#04 誠実に強請る
元亀二年(1571)一月七日
天彦は言経を引き連れイツメンたちと堺津港の商業地区に繰り出していた。
目的はとくになく、日珖上人が戻るまでの自由時間をまったりゆったり。不意な閃きに期待しつつの街ブラである。
その堺津港は大盛況、大活況の様相を呈していて、今日も今日とて南蛮モノや唐製品といった海を渡って遥々やってきた様々な物や品で溢れている。
人もむろん多種多様。上は貴種から下は物乞いまで。敵も味方も入り乱れて様々な人材が行き交いときには盃を交わしている。けれど目立った諍いはない。
それは一つに、この堺が戦に明け暮れる戦国元亀にあって唯一の非武装中立を許されているから。
堺は如何なる争いにも与しない。逆もしかり。如何なる客も選ばずに欲するものを欲するままに、交渉が成立しさえすればどんな勢力にだって売り捌いた。
即ち織田にも上杉にも延いては足利でさえ。商談が成立しさえすれば取引は行われたのである。
それを可能とし自立を担保するのが堺津湊奉行であり、延いては織田信長なのである。信長公は堺に対しすべてを許し認めていた。ただ一つ、要求したときに要求しただけの矢銭を支払うのであれば。
これは裏を返せば織田信長という人物の合理性の証明に他ならないのだが、いずれにせよ自治都市堺は織田家に自治を許された、そして敵味方の区別なく商いの自由度を担保された全国でも稀有な商業都市であった。
「ほう、あれが茶筅髷か」
「最近の流行ですな」
「与六はせえへんのか」
「某は月代に親しんでおりますれば」
「さよか。お、あれが噂の小銀杏結いやな」
「なるほどたしかに銀杏型ですな」
「そや。ぷぷぷ、これで茶筅いじったろ。びろーんって」
「おやめください。挙句世話を焼かされるのが落ちですので」
与六はなぜだか三介に対してだけは常に辛辣な批評だった。
その与六を尻目に天彦は、流行りらしい茶筅髷や小銀杏を結った侍や浪人たちを漠然と眺める。
そこではたと気づくことがあった。どうにも胡乱な輩が多いことに。その目で改めて見てみると何と多いことか。あちこちにちゃんと不逞の輩が跋扈しているではなか。
腰に差す二本も真剣なら不揃いでもまだ上等な部類。中には斧やまさかりを佩いている者もいて、何だかちょっと面白い。
だがいずれも行き交う侍や浪人のほとんどが、およそこの賑やかな町並みとマッチしておらずそのくせ妙に馴染んでいた。
「与六。なんや、あれらは」
「食いつめ浪人にございましょう。今時分なら紀州あたりの浪人どもかと」
「畠山、神保、雑賀あたりの。……そやけどお門違いやろ。堺は交易都市。仕官先が……あ」
「はっ、然様にございまする」
天彦はなるほど。あの手の侍や浪人たちが仕官先を求めてこの堺津港を徘徊しているのも納得の理由に思い至った。
「商家が雇い入れるんやな」
「さすがの御慧眼にござる」
理解。このご時世家の興亡が激しすぎて、食うに困った浪人が町といわずいたるところに溢れかえっていた。
食い詰め者は飯にありつかなければならない。だが職はない。あってもかなり限られる。するとどうなる。
盗む。奪う。略奪する。何でも同じそういうこと。
食うにあぶれた浪人で溢れる世界の危うさを想像すれば容易くわかる。
そう。一歩繰り出せば世には野党や凶賊や海賊といった不逞の輩で溢れ返っていたのでは、輸送が困難を極めたことは想像に難くないはず。
やつらが狙うのは一つ。お宝である。それも一度の襲撃で効率のよいお宝を望むはず。しかし出所が武家や公家であっては不都合。なにしろ武家や公家は報復の可能性が高いので。
とくに面子にこだわる武家は厄介としたもので。死に物狂いで下手人探しに躍起になる。ならば。そう。商人の荷が理想的なお宝である。
すると商家も指を咥えて襲われてはいない。自衛である。たしかに見れば商人は例外なくみな武装していた。自前の二本差しを従えて。それもかなりの戦力(人数)従えて。
やや早いが商人の時代の到来を予感させる場面であった。
