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雅楽伝奏、の家の人  作者: 喜楽もこ
十八章 神算鬼謀の章
289/314

#03 理念の視座が低すぎる劣等感やつ

 



 旧室町第二条城跡地、現織田中央政権中央官庁中央公舎。



 部屋主は赤色の液体を注いだ精緻な意匠のベネチアングラスを片手に、五階天守から眼下に広がる街並みに鋭い視線を向けて渋面を浮かべ、


 くいっ。


 グラスを呷った。フレーバーに対するレスポンスも一切なしにただひたすらに憮然として。


 部屋主とは言わずと知れた魔王信長公である。おそらくこの世で最も渋面の似合う人物でお馴染みの。



 ぴーひょろろ。



 鳶の鳴き声が聞こえてくると、信長は長い沈黙を破って言葉を発した。


「司空。視座はできぬぞ」

「何のことにおじゃりましょうや」

「司空貴様、そこまで愚図なら余も考えなおすぞ」

「っ――」


 信長は急遽呼び立てた人物に向けたその口調のまま、極めて厳しい視線を投げかけた。

 お相手はむろん次期の太政大臣候補、西園寺実益公である。


 この頃になると実益はすっかり相国(太政大臣の唐名)として認知されていて、元来自称や見做し呼称の多い室町文化下では特段不自然なことはなかった。

 なかったのだが、そんな中でもやはり実益の司空呼びは違和感が大きい。三公呼称なので敬意がないとも言い切れず、けれど低く見積もっても自然視はできない。そんな呼称だったのである。


 つまりこれの意味するところは揶揄。皮肉いっぱいの揶揄である。


 竹馬の友であり腹心であり右腕であり、彼をここまでの地位に上り詰めさせた股肱の臣たる菊亭天彦を、我が子龍と呼んで憚らない彼に対する飛び切り特級の、西園寺実益に対するあからさまにして皮肉、即ち露骨な揶揄なのである。


 なぜなら司空とは。古今東西その地位名で最も広く知られる人物とはただ一人であり、趙雲子龍が生涯を懸けて仕えた人物と史上最も敵対していた人物なのだから。双方が宿敵として長らく干戈を交えてきた間柄。揶揄以外の解釈はそれこそ屁理屈となってしまう。


 つまり魔王様はいかっていた。


 では誰に。


 むろん実益に対して怒っているのだろう。だがそれ以上に天彦に対しても言葉にできない怒りを抱えこんでいるようであった。


 その天彦、ここ数日まったく鳴りを潜めていた。挨拶周りも途中で投げ出し、何やら精彩を欠いている様子。

 これが雌伏の時ならば問題はない。だがどうやらそうでもなさそうで、聞こえてくる噂はどれも聞くに堪えない、あるいは愚にもつかないものばかりだった。


 故に消息筋筆頭であろう実益を召喚し、こうしてせっついているのである。

 と、同時に次代の国家元首殿に発破をかける思惑も兼ねて。


 信長が掴んだ噂では、何やらこの英傑も精彩を欠いているらしかった。

 そしてその噂は面と向かって対峙して、確信に変わっている。


「何があった」

「……度々、良心の呵責に苛まれておじゃる」

「訳はわからぬが、善良なだけの公家ならば要らぬぞ」

「期待には沿う。心算におじゃる」

「ふん。――で、あるか」


 信長、怒りに転換させてはいるがこう見えてそうとうかなり焦っていた。

 というのも二・三では済まない喫緊の差し迫った事案を抱えていた。何もこのときにばかりに限った話ではないのだが、とにかく叡智の貸し出しが急務であったのだ。ところが。


 頼るべく叡智が音信不通で弱っていた。こちらから書簡を出しても梨の礫。脅してもくすぐっても一向に応接しようとしてこない。

 それどころか群生の空の下、意味もなく茶会を開いて風雅に興じているのだとか。あの天彦が。


 こっそり流した奴隷市の摘発情報にさえ、何のリアクションも示さずに。


「狂気じみた執念の塊。それが無知の知すら知らぬ無辜の民による魔女狩りに敗れるのか。ならば余は最も恐れるべき敵として、京の民を滅ぼさねばならなくなる。そしてその悪名を永代背負うことになるは貴様じゃ、司空」

