笑


 結局は分を弁えた天賦の才の持ち主なのだが、延いては各派閥との折衝や省庁間のパワーバランスを図るネゴシエーション等々。ざっと列挙しただけでもそうとうなお仕事量。

 個人的にも商家には釘を刺しておきたいし、俸禄とは別に食い扶持も確保しておきたい。何せギークは銭を喰う。天彦自身も銭を喰う。喰うと言うより振舞うのだが。と、お仕事は山積している。


 むろん喪中。表立ってはできない。けれど生者は生者でしがらみもあれば腹も減る。休むのはあの世に行ってからいくらだって。とか。


 どこの社畜かといいたいが、案外公家など公僕以外の何物でもない。

 華やかに見えてその実、水面下ではバタ足で足掻いている白鳥と同じに、誰も彼もが懸命にその日を生きているのだろう。知らんけど。


 それに案外、織田・上杉のこの高度な不干渉状態は好都合ともいえた。

 彼らほどの大身ともなれば迂闊にぶつかることもない。……ないよね。

 ならば天彦にとっては好都合。どちらの威光も利かせられる、まさに絶好の交渉の切り札となろう。


 極めて肯定的に捉えればだが。


 だが実際的にここでもその状態が好転していた。

 互いに牽しあったために深い考察もなされないまま、この地の特区化に許可が下りた。税の当面の免除である。


 税率を著しく下げた特区を設けるとどうなるのか。

 この動議は施行実験の一環でもあった。

 むろん座学ではわかっている。目端の利く者から寄り付き、ドヤ街ができ商人が集い、更に人の往来が増して独自の文化を形成する。そしてその文化圏は中央政権に莫大な銭を呼び込んでくれることであろう。


 すでに既得権で雁字搦めの堺と違い、活発に活性化もされることだろうし。

 あるいは堺すら飲み込んでしまう可能性もはらんでいる。

 何しろ淡海は日ノ本一の集積港なのである。


「一年足らずで百万都市の出来上がりや」

「糸もたやすく操り召される」

「そうでもある。だがそれだけでは足りん」

「いったい何をなさるお心算で」

「塩対応ねん」

「塩、でございまするか」

「そうや」


 是知が苦い顔をする。

 天彦の許で既存の既得権益者たちと何度となく交渉を繰り返してきた彼だからこそ出る渋味であった。

 塩座はめんどい。これが是知の偽らざる心境であろうし、実際にめんどい。


 だが、


「是知、誤解や」

「と、申されますと」

「塩は塩でも天日塩や」

「てんぴじお、にございまするか」

「そうや」


 いわゆる工業塩である。石鹸、皮の鞣し、凍結融解剤、合成ゴム剤、医療用生理食塩水、イオン交換樹脂等々、食べることを目的とする以外は、ほとんどすべてといって過言ではないほど、工業塩には用途がいくらでもあった。


 天彦はこの税率を著しく下げた特区にその工業塩の一大生産拠点、即ちプラントを製造する腹心算だったのである。なんたるマッチポンプか。なんたるやらせか。なんたる一人芝居なのだろう。


「お殿様、一周回って笑ってしまうほどえげつないだりん」

「若とのさん、さすがにどうかと思いますけど」

「天彦さん。泣きついてきても知りませんからね」

「……殿」

「殿……」

「殿」


 黙れウハウハねん! こっち見んなし。


 悪徳商人も真っ青の自己完結型お手盛り施策にさすがのイツメンたちもドン引いていた。


 お手盛り風見鶏が果たして生き永らえられるのかはこの際脇におくとしても。

 人生などそもそもずっとアゲインストの風が吹き荒んでいたではないか。いったいいつ楽勝ムーブが来たというのか。来ていない。少なくとも認識では。

 ならば今猶。ハードモードは現在進行形で進行中、なのである。今更大名の一家や二家に不興を買ったところで……。


 果たしてそうかな。


 天彦は魔王とドラゴンの顔を思い浮かべながら、脇汗をびっしょりと掻きつつも、けれど表面上は何食わぬ顔で涼んでみせて。

 いずれにせよ織田・上杉による超連立政権はなったのだ。これを己以外に誰が成し得る。絶対に無理である。


 その自負と成果を手土産に、しんどいことは明日、明日。脳内で菊亭標語を浮かべてみせる。

 少なくとも強がりでは都上位を自負している。そんな意気地を発揮して、


「さあ参ろうさん」


 応――!


 天彦は目一杯の檄を飛ばした。新章はイージーモードであれ!の感情で。


 こうして菊亭総勢数十名御一行様はこうして京都に戻る支度を始めた。

 上杉家という巨大すぎる関東の雄を麾下に従えて。















 これにて18章はお仕舞いです。お付き合いくださいましてありがとうざいました。











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