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雅楽伝奏、の家の人  作者: 喜楽もこ
十八章 神算鬼謀の章
302/314

#16 深紅の龍旗を掲げよ

  どうぞ

 



 元亀二年(1571)三月二十日






 大津城三の丸。



 内陸側に建つ三の丸城郭は、大津港に面した本丸と違い港の機能を担ってはいない(二の丸も同じく)。

 その三の丸の天守は望楼型の4重5階であり、史実ではこの後、彦根城の天守用材に転用されることとなる。


 その三の丸天守では目下、この部屋主である武将がひとり。

 眼下で繰り広げられる状況を見つめていた。


 彼の鋭い双眸の先には、火矢が射掛けられ燃え盛る家屋と、逃げ惑う民草がその性別年齢に関係なく誰ひとりとして情けをかけられることなく追い打ちをかけられてゆく凄惨極まりない光景が広がっていた。


「金輪際世の風聞を気にせぬ家風。なるほど聞きしに勝るお覚悟にござるな」


 善悪では語っていないだろう感心めいた言葉をぽつりつぶやくと、眼下から視線を外す。そして先ほどらい入室してきた、三間脇に控える侍大将にそっと視線を預け渡した。


「喜平次か。如何した」

「はっ、御実城様に申し上げたき儀が出来しゅったいしてございまする」

「この凄惨な状況に関連する報せじゃな」

「おそらくは」

「申せ」


 喜平次こと上杉景勝は胡坐姿勢から即座に立ち上がると、ずかずかずか。大股で上座へと歩みを寄せる。

 そして上座の人物から三歩ほどの距離まで詰めるとどかっ。またぞろ腰を落とし胡坐を掻いた。胡坐姿勢で一礼し、


「主家ご当主。弑されてございまする」

「ん?」

「菊亭天彦様。弑されてございまする」

「……」


 とんでも事態を報告した。当初報告も言い直しも、まるで“鷹狩りに参りませんか。暇ですし”とでも言わんばかりのそんな気軽な口調だった。


 口調といい内容といい馬鹿げている。


 これにはさすがの謙信公も面食らったのだろう。

 滅多と揺らがない双眸を険しくさせると、やや苦笑交じりに応答する。


「喜平次。そなたは話術を学ぶべきであろうな。それでは家中が動揺しよう。儂が言えた柄ではないが。至急弁士を呼び寄せよ。都ならばいくらでもおろう」

「……と、申されますると」

「そのままの意である。其方の冗談てんごうは実につまらぬ。しかも実に不快であるぞ」

「ご不快ならばお詫び申し上げまする。ですが御実城様。お言葉なれど某、伝え聞いた報せをそのままお伝えしたまでにございまするぞ」

「ん?」

「ん?」


 話がどうにも噛み合わない。

 二人は数舜見つめ合った。


 ややあって謙信公が閃いたとばかり手にする扇で出窓を強かに叩きつけた。そして右目をぎゅっと眇めると、


「織田の偽計か。それとも主家ご当主の悪癖か」

「おそらくは前者かと」

「出所は」

「本丸御殿から」

「主家ご家中か」

「然様にて」

「解せぬ」

「然り」


 始めて二人の意見が合致した。

 それはそう。あの菊亭の家中が、当主が弑されて冷静でいられるはずがないのである。

 あの氷のように潔癖で雪のように潔白な菊亭諸太夫たちが、平然としていられるはずなどないのである。


 つまり偽計。わかりやすすぎるほどに偽計であった。


「つまり偽計じゃな」

「然様にて」

「絵を描いたのは、……弾正忠か」

「おそらくは。一説ではお忍びで参られているとかいないとか」

「大津にか」

「然様にて」

「ならばこの反乱勢力掃討策も、すべて弾正忠の差し金か」

「おそらくは」

「小癪な」

「何故にございまするか」

「ならばすべてに得心いった。釣っておるのよ。この儂を」

「……なるほど、それは小癪にございまするな」

