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雅楽伝奏、の家の人  作者: 喜楽もこ
十七章 風流三昧の章
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#13 忍び寄る宿痾

 



 元亀二年(1571)一月二十七日






「申し訳ございませぬ」



 ルカは平身低頭、謝意を示した。


 天彦は美しい所作で叩頭するルカの頭頂部お見つめながら、ため息をひとつ。そしてぐるぐる巻きになっている自身の左腕に視線を移す。


 迂闊であった。

 射干はアイコンではないのだ。いやあるいはアイコンだとしても、それを形作るドットには一つ一つ、確かな意志が宿っている。

 天彦ははっきりとそのことを抜け落としていた自覚があった。それとも舐めプしていたのかも。それほどの痛恨の出来事だった。


「面を上げよ。これは想定された事案やった」

「ですが」

「もうええ。相談できんかった身共にも咎はある」

「申し訳ございません」


 ルカは再度謝意を口にすると深々と額を床につけてお辞儀をした。


 昨夜、天彦は襲撃された。門外不出の榴弾が天彦の寝所に放り込まれまんまと大炸裂を起こしたのだ。

 天彦は涼しい顔で座っているが、十七名にも及ぶ死傷者を出してしまった大惨事であったのだ。ルカの猛省も尤もである。


 そして天彦も負傷している。榴弾の破片の直撃を庇ったその左腕に浴びていた。といっても三つほどだが。そのほとんどは身を挺して庇ってくれた昨夜の夜警供廻りが身代わりとなって浴びてくれた。


 一夜明けた現状、まだ伏せられてるが控え目にいって一大事である。

 ともすると中央政権を揺るがしかねない、あるいは織田家をも巻き込んだ特級の事案となって都を震撼させるほどの。


 だが天彦に事を荒立てる心算は更々なかった。


『あっ晴れお見事や。気をしっかりな。お前さんの傷は浅いで』


 天彦の身代わりに盾となって榴弾の直撃を食らった風魔党の若き乱破は、天彦の気休めの言葉を耳にしたからなのか。どこか誇らしげに『誉れにござる』言い残すと、静かに息絶えたのである。


 名すら聞けず仕舞い。天彦はその小さな胸の中で初めて人の最期を看取った。

 だからなのか特別感たるや筆舌に尽くしがたく、あの名も知らぬ風魔党の若衆の気高さに報いてやりたい感情は、これまで覚えてきたどんな感情よりも強烈であった。


 だからこそ許せない。イエズス会も己自身も。


 イエズス会を煽ったのは自身であり、事前にルカに相談しなかったのも天彦の手落ちだった。

 射干が暴走することは事が起こった今ならば、容易に想像できてしまう。それこそ鉄板案件なのだ。何を迂闊な。


 きちんと用意していれば逝かなくてすむ命もあったかも。いやあった。


 天彦はこの痛恨を腐らずに教訓とした。

 その一方で、風魔党の若衆の死も痛恨だが、もっと痛い事故もあった。あの新十郎が負傷していたのである。ある意味では新十郎の負傷こそ痛恨の極みなのかもしれない。

 医師の見立てでは全治一か月。しかも気合と根性が専らの武門の師弟であることを織り込んでの一か月である。つまり通常なら三か月。紛れもない重症である。


 天彦を咄嗟に庇った彼は背中に炸裂榴弾の破片の直撃を食らってしまっていた。

 新十郎には母方京極氏の分家として、尼子を復興させ菊亭印の御旗を掲げ西国で暴れてもらわなければならなかった。その予定がすべて狂う。


 それら襲撃事件の下手人がどうやら射干一党の者だったらしく、首実検で明らかとなっていた。

 故に表向き射干を率いる当主ルカがこうして謝罪に赴いていた。

 ラウラはあくまで菊亭家の家令。そのテイを貫くため、天彦はラウラの謝罪を許さなかった。

 ラウラもそのことを承知していて公の謝罪はしていない。だが裏では涙ながらに天彦の身を案じ痛いほど謝罪の言葉は残している。そして目下は党紀粛正のため駆けずり回っていることは明らかだった。


