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雅楽伝奏、の家の人  作者: 喜楽もこ
十七章 風流三昧の章
286/314

#17 暴く

 



 元亀二年(1571)二月七日






 取って返す刀で舞い戻った北条氏政が帰っていった一刻後。


 伽藍堂を改築した急場しのぎの執務室では、ラウラとルカ、そして是知と佐吉といった文官チームの密室会議が執り行われていた。


「天彦さん。貴方様は善き加減を覚えるべきです」

「お殿様、やりすぎだりん」

「……殿!」

「殿……!」


 ラウラは叱り、ルカは怒った。


 事務方の側近二人は感動の余韻を前後のどちらに置くかの違いだけで、だいたい同じ反応を示している。むちゃんこハズい尊敬の眼差し付きで。

 しかも衒いのないやつ。やーめーてー。と、思わず叫びたくなる赤面ものの。


 要するに天彦はやりすぎたのだ。それはそう。

 石高にして240万石。経済規模でざっと500万石の大大名国主が無条件の白旗を挙げ、織田家にではなく一介の公卿である菊亭家に、建前はどうあれ嫡男を事実上の人質として差し出してくるなど前代未聞。控えめに言っても異常である。


 それも真偽のほど定かではない一通のお手紙だけで。


 だが裏を返せば天彦はその真偽のほどすら超越した、実績を積み上げてきたともとれるだろう。神は言ったに匹敵するほどの実績を。

 要するに天彦は暴き過ぎてきたのである。今回もお節介半分、欲目半分でやはり暴き過ぎていた。


 よって氏政は文に認められた内容が虚であれ実であれ、ともするとそこに重きを置いていないきらいが見て取れた。

 倅を人質として差し出したときの彼の表情は、信頼とは別次元のけれど諦めとはまるで違う、どこか諦観の面持ちを浮かべていたのだ。多くの人がする顔と同じように。そう。寺社に参内し神仏に祈りを捧げるときの表情のような。


 つまり“縋る”が正しいのかもしれない。


「天彦さん。何を認められたのです」

「何をって、別に」

「このラウラにもお話いただけない内容ですか」

「そうやない。ラウラに話せへん内容なんて……」

「なんて?」


 あるかも。


 よくよく考えずともいっぱいあった。


 天彦の名誉のために付け加えるが彼はけっして脅していない。少なくともその意図はなかった。断じて……棒。

 だがある意味ではほんとうで、天彦は武家の怖さをすでに十分思い知っていて、窮鼠ネコどころかトラさんでもドラゴンさんで構わず平気で噛みついてくる。


 故に天彦は一策を講じず単に史実で散々指摘されてきた後北条家の弱点や欠点を箇条書きにして二十条ほど書き連ねて指摘しただけにすぎない。

 尤も悪巧みがどう転ぼうとも恩だけはきっちり売りつけたかったので、父御前である北条氏康の現在進行形であろう病状と年内に確実に発症するであろう病に対する対策を、その病状に特化した医師団の派遣とともに提案しただけに過ぎないのだ。


