#29 キッズに尚武の気風とか、ま
永禄十一年(1568)十二月一日(旧暦) 洛外山科
天彦は山科にある毘沙門堂という天台宗の護法寺に出向いていた。
師走の朔日。山科は洛中よりも更に冷えた。内裏からわずか二里と少しの距離なのに、木枯らしが一吹きでもしようものならもう震えあがってたいへんな寒さである。
とくにここ毘沙門堂は凍えるような寒さで、客殿から見える小さな滝にはすでに氷柱ができている。
このとおり見た目に寒い光景だが、もっとお寒い光景が広がっているので気にもならない。
なにしろ武田軍一千(自己申告)が境内を所狭しと埋め尽くし、この会談の行方を熱い眼差しで見守っているからだ。さぶっ。
天彦の眼前には二十歳そこそこの精悍な顔立ちの若武者が一人、まるで面白がるように片膝座りで着座している。
むろんこの若武者こそ武田家当主の庶子、諏訪四郎勝頼である。
だが諏訪四郎勝頼が上座ではない。むろん天彦でもない。天彦は上座を左目に勝頼の真正面に座っている。
「麻呂はお膳立てをしたまでや。後は若いお二人で話しなさい。間にたったもんの顔潰さんよう、各々ちゃんとするんやで」
「忝く存ずる」
「あ」
慇懃に応接したのは勝頼。一方情けない声を上げたのが天彦である。
そしてまるで見合いの仲人のような言葉を残して無責任にも住職共々去ってしまった人物は従一位・関白左大臣近衛前久卿である。
この前後に将軍義昭の不興を買い朝廷を追放される人物だが、現在がどうなのかは天彦にはわからない。尤も仮に既に追放されているなら今頃は丹波あたりを流寓しているはずである。
緊迫感がいい心地の暖となってくれればよいのだが、あいにく人体の構造はそう都合よく順応はしてくれない。
じりじりと冷える背中と腿の裏っかわ。耳たぶや手足の指先はもうとっくに凍って感覚を失っている。役立たずのお座布団め。
けっして安物ではないのだろうが、この素材と厚みではとても氷のように凍える床板の寒さ対策には荷が重い。
「おい小僧、なぜ黙っている」
「身共を呼び出されたのは其方でおじゃろう。ならば持て成すは其方が筋」
「ほう、一丁前の言葉は操れるか」
「さて、どうでおじゃるか」
「まあそうでなくては困るのだがな」
まだ勝頼の表情に笑みはある。その質がどうであれ。
他方天彦の表情筋はすでに死滅している。今更取り繕って笑顔を浮かべても薄ら寒いだけなので無駄な努力は放棄していた。そこに割くくらいなら全神経をこの会談に注いだ方が合理的だ。
天彦らしい考えでいざ向き合ってはいるのだが、何分武士との本式の対談など無経験。しかも敵性ともなるとまったくのお初である。どうすればよいのか。なにをすれば感情にふれるのか。まったく手探り状態で前に進められないでいる。
それも偏に、間違えられない。応接はもちろん言動の細部にわたってしくじれない。その感情が勝るから。
何しろ天彦たち一門郎党を言葉一つで粉微塵にできてしまえる戦力が目の前に陣取っているのだから。
ただ救いはある。救いというべきか頼りというべきか。いずれにせよ仲介者が近衛前久であることは天彦を極限状態にまでは追い込んでいなかった。
表のメッセージとしては織田信長が建前上この会談を承知しているという意味があり、裏の暗喩的には朝廷の意思を蔑ろにはしていないという遠巻きな意味にもとれた。
というのも基孝は懸命に動いてくれた。さすがに帝の綸旨は頂けないが、勾当内侍の女房奉書は発給していただけたのだ。
その重みは綸旨と同等である。少なくとも帝の遺憾の意は表明された。基孝はあの短い期間で依頼を纏めてしまったのだ。それも天彦が考える最善の更に上の結果を以って。平素のロビー活動の賜物であろう。
天彦は率直に感服した。感動さえした。さすがは心のぱっぱ。まじぱない。
それと僅かだが希望の目がある。近衛前久が上杉謙信と通通なのは公然の事実である。少なくとも武田と昵懇であるなどとは聞いたことがない。
つまりこの対談はかかわったいずれの人物もニュートラルな立場であることを意味していると推測できた。あくまで天彦の想像に妄想と予想を重ねた希望的推論での仮定だが。
天彦が緊張の面持ちでおっちんしていると、不意に。
「おい小僧、占え」
「へ」
「千里先も見通せる神通力が使えるらしいな。時は幾年も見通せると聞く。もし真実なら儂を占え」
「千里はいくら何でも無理でおじゃる。幾年にいたっては申した者に薬師を案内いたすでおじゃる」
「儂も何かは知らん。だが叔母上はことのほか恐れておいでだった。儂は女の勘など信じぬ。だが菊御料人の恐怖心は信じる。如何」