「喜平次」

「はっ」

「本体を押し上げ、龍旗を掲げよ」

「ははっ」


 上杉家に措ける龍旗とは。言わずと知れた全軍総突撃の印である。

 突如として深紅の龍旗が掲げられようものなら、織田家は震え上がるだろうことは請け負いである。

 それが実行に移されようが移されまいが、印象とはそうしたもの。


「ならば御威光、二の丸周辺にも差し向けまするか」

「む。相模守が何か企んでおるのか」

「いいえ。御隠居殿にて」

「ふむ。御隠居、持ち直した途端か。ならば精々肝を冷やしてやるがよいわ」

「はっ」


 景勝が一礼。胡坐を崩し立ち上がろうとしたそのとき、


「しばし待て」

「はっ」

「主家との絆。希薄であろう。如何思う」

「……お言葉なれど、某は異に思いまする」

「亜相様と儂は昵懇である。だが――」

「他はそうではないと仰せですか」

「そうじゃ。他は実に脆弱。少なくとも儂はそのように捉えているぞ」

「上洛後を見据えてのことにございまするな」

「然様」

「……たしかに。朝廷及び公卿の突き上げがあれば当家も盤石とは言い難いのやもしれませぬ。何しろやつらの手練手管ときたら、考えただけでもぞっといたしまする」

「然様。故に弱い。弱すぎる」

「ですが主家には兼続がおりましょう。あやつなれば必ずや当家と主家の懸け橋と――」

「弱い」

「はっ」


 謙信公は断じた。それは樋口与六の不審ではなく、信頼するからこそ出た断定なのだろう。すぐに思いが判然とする。


「善きにつけ悪しきにつけ与六は一本気な武士もののふ。儂と其方に通ずる、上杉恩顧の不器用な気質を継いだ漢であろう」

「はい。ならばこそ信義に厚い――」

「なればこそ。主家の不利益には加担せぬ」

「はっ。ですがその口ぶりでは当家が……」

「この戦国、一寸先は闇であろう。亜相様とて永遠ではあるまい。狐の皮を剥げばお人であろう。それは儂とて同じこと」

「亜相様がお人。……頭で道理はわかっていても、どうにも釈然とはいたしませぬな」

「ふふふ。然り。じゃが道理は道理。違うのか」

「はっ」


 謙信公は一瞬目を床に落としそっと閉じた。そして呵っと見開くと、


「与六に古志を与えよ」

「与板城にございまするか」

「うむ。あれの母は景綱の妹御であろう」

「然様にて。……直江を継がせるお心算で」

「与六に直江家を相続させて異を唱える者はおるまい」

「異は唱えられませぬ。ですが彼奴が受けましょうか。訊きまするに主家菊亭では領地を持たぬことを是とするらしく存じまするが。射干とて故地を返納したとかしないとか。たしか例外は僅か二例のみ。重鎮の蒲生家と片桐、いや片岡ですか。と、聞き及んでございまする」

「受ける」

「何故」

「山内上杉家次代たる貴様と義兄弟となるのじゃからな」

「まさか」

「そのまさかじゃ」


 景勝はこの日初めて心の底からの感情を吐露した。

 その渋味に苦悶する苦々しい表情で以って。


「妹はいずれでも。表に出すは恥入るばかりの人材にて」

「評判の妹御と聞き及んでおるが」

「内弁慶にございますれば。慣れると酷い本性が露見いたしまする」

「お前は酷く辛いからの。今からでも遅くはあるまい。納得いたすまで教育いたせばよかろう」

「ですが」

「喜平次、これは下命であるぞ。妹御、我が養子と迎え入れた後、兼続の下へ嫁がせよ」

「ははっ」


 とんとん拍子に妹の輿入れ話が進んでいく。こうなっては景勝に否などない。

 そもそも論、生家である上田長尾家にとって総体的に悪い話ではなかった。

 菊亭家は今後、大躍進を果たす家門であることは紛れもない。景勝の見立てだけでなく、新政権の中軸を担うことは誰の目にも絶対視されていて、あるいは実権さえ握るのではと実しやかに囁かれるほど。


