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雅楽伝奏、の家の人  作者: 喜楽もこ
十七章 風流三昧の章
279/314

#10 和のこころ

 



 元亀二年(1571)一月二十四日







「では、織田家忠信派は関係しておらぬと、算砂はそう申すんやな」

「少なくともやつがれは関与していないさ」


 大胆かつ慎重に。天彦は算砂の瞳の奥にある真実の色味を覗き込む。


 結論、わからない。

 わかったら苦労はない。とくに本因坊算砂。彼の表情は難解だった。


「お前さん以外に策士は」

「ごろごろと」

「……いそうやな」

「ああ、織田家は存外懐が深いよ」


 デスヨネ。


「信じてええさんやね」

「我が身を半身と思召せ」

「それは厭やろ」

「ふっ、なら好きにしなよ」


 する。しよう。するしかない。


 一度信用したならそうあるべきなのだ。でないと神経戦で心がもたない。


 だがこれで危惧していた筋は一応消せた。ならばやはり貴族派の陰謀か。

 あるいはそれとも。

 天彦はあるいはそれともの方の可能性を色濃く疑いながら、首を長くして茶筅救出の吉報を待った。


「では御前、失礼するよ」

「ん、頼んだで。あんじょうやったってんか」

「ああ、任された」


 そんな妙国寺にあって菊亭家の面々はそれでも何かと忙しく、業務に追われ忙殺の日々にあるのは当主である天彦も同じこと。

 友を想う天彦の元には多種多様なレイヤーによる種々な仲裁案件が舞い込む。

 例えば上は上意御綸旨という名の東宮正室阿茶局の愚痴から始まり、下は目安箱に投函された民草キッズの揉め事まで。


 天彦は決まって思う。

 プラットフォームが違うだけでそもそも同じ民族。仲良くやれないものかね。と。

 そんな戦国一の揉め事らーは、公正な目(笑)を信条に今日も今日とて仲裁依頼をこなしていくのだが。


「いや、知らんて!」


 本日は飛び切りの“いや知らんて”案件が持ち込まれた。それも二件も。


 まず一件目、それはまさしくいや知らんて。

 何しろ文に認められている差出人の名はフランシスコ・ガブラル。言わずと知れたイエズス会宣教師。彼は目下の日本布教区責任者である。

 その彼がかつて面識のあるグネッキ・ソルディ・オルガンティノとロレンソ了斎(日本人宣教師)の紹介状を添えて、土着宗教との軋轢を何とかしろと仲裁を申し出ていた。


 だが天彦からすればそれが誰様の紹介であろうと、いや知らんて! なのである。

 よもや宗教の、それも外国の揉め事まで仲裁させられるとは思いもよらず、さすがの天彦も呆れ果てる他ない。普通に考えて各方面に気を遣う越権行為も甚だしい案件であった。


「……あ。知ってた」


 が、天彦はこの瞬間、何かに気づいてしまう。あるいは勘づいてしまった。


「徳蔵屋をこれへ」

「はっ、直ちに参上させまする」


 天彦は瞬時に判断し社外取締役オブザーバーを呼びつけた。

 なぜなら徳蔵屋を隠れ蓑にして販売しているメガネがベネチアングラスの特許に抵触していると訴えがあったからだ。

 これは断じて誓うが天彦は承知していなかったこと。この問題は中央政府の二重三重の権力構造にこそ瑕疵があった。いや言い訳ではなく。

 天彦はきちんと調べた上で座に確認を取っていた。その上でいけると踏んで参入していた。

 だが、だから知らんし。では通用しないのがこの世界、この時代なのである。


 よって何らかの対応はしなければならないのだが、それはさて措き、この徳蔵屋印の視力矯正メガネは売れていた。いや爆売れしていた。しかも極めて高値のものほど飛ぶように売れた。