「こんな感じなん」

「……なんと。馬鹿ですか、馬鹿ですね」

「こっわ」

「……殿!」

「殿……!」


 ラウラは絶句して言葉を失くさず暴言に転じ、是知と佐吉は以下同文。


 ルカは難攻不落の小田原城の弱点を逃走路付きで事細かく指摘している部分に引いた。果てしなく引いていた。

 それは即ち風魔党の部分的離反ではなく、一党丸ごとの離反を意味するから。

 風魔党は内部分裂し一時の射干党のような形で風魔党Bチームが菊亭を頼ってきたというのが触れ込みであった。ところが……。


 一党丸ごととなると話が違う。ルカからすれば脅威以外の何物でもない。

 それでなくともおっかないラウラが敵視している。内紛は理が非でも避けなければならなかった。唯一の拠り所である射干党と、愛するよりも更に愛する主家菊亭の御為にも。


 だが捨て置けない。

 射干党を預かる立場として、この風魔党問題は断固として抗議しなければならない案件であった。


「お殿様、話が違うだりん。そんなにうちが信用ならないですか」

「は? いきなりなんや藪から棒に」

「言い逃れは許さないだりん。どうなのですか!」

「ま、待つん。そんなわけないさんやろ。信用も信頼もばちこりしてる」

「いいえ、それは辻褄合わせのウソ。それを証拠に結果がすべてを物語っているだりん」

「あ、はい。……いや、違くて!」



 ぎろり。……ひぃぃぃ。



 天彦はこれ以上は何を言っても無駄。どう言い繕っても言い逃れに受け取られそうなのでじっと言葉を飲み込んだ。


「お殿様」


 やばい。ルカが本気の情に訴えるお説教モードに入ろうとしている。

 天彦でなくとも部下に責められるのはしんどいとしたもの。とくにそれが異性であり、しかも八割方誤解が由来なら猶更しんどい。


 だが、


「ルカ。貴女も貴女です。そこへ直りなさい」

「え」



 セーフ……!!!



 攻守交替。あるいは天彦は攻めないので単に回避できただけか。

 いずれにせよ救いの女神が降臨した。いや阿修羅か。内面に三面ほどの感情を押さえていそうな気配から。

 今のところ表情はいたって柔和な三面阿修羅が、ルカを名指しで仁王立ちならぬ坐したまま叱責の視線を静かに向ける。


 昨日の敵は一生の敵。公家の情けだ。せめて骨だけは拾ってやろうではないか。御愁傷さまです。

 そっと気配を殺しながらラウラとルカ。主従あるいは子弟のやり取りをアリーナ指定SS席から観覧することにした。お茶請けうまー。


「ルカ」

「お言葉ですが」

「直れッ!」

「は、はひっ」

「よいですかルカ。お前は殿の側近です。求められていることを何と心得ているのか。お前がすべきはひとつ。天彦さんに隠密を打診された時点で最悪の事態を想定しておくべきでした。諫めることができなければ応対なさい。その段階なら対策は立てられたはずです。救いようはあったはずです。いったい何のための御傍衆なのですか! 心構えがなっておりません。今この瞬間より私が叩き直して差し上げます。覚悟なさい、よいですね」



 えぇ……。



 これにてルカのとばっちり死亡は確定した。


「さてお次は」

「ぎく」

「さすがはよい勘をなさっておられます。さあ天彦さん。膝を突き合わせてじっくりとお話合いいたしましょうね」

「えぇ。身共はこれからあれやこれと忙しい身の上やから……」

「黙らっしゃい」

「う」

「その前に天彦さん」

「ん、なにさん」

「貴方は武士もののふの覚悟をいったい何と御心得です。侍の面目。よもや存じぬ天彦さんではありますまい」

「そうでなくとも厳しい駆け引きやったん。ぎりぎりを突かんと……」

「問答無用」

「いや心得を訊ねてきたんはラ――」

「あ゛?」

「……ですよねぇ」

「新九郎殿のあの悲壮感。敵なればよろしゅうございましょう。ですが御味方に取り込まれるのでしょう。それでは人の和はなりませぬぞ」

「あ、はい」


 むろん天彦も。


 導入の段階でボッコボコのメッタメタ。本チャンを想像すると気が遠くなってしまう。


「気配を殺しておる、おのれらも」

「は……!」

「なぜ!?」


 ついでに是知と佐吉も同様。一から心構えを説き直されるようである。


 そして、


「物知り顔の小坊主、貴様もな」

「く――ッ」


 襖を隔てた向こう側で、息を殺して中の様子を窺っていた僧衣の小坊主が襖を開いて顔を出した。いったい誰を相手に潜んでおる心算か。片腹痛いと冷笑されてようやく。


 そう。たった今、たまたま帰参を報告に上がった本因坊算砂である。

 どうやら彼も巻き添えを食ったよう。


 ひと目で状況を察した彼は、辞を低くして挨拶の言葉を述べた。


「お務めを果たし、ただいま帰参いたしましてございまする」

「ご苦労さん。なんやえらいとばっちりで堪忍さんやで」

「……いいえ。何やらやつがれにも関係するようにございますれば。家令殿のご薫陶、ありがたく頂戴いたしまする」


 と、


「算砂殿、お務めご苦労。されど誤解にございます。薫陶などと恐れ多い。行いまするはただのお説教にて。些少なれどこの家令、年の功の教訓がございますれば、側近方々のお心得違い。確と正してみせましょうぞと意気込んでおりますれば、なんぞ不都合でもおありか」

