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雅楽伝奏、の家の人  作者: 喜楽もこ
十八章 神算鬼謀の章
288/314

#02 散文的な感情と潰えた可能性と

 



 元亀二年(1571)三月三日






 旧一条邸への入居が始まった当日、午後。


 いくぶんか寒さが和らいできた今日この頃、この日はまさしく春陽の候といったポカポカ陽気でお日様の御機嫌がすこぶるいい。

 この陽気にあやかって菊亭家もご陽気に。……とは、なりそうもない。


 ご陽気と大安とが重なった絶好のお引越し日和にあっても、我らが菊亭家の若きご当主様は360度陰鬱な気配を発散し、皆の働きが一望できる執務室の縁側におっちんしていた。


「萎えぽよー」


 口調こそお気楽を装っているものの、その表情はどこまでも真剣そのもの。

 視線は家来や用人たちの作業風景を一応は捉えているものの、あくまで捉えているといったテイだけで、心がここに無いことは明らかである。


 本日は側近イツメン衆が久方ぶりに揃い踏みして、距離の遠近はあるものの主君天彦の小さな背中を執務室から注視していた。そう見てるだけーなのである。


 辛口批評家のルカも、激甘サービストーク家の是知も、ときに一命を賭してまで天彦を諫める武官勢でさえ、励ましの言葉はおろか何があったのかさえ訊けず仕舞いでただ、天彦の背中を注視していた。まるで誰かの登場を切望するかのような気配をむんむんに漂わせて。


 側近イツメンたちの目にはそれほどの惨状だったのだ。ともすると天彦が意識的に張り巡らせているのだろう不可視のこっちくんなバリアは、イツメンを以ってしても一切寄せ付けない隔絶した絶遠の気配を纏っていた。


 あるいは天彦との距離が近ければ近いほど、為人を知れば知るほど、そう映ってしまうのかもしれない。

 なぜなら天彦と関わり合いのない諸太夫や用人の目には、年端も行かぬキッズが単に虚勢を張っているだけの演出にしか映っていないようだから。


若御所様わかごっさん、御座布敷かんとぽんぽん冷えますよ」

「身共のことはええんや。お前さんらこそぼちぼちやりや」

「はい、ほなあんじょうやらせてもらいます」

「ん、そうしい」


 用人でさえ気軽に声を掛けられる、この風通しの良さが菊亭の家風である。

 気安すぎるきらいは否めない。けれど格式張るのは外に向けてだけでよい。これが家門創設以来僅か十一年で家格序列第二位にまで上り詰めようとしている大菊亭家を率いる御当主の方針なのである。誰が批判できようか。


 実に微笑ましい場面は、けれど平素なら絶対に軽口のキャッチボールが交わされた場面でもあった。

 いつもの天彦なら確実に“いつまでもガキ扱いすな”と用人を冗談交じりに叱り飛ばしていたはずである。

 片や本家から駆り出されている菊亭の用人たちは天彦の蒙古斑の位置と形を知る、それほど古い間柄である。主にこれを手配した撫子周りの用人たちに天彦への遠慮はほぼない。すると用人もガキですやろと笑い飛ばし応接したはず。


 だがそれがない。素振りも見せない。この状況にイツメンたちはやはり異変を確実視する。それも飛び切りの大異変を。


 加えてこの不可視の強固な寄ってくんなバリア気配。

 この圧倒的存在値に裏付けられた絶対的風格が、拒絶感を前面押し出してしまうともうお仕舞い。彼らには手の施しようがなかった。


 あの第二・第三の母御前とさえ思われ慕われている家令ラウラ女史を以ってしてもそうとうに逡巡させ途方に暮れさせてしまうのだ。

 辛口批評でお馴染みのルカはもちろん、天彦のイツメン御傍衆が困惑を浮かべるだけで示し合わせたように誰一人として言葉をかけずにいたとしても不思議ではなかった。掛ける言葉を探せなかったとしても何の罪にも問われないだろう。


