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雅楽伝奏、の家の人  作者: 喜楽もこ
十七章 風流三昧の章
283/314

#14 庫裏、にわか仕立ての悪巧み

 



 元亀二年(1571)二月朔日






 風が冷たく息が凍る。寒さで命を落とす者が少なくない冬である。


 だが平和。この元亀二年は戦乱著しい戦国の世にあって、唯一と言ってもよいだろう穏やかな時の流れる年度だった。

 むろん極地での諍いは尽きないものの京目線では平和である。何しろ信長が公家救済に多くの経済政策を打った年でもあるのだから。例えば貸付米の金利をすべて公家の収入としただとか。このように公私ともに京に平穏が戻ってきたと予感させる年であった。天台宗を除いては。


 天台宗にとっては最凶の年、受難の始まりの年となってしまう。そう。史実における比叡山焼き討ちの年である。

 だが雅楽年表ではすでに発生していて、被害も軽度で済んでいる。むろん延暦寺も健在。問題なく本堂は再建され薬師如来を祀り一隅に照らしている。


 だから貸しがある。天彦は言い放つ。

 それはあまりに発想の飛躍だろうか。あるいは難癖、言いがかりの類となるのだろうか。なる。100%なる。

 だが天彦の中では紛れもない事実。故にどうやって銭を引っ張ろうかと悪い顔で算段する。


 そんな天彦は史実年表を脳裏に思い描きながら、たった今入室してきた新顔家来、水平方向に恵まれた体形のすっとこどっこいおっちょこちょい君の失態に、思い切り舌打ちした。


「なぁルカ。身内採用はふつう有能としたものなんやで」

「っ――、わたくしが全責任を負いますのでどうか」


 茶をぶちまけ、あたふた焦ったのだろう。自身も転倒してしまい柱に額を打ち付け悶絶する彼は、あるいは未来の現代でも十二分に通用する天彦目線での超絶イケメン君であり、髷を結うのにそうとう手古摺るだろう頑固な天然パーマが特徴的なイケメン君なのである。つまり紛れもなくルカの血筋の者だった。


 結論、ばりきつい。


 戦国におけるドジっ子は長生きできないとしたものだった。


 未だあの乱破の件でチキンハートを傷め中の天彦は、人事採用にもナーバスだった。とくに顔と名が一致する者は慎重にならざるを得ない。


 侍臣テスト採用三日目。ルカのことを思うと愛ある不合格、あるいは解雇が最善だろう。

 ルカにとっては数少ない信が置け頼れる血族だとしても、天彦にとってかなりのストレスになることが容易に予想される以上は。


 だが天彦は何を思ったのか彼をじっと注視した。


「あ」


 発声とともににやり。なにかを発見してしまう。

 即座に、


「誰か、工房に報せよ」

「はっ。いずこの、にございましょう」

「メガネ工房に決まってるん」

「はっ、ただちに」


 用件を聞き届けた是知が自ら静かに走り去った。


「ルカ。あれの目さん、見えてへんねやろ」

「へ」

「どう見ても可怪しい。ほれ見てみ、用人にまで頭を下げて。どう見ても可怪しいやろ」

「あ」


 射干の菊亭家内における家格は高い。要警戒対象だが家格は高い。そんな矛盾を抱える射干党だが、中でもルカに限っていえば序列は堂々の二位である。

 彼はその従弟。この血縁が物をいう戦国元亀にあって、少なくとも現地採用の用人にぺこぺこと頭を下げる格ではない。


 即ちその心は。彼は近視である。それも裸眼では生活に難を抱えるほどの極度のやつ。


 ではなぜルカが気付かなかったのか。おそらくだが彼は勘がいいのだ。世界を漠然と捉える勘がいい。別の可能性として、ルカとそれほど接点がなかったか。おそらくだがそのどちらもだと思われた。


「いつ湧いた血縁や」

「……堺に参ってからにございまする」

「なるほど。不意に現れた父御前のか」

「御明察にございます」


 血縁を頼るのは自然である。捨てた親が子を頼ってくるのは稀であっても、天彦とて嫌と言うほど経験してきた。命を脅かしてきた義母ですらいまだに成敗できていない。弟の実母であるから。愛する弟ちゃんに恨まれたくない一心で。