 その時の人物を輩出する家の、おそらく筆頭家老になるだろう人物との縁が結べるのだ。この朗報に喜ばない者はいないだろう。

 しかも主家は殿上公卿家。格は飛躍どころの騒ぎではない。


 景勝が色々を想定していると、


「だが弱い」

「何と。まだ弱うございまするか」

「弱い」


 謙信公はまたぞろ目を床に落としそっと閉じた。そしてこんどは先ほどより長い間、黙りこくった。

 気を抜けばこのまま一刀の下逆袈裟に切り捨てられそうなひんやり冷たい、そんな沈黙。肝の冷える大迫力の沈黙である。


 景勝が固唾を飲んで待ち惚ける中、ややあって謙信公が呵っと見開くと、


「喜平次、貴様。室を娶れい」

「あ。……室に、ございまするか」

「うむ。菊亭家筆頭家の射干。そこに一姫があられよう」

「え」


 景勝の口から心の底からの“え”が漏れ出た。


 それはそう。いくら主命でも無理なものは無理なのだ。

 この場合、妻を娶ることが無理なのではない。単に射干のあれを姫と認識することに無性な抵抗感を覚えてしまうことだった。

 百人、いや千人。いや万人いてもあれを姫と称する者がいるのかどうか。

 眼前の武神を除けばおそらくきっと確実に、あの荒れ狂うじゃじゃ馬を姫と称する者はいない。はずである。少なくとも景勝の認識では。


 射干の一姫。姫かどうかはさて置いても、彼女の名をルカといった。

 常に主君の傍にあり、立てた武功は百に余すほどと訊く。

 謀を量らせれば万里を見通し、戦陣に向かえば一騎当千。万の矢、千の槍襖をも掻い潜り、お見事敵総大将の首級を挙げるとか挙げないとか。


 その鬼神もかくやの鬼姫を娶れだなんて。


「御冗談を」

「儂が冗談てんごうなど。貴様とてよもや申すとは思うておるまい」


 あ、死んだ。


 アレの恐ろしさは与六を通じて重々知っている心算。

 それだけでなく独自に情報も集っている。基本菊亭諸太夫の逸話は尽きないのでそれほど難しいこともない。数え歌になるほどなので話半分だとしても、半分は事実なのだろう。あり得ない。そのすべてがあり得なかった。

 耳にするそのすべてが無茶苦茶で出鱈目。およそ常識とはかけ離れ、菊亭ご家中、主君が主君なら家来も家来の、その典型のような人物揃いと訊く。あるいはその極み。


 公家だからなどとは言わせない。公家家のすべてがあれならば、武家などとうのとっくに滅んでいるはず。なのであの家だけが特別なのだ。その特別の家の特別な家来たち。中でも特にえげつないのが件の姫だと聞き及ぶ。


 景勝は、ふんわりデコの“氏ぬ”ではなく、リアル死の方の死ぬで死んでいた。それも二度も。

 姫の面相を思い起こし、ほんの少し口喧嘩した仮定を想像しただけで二度死んだのだ。初夜を迎えた翌朝まで、無事である自分が想像できない。


「射干の家格に不満があるなら、相国様にでも泣きつけばよかろう。西園寺と菊亭は蜜月の間柄故、姫の養子縁組に支障はあるまい」

「お家柄に不満など。むしろ当家の格が不足かと」

「ならばなんじゃ。申してみよ」

「はっ。某、御実城様のご不興を買ってござったか」

「実子のように思うておるが。如何した」


 解せぬ。


 景勝渾身のイケボが三の丸天守の間に響き渡るのだった。






 ◇◆◇





 

 元亀二年(1571)三月二十一日






 抵抗勢力及び潜在的敵性勢力の掃討作戦が実行に移された二日目。


 大津城本丸離れ。遺体安置所というテイの某避難家屋。

 そろそろ抵抗勢力及び潜在的反乱勢力の掃討に目途がたつだろう黄昏時。


 天彦は蝋燭の灯りを頼りに一通の文を読み耽っていた。

 いったいどれほど読み込んでいたのだろうか。

 何度となく読み返し、あるいは書かれていない行間や文脈にまで思いを馳せて何度となく読み返していた。


 それも飽きたのかあるいは得心いったのか。

 そこにはいないが確実に控えているだろう人物の名をそっと告げる。


「ルカ。居るか」

「ここにございますだりん」

「表の様子はどうや」

「本日中には片がつくかと」

「どないさん」

「それはもう醜いことにございます」

「さよか」


 天彦は一瞬だけ眉間に皺を寄せる。

 だがそれも束の間、意識を手元に切り替えた。

 一々気に病んでいたら身が持たない。それにこれは正当な取引である。

 抵抗勢力とて勝てば官軍。織田のすべてを根切りに切り伏せ、あらゆるすべてを蹂躙したはず。その意味では理不尽が跋扈する戦国にあって数すくない真面なトレードとも言えた。