「……殿」

「殿……」

「殿」


 彼らイツメン衆の目には見ていられないほど痛々しく、心痛に苛まれている風に映ってしまう。


 これを突破できるものは天下広しといえどもただお一人。


「ほんまやってられませんわ。……あれ、むむむ」


 沈滞ムードを打ち破るように、そこに待望の救世主が帰宅した。

 東宮坊へと赴いていた朱雀雪之丞が帰参の報告に上がったのである。


「なんやずいぶん湿気たお顔さんしたはりますけど、どないしはりましたん。ははーん。さてはこの重苦しい雰囲気の原因ですね。あ、朱雀雪之丞、お務めを果たしましてただいま戻りましてございます」


 と、ど直球を投げ込んで、序に帰参の報告を添えた。


 静まり返る六間四方の大広間に、ややあって、くつくつくつと笑い声が漏れだした。


「そっちこそ何や。東宮坊御参上前とずいぶんご機嫌さんが違ごてるやないか」

「それは! それは……、それですやん」

「だからそれとはなんやと訊いてるんやで」

「あれですやん。あれ」

「やめとけ!」

「あ、はい。あれですわ、あれ。……義務ですやん」

「おまゆう。お雪ちゃんの口からいっちゃん出てきたらあかんやつ!」

「酷いです」

「酷ない。事実や。参る一秒前まで参らへんゆうて駄々こねてたお前さんがゆーたらあかんやつやろ」

「いいのです。だってお務めは義務ですから。諸太夫の義務ですと申し上げましたが何か」

「嘘をつけ嘘を。さてはお前さん――」

「ほんもんです」

「さよか。ほな嘘つきお雪やな」

「失礼な。某、嘘なんかいっぺんもついたことありません」

「にしてはえらい穏やかな反論やな。やっぱり可怪しい。吐け、何があった。いいや何を頂戴したんや」

「ぎく」


 バレバレである。


 おそらくは相当多くの土産を頂戴したのだろう。あるいは直接的な現物支給されたのか。おそらくは後者が濃厚。


「ラウラ、とっちめて」

「はい。雪之丞さん、後ほど」

「え」

「ご返礼差し上げませんとご無礼にあたりますでしょ。あんまり聞き分けのない駄々をこねるならきつーいお灸を据えますよ」

「あ、うん。ちゃんとお話しします」

「それでよろしい」


 失笑や苦笑だった小笑いはやがて大笑いへと。そしてその大笑いは遂に大部屋を巻き込んだ爆笑の渦を生み出すに至った。


 これぞまさしく雪之丞芸である。


 いずれにせよこの頃には執務室の雰囲気はすっかり穏やかになっていて、あちらこちらから柔和な会話が漏れ聞こえた。これぞ菊亭の日常風景。


 まさにさすお雪ちゃんなのである。


 彼以外にこの芸当、やれるものならやってみろ。

 そしてこういった場面になって初めて、雪之丞は家中にその存在感の大きさと存在意義を示せるのであった。


「で、どないしはりましたん」

「長いけど訊いてくれる?」

「え、面倒そうなんで厭ですけど。……う゛」


 イツメンたちの間髪入れぬ絶対に訊け!の無言の圧力に屈し、雪之丞はしぶしぶ耳を傾ける。ほんとうにしぶしぶと。


「手短に」

「なんや関心しめしておきながら厭そうやな」

「はい、むちゃんこ厭ですけど」

「なんで」

「手短にお願いしますね。某、このあと阿茶局さんからお聞きした……あ」

「あ」


 あるらしい。

 天彦よりも重要な案件が。そんなものお団子案件に決まっていた。


「うふふふ。おおきにさん。そやな、実はな――」


 天彦は雪之丞に語るテイで家来たちにも話して訊かせた。


 起こった出来事と、偽らざる己の心境を。






 ◇






 それは昨日、内裏での一幕まで遡る。


 天彦は儀礼として帰洛した旨を現職である関白太政大臣二条昭実公にご報告差し上げるため後涼殿へと赴いた。その道中、遊義門をくぐって回廊に足を踏み入れたとき、それは起こった。


