#03 有識故実
永禄十一年(1568)十月三日(旧暦)
今出川家は信仰の緩い家だ。政治闘争に軸足を置いているという側面が強いからだろう。
天彦ぱっぱ晴季は表向きは浄土宗だが天台密教の道場として利用されている上善寺を菩提寺としているし、ぱっぱのぱっぱ天彦じっじ公彦は臨済宗相国寺派に帰依し仏門に下っている。
親子で各々別の宗教を信心していることは特別ではないとしてもけっしてありふれてはいない。
いずれにせよ現代日本感覚が抜けきっていない天彦の感性にとって、戦国時代特有のがちがち宗教観はかなりしんどい。押し付けられたらもっとしんどい。その観点だけは大いに助かっている。
「痛っ、つつ……」
痛む打ち身に消炎剤を湿布する。こんな日は消息不明の実母まっまが恋しくなる。
離縁されてから行方知らず。というよりどこの誰かさえ教えられていない。おそらく訊いても教えてくれないだろう。あな恐ろしや。
感傷に浸るのも束の間、薬代もバカにならないという現実が得体のしれない圧迫感を押し付けてくる。
舐めていた。一事が万事舐めていた。天彦としてはどこかの段階で転生チートしなければ早晩経済破綻しそうで怖ろしいが、それよりももっと転生当時は椎茸栽培で人生余裕、と高を括り没落も恐れていなかった無知蒙昧さがこっ恥ずかしくて恐ろしかった。
何しろ山に入れない。庭で栽培しようものなら秒で取り上げられてしまう。
天彦には敵が多すぎた。当人理由ではなくブラッドサイン的不可抗力で敵が多い。
さて山だが人目に付きにくい山には山賊がいる。仏域にかかる山には山伏のような武装兵がいる。最も恐ろしいのはサンカ衆である。
彼らは農耕を放棄して山谷に住まう放浪民。言葉を飾らずいうなら極悪の犯罪集団だ。現代感覚なら盗賊または傭兵と呼ぶのだろうが、超危険な戦闘民族であることは紛れもない。噂では六尺六寸の白鬼が出たと聞いたので、ひょっとすると人種が違うのかもしれない。いずれにせよ朝廷の権威など一ミリも通用しないことだけは確か。
よって人目に付きにくい山には入れない。人目に付く山はすでに誰かの手垢がついていて厳しい。誰かとは同業者を指す。冗談みたいな話だが、公家が自ら山に入って山菜を採取したり獣を狩ったりしているのだ。
壁に穴が開いてないだけ家はマシなのかも……。
気を取り直してさて、案の定ぼっこぼこのギタンギタンのこてんぱんにのされてしまった昨日の悪夢の回想もそこそこに、二重の意味で火照った体に小さく悶える。
お約束として(腹いせともいう)手加減という言葉を母のお腹に置き忘れてきた、憎き茶々丸への呪詛を多いめに吐いてから。
「お雪ちゃん、お茶を……、なんやその目は」
「若とのさん、それはこっちの台詞や。いい加減にせんと教えるで」
握った拳が固そうだ。
「あ、はい。思い出したから教えんでええよ」
「ん。お茶はいるん」
「もらおかな」
「待っとり」
お雪こと専属の世話係、おしゃべり同級生ショタ給仕ちゃんは冷ややかな視線を残して部屋を後にした。完璧に舐められてるよね。
天彦は憮然とその小さな背中を見送る。数少ない家人のしかも唯一の専属世話係給仕だが馴れるつもりはさらさらない。なにせ口が軽いのだ。ヘリウムガスより軽いだろう。
故に天彦はショタに舐められていると決めつけている。むろんそれも一方の視点では事実だろう。が、しかし、物事には必ず逆ベクトルの視点があるとしたもの。この場合ならそもそも後先が逆。武家の師弟を始めに舐め腐ったのは天彦が先だった。
雪之丞は本家今出川家に出仕する六石扶持侍衆植田新之丞の次男坊である。彼自身も一石扶持を授かっているすでに歴とした二本差しのお侍なのだ。
