#01 従六位下・菊亭六位蔵人藤原朝臣天彦
永禄十二年(1569)一月十五日(旧暦) 菊亭屋敷(仮屋敷)
菊亭一門総出で辞を低く畏まる中、帝の勅使である従四位上・蔵人頭・右近衛中将庭田重通が紅色に染められた漆塗りの小櫃を頭上に押し頂く。
菊亭一門衆は勅使の所作に倣い更に深く首を垂れ、息を凝らして次の指示を待った。
「従六位下・菊亭藤原朝臣天彦。蔵人処参候。天気如此、悉く、以状。謹んで拝命いたす」
「はは、臣、謹んで拝命いたします」
てんきかくのごとし、これをことごとくせよ。もってじょうす。
――か。
知らん。ええねんけど、よりにもよってなんで蔵人処(給仕係)なん。
苦手やわぁ、処世術とか。
天彦はまだ勅使がおられるにもかかわらず渋面を浮かべて儀式終了の儀に臨んでいた。
その態度があまりにも不遜だったからか、すべての儀式が滞りなく終わったころには勅使にも天彦の感情が筒抜けとなっていた。
むろん大前提、帝の綸旨は完全完璧に承っている。つまり事後のクールダウン的雑談会での失態であった。それでさえ天彦の態度は目に余った。
「不快ならばご辞退なされればよろしかろう」
「いえ、まさか」
「ではその不機嫌面をなんとかいたすでおじゃる。こちらにも不愉快がうつる」
「生来の渋面顔ですが善処いたします。ご苦労さまにございました」
「口だけは達者でおじゃるな。まったく、なぜ素直に喜ばぬ。此度の叙爵に骨を折られた権中納言(持明院基孝)様に申し訳ないと思わぬのか」
「いえ、誤解を招いたのなら不徳の致すところ。誠に申し訳ございません」
「む。案外覇気のないことでおじゃるな」
「ん? ……と、申しますと」
「勾当内侍にうかうかすると足元からすくわれると言われておじゃる」
「ああ。ははは、まさかでおじゃります」
「そうであればよいがの。麻呂が教導役を仰せつかった。明後日の出仕、くれぐれも遅参するでないぞ。初参内で寝坊など生涯の汚点となるからの」
「はっ、何卒お引き立てください」
「うむ。ではの」
イケメン官吏従四位上・蔵人頭・右近衛中将庭田重通は帰っていった。
彼こそが名高き竜胆中将なのだが天彦は存じない。偏に自分が宮廷に出仕する世界線をほとんど想定してこなかったからだ。タスクに割ける時間は限られていた。それは今もかわらない。
しかし車輪は転がり事態は動きだした。やるしかないのだがこうも出端から躓いていては先が思いやられる。天彦がいくら後追いタイプだとしても酷い。
さすがの楽天家集団も、この不味い空気感に一同揃って渋い顔をして頭を抱えた。
「なるようにしかならへんし、な」
「非蔵人を信じております」
「某も」
「うん、大丈夫のはずや。若とのさんやもん」
元気づけという名の傷の舐め合いを一頻り、次いで家人から各々祝賀の言葉は頂戴するが、贈り手受け手、どちらも義務的以上の感情はない。
既に元旦に盛大にお祝いを済ませてある。大散財だった。痛恨である。よって本日は様式儀礼に則った対外的な出仕の事務的儀式であった。
「お雪ちゃん、これ仕舞といて」
「緊張します。どこに仕舞お」
「神棚に仕舞うとき。一番安全やし一番尊い」
「うん、はい」
帝から頂戴した綸旨を雪之丞に丁寧に預け渡し、
「ラウラ、あれ出して」
「はっ直ちに」
あれ。例の。そんな符丁で呼ぶあれとは、ラウラと共同制作(現在進行形)している公家町地図のことである。逃走路や隠し通路も網羅しているので完成の暁にはかなり高値で取引できる。売れるかどうかは別問題としても。