 故にもはや手放せない。天彦の菊亭、ともすると命よりも何よりも銭がしこたま必要である。


「殿」

「なんや是知」

「徳蔵屋は今、越中に参っておりまするが」

「ちっ、空気読まんかい。使えん小悪党やで」


 高利貸しの風上にも置けんとか何とか。


 むろんぜんぶ無茶である。なにしろ徳三、その空気を読んで買い付けに奔走しているのだから。

 しかも今回の案件では、名前貸しどころか無許可使用されている半造からすればたまったものではないだろう。が、仕方がない。今や菊亭と徳蔵屋は一蓮托生の仲なのだから。あるいはそれが実らぬ恋。一方通行の片恋だとしても。

 徳蔵屋の菊亭(天彦個人への貸付を除く)に対する貸し付けは、すでに何某万貫を超えて、もう取り返しのつかない額に及んでた。


「しかしこの伊太利亜伴天連さん、……」


 きのう生まれたん?


 たしかに他人の茶碗(ベネチアングラス利権)に手を突っ込んだのは天彦である。だがここはそもそも日ノ本である。在留外国人に好き勝手銭儲けをされる謂れはない。

 そもそも論、やつらは税を納めていない。税も納めず権利を要求するとは何某千万。許せないよ。あるいは織田の代官らに鼻薬くらいは嗅がせているのかもしれないがそれは預かり知らぬこと。つまりノーカン。


 一方ならば対する天彦が納めているのかといえばそれも言葉に詰まってしまうがそれはそれ。自分は徴収する側の立場の人間だと居直って、事の本質に目を向ける。


 ぽつり。


「こう真正面から喧嘩を売られたのは、どないやろ。かつて記憶にないさんやなぁ」


 尤もらしくつぶやいた。


 あくまでテイで。あくまでスタイルとして。あるいは煙幕の意味合いで。


 すると、


「おお、お殿様がオコだりん」

「ささ、みんな散って掃けて。見ても触ってもなりませんよ。面倒なことに巻き込まれたくないでしょう」

「いいや、あれは違います。絶対に何かを企んだはるときのお顔さんです」

「あ! 違う。あれは誤魔化すときの顔だりん」

「ルカ、それや」

「それですね」


 ルカが茶化すとラウラが乗っかる。そこに茶化しも乗っかりもしない真顔の雪之丞が参戦し、新たな流れを作り出す。



 おいコラ、訊こえてんぞ!



 天彦はそんなすべての不利を一蹴して、誰が誤魔化しとんねん。

 ルカとラウラ、そして雪之丞に真意を見抜かれた内心の動揺を隠しつつも無視を決め込む。


 なぜなら実は案外笑えない挑戦状だったのである。


 案件の本質に戻る。訴状の差出人の人物がよくなかった。正確には後世に史実として人物を伝える印象が大そうよろしくなかったのだ。

 これを知らんと放置すると、どうしても後に大いなる禍根となる気がしてならないので仕方なく取り上げることにした。


「算砂をこれへ参らせ」

「おりませぬ」

「なぜ居らん」

「あ、いや、え」

「なんや是知。言いたいことがあったらはっきりと申さんか」

「はっ、ではご無礼仕りまする。殿、つい今しがた、後北条家の京屋敷へと遣いに走らせましたことを、よもやお忘れではございませぬか」

「……あ、うん。そやった。ほな代わりの者をこれへ」

「代わりとは」

「代わりは代わりやろ」

「おりませぬ」

「なんでやねん!」

「……お、お言葉を――」

「わかったから! もうええさん」

「申し訳ございませぬ」

「いや是知は悪うない」

「はっ」


 はい知ってます。内裏対策と銭儲けのネタを探せ(仕入れろ)とあちこちに走り回らせているからです。


 だから誰も悪くない。強いて挙げるなら爪を伸ばし過ぎた……、やめとこ。


 いないのならば仕方がない。絶賛菊亭、人手不足を極めていた。厳密には案件を任せられ信用に足る人材の枯渇なのだが、最もこの人員不足は今に始まったことではない。

 なので誰も問題視しない。問題は、そう。差出人の彼である。


 フランシスコ・ガブラル。彼は極度のレイシストだったのである。あるいは一貫した白人至上主義者というべきか。

 その彼が日本古来の土着宗教によるイエズス会布教に対する横暴を訴える序に、あるいはそれを口実に特許侵害の異議申し立てをしてきたのである。引き換えに人身売買の許可を匂わせて。