 すれ違う二人。天彦から先に有識故実の礼を取った。

 現状天彦は無位無官。本来なら参内さえ敵わない立場である。よって着衣でそれはすぐに判然とする仕様とはまったく無関係にすれ違う者すべてが上位者の対象であった。


 すると先方も足を止めて故実を返す。

 こちらも本来なら一瞥してお仕舞いのお相手である。だが彼はそうせず足を止め正しい故実の返礼で応じた。見做し位階というやつである。


 天彦の菊亭は藤原長者であることと、西園寺家一門衆筆頭でもあった。加えてその家格は清華家である。返礼に妥当性はいくつもあった。


 だがあくまで儀礼である。

 お互いが言葉を交わさずすれ違うものと思われた。

 少なくとも天彦はそう考えていたはずである。


 ところが、


『権力の中枢にあらしゃる意識の何と無自覚なことか。それとも大西園寺御一門衆筆頭たる権力性をご承知ないとか。いいえ貴殿に限ってそれはあらしゃいませぬなぁ。ならば侮っておじゃるのか。いずれにせよいと愚かしや。あな憐れにあらしゃいますなぁ』


 言葉は掛けられた。それも飛び切りに深い内容のお言葉が。


 何を揶揄しての言葉かは定かではない。あるいは存在そのものに対する非難なのかもしれないが、意図だけは明確である。


 それは敵対宣言であった。真っ向から自身の旗幟を明らかとする。

 それを考えすぎと思う貴族などいない。ここは京都で彼らは公家。オブラートに包んでなんぼの人種。それが直接的な文言を選択して発したのだ。誤解や解釈の余地がないように敢えて。


 天彦に向けて発された敵対宣言に相違なかった。


 絶対に。確実に。鉄板で。


 なにせそこには天彦しかいなかったのだから。彼も一人。天彦も一人。

 余人を介さず向き合う二人。彼らを隔てるものは、檜扇しかない。


 知ってはいた。覚悟も少々していたが面食らった。いやはっきりと喰らっていたのだろう。天彦はともすると返す減らず口さえ見失い、情けないほどおたおたしていた。まるで年相応のキッズのように。


 愛用の扇子が持ち込めなかったから。そんな言い訳が痛いほど、天彦は喰らっていたのだ。メンタル崩壊寸前まで。



 二条昭実関白太政大臣率いる九条閥(一条内基・九条兼孝・久我通堅)。猶、通堅の態度は不明なため暫定的に。

 そこに転法輪家こと三条西家の嫡男御曹司が政争参入とあって、天彦はかなり喰らってしまった。今後、メンタル的にそうとうかなりしんどくなるだろうことを予見して。


 現関白はそれは抗う。当たり前である。現体制の存命期間は新体制新政権に移行するまで。即ちそれまでが勝負どころなのだから。

 それに付随する公卿たちも同じく抗う。それはそう。彼らとて死活問題なのだから。公家町を追い落とされた一条家などはとくにそう。


 それはわかるのだ。だがどうしてもわからないことがあった。


 転法輪家こと三条西公国公のことが天彦にはどうしても理解できなかった。



 なぜ、なぜ、なんで……。



 考えても。あるいは考えるほど理解から遠退いていってしまい思考は空回りしていった。

 三条西公国公は、西園寺公朝卿の娘にして時の太政大臣候補・西園寺実益公のお実姉を正室に迎え入れておられる。即ち天彦とは同門以上の間柄。少なくとも天彦はお身内、御一門衆として捉えていた。



 なぜ、なぜ、どうして……。



 三条西家は共に西園寺家をお支えするご一門衆。それではまるで……、武家ではないか。

 そう。肉親と醜い争いを演じても恥じず親でさえ弑し、かと思えば平気で子を差し出したり、ときには妻の御実家でさえ平気で征服してみせたりする別人種。


 そう。彼、三条西公国公がやろうとしていること。

 それではまるで修羅の世界に生きる武家ではないか。


 天彦はその導き出された回答に愕然として戦慄いた。

 果たしてこの戦いに勝者はいるのだろうか。そんなことをふと考えてしまったから。


 一瞬でも脳裏を過ぎってしまえば最後、感情は内へと籠ってしまう。

 だが雪之丞とのおバカな会話に解された天彦に、もはや負の感情は感じられない。


「――ということがあったねん」

「頑張りましたね。若とのさんにしては上出来ですわ」

「おいコラ」

「なんですのん」

「……まあ、頑張ったかも」

「でしょ。よしよし」

「よしよしすなっ!」


 やはり雪之丞は菊亭家には欠かせない人材、なくてはならない一服の清涼剤であったのだ。


 と、緩んだ空気に家令が熱くて冷たい水を差した。もちろんいい意味で引き締めにかかったのだろう。雪之丞だけに任せておくと、事態は一生収束しないだろうから。という意味を込めて。