さて天彦、
これにて無位無官時代は終焉のときを迎えた。本日からは正式に従六位下・非蔵人・藤原朝臣菊亭天彦となる。
現代感覚で非とつくと否定しているように感じてしまうので、あまり印象はよくない。だが速い出世を望むには丁度いい官職なのだと自らに思い込ませる。
因みに菊亭家の家督は継いだ。むしろそのことで菊御料人の呪詛は和らいだように思われる。
庭田氏か……、知らん。まんじ知らん。
天彦は庭田家の情報を脳裏で探り、まったくヒットしないことに少し焦る。
ラウラが押っ付け持ってきた、自ら引いた手製の公家町地図とにらめっこ。あった。
小さくもないし遠くもない。なるほど中流以上の貴家だと確信して佐吉に視線を向けた。庭田屋敷を指さして、
「お遣いに参ってくれるか。ここや」
「はい。庭田様ですね。ああ先ほどの……」
「そや。教導ゆうてはったやろ。あのお人が身共の人事評価の採点員さんや」
「なるほど」
「柴漬けの大原セットを持っていって」
「せっと。む、承ってございます」
佐吉は一瞬だけ首を傾げて、けれど問い質すことはせずにすぐさまお遣いを引き受け部屋を辞した。
台所に訊けばなんとかなるかという佐吉らしくない融通を利かせたのだ。
年が明けて全員が一斉に年齢を一つ重ねた。
天彦と佐吉は10歳。声変わりを含めてまだ男子から男性への180度の変化は見られないが、それでも着実にしっかりと成長の跡を伺わせる良好な発育状態を顕在化させている。天彦が何を差し置いても優先させてきた食育の成果であろう。
◇
衣装室。
昇殿に伴い新たに衣装室を設けた。といってもパーテーションで区切っただけの自室であるが。雰囲気ものとして。
「いやぁまんじ驚いたわ」
「なにがですのん、若とのさん」
「こっちの話や」
「ずるい」
「まあ怒らんとき」
「むぅ」
武田が動いた。煽ったから四郎勝頼が動いたのだが、史実にはけっしてなかったとんでもないアクロバティックな動きをした。信玄公の幽閉である。首謀者はむろん四郎勝頼。家督も卒なく受け継いだ。
祖父とは違い自らの料地で幽閉らしい。それもそうか。預けるには大物すぎるし敵を作りすぎた。
いずれにしてもお見事な電光石火の大謀反。さすがの信玄公も手も足も出なかったか。だが実に頼もしい嫡男であるとさぞ晩酌の酒も美味いことだろう。自らの因果応報を皮肉った肴にして。
天彦は星を占っただけだ。但し信憑性を上げるために武田家と無関係な教材も利用させてもらったが。そして実益もその片棒を担いで確実性を担保した。それはもうわきわきと喜び勇んで。
効果は覿面。御覧の通り。尤も確実に起る未来予測なので命の一つや二つは余裕で俎上に載せられた。そんじょそこらの陰陽師など一族一門一党で掛かってきてもお呼びではない確実性だ。
これにて西園寺・菊亭・武田のSTKホットラインは出来上がった。とはけしてならない。天彦も実益も武家を信用していないから。
公家と武家は根本が違う。たとえば象徴的な二本差しと扇のように。生き様からして違うのだ。
天彦はそれを思想だと言い切っている。この暴力が法を蹂躙して君臨する修羅の世界において、無謀にも無手で挑むなんて愚かな真似、ではなくなんてロマンチストなのだろうと公家としての生き様に案外満更ではない思いがあった。
だがその思いと四郎勝頼が天彦たちを手放すかは別問題である。離さないだろう。確実に。そうとう慎重に距離を測るだろうが、いざとなればわからない。なにせ武家だけに。
