#07 度をすぎた贅沢な実りある取り引き
元亀二年(1571)三月十六日
辺りはすでに薄暗く、自然光では視界がかなり狭められるそんな頃、天彦たち菊亭一行は、上杉家が本陣を構えるだろう大津城に到着した。
大津城を取り囲むようにして軍陣が敷かれ、それこそ無数とも思える様々な旗印や指物が所狭しと密接して掲げられていた。
圧倒的に多く見えるのは刀八毘沙門の幟旗だが、それと同じくらい“毘”や“龍”の指物も多く目についた。むろん名のある武将の家紋や指物も無数に。
だがそんな中でもひと際目を引く軍団が。大津城から西に数百メートルほどの位置に陣を敷いて構えていた。
その陣を守る軍団の中心部隊は赤地に金の日の丸を描いたド派手な傘を頭に被り、そして甲冑の腰にはこれまた赤地に金で三日月模様を描いた腰指を掲げていた。
ご存じ後北条家の本陣である。
源氏が白で平家が赤。源平合戦に描かれる旗を思い起こしてみた天彦は、ならば後北条家は平家に連なる家門なのかと、何やら漠然とその光景を眺めていた。
早い話が圧倒されていたのである。相対的な威容にも、部分的な武威にも。
これが同じ人の放つ熱量なのか。
戦国でも上から数えた方が早い超武闘派集団を束ねる天彦をして、上杉家の異様なまでの威容にはやはり圧倒されてしまっていた。それと同じくらい後北条家の華ある戦装束にも。
後北条の軍はくそ弱い。それが史実の定説である。けれど天彦の目にはそうとは映らず、別の感情が芽生えていた。それほどの圧巻の威容だったのである。
と、
「殿、使番が参りました」
「ん、けど意外や」
「ああ、たしかに。如何なさいまするか」
「おそらくはお手紙ねん。さすがに順番を弁えておられるやろ。受け取って丁重に引き取ってもらお」
「はっ」
天彦の見立て通り、伝令の使者は単騎で馬を寄せると応接役に一通の文を差し出し、すぐさま馬首を翻した。
その使番の指物は、戦場ではひと際目を引く金の吹貫に九曜門の金団扇を描いていた。
そう、後北条家の本陣から送り出されたのだろうご隠居氏康公の指物である。
「殿、また悪戯をなさいましたな」
「与六、人聞きの悪いこと申さんとってんか。身共はなーんもしてへんで」
「ははは、ではそのように」
「おいて」
したのだが。それも当主が自ら嫡男を人質として差し出して寄越すほどの飛び切りの悪巧みを。
だがハードな移動にも耐えられるほど容態は回復しているようで何よりである。
北条氏康公。天彦にとって何の接点もない人物だけれど、主家西園寺の後援者ということで一応のリスペクトの感情くらいは持っていた。
「参りましたぞ」
「ん」
本命の陣地から“龍”の使番が砂塵を巻き上げ駆け寄ってくる。
文字は薄暗くて判然としない。おそらくは“毘”であるはずだが。
「申し上げます――ッ!」
馬から飛び降り略式の礼をとる使番の声に、天彦はやや緩んでいた表情を律し、まるで現在地を意識するかのように意識的に険しい表情へと上書きした。
そう。使番が差していた指物は“龍”だったのである。
天彦は決めている覚悟を改めて再認識すると、やや上擦った声で「ほな参ろうさん」と小さく号令をかけるのであった。
これから臨む死地と、そこで待ち受けている一人の修羅を想像して。
天彦の緊張はたちまち家中に伝播する。
イツメンを筆頭に誰も彼もが皆、たちまち鬼気迫るほどの武威を纏う戦人の顔に豹変していた。
これは天彦をして想定外だったのだろう。
なぜなら龍とは不動明王を表す一文字とされている。
そして上杉軍では全軍総攻撃をする際に突撃の合図として掲げられた旗でもあった。
◇◆◇
大津城。
三の丸まで持つ水城であり、淡海(琵琶湖)の湖畔に建つ本丸は防衛拠点の意味と同時に港の役割も果たしていた。
そのため広大な敷地面積を有していて望楼型4重5階の天守構造をしており、関ヶ原の戦いではそれは凄まじい攻防の場面になった城であったとか。
いずれにせよ水運の要であり畿内経済圏の要衝の一つである。
その本丸天守の間。
菊亭家と上杉家はおそらく初めてだろう公式会談に臨んでいた。
双方ともに二十有余の家来を従え、武器改めなどという無粋な真似などいっさいせずに真っ向から向き合っていた。
決裂すれば命さえ危うい。そんな危険極まりない空気感の中、天彦は謙信公とともすると息のかかる至近距離で向き合っている。
「久しくござるな。改めまして権大納言拝命、祝着至極に存じ奉りまする」
「おおきににおじゃる。関東管領さんもご健勝そうで何よりにあらしゃります」
会談はありきたりな社交辞令の言葉から始まった。
久方ぶりの再会に胸を躍らせる余裕など、天彦にはきっとないのだろう。
そんなやや硬く見える表情で水面に上弦の月を浮かべ描く湖畔を背中に、上座に座る。おっちんと。
