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雅楽伝奏、の家の人  作者: 喜楽もこ
十七章 風流三昧の章
274/314

#05 十万石の琵琶の音色は

 



 元亀二年(1571)一月七日







 ぼろんぼろん、べんべんべんべんべんべんべんべんべん、てぃん――



 奇しくも是知に公家の矜持を説かれたので琵琶。

 家業の琵琶を土産とすることにしたため、急遽取り寄せ調律したはいいが。


「まんじ」


 酷かった。


 久方ぶりの琵琶伝奏はちょっとしょっぱい涙味の音色がした。

 にも拘わらず応接相手である堺津港奉行松井友閑は、


「御流石の御相伝家、いやはや御達者にござる。これぞまさしく十万石の琵琶にございまするな」


 結構な御手前を頂戴いたしましてござる。

 堺町奉行松井友閑は辞を低く、天彦の好意と感謝の印の琵琶を友好的に捉えてくれた。


 むろんありがた……、くはない。


 むろん技前に対しての評価なら妥当かあるいはそれ以上の加点を頂戴しているのだろうけど。

 だが事はそうでは済まされない。これは公式な謁見なのだから。


 何しろ評価が十万石。かなり微妙と言わざるを得ない。

 一般的には十万石とは言うなれば、無礼にもならず然りとて過度な褒めちぎりにもならない絶妙な塩梅を利かせた社交的数値である。

 なぜなら松井友閑は十万石成大名と呼ばれる堺町の御奉行。そんな彼が高級官僚である己を遇するには申し分ない技前であると賞賛の言葉をくれたと取れるからだ。但し素人目線では。


 だが、果たしてそうかな。


 駆け引きの玄人的目線ではそう素直に受け止められない。それを証拠に天彦の直感は、正直に受け止めてはならないと告げていた。むろん感情論を抜きにして。


 たしかに織田家内部での人事考課基準での身代は十万石かもしれない。

 だが世間一般的な堺町奉行の認識は違う。低く見積もっても百。あるいは二百。いや三百万石成でも盛り過ぎと思う者は少ないだろう。それほどに堺という都市の存在価値はすさまじく、そこを一手に管轄する堺町奉行の威勢と権力は他を圧倒すると専らの認識であった。


 その一般評価を基準値とするなら、すると十万石評価は彼の身代の1/10。あるいは最大1/30。即ち天彦の家業と雅楽の技前は値踏みされ安く買い叩かれたことになる。ならないがなる。なったらいいなー。


 でゅふ。


 天彦は咄嗟的に閃いた。これっぽっちも反感など覚えてはいないけれど、これを利用しない手はないと。


「業腹ねん」

「な……っ」


 天彦の憮然とした態度。そしてそのつぶやきに、それまで賑やかしげだった方六間の迎賓の間が不意にまるで音を失くしたかのように静まり返ってしまっていた。


 むろん宮内卿法印とて一角の官僚を張っている織田家の重鎮。そこいらに溢れる小兵のように泡を食って慌てふためいたりはしない。

 だがそれまで涼しい顔をして天彦をもてなしていた表情からは急変させた。急に顔色を変えて、いや完全に顔色を失くして視線を左右に泳がせて。


 その泳ぐ視線の先にはむろん菊亭イツメンたちの姿があって、宮内卿法印の泳ぐ視線の内には、“お前らの殿様であろう何とか致せ”の意味合いが色濃く込められていることは誰の目にもお察しである。……が。


「試しておられるお心算ならば、笑止」

「我らが殿の技前が御手前の身代の1/10にも満たぬとは無礼千万」

「殿、お労しや」

「織田家と再戦か。今度こそ完膚なきまでに叩きのめしてやる。腕がなるわい」

「無礼者め、断固許さぬ!」

「同じく! 断固としてその言の訂正を求めるものなり」

「落ち着かれよ石田殿、九郎殿も。だがよもや当家を侮る武家があろうとは、ある意味逆に驚きにござる」

「あーあ、若とのさんを拗ねさせはった。どうなっても知りませんわ」


 グルだった。


「な……っ、貴様ら」


 あるいは見事な連携を見せて松井友閑を追い詰めていった。

 だがさすがに芝居じみているのでこれが本気だとは受け止める者はいないだろう。そんな雰囲気に方六間の間は次第に緊迫の度合いを薄めていった。二人のガチ勢を除いては。


「石田殿、少し冷静になられよ。九郎殿、腰の物はお預かりいたす」

「おのれ許さん」

「訂正いたせ。さもなくば斬る」


 待て、早まるな!