 血縁とは非常に頼れる反面、別のベクトルの難しさも抱えていた。とくにメンタルの面で。

 よってこれ以上詮索しても仕方がない。ルカとて人の子。それが知れただけでも収穫であると考えて。


「ルカ。傍に置くことを許す」

「え」

「なんや、嬉しないんか」

「いいえ! ありがたく存じまする。今まで以上に忠勤に励みます」

「ん。でもな」

「はい」

「口調は戻そうか。なんや調子がでえへんし」

「はいだりん」


 それでええさん。


 天彦は快く了承した。見たかったのはルカのこの笑顔。それだけでこの採用には意味があった。

 天彦は内心で彼の活躍と無事をささやかに願いながら、今後絶対にこう呼びつけるだろう彼の愛称を口にした。


「メガテン」


 と。


 むろん欠点の揶揄ではなく個性に対する親愛の情を込め……、いやいや弄ってますやん。完璧に。

 己はちびと揶揄されようものならたちまちぶちキレるくせに笑。発育不良と担当医に事実を指摘されただけでばちキレるくせに笑笑。



 閑話休題、

 元亀二年はある意味で、天彦が穏やかにいられる最後の年でもあったのだ。


 それを伴天連どもめ……!(棒)


 二割以上は難癖が押し付けられた義憤に駆られつつ、世界史に目を向けてみると元亀二年は歴史の大転換期でもあったのだ。

 この年ポルトガルは長崎横瀬浦に商館を設置し、本格的な日葡貿易を開始する。即ち南蛮貿易の本格的始動の年であり、日本銀の大量流出の始まりである。あの苛烈で卑劣な奴隷貿易、語るも反吐が出る人身売買も隆盛を極める年でもある。

 むろん日ノ本も部分的には恩恵(生糸・絹織物)を受けたが、総体的には国家資産の大流出に決まっていた。


 銀流出に関しては天彦が歯止めを利かせた心算だが、こうなってくるとかなり怪しい。どこの勢力ということではなく、やはり外国人勢力の物が癌なのか。

 そう思わずにはいられない惨状が天彦の目の届く範囲に広まっていた。あるいは広まっていく予感がした。


 ポルトガルに2リーグ(11キロ)の土地を与えた大村純忠にはじまり、島津、松浦、大友、そして博多と。

 日に日に南蛮貿易で力(経済力・武力)を付ける九州情勢にあって、あの手紙公方でお馴染みである足利義昭公の一斉メール配信が再開されたとも聞き及んでいる。


 だが、


「果たしてそうかな」


 大村が与えた土地は一部天彦の御料地とも抵触している。あそう、早くから押さえていた信長公に領有を認められたあの彼杵半島にしそのぎはんとうにある漁村である。


 そこから贈られてくる魚に目がない。


 天彦は嘯いた。あるいはその漁村が上手いこと2リーグに抵触しておらずとも許可は必ず必要である。絶対のマストで。

 なぜなら自分は菊亭天彦だから笑。それは粋りすぎでも権大納言を約束された丞相予定者なのだ。勝手は許さぬ。


 と、天彦はここでもまた難癖気味にこじ付けてこの問題にいっちょ噛んでやろうと目論むのである。


「うーん、そやな。佐吉」

「はっ、ここにございまする」

「茶屋を寄越したってんか」

「はっ直ちに」


 茶屋を呼びつけて悪巧み。


 だが貿易で富を築いているのは大村を始めとした九州勢ばかりではない。噂によると奥州でも何やらいろいろとお盛んであるとかないとか。

 いずれにせよ善悪ではな。適否の問題。なぜならそれらすべての貿易に規定はなく、すべてケースバイケースでの商取引だから。

 つまるところ日ノ本の富が流出していることは、天彦の低い目線でさえ遠くを見渡せるほど明らかであった。


「なんか腹立つ」


 倫理ではなく私心として、この流れはその一言に尽きたのである。


 所詮は他所様のお財布事情だ。あ、そう。放っておけばよいのだが、妙にこの流れ、天彦の感情の柔らかい部分を突いてくるからおもしろくなかった。


 ポルトガル貿易を取り仕切っているのは元商人であり現イエズス会宣教師ルイス・アルメイダ。

 天彦は面識あるその人物の面相を思い浮かべながら筆を走らせる。そのアルメイダ神父に宛てて。


「我ながらわっる」


 目下ポルトガルとイスパニアは熾烈な覇権争いを展開中であり、天彦は縁あってイスパニアに軸足を置いているのだが、どうやら考えを改めなければならない時期に差し掛かっているようであった。