「くっ……」


 天彦を狂気じみた執念の塊と称し、目下の精彩を欠いた天彦の状態を京雀の風聞のせいだと断定して信長は、実益に向けて嫌悪感を隠そうともせずに侮蔑の視線を向けて言った。


「一門が割れたとか」

「知っておるではないか!」

「当り前じゃ。申し開きは」

「……面目次第もおじゃりませぬ」

「ふん。面目などこの際何の意味があろうか。あれの臍が曲がっておるのはそれが理由か」

「阿呆の考えなどわかりかねるでおじゃる。あの分からず屋め――」

「兄弟喧嘩も大概にいたせよ。そういう事情ならしばし待ってやらぬこともないのだが、実は余も急いておる」

「西国の不穏は訊きつけておじゃる」

「西国勢力の出現は捨て置ける。旗頭である徳川は善きにつけ悪しきにつけ、想定の範疇を超えてこぬからの。故に落とすべく首級が変わっただけである」

「では」

「だがこれは予期しておらぬぞ!」

「っ――」



 ………。



 魔王の大喝が轟くと、天守の間に凄まじい沈黙の帳が降りた。

 誰もがそっと目を伏せ激震地の静まりを待つ。

 一歩間違えれば首が飛ぶ。それは例えではなく文字通り物理的に首が飛ぶ現象を指しての意味で。

 事態の重大さを察した実益は即座に居住まいを正した。そして緊張に頬を強張らせたままの表情で、じっと言葉を待っていた。


 ややあって、


「司空、相模守が上洛しておったのは存じておるか」

「いいえ、終ぞ訊いておじゃりませぬ」

「貴様、治世を何と心得るのか」

「言葉を返すが麿は木っ端武家の動向など関知せぬ。それは弾正忠、貴殿のお役目におじゃろうもの」

「ふん抜かせ。会うたらしいぞ、狐めと。訊いておろうな、むろんのこと」

「っ……」

「ふん、まあよい。あの腐れ北条め、余の元へは文だけを寄越しおった。つまりこう申したいのであろう。格下に下げるこうべは持たぬとな。ちっ忌々しい坂東武者どもめ、いずれ目にもの見せてくれるわッ」

「……」

「だが北条など取るに足らぬ。問題は他にある」

「と、申すと」

「何やら掴んだ噂では金座を押さえる大金主殿が近々大軍を率いて上洛なされるとか。金座界隈が湧いておる。……早い、早すぎる! すべてが寝耳に水の事態に、正直、泡を食っておるわ」

