#03 想い無き想い人
元亀二年(1571)一月七日
「焦らすな、疾くせい」
「はいはい。あんたさんはまったく」
言経は第5勢力の存在を語り始めた。
あるいは派閥とは色合いが違うため、共通の利益団体と言い換えてもよいだろうか。
いずれにせよその団体は第5勢力と言っても過言ではないほどめきめき存在感を示し始めているらしかった。
その新たな勢力こそ目々典侍が纏める後宮女房グループである。
天彦は目を見張った後、右目を眇めて感情を露わにした。むろん好感情とは真逆の意思を。
「まさか」
「あまり察しがよろしすぎるのも面白みに欠けますなぁ」
ですが、そうにおじゃりますぅ。
言経はじっくりとためて天彦の言外に示した推論を肯定した。
普通に考えれば彼女ら後宮女房衆は表立って動けない。ではいったい誰が手足となって後宮の利益の代弁者となっているのか。
それが天彦の示した符丁の人物であった。
ならば天彦は何を示したのか。
天彦は自身が羽織る小直衣をそっと指して符丁としたのだった。
衣服そのものの意味ではなく、衣服を染めるその色合いに。
天彦の小直衣を染めるのは貴色中の貴色である、そう。薄紫。
紫。でよいだろう。紫と言えば誰しもが一番に思い浮かべる人物、紫式部を指したのである。そう。源氏物語の作者である。
即ち後宮女房の手先は清華家久我通堅、その人と見立てたのである。
むろん目々典侍というワードを最大のヒントとして。再三言うが目々典侍と通堅は依然として密接に繋がっているのである。
しかし彼の源氏長者殿。てっきり九条閥に取り込まれ政局を泳いでいるのかと思いきや、自ら進んで政の場を引っ掻き回すプレイヤーとして政局参入をしているようであった。
「いや、待てよ」
「まさかもうお気づきとは。いやはや驚嘆の一言におじゃる」
天彦は気づいてしまう。その裏に隠された更に踏み込んだ危険極まりない可能性の一端に。
思い至った次の瞬間にはこれでもかと右目を眇めて最大級の難色を示していた。
推論が正しければこれはかなり五月蠅くなると言わんばかりに。
久我通堅。どうやらただ京へと生還を果たしたばかりでなく、しかも特大の地雷を引っ提げて歴史の表舞台の主役に躍り出ようとしているようであった。
「……追放地は佐渡やったん」
「あな恐ろしや」
言経が戦慄いたのは流刑地かそれとも天彦のあまりの勘の良さなのか。
いずれにせよ言経は一切否定の意を表明せず、ただ戦慄いて見せるばかりである意味で結論から遠ざかった。
壁に耳あり障子にメアリー。ということなのだろう。
「想像の斜め上すぎ謙信公。ゆーてる場合か。……いやこの場合はゆーてる場合なんか。なあ景勝さん」
天彦は冗句を交えつつも言経が避けた核心にはっきりと明言して、やはり右目を眇めて今日一とびきりの難色を示すのであった。
それもそのはず。
政の場に武家が介入するほど厄介な話はないからである。愚かな話はないからである。
公武分離は天彦の掲げる国家論の絶対のぜ。一丁目一番地に掲げる大題目なのである。誰であろうと譲れない。たとえそれが大恩ある謙信さん家の甥っ子当主であろうとも。
「後北条さんも上洛なさって、坂東武者さんら。そらもう上方にすっかり馴染んだはりますわ」
「足利さんの亡霊ねん」
「……呆れた嗅覚。亜相さんの目と耳はいったいいくつついたはるのか」
「それぞれ10つ」
「正直そう申されても驚きません。いや驚嘆を通り越して薄気味悪くさえ感じておじゃりますぅ」
「ひどっ」
後北条の台頭と古河公方権益の取り込みは切っても切れない史実の当然。
だからこれは最も簡単にメタ推理で読み解けた。