 ◇




 妙国寺伽藍堂。そこを改造して間借りしている執務室にて。

 天彦はすっかり居ついてしまった心苦しさを感じたり感じなかったりしながらも、ルカが手ずから点ててくれた茶の香りを鼻腔いっぱいに吸い込んでいた。


 と、そこに、


「殿、申し上げます」


 するとどこからともなく声がした。

 ルカの心底厭そうに顔をしかめる表情を見つめたまま天彦は心静かに待ち構えた。

 可能性は二択である。なぜなら小太郎には三介救出を命題として達していた。

 故にこの帰参はデッドorアライブ。

 高鳴る鼓動。逸る感情。適温なはずの室温がやけに熱く感じてしまう。気づけば手汗はびっしょりで、もうすでにインナーは濡れていた。


 ネガティブはダメ。


 しなきゃいけないことを粛々と熟す。しなくていいことはしない。

 身共はシンプルに生きるんや。それがこの痛い時代を生き抜く、たった一つの冴えたコツ。


 自らに、取って付けたありもしない流儀を言い聞かせて覚悟を決めた。


「よろしいですかな」

「待て、あてるん」

「はっ」

「……見つかったん」

「はっ然様にて」

「ま……!」

「おめでとうございまする。三介様御無事との一報、先ほど舞い込んでございまする」

「どこや! 誰が助けたッ」

「はっ。何やら外洋を航行中の外国商船に拾われたとか」

「……嗚呼、茶筅」


 天彦は咄嗟に立ち上がり、だが次の瞬間膝から崩れ落ちてしまう。いわゆる腰が抜けたかのように。


「殿」

「おおきに」

「よかっただりん。やっぱり殿は幸運だりん」

「よせ。よくて悪運。尽きんことを願うばかりや」

「まあ」

「ちっ、身共のいっちゃん嫌いなやつや。三介はやっぱし野生の天才ねん」

「まあ、なんたる強がりを」

「強がりちゃう。本心ねん」

「うふふふ、ではそれで」

「でゅふ。ほな、これで」



 くくく、あはは、うふふふ、あははは、わはははは――。



 二人の笑い声はやがて掛け合いのように大笑いへと姿を変えて、伽藍堂執務室に木霊する。


 お殿様……。


 天彦の口から減らず口が出た。強がりではないバカ笑いも。

 ルカは天彦のいいときのバロメーターを感じたのだろう。彼女には珍しく涙を流すほど笑いこけるのであった。


 と、笑いの掛け合いも一入、そこに佐吉が姿を見せた。


「殿」

「どないした佐吉」

「はっ、相模守様、御来訪の先触れをお寄越しになってございまする」

「自ら参ると」

「はっ、然様にございまする。何やら山上殿を帯同させております由にございまする」

「ほう薩摩屋さんを。左京太夫さん、いよいよ痺れを切らせたか」


 それはそう。居留守を決め込むこと延々。相手は戦国武将なのだ。いつまでも京に逗留していられない。

 むろん天彦はその“いつまでも”を狙っていたのだが、事情が変わった。

 とくに薩摩屋の同席は渡りに船と言ってよかった。


 助かるぅ。


 やはりルカの指摘通り、自分はついているのかも。

 そんなことを楽観的に思いながら、


「そやなぁ。あおかぁ」

「はっ」


 模様を張るのは何も算砂だけの特権ではない。


 すると天彦は得意満面、佐吉ですらつい目をそむけたくなるだろういい(悪い)顔でにやり。何かを思いついたのか、愛用の扇子でぽんと一度掌を打った。

 そして意識してかそれとも無意識にか、でゅふと愉悦の笑みを漏らすのであった。


 そして感じるままに筆を走らせる。


 織田家外交の肝である祐筆・明院良政に宛てて。

 この明院良政なる人物は主に内裏とのつなぎ役で知られている、目下信長が重用している祐筆の一人であった。


「でゅふ。急ごしらえにしては上出来なん」


 我ながら自画自賛。


 その表情たるや。お馴染みのいい(悪い)顔である。即ち凄惨あるいはこの世のお仕舞いとでも表すやつ。


「ちと面倒やが、お遣いさん頼まれてくれるかぁ」

「はっ、確と承ってございまする」


 いずれにせよ後北条の御曹司が自ら乗り込んでこられたことを確実に後悔することを予想させる面相で、佐吉を遣いに走らせるのであった。














【文中補足】

 1、山上宗二

 薩摩屋の店主。利休の高弟であり堺の豪商。小田原(後北条)との繋がりが深いことで知られている。



 お詫び。

 作中、天彦の職位を亜相だとか太政大臣だとか書いているような気がします。

 気がしているだけなのでどこ部分かは探せていません。ひえっ。

 気のせいであればよいのですがおそらくきっと書いてます。この場を借りてお詫びします。ごめんね。


 ただしくは権大納言。唐名は亜相あしょうです。←自分用











やっぱし物理でなくてもしばくのはなしでお願いします(๑>؂<๑)


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