 訴状はこの際どうでもよい。問題は取り締まりを強化している意味を理解されていないことにあった。

 そしてどこまでの陳情が通じるのか。試されていることにこそ問題があった。


 結論、舐められている。


 その一言に尽きるだろう。


 では何を。

 それはこの支配体制である。夜警国家然とした、主たる統治者不在の統治体制が全般的に舐められている。と天彦は感じ取っていた。


 そこに付け込んだのがフランシスコ・ガブラル。彼は臆面もなく堂々と、人身売買を許可せよ――。と、この直訴状を自らの手で認めてきたのである。

 あくまで推測だがおそらくは自筆。何しろ目には目をとでも言わんばかりの荒々しい筆圧で、然も報復を示唆する脅迫的文面を書き添えてきたのだから。


 そう。フランシスコ・ガブラルはこちらが望む品目(奴隷)許可を出さなければ、日ノ本に必ずや天罰が下ると書き記し、言外に脅しをかけてきたのである。

 なーに、このサル山のサルのごとく湧いて出るサルどもを少し間引いてやるだけさ。とでも言わんばかりの軽薄さで。


 むろんそんなことを直接的には書き記してはいないのだが、細心の注意を払い行間を読み込まなくとも十分に伝わるように自分たちの偉大さ、強さを讃えた文言をこれでもかとふんだんに書き記し、暴力の匂いをむんむんに漂わせてきたのである。

 即ちガブラル宣教師は日ノ本布教代表者の立場から、こちらの要望を受け入れられないのなら、上洛しているイスパニア海洋帝国・フェルナンド・メネゼス提督の力を借りてでも報復または強制執行も辞さないと暗に匂わせてきていたのである。


「はは、ウケるぅ」


 日ノ本の亜相(仮)を脅迫するのがウケる。と、同時にキリスト教がハムラビ法典を引用するのがウケる。

 菊亭延いては日ノ本が舐められているのはややウケだが、最もウケるのが訴える先が違うこと。これほどのお門違いもそうはないだろう。


 が、反面笑うしかないことも一方では事実であった。

 敵は見抜いていた。見抜いた上で足元を見てきたのである。半ば無政府状態であることを見抜いた上での狡猾な交渉術であった。



 この状況で俺らが暴れたらお前ら、たいへんじゃん?



「くふ、うふふふ」


 天彦は愛用の扇子で口元をかざすと吐き捨てるように冷笑した。途轍もなく冷めた流し目を中庭にそっと預けて。


 守るべきは和のこころ。即ち施されたら施し返す。

 一見するとハムラビ法典に似ているようだがまるで別物。

 むろんこれが抑止の意味合いであることは承知した上で、ならば法理は民意で覆してはならない法の支配の大原則を敢えて冷たく嗤ったのである。


 彼ら(民意)にはなくて己にはあるもの。


 言わずと知れた血筋・血統である。


 白を黒と言い換えられる、是を非と言い換えられる圧倒的にして絶対的な青い血が天彦の体には流れていた。

 そして公家は武家のような吝嗇なことは言わない。この日ノ本に住まうすべての民草を己が臣と考えるのだ。そして民草は財産である。

 神仏の一切合切を信仰せず銭のみを信仰とする天彦は考える。いや強く思う。


 だから誰一人として渡さない。連れ去りは許さないのだ。財産として。


 方針は決まった。


「これより当面、菊亭御意見箱の受け付けは停止するものとする」



 あ、逃げた!



 逃げろ。



 天彦は敗走した。すべての前書きを撤退の伏線と決め込んで。


 まじのガチで臆面もなく敗走した。その逃げ足はあの逃げ足王子でお馴染みの長野是知さえも軽く置き去りにするほどであったとかなかったとか。













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