だが繋がった。評定第二案件のロービーストは後北条家で決まりである。
「相模守さん。だからこそ触ったらあかんのん」
それも含めて、あるいはだからこそ触れてはいけないと天彦は断言する。
制度を少しでも残したいのなら。家名を未来に繋げたいのなら。
織田信長のいる中央政権案件にはけっして触れてはならないのだ。
なにせ魔王信長、稀代の制度ブレイカーなのである。
善きにつけ悪しきにつけ、信長は決まり事に囚われない。決まり事をぶっ潰すことに忌避感を抱かない。むろん恐怖感情も。その傾向がかなり色濃い。
故にだからこそ。
古河公方などという過去の亡霊にしがみつき、そんな過去の遺物でしか中央政権と真っ向から渡り合えない、あるいは世に打って出れない田舎武者など、お呼びではない。
過去に未来に現在に囚われているのなら悪いことは言わない。おとなしく山奥に引っ込んでおけ。都に上ることはやめておけ。天彦は率直な忠告を送るのである。
それでなくとも目下の畿内はどこもかしこも火薬庫めいて、ふとした火種は一気に一大決戦へ。そんな可能性だってまったく否めないのである。
「誰さんも彼さんも、魔王さん舐めすぎねん」
「亜相さんのことも。に、おじゃりましょう。おほ、おほほほほほほ」
いや違う。それは大いなる誤解である。
なぜなら天彦、自ら進んで舐められように仕向けているから。
その方が隙を生じさせてくれるので。の一意で。プライドで飯は食えないの派生形ムーブとして。
「けれど言経さん。ちと笑えぬ状況やで」
「……それほどにおじゃりますか」
「それほどや」
「ほう……」
すべては天彦の切実な言葉に集約される。
目下の平和は言い換えるなら織田信長の忍耐力に依存している。そこを取り違えてはいけないのだ。それも偏に天彦の掲げる日ノ本論(国家形成論に基づく骨太の政策)に賛同したからこそ。簡単に言えば鎖国反対! 内需拡大! 諸外国に後れを取るな!
それを。
公家ばかりか武家までもが、下から上から突き上げてくるとなれば事情は大きくかわっていく。
万一にも信長公が方針を転換させて思い切れば、あるいは辛うじて保たれている理性が吹き飛んでしまえば。控えめに言ってお仕舞いです。
明日にも日ノ本のあちらこちらで大惨事が勃発し結果的に経済、文化、それらを基盤とした生活圏そのものが根底から破綻する。すると目下破竹の勢いで成長を遂げているあらゆる成長現象は停滞、いや後退してしまうこと請け負いである。
挙句、漁夫の利を得られてしまうことだろう。明や南蛮諸国といった虎視眈々と侵略の機会を伺っている外敵どもに。
本末転倒の極みである。
「何方さんも此方さんも阿呆ばっかしねん。……むろん身共も」
国家形成方針に無理があったのか。
天彦は自身が打ち立てた悪巧み、国家三分の計を振り返った。
だがどう考えても他に手立てがなかったのだ。武家が武辺に偏る武家である限りは。武家が滅びるその日まで永遠に、武家に政権は委ねられない。
「おおさむ、しかし冷えるなぁ」
「ぬくいほうじ茶を入れましょ」
「おおきにさん」
ぶるると身震い。
メタ推理思考に沈む天彦は心身ともにすっかり震撼させられてしまっていた。
「ほな少しばかり温まるお話でもどないさんやろ」
「ええね」
「むろんここに亜将さん、いや太政大臣さんも参入なさいます」
「あたぼー」
たしかに少し、いやかなり身も心も温もった気がする。
目下は律儀にも喪中なため静観しているが、ここに第0.5あるいは第5.5勢力(仮)として、実益の西園寺閥が確実に加わってくるため政局は混迷を極めること必至である。
しかも加えてここに第6勢力を擁立して政局を引っ掻き回す算段をつけている悪いやつまで現れるとあって、さあ大変。
