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雅楽伝奏、の家の人  作者: 喜楽もこ
十八章 神算鬼謀の章
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#11 誰は彼時、粟立つ予感の小評定

  おはよーーーっ! どうぞ

 



 元亀二年(1571)三月十九日






「……魔王さん、恐れ入りますぅ」



 天彦の口からそんなつぶやきが漏れたのは、一報が舞い込んだ十九日の朝早くだった。

 そしてその一報は程なくして菊亭家に激震を走らせた。


 第一報を受け取った天彦は取り急ぎ家来を招集。緊急評定を執り行った。

 参加人員はほんとうの側近だけを集めた。大評定ではなく極近しい者だけを参加させる小評定である。別名幹部部会とも。

 ラウラ(家令)、ルカ(一門筆頭)、与六(侍所扶)、是知(政所扶)、の所属長四名である。


 議事録速記役の佐吉はカウントしない。つまり情報は共有させるが発言権は持たせない意味。

 ルカの手前、小太郎は招集していない。だがどうせどこかで訊いている。

 雪之丞も招集していない。起こしてすらいない。彼は今でもきっと夢の中の住人である。あの口の軽さはもう病なのである。しばく。


 それほど天彦は魔王の本気を、本気の魔王を警戒した。慎重を要する案件だと判断した。


 議題は懸案事項となった大津長昌と、倅伝十郎の取り扱いについて。である。

 当初は父長昌も救う方向で進めていた。だがかなり危うい。危うくなった。

 倅の助命だけでも危うい。ギリ可能性が残されているレベルの危険度S級クエストである。


 何しろ惟住越前守が斬腹自刃にて死去。の一報が舞い込んだのだから。


 その逝き様は壮絶で、腹を横二文字に掻っ捌き、それでも不足とばかり縦一文字を追加して果てたとか。しかも介錯無用の覚悟を以って。


 この激烈な死に様を壮絶と言わずして何というのか。

 天彦は秒より早く、惟住一門衆の怨嗟の声を感じ取り、逆恨みも甚だしいこと一件を緊急案件として取り上げたのであった。びびる、普通に……。


 訊き終えたイツメンたちは口々に感想を申し述べる。


「なるほど。召集の意味、理解いたしました」

「なんと……、あの鬼五郎座殿が」

「惟住様にはご冥福をお祈りするとしても。お殿様、これからが大変だりん」

「皆の衆、可怪しかろう。件の愚物は殿に対し筆舌に尽くしがたき無礼を働いたのです。当然の結末かと存じまする。いや切腹の栄すら与えたこと許し難し! 某ならば――」


「是知うるさい。いったん黙れ」

「くっ、は、はは」


 是知のスタンドプレイはさて措いても、惟住長秀の死はイツメンたちを動揺させるに十分な報せだった。

 そして同時にイツメンたちも天彦と同様かあるいはそれ以上に、魔王信長の本気度の高さを感じ取り警戒感を露わにした。


 これは魔王の信号である。余の預かり知らぬところで、天下の一切の仕置きはさせぬ、ならぬ。という言外の猛烈な意思表示の表れである。

 でなければ織田家の重鎮にして自身を支える両輪の片一方を失ったりはしないだろう。


 魔王はたしかに潔癖症だが、けっして潔くはない。

 むしろ徹底的にもがき足掻いて生をつかみ取るタイプである。と天彦はプロファイリングしている。でなければこの連立政権は絶対に成立していないだろうから。

 けれど生き汚いとはまるで違う。戦国には少数派であろう大局観を死生観として織り込んでいる非常に稀有なタイプの雄々しき侍大名であった。


「殿、こうなっては是非もなし。長昌殿のお身柄当家でお預かりする件、見直した方がよさそうにございまするな」

「……そうなる」


 天彦は与六の所感的な提の言葉に言葉少なく肯定すると、やや苦し気な表情で淡海の水面を眺めた。


「大津家。お家断絶の咎、免れんやろなぁ」

「天彦さんが気に病まれることはございません。どうか心穏やかに」

「おおきにラウラ」


 でも、と天彦はつづける。


「苦し紛れやが方針を切り替えんとしゃーない。これを押し通すと菊亭家は官位を剥奪。身共が失墜すれば実益もおそらくは失脚するやろ。延いては連立政権構想もご破算となる。……これは想定しとったいっちゃん最悪のパターンねん」

