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雅楽伝奏、の家の人  作者: 喜楽もこ
十七章 風流三昧の章
271/314

#02 中央政権政局及び朝廷内相関図ブリーフィングやつ

 



 元亀二年(1571)一月七日






 自治都市堺。



 多くの家来を先に上洛させ、本隊とは別行動をとった天彦率いる菊亭イツメン一行は京へ入る前に数泊、寺社で逗留することになった。


 策の事前準備と継続した仕込みと、そしてやり残した感のある悪巧みのおさらいも兼ねて。


「申し上げました通り、急なことで上人は席を外しておられます。お帰りは明日早朝との由にて。それまでどうぞごゆるりとお寛ぎください。粗茶ですが」

「おおきにさん」


 洗練された所作と口調。なのに初々しさの抜けきらない雰囲気。

 天彦は案内された伽藍の間で、おそらく貴種の師弟である新発意しんぼちに茶を勧められるままにずずずと啜った。


 そして新発意が伽藍を辞したことを確認して、有名な大蘇鉄枯山水庭園をじっと眺める。うん。変わらず詫び寂びの情緒はわからない。


 わからないことを確認してさて、抜かりなく周囲をそれとなく見渡すと、やはり。どことなく急拵え感がかなり感じ取れた。

 それはそう。時間的な急さもさることながら、自身を招き入れることはかなりの度胸がいったことだろうから。

 直前までそうとう議論が交わされて、尽くされた結果答えは出ず、上人の不在で乗り切ろうという魂胆に落ち着いたようである。


 このノンデリで鳴らした菊亭を相手にして不在で押し切ろうとか笑。寺社だけに(読経)あるね。とか。


「ゆーてる場合か」


 悪意はない。他意もない。ほんとうに申し訳ないことをしたと思う反面、天彦にはどうしても訪ねなければならない理由があった。訊ねた上でどうしてもお願いしたい頼みごとがあったのだ。

 京を攻略する上で絶対に欠かせない、あるいは躱かわせない重大かつ決定的な理由がここにはあった。



 それを踏まえて大原則、過去の自分が未来を作る。あるいは変えるのだとするのなら。



「身共は何を間違えたんやろ」



 然ほど深刻ぶらず。然りとて楽観はしていない。


 そんな口調で天彦はつぶやく。


「ふっ」


 はたと気づいてつい自嘲の笑みをこぼすほど、自分の考えは滑稽であった。


 人生など所詮間違いと失敗の連続で成り立っているとしたものである。

 所詮は理由付けがほしいだけの一念であり、あるいは一念にさえ及ばないふとした思い付きなのだ。

 必死に粗を探したとて生き恥が浮き彫りとなってただハズいだけ。


「おどのさば、ごちらの寺社は教如様のお伝手で?」


 天彦がひとり自省していると、方三間の閑静な伽藍の間に魅惑のハスキーボイスが小さく響く。盛った。いや控え目すぎた。明らかなデスボが耳障りな不協和音を奏でていた。


 風邪で声を枯らしたルカである。


 何度言いつけてもお役目を辞退しようとしてくれない彼女のすきにさせている天彦は、心底厭そうに眉を顰め見咎めてから、口元を袖で覆い用心深く言い放った。


「いいや、……ちゃう」

「な゛らば」

「内緒や」

「ぞう゛ぼったいぶらずに゛」

「待て。その状態で無理して喋ると声帯潰れるん」

「声の一つや二つ」

「耳障りや。それにな、益々遠退くんと違うやろか。その雑味多い耳障りなお声さんでは」

「……何を仰せになられたいので」

「あくまで可能性の一環やけどな。身共は思うんや。生まれ持ったお声さんならいざ知らず、不摂生不養生の結果ともなると常の暮らし向き延いては心向きを勘繰られ、娶られることはもちろん婿も取れんなるん違うさんやろかぁ。――と」