 これも菊亭、あれも菊亭。かなり脚色されて伝わってはいるものの、こういった風変わりな家風はわりと広く知られていて、佐吉や九郎の暴走程度で、すわ一触即発か。とはけっしてならない。

 佐吉や九郎の暴走は、せいぜい周囲に厭な汗を掻かせる程度の適度な緊張感をもたらす、実に家風に見合った演出となってこの会談に花を添えた。


「お前さんらハウス。下がれ」

「なっ、殿」

「お、お殿様」


 天彦が雇用者責任としてコミカルチックに場を収め、どうにか笑い話で済んだ。

 けれど反面、宮内卿法印には何らかしらのメッセージ性は訴えていたようで。


「どこまでも掴めぬ家風、掴ませぬ御方じゃ」

「家来の無礼を慎んでお詫びいたすでおじゃります」

「確と受け取り申しましてござる。しかし……」

「なんですやろ」

「大そう意地悪な御方でもある。この宮内卿法印、此度の一件でつくづく身に染みてわかり申した」

「何を申されますことやら。身共ほど親切な公卿は他にあらしゃいません」

「ふっどうやら京と尾張とでは親切の字義が違うようにございますな。ならばその件、じっくりと示し合わせまするか」

「ん、善きに計らえ」


 堺町奉行松井友閑は言外に奥向きの話をすると伝え、天彦に伺いを立ててすぐ小姓に別室を用意させるのであった。






 ◇






「な……っ」


 場所を替えて代官私室。

 果たして本日何度目になるのか。宮内卿法印の驚嘆がその端整な顔に張り付けられた。


「松殿家を再興させたくおじゃります」

「いったい何を……」


 悪巧み策その一、松殿家を再興し清華家へと復縁させる。

 道中浮かんだ単なる思いつきなので細部までは詰めていない。

 だが妙案だとは考えている。何より銭になること請け負いの時点で天彦の菊亭にとっては慶事でしかない。


 むろんそれは公家全体にとっての啓示ともなり、東宮にいたっては頼れる侍臣のお家再興は望みこそすれ嫌うことはけっしてない。はず。

 武家にとっても同様に必ず僥倖をもたらすだろう。あるいはわんちゃん。その機会を伺えるという意味合いにおいても。

 すると庶民にだって恩恵はあるはず。恩恵までいかなくとも祝いごとがあって喜ばない者の方が少ないだろう。その際には必ず何らかしらの大盤振る舞いが振舞われることだろうから。


「亜相様は……」

「かわいいさんやろ」

「そのお可愛らしいかんばせの下に、いったいどれほどの恐ろしい表情をお隠しになられておりますことやら。ほとほと恐ろしい御方にございまするな」

「何遍もゆう!」


 恐ろしい言い過ぎねん。


 だが実際にこの奇策は控えめに言って凄まじかった。


 松殿家まつどのけは、戦国室町期に絶家した摂関家として創設された公家のひとつ。

 藤原氏北家嫡流の藤原忠通の次男・松殿基房が祖で家名の由来は京都に松殿と呼ばれる屋敷を構えたことによる。

 本来であれば五摂家の近衛家・九条家に並ぶ家格の家であるが、藤原北家嫡流でありながら摂関は初代とその子の2人のみ、その後は大体が参議、出世しても権大納言がやっとであった。


 その絶家が再興されてみろ。摂関家に激震が走ることは紛れもなく、延いては朝廷全体を大きく揺るがすことであろう。

 それが天彦の真の狙いであることを瞬時に見抜いた宮内卿法印もさすがの炯眼と言わざるを得ないほど。天彦の狙いは悪意に満ち満ちていた。


 というのも天彦、この松殿家を清華家に復活させ家格でも九条に劣らない条件を整えることがまず以っての狙いであり、その副効果として清華家閥を開くにあたり数でも優位に立とうと考えているのである。