 下手人は自害して果てているため、背後関係は明らかにされていない。だがさして難しい謎解きではない。想像力を働かせずとも状況的に、熱狂的信徒の暴走が妥当であろうから。

 あるいは教会からのそそのかしだとか細々した理由は多々あれど、結果としてはその辺りに落ち着くものと思われた。


「まあ膿みを出しきれたわけやが」

「……お殿様」

「わけやが」

「あ、あぁ」

「そないしてくれ。な」

「お殿様ッ」


 あくまで想定の範囲である。


 天彦はその苦しい主張を一貫して曲げなかった。故にお仕舞い。

 木っ端みじんになって風通しと見晴らしがよくなってしまった禅堂の一角を見ながら思う。切実に思う。


 この件で誰一人、腹を召す者があってはならない。と。


 天彦は珍しく一切の助言に耳を貸さない難くない態度で臨んでいた。


「二度とこのような間違いは犯しませぬ。お殿様に頂戴したご温情、このルカ生涯けっして忘れませぬ」

「ん、それでええさん」


 ならばお仕舞い。過去の話はこれまでとし、天彦は彼女がここへ来た本題を促す。


「ほなルカ、用件訊こか」

「はい」


 斯斯云云。


 ルカは昨日のラウラとの会談内容を、ラウラの真意が見抜けない意図だけを伏せて、それ以外はすべて詳らかにして打ち明けた。


「――ということにございます」

「なるほど母御前の御実家が糸を引いたか。しかも近江商人まで……」


 取り込まれているとは。予想外の事実に天彦は絶句した。その怜悧な双眸に落胆の色を隠さずに。


 生駒家にはもちろんだがやはり一番は当事者。天彦は三介に落胆する。


「いざ参れ! ――とはならんやろ。いやなるんか。身共はどうも武家の志向性が理解できんようや。どないさん」

「いいえ。なりませぬ。愚かすぎます」

「さよか。理解に齟齬がなくてよかったねん」

「はい。ですがこの問題……」

「根は深いか」

「はい御慧眼にあらせられます」



 ルカは余所行きの言葉で同意する。


 生駒家はそれほど要職を担っている重鎮家。次代の当主を輩出するだろう生家でもある。その観点からイエズス会の浸透が想像以上に根深いと警戒の色を滲ませるのだ。信心深いルカでさえ。


「織田さんちの問題は織田さんに任せるしかないか。……しかし近江は捨て置けん。近江界隈がそこまで浸食されているとは。これはちょっとしんどいぞ」

「もしやお心算が」

「盛り盛りてんこ盛りやな」

「あら」

「痛すぎるん」

「お殿様にも想定外がございますか」

「あるやろ。そんなもんなんぼでも」

「またまた御謙遜を」


 舐めすぎねん。いつだって場当たり対応に決まってるん。


 むろん謙遜などゼロである。天彦はそんな内心の不甲斐なさを隠しつつ思う。

 銭至上主義であり常に玉虫色の堺商人ならいざ知らず、あの独立不羈の色濃い近江商人が取り込まれているなんて。まさにおっ魂消である。


「おおきにさん。ときにルカ」

「はい」

「ラウラはそれをよう明かしてくれたな。それも風魔党の助力を得たなどと」

「……なぜにございましょう。我々と風魔はたしかに昵懇とは言い難いものの同じ主家をお支えする相識以上の間柄にて、至極当然かと思いますが」

「ほならもっと当然の顔したってんか」

「う゛」


 図星すぎた。だがルカはその突かれた図星をもみ消すように執拗に天彦に答えを求めた。


「何故にございますか!」

「なにゆえってそれは……」


 天彦がラウラなら風魔党を潰す口実に使うから。絶対に。


 この問題はそれほどにナーバスな問題をはらんでいた。


 何しろ最後には必ずあの魔王様が出張ってくること請け負いの、必至級特大地雷案件だから。何を隠そう天彦でさえ触りたくない。訊くのも実は気が引ける。


 然は然り乍ら話を戻すと、


 第一に目障り。射干と風魔は領分が重なりすぎていた。

 第二に家内における裏切り者意識を払しょくするために。なりふり構わずするだろう。天彦がラウラならば。

 やりようはいくらでも思いつく。何しろ案件が案件だけに、いくらでも持って行きようがあるように思える。例えば風魔党の捏造を叫び、声高に糾弾するだとか。あからさまにしたくなければ織田に近しい者にそれとなく囁くだとか。