「越後の龍が上洛。それはいったい……」


 天彦を即刻参上させよ。首に縄をつけても、なんとしても。


 信長は厳に申し付けると、ビロードマントを翻し冷たく実益に背を向けた。






 ◇◆◇






 日ノ本には日本最古の高等教育機関である足利学校が存在した。


 坂東の大学と称される通り下野国足利荘に所在し、最盛期には三千の学徒が在籍していたとか。

 だが目下、足利家があれなのと荘園があれなのとが合算して、予算の計上が如何ともし難く、実質的な廃校状態に陥ってしまっていた。


 それはあまりにも惜しいのではないか。通った学徒の相対量云々は別にしてもここから排出された偉人はそれこそ膨大な数に上るのだ。惜しい。

 むろん教育水準の高さ並びに教育理念の崇高さを讃えた上で、だが儒学思想は天彦の理念に馴染まない。あと通い始める年代にもやや不満が。


 どうせ教育するなら幼小中の一貫教育がよいのでは。


 そんな天彦の提案から始まった足利学校の移転作業は順調に進み、本日午前、移転に伴う開校祝典は無事恙無く執り行われたのである。


 渋りに渋った天彦を、基金側代表者として新設された足利学校に送り出したのは天彦の主君である実益であった。

 目下、二人の仲は史上稀に見る不穏。周囲はそれを実際以上に危険視するが当の本人らはどうなのだろう。あるいは何とも思っていないとか。


 猶、出資者はむろんあのインフラの権化みたいなやつである。


「お殿様、このお部屋だりん」

「ん」


 招かれた部屋に入ると、そこには。


「……へ」

「お久しぶりにございまするな。菊亭家の御曹司殿」

「御師様」

「上座をお譲りするべきかな」

「はは、滅相もおじゃりませぬ」

「ならばお言葉に甘えさせてもろて」


 祝典を終えた午後、足利学校に莫大な資金提供をする基金から派遣された天彦は、善良な公家面で、学校長に就任なされた人物と相対していた。あろうことか下座に就いて。

 そう。学校長はかつての恩師、寺子屋の住職である永観和尚その人であった。


「いつ就任なされたので」

「一昨日にございます」

「それは随分と急なお申し出さん。よくぞお受けおじゃりましたな」

「教え子の達ての願いとあらば、訊かぬ道理はございますまい」

「……実益、冷めます」


 天彦は誰も笑えない韻を踏んで気の利かないライムをこぼす。

 だが永観和尚(この場合は学長か)も否定はしない。つまりそういうことなのだろう。


 天彦はならばと腹を括った。気分を入れ替えて久方ぶりの邂逅に身も心も寄せてみることに決めた。狙いが那辺にあろうとも。


 と、永観学長が茶を勧めてきた。茶柱が立っていた。不吉の予感がひしひしとする。逆説的な意味ではなく。


「何やら悩んでおられるご様子」

「さあ、初耳におじゃりますが」

「そのようにお見受けできます」

「なるほど、師には敵いません」


 天彦は減らず口さえ封印してあっさり認めた。この時点で精彩を欠いていることは明らかで、おそらく絶不調まであるスクショものの冴えなさだった。


「伴天連の教会を打ち壊し、抵抗する信徒諸共駆逐なされたとか」

「追放、並びに放逐におじゃります」

「詭弁にございますな」

「ただの訂正におじゃります」


 見解の相違である。これに関して天彦は一切妥協する心算はなかった。

 たとえ先の帝がお許しになられた組織であっても。市井でどれほど悪しざまに罵られようとも。師からこうして非難の言葉を浴びせられようとも。


「この寺子屋で教えている七つの知性をご存じか」

「はい。思想、展望、志、戦略、戦術、技術、人間力。におじゃりましょう」

「うむ。その通りにございます。そして御曹司、貴方様はそれらすべてを習得なさっておられますな」

「買い被りにおじゃります」

「では、これを提唱した人物をご存じかな」

「……クソ野郎、におじゃります」

「惟任殿のこと、まだ割り切れませぬか」

「不可能かと」

「なるほど。ならば拙僧も触れますまい」


 感情が揺さぶられた。この時点で半ば術中。

 天彦は永観学長の達者さに舌を巻きつつ、話の方向性を予想した。


 惟任日向守。やつは紛れもない天才だった。それに引き換え……。


 惟任十兵衛光秀。彼の思想の行きつく先には確実に、垂直統合の発想が感じられた。

 七つの知性を学び感じさせることによって育てられた人材は、様々なレベルでの思考を見事に切り替えながら並行して進め、瞬時に統合して回答できる有為の人材として世に放たれることだろう。


 四百五十年後の未来を憂い場当たり的に応対している自分と、百年先を見据えて人材を育成してきた惟任とでは、あらゆる観点から優劣は明確であった。


 その劣等感、敗北感たるや。


 天彦は震えた。


 師は彼我の差に代表される天彦の先見性の無さを指摘したいのだろうか。

 それとも直接的にキリスト教徒(イエズス会)に対する非情な措置を諫めにきたのか。敵視されている仏教徒なのに。


 だがどの予想も外れている予感がしてならない。


 怒りの感情はやがて純粋な興味へと移り変わり、天彦に精気を取り戻させいつもの輝かしい双眸に変えていた。そんないつもはないけれど。盛った。

 だが目性が悪いなりにもキッズらしい関心事に興味を寄せるやんちゃな瞳には変わっていた。


「御曹司。ならば申し上げましょう。貴方様は知性に溢れておられます。それこそ反則とすら感じるほどの莫大な叡智をその円らな瞳の奥底に仕舞っておられます。ですが否。敢えて否と申し上げる。貴方様は七つの知性のどれも習得なさってはおられぬ。なぜならすべてが中途半端なのでございます。以上が拙僧の所感にて、猶このお先、お求め召されますかな」


 天彦は言葉を発さなかったのか、それとも発せなかったのか。いずれにしても首を小さく一度きり。縦に振って応じていた。


「ですが拙僧からは何もございませぬ。なぜなら聡明なる貴方様はすでにお気づきだからです。例えば思想を語っても単に教養としての思想を語っているご自分に。例えば展望を語っても単なる目標を語っておられ厚顔なる御自分の心に。例えば志を語る素振りで単なる野心を語っているだけのご自分のお言葉を。例えば――」

「もうええ。御師様、もう堪忍ねん。身共は重々承知しておじゃる」


 救ってくれるのはいつだってキミの笑顔。


 天彦は脈絡もなく愛するテイの最愛なる夕星姫を思った。すると不思議、テイで始めたこの行為も、今では立派な事実として、ちゃんとこの世に定着していた。要するに、荒んでキーキー悲鳴を上げる心に油が差されていた。