 しかもこの復家にはそれだけでなく、誰もが天彦詣でをしたくなるほどの重大な付加価値がついてくるのだ。


 確実に九条閥は震える。絶対に、鉄板で震える。

 その震えが何感情に由来するものかは定かではないとしても。震える。


 しかも表向きに反対も表明できない。公家として家門の再興に反対など表明すればどうなるのかは火を見るよりも明らかである。

 摂関家に限らず侍臣の再興は朝家にとっての僥倖である。ある以上、よほどの事由でもないかぎり反対表明などたちまち自身の立場を悪くして、延いては居場所さえ失くしてしまう危険をはらんでいる愚行であった。


 躓いたのは誰かのせいかもしれない。

 けれど立ち上がらないのは誰のせいでもないのよ。By峰不二子。


 の、感情で天彦は脳裏に浮かぶ九条グループの面々をそれぞれ個別に詰るのだった。


 衝撃も一入。

 松井宮内卿法印は知ってか知らずか、ずずずいっと天彦の座る上座に膝をにじり寄せた。そして、


「何故その大手柄を主家に譲られるのか」

「織田さんこそ最適と見込んで」

「御冗談を。主家織田はどこまでいっても所詮武家にござる」

「半分以上本音やけども。そうやな、……正直、持ち込む先はいくつもあって、ここに参る直前まで悩んでいたのかもしれへんなぁ」

「ふふ、正直なお方だ」


 この部屋に移って初めて宮内卿法印の表情が和らいだ。

 むろん天彦の巧みな言い回しがレトリックだと知りながら。


「亜相様、もしや我が殿に清華成をお与えになられますお考えにございますのか」

「魔王さんが関心をお示しになられますやろうか」

「なるほど愚問にござった。我が殿ならば一笑に伏されてお仕舞いにございましょうな」

「はい。身共も強く同感におじゃります」

「ならば。亜相様は松殿家家長を選びたい放題にございまするな。藤原長者として養子を迎えられればすべて事が済んでござる」

「選びたい放題など滅相もない。すべては東宮殿下の御心のままにあらしゃいます」

「あのご聡明な殿下が侍臣の功をお認めになられないなど、とてもとても」

「あははは。そうであったら喜ばしくおじゃりますぅ」

「御家存続の御料地は」

「織田さんで段取りしてくれはりますやろ。御無理と申されるなら越後のドラゴンさんにでもお願いしてみるのも一興におじゃりますぅ」

「亜相様は――」


 ほんに恐ろしいお方で。


 松井友閑は切実な口調でぽつりつぶやく。誰に向ける風でもなく。


 だが的を射ていた。ずばぴたで。

 そう。これこそが天彦の真の狙い。いわゆる清華成を天彦の独断と偏見で選べることにこそこの策最大の意図があった。むろん再興の意義も。


 この権利は……、かなり高く売りつけられる。やったーばんざい!


 銭のタネにもなるのである。むしろ銭のタネになってくれないと困ってしまうほど期待を寄せているのである。何しろこれは悪巧みの序章に過ぎない仕込みの下地だから。


「宮内卿法印さん。あんたさんにこの差配、お任せしましょ。――と、身共が申せば受けてくれはりますかぁ」

「へ」


 “なっ”を超えた“へ”。即ち宮内卿法印は本日果たして何度目……、驚嘆の表現は割愛する。

 だが宮内卿法印の驚愕も尤もである。清華成りなど滅多と得られる機会ではない。

 例えば時の支配者がゴリ推しで帝に直々に強請るか、朝家の臣籍降下くらいしかない。黄金ゴールデン金ぴかの阿呆サルがしでかした愚かな真似は除いては。


「どないさん。これでこれまでの借りは返せましたやろか」

「借りなどと水臭い。滅相もございませぬぞ」

「そこははっきりさせとかんと、これからするお願いごとも頼みにくい」

「……やはり」

「そう。やっぱし」


 宮内卿法印はごほん。咳払いを一つ入れて居住まいを正すと厳粛な面持ちで身構えた。


「どうぞ。この宮内卿法印、何を申されたとて受け止めまするぞ」

「ふふ、大袈裟なん。ちょっとしたお強請りにおじゃりますぅ」


 ごにょごにょごにょ。


 天彦はさっと立ち上がると下座に詰め寄り、愛用の扇子をさっ。

 顔の下半分を覆い隠して宮内卿法印に耳打ちした。


「あ、嗚呼……、そんな――」


 驚愕でも驚嘆でもましてや落胆などではけっしてなく。


 天彦にお強請りを打診された宮内卿法印は、どこか憔悴したように感じる表情を顔全体に浮かべると。


「これも戦国乱世の習いにござるか」


 はっきりとした口調で、けれど誰に向けての言かは定かでない文言をつぶやくと、会談前よりかなり老け込んでしまっているように見える相貌で亡羊と庭越しの遠くを見つめるのであった。