ならば現実思考が合理的だ。かりにサステナブルでなくともメルクマールになればいい。そんな感覚で天彦は武田家との距離感を捉えている。
故にまだ極秘裏の段階だがいずれ歴史の表舞台に出てくるだろう。おそらくきっと、そうだといいな。
その四郎率いる武田家だが、目下すべての戦から撤退した。そして四郎勝頼は家内の統制と外交に腐心していることだろう。あれだけ具体的事例を挙げて脅し上げたのだ。やってくれることだろう。確実に実行してもらわなければ非常に困る。絵が描き上げられない。
閑話休題、
さて、叙爵と連動して衣袍(いほう)も許された。官位に応じた対応色の衣冠を発注して出来上がってきたのが昨日であった。
一人では着られない。用人に手伝ってもらいなんとか間に合わせた真新しい衣装に身を通し、天彦はどうやと柄にもなく浮ついた表情で訊く。
「おお、かっちょええ」
「そやろ。清水の舞台から飛び降りるくらいの度胸がいったんやで」
「こわっ。そんな恐ろしいほどの度胸、某にはありません。さすがは若とのさんや」
「そやろ、そやろ」
昇殿が許されたと知って以来、雪之丞の態度はかなり軟化している。
デレたわけではないのだろうがあたりが相当柔和になった。但し感情の触れ幅が大きいので常に尊敬はしていられない性質であるようだけど。
それにしても主人が自堕落すぎてそれをさせてやらないという逆説的な難しさもあるので、一概に雪之丞ばかりを責められない。
「はい。ええなぁかっちょええなあ。でも色味地味ですね」
「おい。それは絶対にゆうたらアカンやつ」
「なんでですのん、深緑なんて年寄り臭い色ですやん」
「渋みが合って深い色やろ。というよりお雪ちゃん、あらゆる関係団体に喧嘩売ってるで、その不用意な発言で」
「え、うそ」
「ほんま。先ず色合い。これは朝廷の御達しに対する不満。次に年寄り臭い。これはご年配の方々に不快な感情を抱かせる。最後に身共。気に入ってんのに不愉快なった。謝って」
「ごめんなさい」
「うん。失言には気を付けや。これからは地下人の小姓と違うんやで。歴とした殿上人の従武官なんやで」
「そうや。はい! わかりました」
天彦の昇殿にあわせて本年吉日を以って、天彦・雪之丞・佐吉の三人は同時に元服の儀を執り行うことを発表していた。
「楽しみや。元服」
「わくわくやろ」
「はい! ほんまわくわくや」
すると雪之丞は何かに気づいた風にハッとして、
「そや若とのさん、ほんなら某のこと、お雪ゆうんやめてくれはるん」
「無理や。それだけは堪忍や。絶っっっ対に厭や」
「なんでそんな……、まあええけど」
「ええのん!?」
「はい。若とのさんが場面に応じてちゃんと使い分けてくれはるの、わかったしええです」
「ええ子や」
「某の方がお兄さんや!」
知らん。忘れてたしどうでもいい。
するとそこ是知が顔を覗かせた。
「先触れがございました」
「ん」
「御聞きになられないので」
「一人に決まってるやろ」
「はあ」
「なんやその顔」
「いえ。若殿様はきっと亜将様だと思われているのではと」
「そやろ。ちゃうんか」
「はい」
「え、ほなだれやろ。……ギブ」
「ぎぶ。それは」
「参ったや。教えたって」
「はっ、本殿より姉御前撫子姫様が祝賀に参られるとの由」
「んがっ――」
お雪ちゃん、最速で服脱がしてや!
天彦は必死の形相で誂えた衣冠を脱ぎ始めた。それはもう懸命に。
絶対、新しい服なんか目に入れた日にはむちゃくちゃ関心惹いて、むちゃくちゃ悪戯されるやんけ!