浪人や離農庶人や棄民によるマッチポンプの感は否めないが、いずれにしてもその浪人や離農庶人や棄民にとっての仕官先や出仕先に困らないのが、この自治都市堺なのであった。
こうして銭が回っていく。
考えれば酷い話。単に国人や豪族の杜撰な統治の後始末をさせられているだけなのだが、時は戦国、世は乱世。情けも容赦も……、意外にあった。
「紀州の。それは大変やったですなぁ。ほなお代は結構。仕官先が見つかったら贔屓にしてくれはったら十分です」
「店主、この恩は忘れぬぞ」
「お気張りさん」
街のあちこちで見かけるほのぼのシーン。それらが答え。それが天彦の雑感である。
だからこそ天彦は商人とその商人たちが作り上げるこの風土が肌に合った。
だが実際は現実に流されて理想などおいそれと追い求められはしないのだけれど。
天彦が柄にもなく感傷に浸っていると、
「若とのさん!」
「何よお雪ちゃん、いきなり大きな声出して」
「訊いてください!」
「こら人前で声を弾ませない」
「何でですのん」
「はしたないからに決まっているやろ」
「でも」
「でもと申さへんの」
「ぶぅ」
「それもっとあかんやつ」
「もう、ほな何と申せばよろしいのですか、若とのさんのイジワル!」
「誠実に強請るんや」
「は?」
寄り道、脇道、回り道、しかしてそれらもすべて道。
ちょっと寄って参りませんか。や。
「前々からずっと知ってましたけど、実はおもくそアホですやろ」
「おいコラ待て。身共を大亜相と知っての狼藉か」
「ほら、やっぱしアホですやん」
「何でやねん」
「だって若とのさん、何にでも大をつけるお人は阿呆ばっかしと申してはったですやん」
「あ」
「あ」
そもそも論、誠実に強請るメンタルの時点で阿呆である。
天彦は雪之丞とのお約束を済ませて茶店の暖簾をくぐった。
◇
「うっま! これもうお店のお味ですやん!」
「ここがそのお店さんやけどな。ほら着物にタレを付けて、もう」
「うまー。もうこれ天才の所業ですやん。お代わりよろしいですか」
「ええよ。なんぼでもお食べ」
「やった。むしゃむしゃうまぁあああああ。おい給仕」
「はいー、お待たせいたしましたお武家様」
「うむ。同じものを十つもて」
「まあ。ほんとうですの?」
「無礼者め。侍に二言のあるはずがなかろう」
「はい。御無礼仕りました。では畏まってございます。おっとう、胡麻団子串十皿追加やでー」
「え」
待て。十つはええけど十皿はあかんやろ。ほんまは十つもあかんけど。
天彦はいつものように団子にはしゃぐ雪之丞の世話をしてやりつつ、その片一方では上の空の長考に沈んでいた。
「ふむ」
天彦が長考に沈んでいる理由。それは攻略目標である織田家の内部構成を思い起こしていたから。つまり特級案件絡みの考察である。
その前にまず。
角倉了以のSOSだが、どうやら彼はかなり窮地に追い込まれているようであった。目下彼は謹慎処分の憂き目に遭っているのだとか。
というのも彼自身の能力値を疑われ、信長に相当手酷く叱責されたようであった。その噂が噂を呼び込み、遂には本業の吉田屋の商売も傾けさせているとかいないとか。
本業が傾きかけているは大袈裟だとしても商いは生き物であり信用が第一。
悪風は無いに越したことはない。
ならばなぜあの優秀極まりない兄弟子の能力に疑いがかけられたのか。
ルカ調べによれば理由はすぐさま判明した。
能力そのものを否定されているわけではなく、その能力を有用に活用できない環境に対し咎められ叱責されていたのである。
つまり兄弟子は敵性勢力に的にかけられ、十全に能力を発揮するどころかただの一つも声が届かないように仕向けられていたのである。要するに封殺である。
では誰に。そう。
「細川藤孝め。許さん」
つぶやきの人物に。
もっと言うなら天下(京都)所司代の名で轟く村井貞勝閥のご面々に。
更には貞勝の娘婿である前田玄以率いる嫡男信忠付き京都奉行のご面々に、すべての奏上を取り上げられ揉み潰され、何一つ仕事をさせられないでいたのである。