「宮内卿法印さん。ほなそろそろ、例のお返事訊かせてくれはりますかぁ」

「はっ、お申しで、謹んで承ってございまする」

「おおきに。これで一つ肩の荷が降りた心地におじゃりますぅ」

「勿体なきお言葉恐悦至極。碌なおもてなしもできず恥じ入るばかりなれど、本日の僥倖、両家にとっての慶事になりますること切に御願い奉り御前失礼いたしたく存じ申し上げ候」

「ん。麿もそのように願うものなりけり。宮内卿法印、大儀におじゃった」

「はっ、はは」


 どうやら会談は円満裏に終えたようであった。






 ◇






「若とのさん。御奉行さんに何を申さはったんですの」

「なーんにも申してへんで。なんでやのお雪ちゃん」

「それはないです。御奉行さん、お顔さん真っ青にしたはりましたもん」

「そうか? 身共にはわからへんかったわ」

「あ。嘘つきのお顔さんしたはる!」

「やめとけ」

「若とのさんのいけず、某らも働きましたやん」

「いけずて。……べつに頼んでへんけどな」

「あ」

「あ」


 天彦は観念した。こういった案件で雪之丞が粘るのはどう考えても胡乱でしかない。つまりこの詰問、どうやら家中の総意のようだと察してしまう。


「ハエがやかましいやろ。ちょっと退治したろ思てな」

「蠅、ですか」

「そうや、ハエや」


 身共の視界を飛び回る不愉快な存在や。


 雪之丞はお役目は果たしたとばかり胸を張って引き下がった。

 そして引き下がり際、誰かに向けて約束のお団子屋巡りを念押しすることを忘れずに。


「そんなこっちゃろ思たわ」


 あ、いや。


 果たして誰の動揺か。

 いずれにしてもハエの意味を理解できないメンツではない。

 それを証拠に誰もが、神妙な面持ちの中にも熱い期待を寄せる視線を天彦に向けていた。


「ふっ、暑くるしさも今ばかりは歓迎さんか」


 天彦はそんな暑苦しいよりまだ熱い視線にふっと失笑をこぼすも、すぐさま肯定的に受け止めた。


 そしてどこかいい(悪い)顔を浮かべると、愛用の扇子をぱさ。

 三つ紅葉を堂々と掲げ見せて、


「ラウラ、ルカ、与六、是知」

「はい」

「はい」

「はっ」

「はっ、ここにございまする」



 いよいよ本業で忙しくなる。頼んだで。



 はは――ッ、お任せください!



 珍しく発破をかけた。


 久しぶりの一家総出の悪巧みという名の大事業に取り掛かるべく、心を一つにするために。













【文中補足】

 1、円満裏(裡)

 造語。もともと「成功裏」は「成功裡」と書かれていた。ところが「裡」が常用漢字ではなくなったために、「成功裡」は公的な文書や書類では使用できなくなった。そこで「裡」の代わりに「裏」という漢字が当てられた。

 本題。そもそも「裡」は「裏」と同様、「物事において、人の目にふれない部分。また二面ある物事のうちで人目につかない側面」という意味をもっている。 つまり「成功」が単なる出来事、成功したという結果を指すニュアンスであるのに対し「成功裏」は、人の目には触れにくい「成功」に付随した出来事や「成功」に至る経緯なども含まれた言葉となる。


 即ちこの会談の円満にも円満に付随した円満に至る様々な経緯や思惑が含まれているという意味になる。知らんけど。


















さあ盛り上がってまいりましちゃ! ……盛り上がってきましたよね?


ぜひご声援よろしくお願いします→ https://x.com/kirakumoko502

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