あかん、やばい、洒落にならん。
天彦が慌てふためくも。が、時すでに遅し。
「御成ぁーりぃー」
火の用人のような発生と、しゃりんしゃりんと撫子が通ることを周知する鈴の音が耳に飛び込んできた。風流さの欠片も無い、あるいは季節感の情緒を無視した音色だ。
尤も本人の前では口が裂けても言えない。言ったら最後、戦争開始は紛れもなく、天彦の必敗も確実である。それはどんな有意性も排除された確率での敗北である。本人は梃子でも認めないが、天彦、妹ちゃんに甘々最弱であるからして。
菊御料人の呪詛呪怨プレッシャーがかなり弱まったおかげで、ここ菊亭と本家本殿との距離はそうとう縮まっていた。
むろんそれがイコールすべての幸福につながるかといえばそうでもなく。
雪之丞などは嫉妬交じりに本家武官たちからかなり可愛がられているし、天彦は天彦で新たな問題を抱え込むようになっていた。
その不穏を知らせる鈴の音がどんどん近づいてきて、やがて天彦の居室前でなりやんだ。――嗚呼ぁ。
「撫子姫、御成りごおじゃる。まあなんたるっ! これ弟御前、斯様な無様を曝して何と申し開きをする御積りか。これは由々しき仕儀におじゃりますぞ」
「あ」
うそーん。
確かに何たる無様な姿ではあった。上半身半裸で片足立ち状態では。
撫子の付き人に叱責され、天彦はその片足立ち態勢のまま真横に倒れ込んでいくのであった。
【文中補足・人物】
1、六位蔵人(ろくいのくろうど)
蔵人所の官吏、五位蔵人の下位組織、定員4~6名。
天皇の膳の給仕等、秘書的役割を担った。毎日出所して働く下級役人であることから日下﨟(ひげろう)とも呼ばれた。六位の者が補任されるが六位では異例の昇殿が許される殿上人となり麹塵袍(きんじんのほう)の着用が許されるなど天皇の側近として名誉な職とされた。
席次は第一位を極﨟(ごくろう)、第二位を差次(さしつぎ)、第三位を氏蔵人(うじくろうど)、第四位以下を新蔵人(しんくろうど)という。
猶、三位の氏蔵人、藤原氏の場合を藤蔵人、源氏の場合を源蔵人と呼ぶ。
この六位蔵人を家職としている有名どころでは細川京兆家(源蔵人)がある。
2、蔵人所
別当1名 正従二位
>頭2名 従四位上~従五位上
>五位蔵人2~3名 正従五位上下
>六位蔵人4~6 名人正従六位上下
>非蔵人4~6名 正従六位上下 ←天彦はここスタート●
>雑色8名 正従六位上下
>所衆20名 正従六位上下
六位未満の官吏(役人)
>出納3名 七位以下
>小舎人6~12名 七位以下
>滝口20名>所衆20名 七位以下
>鷹飼10名 七位以下
>候人10名
3、衣袍(いほう)
位階によって衣の色が定まっている。六位は深緑。
4、階級表現
◆公卿(くぎょう):三位以上の上級貴族、または参議以上の要職(大臣・大中納言・参議)に就く貴族を指す。
◆殿上人(てんじょうびと):清涼殿への昇殿が許可された主に五位以上の中級貴族を指す。但し六位蔵人は例外的に殿上人の内に入る。
◆地下人(ちげにん・しもびと):昇殿を許されない下級貴族、下級官吏を指す。ほとんどの貴族(役人)がこれに該当する。
◆庶人(しょにん):無位無官の一般人。ほとんどの役所では雑用係はこの庶人が務める。
5、庭田重通(にわた・しげみち)数え26歳 武芸百般のイケメン近衛
従四位上・蔵人頭・右近衛中将。通称竜胆中将。これは家紋の笹竜胆からきている。
宇多源氏、家格は羽林家、家業は神楽伝奏。山城の小さな村に100石ほどの知行地を所有している。
顕如(茶々丸ぱっぱ)の生母を輩出したことから本願寺(一向一揆)と諸大名のつなぎ役を担った。公家太原家は分家である。
また代々庭田家の女子は皇室または伏見宮家に仕え嗣子を儲けた。
天彦の教導員、人事評価の採点者。