当然家中の事情を熟知しているだろう魔王のこと。だからこその叱責であると思いたいところだが……。そうとばかりも言い切れず、なにやら事情が複雑そうで、いろいろときな臭い。
茶々丸がわざわざ認めてまで寄越してきた文にもあった通り、かつての身内が随分と張り切っているようである。そのこともあって堺に寄り道をしたのだが。
いずれにしても天彦には理解に苦しむ状況である。味方チームが味方の足を引っ張るなんて。
だがルカにこの情報をもたらしてくれた万見仙千代曰く、親の顔よりよく見る光景とのことなので武家ではあり触れた足の引っ張り合いなのだろう。
あるいは菊亭以外の公家でも見られるのかもしれないけれど、欲目込みで思いたい。我が菊亭にはないのだと。
「言経さん」
「なんでおじゃろう」
「朝廷は織田さんとこのどなたさんと渡りをつけたはるんかな」
「京都ご奉行の明王院さんと違いますやろか」
「明王院……、知らんな」
天彦はおさらいの意味も兼ねて織田家の主要キャストを思い起こした。
織田家奉行衆
総奉行 佐久間信盛(五畿内管領・家臣筆頭)
天下所司代 村井貞勝(大老)
関東方面担当・軍事総奉行 丹羽長秀(宿老)
御三家である。
以下、
村井閥(反角倉≒反菊亭)
>前田玄以(信忠付き京都奉行・村井貞勝の娘婿)
>細川藤孝(財務監督(大蔵卿法印)
>織田信忠(出羽介・左近衛少将)
>長谷川宗仁(刑部卿法印・元京都町衆)
>島田秀順(普請奉行・建設大臣)
>坂井一用(生駒銀山の開発責任者)
>桑原家次(尾張密蔵院奉行)
>池山信勝(尾張密蔵院奉行)
>武田佐吉(山城国織田家直轄領代官)
親菊亭閥(≒当主信長を絶対視する忠実派とも言える)
>織田三介(自由人・ごまめ)
>武井夕庵(二位卿法印。畿内総奉行)
>松井友閑(堺奉行・宮内卿法印)
>楠木長韻(式部卿法印・九州征伐担当奉行)
>万見仙千代(小姓・祐筆)
>和久宗是(小姓・祐筆)
中立閥
>柴田勝家(修理亮・宿老)
>佐々成政(母衣衆)
>前田利家(母衣衆)
>不破光治(母衣衆)
>滝川一益(三介の後見人・母衣衆)
>織田信孝(三男)
するとここに、
>明王院良政(内裏との取り次ぎ・京都奉行)が入るのだろう。
以上が、天彦でも一瞬で思い浮かぶ織田家の家臣団内部構図である。
そしてここに、
織田家御用商人。
坂田源右衛門、甲斐府中の豪商・塩魚問屋。
友野二郎兵衛、木綿の座を支配する
神宮寺太郎三郎、越前の豪商。
橘屋三郎左衛門、唐物、輸入座を取り仕切った。
伊藤宗十郎、尾張美濃の唐物取り扱い、呉服問屋。
さすが経済政権ともいうべき陣容が政局に絡んで加わってくる。
そしてそこに加えて暗躍する政局の亡者と魑魅魍魎ども。
いずれも天彦の菊亭とは反りが合わない面々である。
冷静になって面子を思い浮かべてみると、雲行きは控えめに言ってたいへんよろしくない感じであった。
だがよろしくないのはずっとそう。今に始まったことではないので気にしないものとして。
「に」
と、作り笑いを浮かべると扇子をぽん。脳裏に攻略対象である官僚グループの何某殿の名前と顔を思い浮かべて掌で軽快に打った。
すると呼応するように並んで歩く言経が口を開く。
「お考えさんはお纏まりにおじゃりますか」
「どうやろ。ぼちぼちにおじゃります」
「それは重畳。それで亜相さん、これからどないなさいますのか」
「言経さんはなんやあてがおじゃりますのか」
「お生憎さん、皆目おじゃりませぬなぁ」
「……! そや、奉行所にでも参りましょ」
「奉行所とはあの織田さんが直々にしかれておじゃる御奉行所さんにあらしゃいますか」
「そう。あの織田家の奉行所や」
「ほう。自治都市堺の大お奉行さんを暇つぶしのお相手にご指名さんとは、ずいぶん豪儀におじゃりますなぁ」
「そない格式張ったとこでもあらへん。宮内法印さん、お身体空いてたらええんやけど。お忙しい御方やから」
「くふ。格式張っておじゃりませぬか。ならば宮内法印さん、無理を押してでも空けはらなあきませんな」