会談の中身はすでに使番に預け渡した文にて事前に伝えてある。
粗方ではあるが粗くて十分。
会談内容は軍門に下れ。要約せずともこの一言に集約された。
故にとある視点ではお返事を頂戴する簡単なお仕事。
むろんそんな生温いわけはないので、命懸けの、天彦にとってはまったく割にあわないブラックなお仕事である。
故にだからこそ自惚れではなく世間評としてマスターワークにしなければならなかった。その覚悟と意気込みで臨んでいる。
「……」
「……」
だが定型句を互いに口にしたそれ以降は長く重苦しい沈黙がつづいた。
五分、十分、十五分と。
果たしてどれほどの時が経ったのか。
重苦しい沈黙を破ったのは下座の人物からだった。
「毘沙門天の思し召しにござるか」
「……」
「それとも五山のお遣いけんけんさんが参られたとか」
「……」
天彦は意を決して応接する。
「然に非ず。これはすべて身共の個人的な想いにおじゃります」
「思い、と」
「はい」
するとたちまち周囲に肌が粟立つほどの殺気が充満しはじめる。
非難くらいは覚悟していた。が、ところが謙信公は声を荒げるどころかふっと視線を逸らすと立ち上がり、天彦の脇を通り抜けて壁際にたつと、眼下に広がる淡海(琵琶湖)の水面にそっと視線を落とした。
その表情はどことなく物憂げで、凛々しい双眸には哀しみの影がありありと縁どられていた。
う。
唐突に天彦の胸に何かわからない切なさが去来する。
頭ではなく確実に心。
それは宗教方面からやってきたのだろう純粋そうな訪問販売に断りを告げるときの申し訳ない感情と似てはいるが決定的に温度差が違っていて、好きな異性が口にする残酷なまでの純粋な世間話。
つまり意中の異性の好きぴ話を訊かされているときの感情にどこか似ていて、天彦は遣る瀬無さで胸が押しつぶされそうになっていた。
謙信公は背中越しに一度大きく息を吸うと、徐に振り向いた。
そして視線の低い天彦に柔和な視線をそっと落とした。
その表情はまるで極まれに見せる家令ラウラの表情にあまりに酷似していた。
そう。すべてを承知した上で受け入れてくれる。そんなときのラウラの見せる瞳と表情そのものであった。
天彦はひゅっと可怪しな音がする呼吸をひとつ挟んで恐る恐る視線を返す。
「狡兎煮る。となり申すか」
「最盛期の龍殿を相手にまさか。冗談さんでも笑えぬでおじゃる」
「さすがは魑魅魍魎が跋扈する朝廷生え抜きのお公家様。まさしく狡兎三窟にございますな」
「狡狐三窟におじゃります」
「ふっ。間髪入れず。いやはやお見事。なるほど得心入ってござる。拙僧程度の論客では敵う道理などございませぬな」
謙信公は自身の一人称を僧籍として呼称した。
果たしてこれの意味するところは。
武士の魂は春日山城に置いてきた表れか。それとも神仏の化身として手心を加えてくれているのだろうか。
いずれにせよ疑念は晴れたようであった。あるいは端から疑念などなかったのかもしれないけれど、謙信公の表情に疑問の延長線上にあった迷いや陰りは一切なかった。
「ならば御意思に従いこの上杉謙信、菊亭家の軍門に下りまする」
誇張された気がするが、それは……。
嗚呼……、じんおわ。
おそらく気のせいではないのだろう。
天彦は喜びの欠片も感じさせない表情で頷くと、言葉短く謝辞を申し述べるので精一杯だった。
「賊軍にならぬご配慮。並びに朝家の方々にあらぬご不快を生じさせぬご心配。心より御礼申し上げる。そして併せて、政権内で織田打倒の機会を頂戴しましたこと感謝の言葉もござりませぬ。重ね重ね御礼申し上げ仕りまする」
あ、終わった。
こうして天彦は中央政権に特大特級の火種、いや活ける軍神を持ち込んでしまうのであった。
それも打倒織田信長の意気をひとつも失わないままに。あるいはいっそう燃え上がらせて。
そんな――!!!
だがこれこそ天彦が望んだ公家の流儀に適う結末。の、はずである。
あははは。
乾いた笑いはどこから漏れたのか。
そうこれは人生がそうたびたび好転してたまるか。そうたびたび上手くいってたまるか。
日ノ本にとっての慶事であり天彦にとっての痛恨として、天彦が思い上がるたび掣肘してくれるだろうそんな好例(悪例)の教訓なのであった。とか。
【文中補足】
1、吹貫
円形にした布に切り込みを入れた指物を吹貫と呼び、吹貫を半円状にした指物を吹流と呼んだ。
2、狡兎煮る
うさぎが死んでしまえばそれを捕らえるのに用いられた猟犬は不必要となって煮て食べられてしまう。 から転じて、戦時に活躍した武将はひとたび太平の世となると用なしとして殺されてしまうことの例えとなった。
3、狡兎三窟
身を守るのにきわめて用心深いこと。 困難や災難を逃れるのが巧みであること。 狡兎はすばしこくずるがしこいウサギであり、天彦はそれを文字って自身の揶揄と掛けて落とした。




