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雅楽伝奏、の家の人  作者: 喜楽もこ
十八章 神算鬼謀の章
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#04 コミュニティ・オーガニゼーション

 どうぞ

 



 元亀二年(1571)三月十二日






 どこに居ても馴染んでしまう雪之丞と、自身は滅法嫌っているがやけに扮装が嵌ってしまう是知を供に引き連れ町人コーデで、気晴らしに町ブラしてみるとこれが大失敗に終わる。


 行き交う人々の表情を見ればだいたい世情が見えてくる。元亀の人々の感情はそれほど複雑化されていないから。良ければ良く、悪ければ悪い。

 それが可視化された空気感となって町全体の潮流となる。レスポンスは早く極めてシンプルだった。


 その定理に従うのなら反応は悪くない。いやはっきりといいのだろう。それもかなりいいとなるほど、人々の表情には明るみが差していた。

 それは喜ばしいことである。けれど。


 それを作り出しているのは天彦ではなかった。それは織田家の不断の努力と九条閥率いる朝廷との治世の両輪であり、延いてはその下地を作った前幕府、即ち惟任のビジョンと理念の賜物であった。


「センスが桁違いねん」


 ほとんど追放に近しい辺土にあって天彦にわからせてくる惟任日向守は、やはり傑物と認めざるを得ない。時代の英雄と認めざるを得ない。それも永遠の好敵手としての。


「すごいねん」


 心のまったくこもらない散文的な感情だが、それはある種の裏返しの感情でもあった。

 それはいっそ薄っすらとした尊敬の念さえ芽生えてしまっている自分自身へのアンチテーゼなのだろう。

 けれど一度認めてしまうと感情は雪崩を打って押し寄せてくる。

 その芽生えてしまった感情は天彦の劣等感と敗北感をえぐってきた。えっっっげつないほどちくちくと。


「若とのさん、お具合い悪いんと違いますか」

「どうもない」

「殿」


 お供の二人が天彦の体調を気遣っていると、


「菊亭さん、またやらかさはったそうやで」

「また! 何しはったん」

「西園寺様の派閥を分裂させはったんやて」

「まあ! 中将様が御不憫でならへんわ」

「もう中将様やない。相国様やで」

「そーかいな。ほな猶更や」

「そやな」

「ほんま引っ掻き回すだけ引っ掻き回して、いったい何がしたいんやろ」

「堪忍してほしいわ」

「どっかいってくれはらへんやろか」


 効く。菊亭だけに。普通に効いた。


 この風潮では誰も信じてくれないだろう。

 天彦がただグローバルな文化的アイコンになりたいだけの平和主義者であることなんて。


 導く気など更々ない。ましてや正す気などこれっぽっちも。

 烏滸がましい上に自分は「ねーモン」んな柄じゃ。

 粒立ててしまうと正しさから遠ざかってしまう自分がいる。しかも正しさが何なのか。今ではそれさえぐらぐらとあっちこっちに揺れていた。お手盛りの詭弁を弄する気にもなれない。