如何もなにも阿保ちゃうこいつ。
やはりDQNの思考回路は自分勝手に一方通行で、リテラシーの欠片もないと確信する。
天彦が一笑し不可能だと応じようとしたそのとき、
「兄者は昨年殺された。いや違うか。謀反を疑われ自刃して果てられた。だが追い込んだのは父上だ。大っぴらには言えないが、某も遠ざけられている。このままではいずれ……」
事情が変わった。
勝頼は言って憮然として庭に視線を向けて黙った。
ずいぶんとぶっちゃける。天彦は怖さと不思議で混乱した。だがそれも束の間興味が勝った。
目の前の人物が今まさに告白したではないか。恐怖心は信じられると。
まさに勝頼は恐怖していた。自らの父親の猜疑心に。
おもしろ。
勝者総取り。戦国の最大流儀にして鉄板普遍の不文律。
この目の前の武田家庶子が総取りたいのか否なのか。天彦はその点に猛烈に関心を寄せた。
印象では武辺に偏った生粋の侍。そして話してみた印象でもかなりそうとう武張っていた。だが実際は死を恐れる普通の青年。兄の死を悼むことのできるごく普通の感覚の持ち主だった。
すると天彦の脳裏に何かが閃く。あるいはこれが戦国室町を生き残れる命綱になるかもしれない。本当に僅かだが天彦には細い道筋、いやもっと細い光の一筋が見えたのだった。
天彦は懐から扇子を取り出し、ぱちんぱちんと調子をとった。
武田は好ましくない。言葉を選ばずいうなら大嫌いだ。だが感情で判断できる事態ではない。
みたところ諏訪兵は屈強。統制のとれた兵勢からも練度はそうとう高いのだろう。見事に掌握していると見て取れる。
またぞろぱちんぱちんと調子を取る。そしてビシッと先端を向けると、
「助けたろ。そやけど身共の星読みは安うはないで」
天彦はここ一番と決め込んでここ一番の声を威勢よく張った。
勝頼は一瞬目を見張ってからにやりと嗤う。
「それが地か。一杯食わされたな。なるほど五山のお狐様よ。で、お狐殿は何が望みか」
「安全保障。身共が欲する代償は、我が身の安全それただ一つや!」
我が身可愛さに恥も外聞もなく身の安全を引換券に要求した。しかしその潔さが勝頼の目には必至に映ったのか。うんうんと大きく頷き、
「お狐殿でも命が惜しいか」
「あたぼうや。命あっての物種やし。身共は生きたま極楽浄土に参りたいんや」
「はは、あはは、がははははは――!」
天彦の声が物の見事にひっくり返っていた。その正直な反応があまりにも切実だったのか、勝頼は場所を忘れて大きな笑い声を鳴り響かせるのだった。
◇◆◇
永禄十一年(1568)十二月三日(旧暦)菊亭借り屋敷、天彦自室兼応接間
「造次顛沛、未来永劫、其方に遺恨はないと誓う」
「叔母上、生まれくる我が子にも誓っては如何か」
「くっ、我が子に……、御誓い申す」
前の前で菊御料人が震えていた。勝った。まじで勝ったったん。たんたんたんたん勝ったったん、うしっ。
天彦は歓喜を隠さず狂気乱舞した。
浮かれまくる天彦をしり目に菊御料人が退室していく。当人はもちろん御付きすべての怨嗟を後に残して。
「お雪ちゃん、塩撒いといて。たっぷりと撒くんやで。それこそ出入り口に堆くつもるほど。廊下にもやで」
「は、はひっ」
そんなアホなことあるかいな。
だが雪之丞は完全にテンパっていたので声に出せない。
それもそうだ。この狭い室内には、上座に亜将が鎮座し、その正面左には甲斐の鬼怖ろしい武者がでんと座っているのだ。しかも大小二本とも脇に置いて。雪之丞などお呼びではなかった。本来ならば。
だが主君が空気を読まない阿呆のポンコツなので、すぐに自分を側近として侍らせる。しかもやたらとこき使う。そのたびに上座と正面左側から視線とときおりの笑いが起こって迷惑千万、小便が近い。若とのさん、某のこと好きすぎるやろ。
雪之丞が手足を揃えて退室していくのを見届けてから。
「我が子龍でかした。大儀でおじゃるぞ」
「はい近衛中将さん、お褒めに預かり祝着至極におじゃります」
「うんうん、さよか。よかった。ほんまによかった」
「これで人心地つきました」
実益は表情ごと意識を切り替え、
「さて各々方、本番はこれから。きっちりと談合しまひょか」
「然り」
「はい」
実益が上座から仕切り、勝頼と天彦は異論なしと即座に応じた。
極秘裏とはいかないまでも少数密室にて行われた大真面目な談合は深夜遅くまで続けられ、明け方三人が車座になって眠りこける姿がそれぞれのお供に確認されたとかされないとか。
菊亭天彦(数え9)、無位無官、無味無臭ではないけれど。
果たして今後如何なる公家人生を歩むのであろうか。