「憎まれ役を買われるご苦労、重々承知しておりますれば。吝かではございませぬ」

「ほう、善きお覚悟で。では。参らせませ」



 おぉ、じんおわ。



 天彦はラウラの売った喧嘩を真正面から言い値で買い取った算砂に恨めしい目線を送る。あのぼけ意地っ張りの感情を付けることも忘れずに。


 こうして大お説教大会が開催される運びとなった。






 ◇◆◇






 元亀二年(1571)二月八日






 日が変わって翌日、昼九つの鐘が鳴る頃。



 天彦はたしかにやりすぎた。然は然りながら、


「策はなった」

「危うい橋を渡ったようですけれど。一先ずはおめでとうございまする」



 おめでとうございまする――!



「ん、おおきにラウラ。皆もおおきにさん」


 会議の陣容を内輪だけの密室から主要な文官と武官を交えた全体会議へと代えて本日、一昨日どうにか外郭だけは形にした大方針を打ち明けるべく、こうして家来に集合をかけていた。

 但し与六他主要なイツメンが欠けているため、二度手間を避ける意味と不平不満の目を詰む意味で、あくまで大題目を掲げるだけにとどめる心算である。


「ご苦労さん。これより菊亭の大方針を訊かせる」


 天彦は今後の方針と起こり得る想定を、自身の立てた推測として話して聞かせた。


 施政方針を大きく変えた。180度の大転換といって差し支えないだろう。

 三国三つ巴政策から中央政権一国政策へと大きく舵を切り替えたのだから。軸はむろん織田家だがそこに上杉家も添えると告げる。



 お、おおぉ………………ッ!



 えっっっげつないどよめきが巻き起こった。


 それはそう。天彦が言わんとしていることは即ち、自身が天下人を選定する天下人メイカーたることの宣言に他ならないから。敢えてキングメイカーとは言わない。キングとは王や皇帝を指す言葉だから。天彦はあくまで帝のしもべ。そのスタンスは崩さない。



 閑話休題、


「殿が本腰を上げられた……!」

「我らの悲願が!」

「苦労がようやく報われるのか」

「何と素晴らしい」

「おお、殿!」

「いや天邪鬼な殿のこと。まだ油断はならんぞ」

「儂もそう思う」



 お前とお前、あとでしばく。



 若干名を除くと、概ね驚天動地の感動の場面であった。

 ほとんどの家来たちからすれば嬉しいやら驚きやらで、感情が処理しきれなくて尤もだろう。

 評定での私語厳禁は当たり前。常なら秒で咎めるだろうラウラも目を細めてこの状況を歓び、しばらくは成り行きに任せるほどで、彼女自身も感慨に浸っている風だった。ルカも同様に。


「……」


 そのどよめきはやがて沈黙へと姿を変え、最後には痛いほどの視線となった。そしてすべての意識が天彦の次の発言へと全集中されていく。


 だが天彦はとくに取り立てることもなくさらっと話を進めていく。

 それもそう。天彦からすれば何を今更。なのである。

 結果は別として、天彦はずっと自分が天下人メイカーであることを自負して行動してきた。自惚れではなく日ノ本への御奉公の一心で。

 だからこそすべてをそこに集約させてこの生き馬の目を抜く戦国をしぶとく生き足掻いてきた心算である。


 でなければこう粘り強く泥臭く応接はしてこなかった。本来の彼はせっかちである。けっして我慢強くもなく。

 ましてやライフスタイルは真逆。しゅっとしてスタイリッシュに生きたい派なのである。何ならプライドで飯を食えるのなら誰にも頭を下げたくないほどの自尊心の高さだってある。