「え゛」


 ルカは秒で撤退した。


 代わって傍に付いたのは怜悧な相貌が特徴的な美丈夫。ではなく男装の麗人が器用に膝を擦り寄せ定位置についた。


「まつろわぬ暴れ馬の御扱いが大そうお上手になられましたな」

「聞き分けのいい駿馬で助かる」

「ふふ。それは愉快な冗談てんごうにございますな。して、こちらとのお伝手はいったいどなた様の御縁でございましょうや」

「気になるか」

「それはむろん。何しろこのような好機、滅多と参っては来ませぬので」

「ふふ、次郎法師は大袈裟なん」

「うふふ、まさか。それは笑えぬ御冗談で」


 ルカにつづき次郎法師までもが関係性への関心を示す。

 だがこの興味。何やら二人だけの関心事ではないようで。


「次郎法師殿、ほれもう一息じゃ」

「押しが足りぬぞ意気地のない」

「いやあれでは明かしていただけぬな」

「某ならばもっと巧く斬り込めるものを」

「ふっ、笑止」

「なにを、おのれ石田」

「待て長野殿」

「扶と呼べ。なんじゃ……あ」


 彼らの視線の先には、ワクワクが止まらないといった面持ちの、考えなしの行ったきりマンでお馴染みの雪之丞がスタンバイしていた。


「どうしよっかなぁー、ええい! 某が訊いて進ぜよう」

「それは止せ(止めて)」


 可能性の火を消すな!


 もしくは単に拗れて話がそれる。

 イツメンたちは全力で雪之丞を引き留めてそっと静観態勢を続けた。


 このようにイツメンたちの熱量がいつにも増して熱いように感じられるのだ。果たして菊亭家中、皆が皆の関心事のようであった。


 ここ自治都市堺。そこに清と佇む・妙国寺とのつながりを。

 そして常は攻略に辿り着く策(悪巧み)の、取っ掛かりにさえ気づけない仕込みのタネとしてこうも露骨な手掛かりを与えてくれているというその事実と関連性に。


 菊亭家中、誰もが興味を引かれずにはいられなかった。


 目下菊亭に与えられている宿題は大きく分けて三つある。いや二つと一つか。なにせ一つは天彦が特級と銘打ったことにより家中では特別俎上に挙げられているので。


 それは侍所・政所合同合議の場、大評定の座で明かされていた。


 一つに朝廷から難癖をつけられている織田家中の楠木家逆賊案件である。

 次いで東国上杉経済圏の蠢動問題である。盛んに朝廷内でロビー活動を展開していると専らの噂。これは案外捨て置けない。何しろ貴族が居る場所こそ中央の概念がまだまだ根強く浸透している。ごっそりと引き抜かれたのでは土台が揺らぐ。何より東宮の、延いては織田の沽券にかかわる。

 ならば誰が主体となって。どのように。そこまではわからないがこうして遠地にいる天彦の耳にまで届くのだ。そうとう大っぴらに行っていることが察せられた。

 そして最後に、むしろこれが帰洛の本命視と目されている案件。

 角倉了以SOS特級案件である。


 むろん本人が直接助けを求めているわけではない。彼はかなり慎み深い人格者なので。

 周囲の侍臣がそれとなく伝わるように文を寄越していたのである。それも天彦に向けてではなく是知を迂回させて。伝わるかどうかはかなりの賭けだったことだろう。何しろ表立っては裏切者の逆臣扱いのままなので。


 だが是知は伝えた。ナイスジョブ! 

 故に家中では長野案件と呼ばれているこの案件。実際は当人が一ミリも関与していない上にまったく事情を察していないという大そう面白いがまったく笑えない特級扱い案件であった。