 たったそれだけで風魔党の存在は魔王に認知され、そしてそれはよくない方向に悪印象として印象付けられていくだろう。

 少なくとも天彦が本気ならそのくらいは普通にするし、ラウラがその気になれば天彦とて問題視する程度には取り上げざるを得なくなる。


 むろんその対策はすでに用意しているのだが。

 あの胸に抱いた温もりに懸けても、風魔党は今後一層重用していく。それとは別に小太郎の働きも申し分ない。


 ところがラウラはしないようだった。ならば天彦から話すことなど何もない。

 天彦はうふふと笑うにとどめて回答を有耶無耶にした。


「お殿様は意地悪だりん」

「おまゆう」

「いけず、おバカ、ひどいだりん! この分からず屋のちびすけッ」


 低身長キッズだとぉ。

 ここぞとばかり悪口を……、しかも触れられたくない。まあええとしよう。ルカの冗談がまだ固いし。


 風魔党当主小太郎とはそれほど厄介な相手なのだ。逆に言えばそれほど頼もしい人材なのである。今は殊勝にも辞を低くして埋もれているが、いずれ確実に馬脚を現し頭角を現わせることは間違いなかった。

 何を隠そう天彦こそが小太郎のその日が来るのを心待ちにしている筆頭格なのだから。

 即ち小太郎を一門に迎える。それが天彦の誰にも明かしていない秘中の秘の腹案であった。


 閑話休題、

 故にその応接は天彦の知るラウラ像からは少しずれて感じてしまう。だからこそ問い質したのだが。


「誓って当家のご当主にそのような存念はございませぬ」

「当主ではない。ラウラは菊亭の一門衆。そこをけっして間違えるな」

「は、はい。家令様にそのような存念はございませぬ」

「ん、さよか」


 違ったようだ。だが果たしてそうなのだろうか。


 天彦は怪訝におもいつつも自分の鉄板よりも猶鉄板の、当たる悪い方の勘もときには外れる。こともある。その事実を教訓にこの話題をお仕舞いとした。


 ルカの主観含みの報告が正しいのなら、伴天連勢力は天彦の予想を超えて人々の暮らしに深く根差しつつあるようであった。

 だがそれが民意であり延いては天意ならば是非もない。

 一介の貴種でしかない天彦に何をどうこうすることはできない。思うところがあったとしても。


「破却を急がせるか。それには予算が……」

「かなり激しい抵抗もございましょう」

「やろうなぁ。となると武力も必要か。どっち転んでも銭が要るん」

「はっ」


 とか。


 素知らぬ素振りをしてみても。やはり結局動いてしまう。それが菊亭天彦なのだ。

 場所を京へと移さずとも、もはや行っていることは西園寺内閣のそれである。

 天彦は自分自身の律義さに自嘲の笑みをこぼしつつ、思考をもう少し掘り下げる。



 結論、みーんな氏ねどす。知らん知らん、ぶっ壊れろ。



「お、お殿様がオコだりん」

「黙れ」


 オコだった。


 一番は自分自身に。だが少なからずこの現状を放置している時の政権担当に対して密かな怒りを覚えていた。いやもはや密かではないだろう。


 だからどうなるわけでもないのだけれど。


 ならば織田家を挿げ替えるのか。他ってどこ?


 上杉家、徳川、まさか惟任。


 阿呆かと言いたい。魔王以外に適任者など存在しない。


「奥州より林檎の献上品があった。いっしょに食べよ」

「奥州とも繋がっておられますので」

「ないしょ」

「いけず!」


 うふふふ。


 天彦はいい(悪い)顔で嗤い侍女を呼んだ。














【文中補足】

 1、宿痾

 いつまでも治らない病。または慢性的な持病。



何も悪いことしてないのに。……まだ笑笑

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