 世紀末すぎる。


 そう感じているのは己だけで、ここに暮らす人々には何の関わり合いもない概念である。

 それと同じ理論で、仮に文化文明が滅んだとて世界は丸いまま延々とつづく。人々の営みだって尽きることはないのだろう。


 天彦はまたぞろアルティメット凹んでいた。


 そう遠くない明日に、金座を押さえるドラゴンさんと、銀座を牛耳る魔王様との経済圏丸ごとひっくるめた今後の主軸通貨を占う大激突が控えているというのに。


 夥しい量の血をこぼすことなく収めた天彦。お前さんの手腕やで。でかした。

 誰も言ってくれなくても。やり遂げる気概、あるいは気合が今はない。


 というのも救ってくれるのはいつだってキミの笑顔でお馴染みの妹ちゃんは、既読スルー。梨の礫。けんもほろろ。

 むろん今に始まったことではない。だが状況が状況だけに、やはり婚約者殿である大炊御門経頼の動きを勘繰ってしまう。勘繰るしか仕方がない。


 そう。味方として取り込む大本命の本丸が昨日遅く、返答を寄越してきた。

 昨日遅く、彼は天彦の誘いをやんわりとながらも正式に、辞退してきたのだった。あれは見方を変えずともわかってしまう完全なる固辞である。


 それは凹む。何ならこの京都政情編の中心人物に据える予定の人材だった。

 一度で懲りる心算はない。だが今は結果を真摯に受け止める。

 言い換えるなら天彦、一門派閥も纏めきれないお前に付く利がない。正義がないと言われているのと同じであった。


 アルティメットど凹み彦は、静かに町の風景を眺めた。


 経頼と直に相対する直接会談は何としても理が非でも意味あるものにしなければならない。すると今は時期ではない。

 未だ身内の扱いに揺れている実益の態度を鑑みれば、猶更のこと。

 ここで大きくしくじると西園寺閥政権構想が消し飛んでしまう公算が極めて高くなってしまうのだ。


 彼の名誉のために付け加えるが、彼とてまだ若いのだ。判断が鈍ったとていったい誰が責められようか。天彦が責めているのだが。それも手加減しらずの猛攻で(棒)。

 いずれにしても血を分けた肉親(姉)の嫁ぎ先に対して、苛烈な判断はおいそれと下せなくて不思議はない。あるいは尤も。

 戦国乱世に生きるからといっても誰も彼もが修羅ではないのだから。


 ましてや彼はどれだけ尖って粋ってみせたところで根は生粋のお公家様。根底には風雅に裏打ちされた柔和な旋律が流れている。

 だからこそイレギュラーである天彦を捨てずに拾い上げてくれた。取り立ててくれた。ずっと信じ続けてくれた。そのことだけはけっして忘れてはならないだろう。


 思い直した天彦は、遣いを走らせ明日に控えていた大炊御門邸訪問を延期とした。


「戻ろかぁ」

「それがよろしいですわ。いつでも参れますしね」

「殿、お労しや」


 おのれ町民どもめぇ、ぐぬぬぬぬぬ。


 是知の呪詛の言葉を置き替えに、天彦は町ブラから撤退した。






 ◇






 公家町新居・旧一条邸・天彦私室にて。


 どうやら西園寺一門閥の分裂は市井に広く知られてしまっているようだった。

 普通に考えて九条閥による流布なのだろう。だがそれに関してはお互い様。

 菊亭も散々ぱら関白二条の悪風をばら撒いてきた。天彦に非難できる権利はなかった。するのだが。


 天彦が現関白二条昭実へ、憎々しい思いをこれでもかと込めた非難文を認めていると“よろしいですか”の言葉と同時に襖がすっと開けられた。ルカである。


 天彦は手を止めて身体ごとラウラへと向き直る。


「ご苦労さん。ほんで首尾はどないやった」

「はい。概ねこれにて流出は落ち着いたかと思われます」

「ん、さよか。戻ってきてくれてこの方、面倒事ばっかし堪忍ねん」

「いいえ。当家を頼っていただけますことに変わる喜びはございません」

「おおきに」

「そんな改まって水臭い。では天彦さん、引き剥がし工作に移行しても」


 天彦はラウラの問い掛けに逡巡を見せた。


 脳裏に様々な負の要素が浮かんでくる。定数を動かそうとすると失敗する。成功例のほとんどには変数へのアプローチへの巧みさがある。だとか。

 そんな数学的定理がいくつも頭を過ぎってしまって、出したい答えが口を突かない。あるいは軽いイップスなのかも。そう勘繰ってしまうほど、思っている言葉が口を突かない。


「うむ」


 かなり悩み抜いて天彦は、現状維持でと絞り出すように返答した。

 だがそれは予想外の返答であったのだろう。ラウラは一瞬だが怪訝な表情を浮かべた。そして次の瞬間にはやはり本調子ではないことを確信したのか。


「天彦さん、貴方様だけが希望にございます」

「……」


 ラウラは天彦の復調を待ち望むように深々と頭を下げて、まるで神仏に希うかのように延々ずっとその姿勢を貫き続けるのだった。


 その姿に何かを思わない主君ではないと確信して。あるいはそうあってほしいと願いを込めて。


 そっとずっと。






 ◇




 ラウラが静かに天彦の私室を後にしてからしばらく。


 感じるところはやはりあって、思うところはかなりあった。

 さすラウラ。どうあっても天彦を揺さぶっていい方向に導いてくれる。


「ラウラ」


 天彦は静かな感心を寄せて、そして大きな感謝の念を抱くのであった。


 それはそれとしても一門が割れることは正直穴彦の予想を大きく超えていた。

 三条西家にそれほどの求心力があるとは思っていなかったことと、自分がそれほどに忌避されているとは思っていなかったのである。あとほんの少し領袖である実益の煮え切らなさも意外であった。


 だが結果はそのいずれも。事実は事実として受け止めざるを得ないだろう。まったく認めたくはないとしても。

 そんなことより何より、この重要な局面で盟友であり主君でもある実益の足を引っ張ってしまったことに対する遣る瀬無さは、実益の失態を責め立てる手に緩みが出てしまうほど天彦の感情を搔き乱した。