 この特級案件を含めて三つである。


 そうでなくともただでさえ寺社勢力との相性がオニ悪い天彦の、それも妙国寺ともなれば家来たちの関心を引かないわけにはいかないだろう。

 なにせこの寺社。あの魔王をして“恐るべし”と言わしめた日珖上人が御座す日蓮宗の本山なのだ。


 日珖上人とは魔王信長さえも唸らせた宗論ディベートで名を馳せた時の人。なのである。

 そして同時に自治都市堺のシンボル的寺社であり、どちらかと言わず天彦とは相性がそうとう良いように感じ取れた。


 いずれにせよあの天彦が兄弟子角倉了以を放って、他の案件に手を付けるはずもなく。ならば案件は特級に限った。


「うーむ、見当もつかぬ」


 家内ではそのあまりの勘のよさに謎解き大臣を拝命する与六でさえも堪らずギブするほど、天彦の仕込み種は難解であった。とか。






 ◇






 場所を替えて広大な敷地内に設えられた質素な空間、茶室にて。

 天彦は余人を交えず、ずっトモ言経と二人きり。



 ずず、ずずずず。



 大蘇鉄がそっと威張る枯山水庭園を臨む伽藍の間にお抹茶を啜る音を響かせた。


 すると遅れて、こーん、かたん、こんこん。


 鹿威しが軽妙な音を鳴り響かせる。


「結構な御手前さんで」

「お粗末におじゃりました」


 攻略の糸口でもつかめればと、教師役に山科言経を迎え入れブリーフィングを乞うていた。むろん都の貴族事情の。教えを乞うのは天彦である。


 天彦は京を離れてそう長くはないが朝廷事情にはそうとう疎い。何しろほとんど真面に出仕してこなかったので。

 そのツケが回ってきたのかほとんどゼロ知識に等しいほど政局事情に疎かった。

 むろんライフハック的知識は多少持っている。だがそれも有用かどうかはかなり怪しい。


「亜相さん、ほな始めましょ」

「はい言経先生」

「……なんですの、その薄気味の悪い下手な態度は」

「身共は形から入るタイプなん」

「タイプとな」

「いちいち引っかからんと。もうええから早う」

「はいはい。えらい急かはって。ほな、おっぱじめましょか」


 言経ブリーフィングが開始された。



 現在の中央政権は一言で混迷を極めている。

 政権の土台を支えるのは織田家だが、その織田家が完全に安定しているとは言い難く、むしろ西に東に海の向こうの勢力にと、日々を振り回されてへとへと状態に陥っている。

 むろん軍事力だけなら依然として抜群のピカ一だが、今や時代は経済至上主義の触りに差し掛かっている。あまり軍事軍事と武威を声高には叫べない事情も複雑に絡み合っていた。


 これは天彦最大の功罪である。果たして功か罪かは後世の歴史家が判断を下すとして、




 東宮を除く内裏暗躍勢力図。


 第1勢力

 阿茶局⇔勧修寺晴右ぱっぱ/中山孝親を中心とする正道派閥。



 第2勢力

 二条(九条)>二条昭実 >一条内基 >九条兼孝 >鷹司信房


 一条家以外は全員実の兄弟である。九条→二条→鷹司



 第3勢力

 近衛閥 >近衛前久 >今出川晴季 



 第4勢力

 三条西(転法輪)公国率いる宮内省閥

 一説には大臣家正親町三条公仲(勧修寺晴右(阿茶局ぱっぱ)の娘が室)が裏で糸を引いているとかいないとか。


 むろんすべて言経の主観である。


「――と、ここまでは復習みたいなものにおじゃりますなぁ。こっからは亜相さん、あんたさんでも知らはらへん、深い内裏の事情に触れましょ」


 ずずずず、言経は勿体ぶって茶を啜った。

 天彦はじっと待った。何しろ欲しかったのはここから先の新情報なのだから。


「よろしいか。心してお聞き召――」

「これ以上勿体つけるなら遠慮なしにしばくよ」

「……しばくて。そう急かさんと。今話しますよって」

「焦らすな、疾くせい」

「はいはい。あんたさんはまったく」


 言経は第5勢力の存在を語り始めた。











【文中補足】

 1、方(三間)

 ≒正方形。三間≒(5.4m)

 建築表記的に方三間と表記する場合は、四隅の柱が正方形上に配置されその一辺が三間(5.4m)の空間という意味となる。


 2、新発意(しんぼち)

 新たに発心して仏道に入ること、人。新たに出家した人。















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