「何やらお答えが導きだされましたようで、お喜び申し上げます」


 天彦はラウラの言葉に小さく頷くと双眸鋭く庭を見つめた。そしてぽつり。


「転法輪さんは武家ねん」

「と、申されますと」


 天彦は逡巡するように言葉を慎重に選んだ。

 だが次の瞬間、扇子をぱちり、


「これにて可能性は潰えてしもた」


 はっきりと明言するのであった。三条西家との絶縁を。

 それは相当の覚悟がいったことだろう。勝利しても、いや勝利すればこそ天彦は多くの恨みを買うことが確定している未来である。


 なーなーで済ませられれば一番よい。それでまーるく収まるのなら。

 天彦とて吝かではない。だが相手方には後北条家の影がちらついていて、思惑を知る天彦に譲れる理由は何一つとしてない。

 何より九条閥は足利家を介して間接的に、伴天連の影響下に置かれている。譲るわけにはいかなかった。負けるわけにはいかなかった。


「お労しや。お掛けいたします言葉もございません」

「その気持ちだけでけっこう。そやけど心配は無用。身共は出会ったあの日のキッズやない」

「なんと御頼もしい。ならば殿、如何なさいますお心算で」


 天彦は立ち上がった。そして愛用の扇子を開くと三つ紅葉を天に掲げた。


「使命優先。それが身共に与えられた天命である」


 皆の者、転法輪家は敵である。

 いっさいの加減、温情は図らずともけっこう。


「はは――ッ」


 天彦は頼もしき家来衆であるイツメンたちの目の前で、堂々誓いを立てるのだった。家来たちも即答で応じて見せた。


 その発言の意味。あまりにも哀しい骨肉の争いの予感を感じながら。


 天彦がまたぞろ消沈していると、ルカが反応を窺がいながらそっと膝を寄せてきた。


「お殿様、火の中水の中、このルカがいつだって御傍にお仕えしておりますよ。お元気をお出しください」

「……そやな。いつだって居てくれるな。めちゃんこ心強う思てるで」

「はい。しかしなぜにございましょう」

「さあな。この世には数式で割り切れぬこともある。きっとそういうことなんやろう」

「……お殿様」


 天彦を取るか己を取るか。一説に公国は実益にそういって迫ったとか迫らなかったとか。おそらくは前者であろう。実益は語らない。天彦も訊くに訊けない。

 だがこの結果以前にあれほどの感情的な態度からすれば、それしか解釈の余地はなかった。お互いに何の利得もない以上は。


 公国と天彦は何かにつけて被りすぎていたのだろう。公私ともに。

 不運と言えば不運である。むろん三条西家の御曹司にとって。

 一門では筆頭席どころか信頼さえ持っていかれ、東宮仕えの侍従としては別当として押さえつけられ、内裏務めの職位でも常に天彦の後塵を拝す結果となってしまっていた。


 だからこそ感情を蔑ろにしてはいけないの悪例として、こうして天彦の前に立ちはだかっているのだろう。

 一家の命運を懸けてまで。己の矜持を優先させて。


 天彦は何となくだがそう受け止めていた。まったく一ミリだって釈然とはしない解釈だけれど。













【文中補足】

 1、東宮坊(春宮坊とも)

 日本古代の律令制において皇太子の御所の内政を掌った機関だが、帝位不在の現在、暫定的な内裏運営を司る機関ともなっている。


 2、三条西公国(1556~数え16)

 物語中の現職位階は従五位下・東宮侍従長(小納言を兼務)。

 史実では正二位・内大臣を極冠とした。














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