外見の愛らしさだけをすくってお雪ちゃんなどとけして揶揄してよい相手ではない。
しかも菊亭家からは給金が支払われていない。裏を返せば目下主従関係不成立を意味する。つまり御恩と奉公が成立していないのだ。二重の意味で無礼なのは天彦の方だった。
閑話休題、
天彦は気分を入れ替え久方ぶりに発生した教イベントに心躍らせていた。
「どこに仕舞うたんやったか……」
本日はぱっぱのぱっぱ、天彦じっじの来訪イベントの日。日常ほとんど何も起こらないよう危険を避けて暮らしている天彦にとってこれはかなりの強イベだ。
祖父今出川公彦(いまでがわ・きんひこ)は天彦をいたく可愛がっていた。
不憫な思いをさせている憐憫からか、あるいは他に理由があるからなのか月に二度、同じ敷地内に建っているとはいえ御大自らわざわざ別家菊亭家のある離れに足を運んでいた。
そのじっじ来訪ということで天彦はじっじに頂戴した琵琶を探す。大事にしすぎて一周回ってどこに仕舞い込んだのか忘れてしまった。大事はウソだ。普段の心がけはお察しだった。なにせ現在の遺伝子と転生前記憶含めて楽器に対する親和性は皆無だった。
どう転んでもセンス無しなのだが、琵琶が今出川家の家職(有識故実)であるという理由だけで公彦じっじは天彦に厳しく仕込もうと奮闘していた。
天彦にとってはたいへん有難い大迷惑だ。なのにじっじ来訪は目下一番といっても過言ではない強く待ち望む強イベとして捉えている。むろん習い事の師事それだけなら天彦とて興味は薄い。本命は別。
じっじ今出川公彦(いまでがわ・きんひこ)。唐に因んで左丞相などとも呼ばれる。むしろこちらの方が朝廷では広く知られているだろう。
後柏原天皇・後奈良天皇・正親町天皇と三代に亘る主君に仕えた宮廷スペシャリスト。天彦曰く生ける国会図書館。
権大納言に就任した年には神宮伝奏を務め、最終的には従一位・左大臣にまで上り詰めた。その他にも将軍家にも明るく太原雪斎や安国寺恵瓊ともペンフレンドらしい。
天彦が生まれる前年(1559)に出家。目下は仏門(臨済宗)に下り余生を謳歌している。戒名は不明なためおそらくはそのテイなのだろうと推測される。あるいは剃髪が理由なのかもしれないとは天彦の見立てである。確信アリ。
要するに生き馬の目を射抜く宮廷舞台を最後まで見事演じ上げ、命が米一合より軽い地獄の戦国をまんまと生き抜いた妖怪爺さんなのである。
――頼もしい、色々聞かねば。
「雪之丞です」
「入りや」
「失礼します。若とのさん、おおごっさん、お参りにならはりました」
「そうか、わかった」
「若とのさん、楽器はどないしはったんやろ」
「どこ探してもないねん」
「そない広い屋敷ちがうのに。ではすぐにお持ちします」
「助かった」
一言余計だ。だが大望のじっじ来臨。
天彦は苦手なキッズ笑顔を顔面に張り付ける練習をしてから、実祖父を出迎えるべく玄関へと向かった。
◇
「ぼんさん、元気にあらしゃりましたんか」
「はい、おかげさんにおじゃります」
「そうかそうか。ほんならええんや。お元気さんが一番にあらしゃります」
「はい。おおごっさんはどない」
「このとおりぴんぴんや。おおきにさん」
ただの社交辞令なのに、こと健康問題に触れようとすると途端どちらも歯切れが悪い。だがそれもやむを得ない。
義母の天彦虐めは家内での公然の秘密。そして天彦虐めを容認しているのが、何を隠そうぱっぱ晴季なのだから。
じっじ公彦とて道を譲った身、おいそれと当主に意見はできない。
「……あきません。ここが苦手や」
「毎度つっかえるとこやな。今日は仕舞おうか。練習はしとかなあかんで」
「はい」
「お茶にしよ」
「はい!」
甘味、甘味、じっじ大好き――!