 スタイリッシュに生きることが可能な公家に生まれ、今や藤原氏長者にまで上り詰めている。誰が好き好んで危うい橋を渡るものか。

 それでも這いつくばり遜り馬鹿になってみせるのも、偏に日ノ本のことを思うから。……とか。


 むろんだがちょけはする。ふざけもする。それは欠かせない。もはや一種の病なので。


「ええか、お前さんらが訊いとかなあかん話はこっからやで」

「ははっ」


 内裏対策並びに公家工作は依然として変更なし。雪之丞(別当)を軸に据えた東宮家(主に奥向き)対策であり、阿茶局の動向は常に目を光らせておくように。 

 公家対策も同様に三介主軸の松殿家再興と数の有為戦法の力押しを推し進める。よって他家の動向は遅滞なく観測しておくように。


 とくに大臣家以下の貴族家の動向には注意を払って応対せよ。

 策成れば今後は中央政権が絶大な権力を揮うこととなる。延いては公家が中心となる公家政治の世となるだろう。故に気を配らなければならないのは武家の動向。公家家の取り込み買収を測る武家が現れること必定である。


 だがそれは許さない。菊亭が目指すは単なる血筋、家紋による砂上の楼閣政治に非ず。

 暴力によって現状を無理やり改変してしまう武力統治の廃絶は必須。公武は厳密に分け隔て、公家による公家政治を目指していく所存。くれぐれも留意されたし。


 天彦は言外に統一新法の発布を宣言した。


 但しむろんだが理想達成のための武力行使は容認する。自衛のための武力行使も同様に。無能な己を自嘲しながら。


「これまではええさんやな。ほな質問を受け付ける。初めにルカ」


 菊亭評定名物、質疑応答。

 疑問は元より提案まで、評定に参加する一同が積極的に発言するのが菊亭スタイルであった。むろん上意下達が当たり前の他家では先ず見られない。


「はい。九州は如何なさいますお心算でしょうか。当初は三河守殿を国主に据えるお心算にございましたが」

「捨て置く」

「え」

「流れ的に三河守さんが治めるやろ。と申した方がええようやな。そういうことや」

「なるほど。三河守殿ならお殿様の意に沿わぬはずがないと」

「違う」

「え」

「誰が治めても問題ない。と申したんや」

「あ、ぁ……」


 誰が治めても攻め滅ぼすお心算なのですね。


 ルカの瞳の問い掛けに、天彦は小さく首を縦に一度だけ振って答えた。

 多くが息を呑むかな、天彦は構わず視線を次の挙手に向ける。


「是知」

「はっ。文官を政策ごとあるいは案件ごとの担当制にするのは如何にございましょう。さすれば長期的に見ても更に密度の高い応接が可能となるのではと愚考いたしまする」

「縦割りか。権力を集中させて何とする気か」

「くっ……、何の存念もございませぬ! 某はただひたすら殿の御為に――」

「ふっ、冗談ねん」

「っ……」

「将来的に当家が栄えた場合、この体制は他家にも採用されるであろう。なればこそ、おっそろしい弊害をはらむ危険な案やが、……ん。是知、政所扶であるお前さんの顔を立てて、その献策、採用したろ」

「……殿!」

「喜ぶのはまだ早い。その適材配置、言い出しっぺのお前さんがあたるんやで。むろんすべての責任も取る覚悟を以ってな」

「ははッ! お任せください。身命を賭して事にあたる所存にございまするッ」


 是知はいつも以上に気勢をあげて奮起を体現してみせた。ともすると強がりが煤けてみえるほど。

 さぞ生きた心地がしなかったことだろう。真意をああも見透かされてしまっては。


 重鎮であろうと古参であろうとなかろうと。

 善きにつけ悪しきにつけ、お互いに常に気を張る間柄。それが戦国元亀の主従関係なのであった。


「時は満ちた。京に参る」



 ははぁ――!!!



 伽藍堂の大黒柱が揺れるほど、あるいは京の町を揺るがすといっても大袈裟とは感じないほどの。

 一門衆があげた気焔の雄叫びは、凄まじいまでの覇気(使命感)を帯びていたのであった。

















 17章 これにてお仕舞い。お付き合いくださいましてさんきゅーありがと。









やっとこさ京都。


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