 序に言うなら戦略と戦術の違いだって実際はよくわかっていなかった。せいぜいがスケールや規模の違い程度の認識である。だが惟任は……。


 敗北感に身体が震える。あるいは心ごとすべて震えているかもしれない。


「よろしいでしょう。おいでなさいませ」


 天彦の感情の機微を察したのか。

 永観学長は言っておもむろに立ち上がり背を向けて歩み始めた。


 天彦はその背にそっとつづいた。






 ◇






「うち、二階建ての牛車に乗ってみたいな」

「そんなのあるわけない」

「あるもん」

「ないもん」

「あーるもん」

「なーいもん」


 幼少部の学徒なのだろう。

 何やら花子ちゃんと太郎君の二人が言い争っている場面に遭遇した。


 すると永観学長は柔和な笑みを浮かべながら、真理がございます。

 とだけ告げると解釈を天彦にぶん投げてきた。


 まるで関節技と締め技を同時に繰り出されたような気分になってしまい、寝業師を標榜する天彦としてはこの挑戦状、受けない道はないようであった。

 ならば。天彦はその真理とやらを解き明かしてやろうと意気込んでキッズの会話を傾注する。


「作ればあるもん。この世はね、発想さえあれば何だって作れるんだよ」

「作るんかよ。でもお前んちにそんな金ないやん」

「あ、言ったね。でもあんたんちにだってないよね」

「あるけど」

「ありませんよーだ」

「ありますよーだ」

「じゃあ作ってみ。百数えるまでにだよ」

「無理に決まってんだろ、あっかんべー」

「あっかんべー」



 きゃはははは逃げろ、わははははは待てぇ――



 途中から話が逆転した。B君がはめられたパターンのやつで、けれど本人たちはまるでお構いなしのキッズあるあるであり、いわゆるどちらも負けしらずな最強の矛盾構文である。


 この場面を地で見せられた天彦は、果たして何を感じるのか。あるいはどう受け止めるのか。


「おいて」


 え、無茶振りすぎん? 


 だがそれでもひねり出す。それが師のお求めならば理非もない。


 第一感、このような理屈抜きの押しの一手は強弁と呼ぶべきで美しくない。であった。

 天彦から言わせれば強弁は詐欺師の常套句である詭弁にさえ及ばない。最低の話術である。話術が足りなくともせめて織り交ぜるべきである。それで辛うじて及第点。戦国元亀詭弁部部長彦は、直感でそう感じた。


 と、


「お気づきになられましたな。おっほっほっほ」



 は!?



 いや待って?

 ほっほっほじゃなくて。唐突に好々爺ぶるのやめてもろて。


 あなた現役当時、鉄拳ばちこりに繰り出してましたよね。木のやつで何遍どつかれて何遍懲罰房に押し込められたことか。何をしらこい……。


 だが結局のところ設問の意図はわからず仕舞い。好々爺ぶったごりごりの武闘派住職は去っていった。


「ルカ」

「さっぱりだりん」

「佐吉は」

「申し訳ございませぬ。さっぱりにございまする」

「やろうな」

「念のためどうせ無理やろうけど、はいお雪ちゃん」

「念のため!」

「どっちかゆーたらどうせに食いつき」

「某の感性にまで差し出口挟まんといてほしいですわ」

「あ、それかも」

「え?」


 ちょっとした気づきはあったが未来永劫答え合わせはされないだろう。

 往々にして仏教にありがちで、考えさせることその物がこの設問の意図なのだろうから。

 それこそが知識や知恵とは別物である、真理を追究するために欠かせない知性への第一歩であると言わんばかりん。


「くくく、いや無理ねん」

「お殿様が笑った」

「殿」

「若とのさん」


 なんや皆して。身共かて笑うやろ。


 口では不愉快を表明し、けれど天彦はどこかあまりの馬鹿らしさにほっこりしている自分にちゃんと気づいていた。


 それを証拠に、


「明日から気張ろ」


 と言った者に明日はない。そんな金言はさて措いても。

 天彦は少しだけ心が救われる予感に、吉兆の前触れを予感するのであった。


 この世の天秤さんがちゃんと作用しているのなら、次は良いことの順番だからと前向きに捉えて。













【文中補足】

 1、インフラの権化みたいなやつ

 現織田家勘定奉行の一人である吉田屋さんちの角倉了以君です。


 2、垂直統合

 垂直統合とは、企業がサプライチェーンの上流から下流までのプロセスを自社内で統合する戦略で、製造から販売までの一貫体制を構築することを指す。⇔水平統合または水平連携。代表企業例トヨタ・Amazon・ユニクロetc
























 

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