練習不足は織り込み済みか。苦笑さえなく琵琶演奏は早々に仕舞われ、持ち込みのお茶とお茶請けでトークのお時間。
茶を一口。本命の菓子に視線を向けた。栗が主体の水あめがかけられた何か。
やはり得体は知れない。因みに毎回出逢いは新鮮なのでもはや気にはならなくなっている。じっじお抱え料理人の創作スイーツ十九号である。
もはや甘ければなんでもいいレベルで甘味を渇望している天彦の脳は無我夢中で頬張るように指令を下した。
「なんやろ、けったいな甘味やね」
「ほんまに。毒見はしてる、安心しぃ」
「どく、まぁええか。いただきます。ぱくり。……おお、美味しい!」
「そうか。珍しいこともあるもんや。遠慮せんとたんとお食べ」
「はい」
もぐもぐ。ぱくぱく。ずずず。はぁ。ほっこり。
サービスで満点笑顔を送っておく。需要があるとかないとかではなく。
「ええお顔さんや。ときにぼんさん、ちゃんと勉強はしてはらしゃるんやろな」
「はい」
「そうか。西園寺さんとのこの若ごっさんとはどないや。あんじょうしてるんか」
「変わらず仲良うさせてもろてますけど」
「それは重畳や。縁は大事にせなあかんで」
「はぁ」
「なんや歯切れの悪い。ところで表には出てるんか」
「はい、用事以外ではときどきやけど」
「ほなら都の気配がかわったんは気付いてあらしゃるんか」
「どうやろ、ちょっとは変わったんやろか。相変わらず危な……、え、いや、そや。おおごっさん、お変わりにならはりました」
「ほう。どこがや。ゆうてみ」
「三階菱から木瓜に。つまり阿波から尾張に変わったはる」
「ほう、聡いぼんやな。よう勉強してる証拠や。ほんなら上総介が上洛したんは気付いたんやな」
「はい。今、おわかりさんです」
「理解が早い。琵琶以外は物覚えも悪うない、何より素直や。血筋も言うことない。麻呂はぼんさんが跡を取ってくれたらどれだけ、いやこれはゆうたらアカンな」
うん、アカンで。死ぬ確率がぐーんとようさん跳ね上がるから。
天彦は我が事ながらも激しく同意。これ以上となると泣いちゃうもんね。
気付いていない、むろん勘だ。敢えて訊かれたから記憶との整合性を計っただけ。
自分が生まれた年に桶狭間が発生。そこから丸八年。すなわち織田信長上洛の年である。道中大国をぶっ潰し二週間で来たとかどんだけ。
えと、たしか……。
天彦は拙いながらも記憶をたどる。
将軍足利義昭を奉じての上洛だったか。数万の大軍勢で瞬く間に四国勢を撃破して京から追いやり、その勢いを駆って乱世の梟雄義理ワンを臣従させ、ついでに堺州から二万貫カツアゲしてあっというまに去っていった。
治安が改善されるんだっけ。
僅かな変化だが天彦にとっては吉報だった。三好支配下の京の町の治安は終わっていて、誘拐などは日常茶飯事。握り飯一個で命を失うほど情勢が不安定だった。
京都奉行所の責任者としてその治安を預かるのが惟任日向守。後に大乱を引き起こすある意味で歴史上最も有名な人物の内の一人。と、京都所司代・村井民部少輔貞勝の二人が有名。
「近々都に足利奉行所が置かれるんや。義昭さんが挨拶に参れゆうとるから、ぼんさん、一緒に参ってみるか」
「惟任日向守! ……あっ」
「なんやぼんさん、えらい物知りにあらしゃりますな」
「あ、えと……、永観和尚から教わりました」
「ほんまかい。何をや」
「織田のことです、甲斐のことも少し」
甲斐案件を混ぜるとあたりが少し柔らかくなる。狡くはない、知恵である。
「上総介か。ふーん、なんや禅林寺さんも際疾いこと教えはるんやな。ええわ、どないしはります」
「はい。行ってみたいです」
「そうか。ぼんさんがそない積極的なんは珍しい。ほな日取りが決まったら遣いを寄越しましょ」
「はい」
将軍、知らん。どうでもいい。惟任日向守に逢いたい。逢って仲良くなってお家に招かれたい。だって彼の娘さん絶世の美女らしいってよ。
天彦はこの思考パターンをなぞって手拍子で請け負ってしまう。つまり玉姫(伽羅奢)に逢いたい一心で。これまで徹底して避けてきた危険地帯に踏み込もうとしていることも忘れて。
尤も五歳児の玉姫など可愛いに決まっている。が、それは生物としての可愛さであって男子目線の美醜とはまた別ベクトルであると気付くのは将軍謁見直前まで先の話である。
【文中補足】
1、若殿様(わかとのさん)
諸家、堂上家の子息を指す。
2、大御所様(おおごっさん)
摂関家、清華家、大臣家以上の御隠居を指す。
3、菊亭家
別家を立てているが天彦が当主ではない。当主は晴季が兼任している。天彦はあくまで候補(仮)の状態で保留されている。すべては主に甲斐(菊御料人)に向けた忖度として。無位無官なのもその一環である。