むろんその悪いやつとはお察しだろうが、その悪いやつが画策する新勢力とはずばり清華家閥である。
「ほな身共からも取って置きをお一つ御披露さん」
「おお! それは期待できますなぁ」
「清華家、どないかしたろうさん」
「なるほど豪儀なことにおじゃりますなぁ。おほ、おほほほほほほ」
言経には概ね肯定的に受け止められた。
天彦は清華家を束ねて実益の麾下に収める腹心算である。
何しろ同格であることと、大炊御門経頼は夕星の内であり、花山院定熙に至っては実益の実弟である。徳大寺公維だけは少し違って近衛尚通の末子だが、近衛家とはぱっぱ晴季を通じて関係は良好寄りである。
気心が知れた以上に近しい存在が多くいるというのが非常に心強く、家格・信用両面からも申し分ない存在であった。
よって天彦は、この中央政権政局編における肝の策として清華家閥立ち上げ策を画策しているのであった。
ここが派閥に加わってくれれば強力な援護射撃となるだろう。
延いては実益政権の長期に亘る安定にも大いに寄与してくれることだろう。
「ですが、ふむ。たしかに理に適った天彦さんらしい合理的な策におじゃりますが、されど亜相さん」
「わかってるん」
むろん現状ではあくまで願望ベースの絵に描いた餅である。何しろ彼らの事情は複雑で、完成された計算式のようには容易には解けてくれない。
相関図を図式化すれば、おそらくきっと矢印が幾重にも交じり合いときに相克し、あっというまに白地を真っ黒に埋め尽くしてしまうことであろう。
近衛と二条の関白相論然り。派閥陣営四つ巴の人事抗争然り。
何一つ、一筋縄ではいってはくれない。
背後には各々の家があり思惑がある。ましてやその血脈は代々何百年に亘って切っても切れない縁を紡いでいるのである。
「しんどっ!」
しんどすぎる。
すると必然そうとうかなりの難産となること請け負いのしんどい案件であることは間違いない。
だが反面、腕の見せ所であることも間違いなかった。
「銭、要るなぁ。それもようさん」
何をするにも先立つものは銭ばかり。ほとほとうんざりにおじゃりますぅ。
――と。
気付けば知らず、切実な感情があふれ出ていた。
嗚呼銭さん。銭さん嗚呼。
いずれにせよ問題は山積している。
だが天彦はその前に、帰還命令に従った表向きの理由である楠木正虎問題をどうにか捌かなければならなかった。
「いや、無理やろ」
たしかにかなりの無理筋であった。
逆賊認定の恩赦、赦免ともなると越えなければならないハードルは多岐にわたる。それこそ口先や屁理屈程度が罷り通る世界ではない。
よってこれは天彦の扱える、いや扱ってよい案件ではない。何しろ菊亭は自他ともに認める朝家の忠臣で売っているので(棒)。
と、ここで意識を切り替えたのか。
天彦にしては珍しく真剣味を帯びた視線を庭先の白壁に預け、
「願わくは兄弟子のお役に立てますように」
神頼みして、帰洛に踏み切ったほんとうの理由をぽつり切実につぶやいた。
ライフハックもメタ思考も人材フル動員も辞さずに。その決意で。その一心で。
そして更に付け加える。まるで念を押すかのように、あるいは吐き捨てるかのようにぽつり。
細川藤孝、と。
その名を克明に告げるのであった。
【文中補足】
1、細川藤孝(1534~)
足利義輝に仕え十五位下兵部大輔に序される。
当初は惟任とともに二君(足利・織田)に仕えたが、目下は織田家だけに臣従し信長に重用される。
目下織田政権下では中央政権の財務監督(大蔵卿法印)を任され、また織田家中では文化大臣や外交官としての働きも期待される織田家のエース的存在。天彦とはばちばち。