 故に天彦は気に病むことなく意識を切り替えられた。

 天彦の視線の先には、つい今しがた届けられた一通の文が握られていた。

 実にいい(悪い)顔で、その手紙をそっと見つめる。


「ひっ!」

「しばく」

「……おやめになられるが最善かと」

「念のために訊いたろ。何をや」

「途轍もなく悪いお顔をされているだりん」

「かわいいさんやろ」

「冗談はお顔だけになされませ」

「おいコラ待たんかい」

「カワイイデス」

「そやろ、そやろ。くふ、でゅふふふふ」

「あら随分とご機嫌様で。何か吉報でもございましたか」

「わかるか」


 天彦はこれ見よがしに見せびらかす。


「お手紙ですか」

「そや。読んでみ」

「厭な予感しかしないので結構だりん」

「まあそう申さんと。ほれ」

「では」


 ルカは天彦から文を受け取ると、そっと目を走らせる。


 そして、


「……、果し状でしょうか」

「なんでやねん! どっからどう読んでも恋文やろ」

「はぁ、恋文ですか。上杉殿と。はぁ」

「はぁはこっちねん。かわいちょ喜平次、喜平次かわいちょ」


 どう考えても気がない“はぁ”に、天彦は我がことのように同情を寄せた。

 話自体は悪くない。上杉家は間違いなく武家の頂点を極める家門。少なくとも数世代に亘って滅びることは決してない。


 だがルカの反応は至極鈍い。


「お前さん、ええ人おったら紹介せえとかなんとか。それも誰もが一目置く武門の倅をと、声高に叫んでおったと記憶しているが」

「今は昔の話だりん」

「つまり袖にするんか。これ以上ない良縁やと思うが」

「お言葉なれどわたくしは射干家当主。一存では決めかねまする」

「ラウラなら身共から申したるけど」

「御心だけで結構です。あいにく射干は血縁で繋ぐ家門ではございませぬ。故に焦りはそれほどなく。何より家庭には笑いが欲しく思いまする。物足りぬとでも申しましょうか。日がな一日お巫山戯になって遊ばされる誰か様のお蔭を持ちまして。日々、そんな感情が沸々と沸いたり沸かなかったりする今日この頃にございます」



 あ、うん。



 日がな一日お巫山戯になって遊ばされる誰か様の、乾いた返事が小さく響く。


 思い返すと上杉喜平次景勝。彼はどが付くほどの超堅物であったらしい。


「もう一件の方はどないさんや」

「善きお話かと。いざとなれば落ち延びられる地は大いに越したことはございませんので」

「嫌味えぐ!」

「本心ですわ。失礼しちゃう」

「謎の御令嬢ムーブやめい!」

「うふふ。このルカ。お殿様のように即座にかつ軽妙に、ボケを拾い突っ込んでくださる殿方を所望いたします」

「そんなん居らんやろ、どこにも」

「ならば一生このままお仕えいたします」

「やめとけ」

「なぜ」

「……なんか身共のせいみたいや」

「みたい。とは」

「くっ」

「みたい。とは」

「因みに、次郎法師殿もうちと同意見だりん」

「……ほなラウラに図ってOkなら、与六の養子縁組は進めたって」

「ふっ、誤魔化されてあげるだりん」


 あ、はい。


 それが最善。四方が丸い。

 天彦は背を向けて狸ならぬ狐寝入りを決め込むのだった。














【文中補足】

 1上杉景勝(1556~数え16)

 山内上杉家17代当主、喜平次(通称)、謙信の甥。

















重たいエピを軽快にさささ、さらっとお茶漬けで流し込んでみました! の巻。


閑話的ですけれど案外今後を占う上では重要な回だったりして。とか。

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