 大きな失態を犯してしまった後悔と懺悔の感情は天彦の感情の柔らかい部分をちくちくと刺激していた。


「小太郎、居るのか」

「ございます」

「欲か恐れを探れ」

「はっ」


 誰のとも、なぜとも訊かず小太郎は闇へと紛れるように消え去った。


 欲と恐れ。それは即ち弱みである。敵の弱みを知る。または握ること。

 それが戦いに挑む弱者のレギュレーションであり、拮抗する趨勢の鍵を握る決定的な切り札となる。


 そして襖一枚隔てても、歯ぎしりが聞こえてくるほど憤慨している、天彦にはありがたいことに多くいる並列一番のお家来さんに声をかけた。


「ルカ」

「……だりん」

「そう肩を落とすな」

「落としてなどないだりん」

「ほな拗ねるな」

「厭です」


 天彦はふっと笑ってルカを直視した。


「なんだりん。その目は」

「かわいいさんやろ」

「あはは」

「乾いた笑いやめい!」


 ごほん。


 天彦は咳払いを一つ入れて改まった。


「情報収集が思うようにいかへんから苛立ってるんやろ。ほんで風魔に後塵を拝してばっかしなんが堪忍ならんほど業腹なんや。違うか」

「……」


 図星であった。


「ホームズさんはストリートキッズを手下に使っていたん」

「は……?」

「ホーム家の天才シャーロックさんのことや」

「へ?」

「ふっ、無知は罪ねん。どないさんや、経済の発展に伴い市井には地方から流れ込んできた労働者と、何らかの事情でその親を亡くした浮浪児で溢れ返っておるやろ。違うか」

「はい。ちょっとした問題となっておりますようで」

「そのキッズを使うん。それは延いては救済の福祉ともなる。ただし手加減はしたってや。児童福祉局がうるさいから」

「子供が情報を」

「ボケは拾おうか」

「子供が情報を」

「おいて! まあええさん。そうや、どこにでも入り込めて誰にでもアプローチできる。それがキッズの特性ねん」

「……なる、ほど。囲い込まずともよいとなると費えも無用。まさに一石二鳥にございますね」

「哀しいかな、そういうこっちゃ」


 今の当家は貧乏やから。

 天彦はぽつりこぼして、そして付け加えた。

 その中に有為の人材が要れば抱え込めばよい。と。


 これこそが惟任でさえできてこなかった、あるいは読めていなかった天彦の手立てである。社会福祉。

 むろん悪巧みには遠く及ばない。だが確実に復調の兆しを感じさせる策ではあった。


 ルカは天啓を受けたかのように表情を一変させると、「だいすきだりん!」絶叫して飛び掛かった。



 わ、わ、わ――。



 大型犬。いや大型の肉食獣に覆い被さられたかのような錯覚に見舞われる天彦は、憤り半分、照れ隠し半分の感情で言った。


「主君に抱き着くとか、アホやろ」

「お互い様だりん」

「ええい除けい!」

「厭だりん。むぎゅう」

「な、何たる屈辱、いつかその背を飛び越えたる」

「待ってるだりん。いつまでも」

「あ、うん」


 ルカは飛び掛かった勢いそのままに天彦を抱きしめ、その胸に慈しむように抱え込むのだった。


 その胸にくるまれて、


「惟任日向守。ぜったいに負けん」


 聞こえるか聞こえないかの音量で、けれど確かな決意を含ませ天彦は言い切った。


 平和は理屈では成立しない。

 然りとてそれは暴力ではけっして叶わず、理性と合理的な彼我の公算によって成り立つもの。

 故に施策によってのみ公平性が担保されるわけではない。法も然り。高尚な理想理念などではもっとない。必ず同等の防衛力と外交力を必要とする。

 目下のご時世ならば、そこに幾許かの権威と血筋による正統性が伴えば猶良いだろう。


 旧室町幕府にそれが可能か。否。

 その麾下である惟任には可能か。もっと否。

 織田家にそれが可能か。否。

 ならば上杉なら。織田家以上に否であろう。

 東宮殿下や内裏務めの公卿になら。否、否である。


 それをすべて兼ね備えているのは誰だ。身共ねん。


「ふふふ。――って、痛いやろ! 急に放るな」

「だって薄気味わるいだりん」

「おいコラしばく」


 馬鹿馬鹿しいほどにお手盛りの方程式だが、それで十分。

 調子を取り戻した天彦は、惟任がいるであろう西の彼方を亡羊と眺め胸を張って宣言した。


 敵対するすべて、その理念ごとぶっ潰す――、と。
















【文中補足】

 1、オーガニゼーシ

 社会福祉資源、社会福祉の支援過程で用いられる資源のこと。

 一般的には利用者のニーズを充足させるために動員される物的・人的資源を指すが、他にも制度やサービス・組織・情報・拠点・ネットワークなども含まれる。






















物語が転ぶつなぎ目として。閑話的に。

ちょっと調べ物にお時間かかってますー。思ってるよりムズいす。いったん許そ、ねん。


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