「……」


 そんな馬鹿な大袈裟な。

 だが誰ひとりとして天彦の可能性の言葉を否定する者はいなかった。

 それどころか十分以上にあり得る、そう遠くない未来に起こる決定事項のように真摯に受け止め戦慄いていた。


「夜陰に乗じて、天下殿の御首級挙げまするか」


 天彦は不意に耳朶を叩いた誘惑の言葉に眉を顰めた。そしてそっと周囲に視線を配った。とくに天井には注視を送る。

 だが姿かたちどころか影さえ掴めない。その絶技に圧倒されながらも、ややあって首を小さく一度、左右に振って答えとした。


「小太郎。身共はお人さんとして生き、お人さんとして逝きたく思う」

「浅慮をお許しくださいませ。ご存念、確と賜りましてございます」


 腹を探り合い、有りっ丈の策を張り巡らせ戦うのなら望むところ。

 結果的に負ければそれは己の失策。死として相手を称えられる。だが暗殺は策として下の下。卑怯中の卑怯である。


 奇麗ごとかもしれないが、公家としての矜持が天彦にその邪道を許さなかった。

 ルール無き世界だからこそ美学に準じて生きていたい。それが甘ちゃん彦の星祭の短冊に書き記す切なるお願いごとであった。


「伝十郎の身柄の安全。これさえ確保できればええ。それで面目が立つなどとは思わへんけど、救いはある。身共が政権の中枢に居座っていればいずれお家再興も叶うやろ。叶えてみせる。ならばよし。此度はこれを上策とする」


 はっ――!


 異論なし。


 方針は連立政権構想の成就と大津家嫡男伝十郎正員の命乞い。この二件と相成った。


「与六、家中の説得は頼めるか」

「万事、お任せくだされ」

「頼んだで、おおきにさん」

「はは」


 なぜ大津長昌が切腹させられるのか。なぜ菊亭は庇わなかったのか。

 一切が明かされず歴史の闇に葬り去られる。

 残されるのは大津長昌の献身と菊亭天彦の非情な裏切りだけである。


 こうしてまたアルティメットどクズ逸話をひとつ、積み上げてしまうこととなってしまった。無念。


「お殿様はこれでよいのですか。ルカは納得いきませぬ」

「ルカ。お前さんがそうして怒ってくれることで身共は十分報われた気がする」

「お殿様のアホ! アホお殿様!」

「おま、それはちゃうやろ!」


 いつもの茶番劇である。ただし今回はそこにちょっぴりラブのエッセンスが織り込まれた。


 だが否定はできないだろう。天彦とて我が身大事なのだから。

 あるいは我が身以上に家中の笑顔が大切だったとしても、それはきっと天彦からすれば同じことなのだろうから。


 いずれにせよこうして大津家救済策は大きく舵を切り、所領は安堵からお取り上げへ。家名は存続から廃止へと真逆に切り替えられるのであった。


 すると容易ではないのが倅伝十郎正員の説得である。


「……伝十郎をこれへ」

「殿、危うくございます」

「でも身共が向き合わんと」

「いいえ。時期が悪うござる。ここは一旦某にお任せくだされ」

「誰に預ける心算や」

「当家一、無類の豪傑に」

「高虎」


 いやほんまに大丈夫なんか。


 天彦は数舜困惑の表情を浮かべるも次の瞬間にはハッとして、高虎こそ適任なのではと思い直していた。

 天彦の脳内には膨大な量のデータが蓄積されている。そのひとつ、史実での伝十郎の逸話が想起されていた。

 御家を断絶され惟住(丹羽)にも見捨てられた伝十郎正員がどういう経緯かは不明なれど藤堂高虎に拾われ、その彼の下で関ヶ原の大戦も、大阪の陣にも槍を揮って参戦していたことを。