「いや無理は押さんでええんと違う?」
「またまた、おほほほほほ」
「ん? まあ楽し気でけっこうなことで」
ほな善は急げ。参りましょ。
天彦は簡単に言ってのけた。そしてそれを簡単に受け流して応じてみせた言経も中々の役者っぷりを見せている。
むろん周囲はげんなりとほほ。げんなりは手順の煩雑さに。とほほは手土産を持たなければならないお財布事情に対して。
このように菊亭のガバナンスは基本機能していない。
だがこれが彼らの常である。方向性は当主が差し示す。手段は家来が考えよ。そんな大雑把な感じでやってきた。やってこれた。
そして天彦、会いたいと思って会えない人はどこにもおらず。字余り。
そんな句が思い浮かぶほど、容易に言ってのけるのである。容易に成してみせるのである。
何しろ彼らは生粋の貴種。それも殿上人または雲上人と呼ばれる貴種中の貴種である。
よって彼らは彼の御仁に会いたいがために、果たしていったいどれだけの人が行列を為すのか知りつつも。あるいははたしてどれほどの賄賂が詰まれているのか知りつつも。
手ぶらでふらっと参ろうとする。然も友人宅に余ったおかずを一品、タッパに詰めて届けるムーブで。
むろん間を取り持つ家来たちにはたまったものではないのだが。
控えめに見積もっても大迷惑だが、だがあいにくと彼ら貴種は遥か高みを歩んでいる。迷惑だからと遠慮はしない。
ましてや堺奉行にして宮内卿法印松井友閑、レア度ではこの二人には足元にも及ばないのである。むろん愛すべき菊亭家のお家来さんも。
そのくらいの気位、心映えでなければとてもではないがやっていられないという例えとして。
我らが菊亭天彦さん。自治都市に君臨する堺津港奉行様にさえ容易に面会できてしまえる地位にあった。相手方に拒否権がないというたった一つの理由によって。
それほどの格式なのである。菊亭の清華家とは。英雄家とは。
公家とは朝廷に仕える貴族上級官人の総称である。
その公家の中でも生まれながらに五位以上の位階を与えられる者を貴族と称し、その貴族の中でも三位以上に昇級する者を公卿と称した。
そしてこの公卿とは太政大臣、左大臣、右大臣、大納言、中納言、参議を指す。
またこの公卿になれる家柄・家格には歴とした定めがあり、摂家・清華家・大臣家・羽林家・名家・半家である。
中でも摂家と清華家は別格の格上とされていて、武家社会となった江戸期以降も“清華成”という公家作法を踏襲する様式が用いられるほど。
故に武家の中にも摂家・清華家は格別であるという畏怖の認識が強く根付いていて、有罪無罰の認識もこのあたりから広まっていったものと考えられる。
閑話休題、
天彦は妙案が閃いたとばかり軽快に、実は案外呼びやすい自称菊亭一のお家来さんの名を呼んだ。
「是知、先触れを」
「はっ、ですが殿」
「なんや意味ありげで深刻そうなお顔さんして。はっきりと申さんか」
「……ではご無礼を。何やら銭を借りてございますそうな。それも莫大な額と聞き及んでおりまするが」
あ。忘れていた。
これには周囲も目を逸らす。
「……やっぱなしで」
「よろしいので」
「いや、やっぱしなしのなしさんや」
「ご無用かとは存じまするが、万万が一に備えた手土産が必要かと」
「……参りがてら道中で考えよ」
「はっ、先触れ承ってございまする」
一行は天彦の思い付きで堺町奉行を目指すこととなった。
【文中補足】
1、茶筅髷
室町から江戸初期に大流行した武家の髪型。
これまでの基本パターンは月代を剃り上げて髪を結ったが、この茶筅髷はその字の通り、月代を剃らずに後頭部で髷を結った。
また後頭部の巻き立てを異常なほどに高く結うスタイルも一部で流行していて、織田信長公の肖像画はいくつかこのスタイルで描かれている。
雨の日の香り。摺りガラス越しの夕暮れ。変わらない味。ヌイ。
シェークスピア四大喜劇。名もなきオーケストラ。カッコつけてるのにくそダサい人。
人の性質上、生きていれば哀しみにぶつかる。ぼちぼちいきましょ。ぼちぼちね。