「与六、よう申してくれた。この一件、吾にすべて預けておじゃる」

「はッ」


 小評定が閉会したそのタイミングで、


「殿」

「どないした」


 おそらく見計らっていたのだろう。襖がそっと開かれた。

 天彦は入室を許可する。取り次ぎ役は是知の長野家重臣、長野是親であった。


「申し上げまする。浅野長吉なる人物がお目通りを願っております」

「……」


 取り次ぎ役の告げた言葉に、室内が凍り付いた。

 イツメンたちは視線で射殺せるほどの峻烈な怒気をはらんだ目線を取り次ぎ役にぶつけて、とっとと去ねを言外に見える化させる。

 もちろんその人物の名を知るからではない。単に何たる無礼な取り次ぎであるのか。という激怒の凍りつきである。

 中でも是知の激高ぶりたりゃ激憤では表現がたりないほど。今にも腰の得物を抜き放ち躍りかからん形相で睨みつけていた。


 だが天彦だけは硬直のベクトルが違っていた。

 なぜここでその名が出るのか。その一点だけに当惑し、繋がりの糸を必死になって手繰り寄せていたのである。


 これは果たして誰が描いた絵(悪巧み)なのか。

 懸命に思案した。


 ややあって、天彦はぽん。愛用の扇子で閃きを体現させて膝を打った。


「その長吉なる者。仙千代さんの文を持っておじゃるな」

「は……!?」


 取り次ぎ役はあまりの驚愕だったのだろう。文字通りの驚愕を張り付け、しばらく固まってしまっていた。


「違うたか」

「はい、いいえ。その通りにございまする。浅野長吉、万見仙千代殿の文を持参してございまする」

「みてみい。ん、通したり」

「殿!」


 与六が憤慨の声をあげた。だが、天彦は視線でその声を追い払う。


「鬼が出るか蛇がでるか。はたまたドラゴンさんが出てくるのか。くくく、おもろいねん。身共が受けて立ってみせたろ。でゅふ」



 おほほほほほほ――



 天彦の不意なお公家様高笑いに、イツメンたちは微妙な苦笑の顔をする。

 だがこれを契機にそれ以上の言葉を飲み込み、お手並み拝見とばかり反論を下げた。全幅の信頼を寄せた目で。


 一方天彦は、


「天下五奉行さん。そのお器量さん。とくと見せていただきましょ」


 挑発的に、好戦的にぽつりつぶやく。


 浅野長吉。晩年改名した長政で知られる人物だが、意外に彼のエピソードは多い。そして天彦の琴線に触れる数少ない戦国武将の一人でもある。つまり無類の策士であった。


 例えば、秀吉が文禄の役で自ら朝鮮に渡ると言い出した際三成は「直ちに殿下(秀吉)のための舟を造ります」と述べたが、長吉は「殿下は昔と随分変わられましたな。きっと古狐が殿下にとりついたのでしょう」と述べた。

 秀吉は激怒して刀を抜いたが長吉は平然と「私の首など何十回刎ねても、天下にどれほどのことがありましょう。そもそも朝鮮出兵により、朝鮮8道・日本60余州が困窮の極みとなり、親、兄弟、夫、子を失い、嘆き哀しむ声に満ちております。ここで殿下が(大軍を率いて)渡海すれば、領国は荒野となり、盗賊が蔓延り、世は乱れましょう。故に、御自らの御渡海はお辞めください」と諫言したという。


 天彦はこの逸話が大好きで、長吉の為人を知る好例だと捉えていた。

 ではなぜ好きなのかというと。

 これほどの大人物にも関わらず奉行に取り立てられたのは秀吉晩年も晩年のこと。今際の際で告げられたと盛られるほど中枢からは遠ざけられていた。

 これほど優秀な人材なのになぜ。簡単である。秀吉はそれにも増して三成を重用したから。寵臣である三成と長吉の犬猿の対立を知った上で三成に配慮していたのである。と、天彦は考える。なぜなら天彦もきっとそうしただろうから。


 正しさが常に正義とは限らない悪例として。


 要するに彼は不遇なのだ。不遇なのに最後は勝った。五人の君主を頂いて生き残ったから。

 天彦は長吉の為人もさることながら、この佐吉の意地っ張りエピソード込みで長吉を認知していた。好きも嫌いもなく単に認知していたのであった。


 そしてそれと同じくらい、長吉を欲しい人材とも思っている。

 彼ほど合理的で理性的で強運の持ち主も、まあ滅多といないだろうという観点から。


 分けてほちいの。その強運を。


「願うとたいていあかんけど」


 果たして今回も天彦の“ズバピタで当たる”で、お馴染みの悪い方の予感が正しいのか。


 それとも……。












【文中補足】

 1、記名の統一

 大津伝十郎正員(おおつでんじゅうろうまさかず)は、父と呼び名が重複するため父を長昌ながまさ、子の正員まさかずを伝十郎と表記します。


 2、長野是親(これちか)

 是知の従兄。長野家分家の家長。


















世に天才は溢れていて、上には上が、ね。


長いものには巻かれつつ、大は小をカーネルサンダースってね。

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