#01 あたかも天上に降り注ぐ流星群のように
方向性が決まったのでプロローグだけ少し、どうぞ
元亀二年(1571)一月五日
三が日を名もなき廃寺で過ごした菊亭一行は、取り掛かっていたその大部分を家康に任せて帰洛の途に就いていた。
大前提、菊池氏は不思議な家である。
まず一つに公家と武家が揉め争うと代々決まって公家側に付くという謎のムーブをぶちかます。
そして次に代々決まって二者択一をミスるのだ。それも重大な場面で決定的に、途轍も半端なくしくじるのだ。
例えば古くは源平の決戦で平家に付き、南北朝分断では後鳥羽上皇の南朝に付き、楠木正成を後援し、奥州では伊達家と大内氏を天秤にかけ撃沈。
天下分け目の関ヶ原では佐吉の西軍に付いた稀代の負け組氏族っぷりを遺憾なく発揮してきた名門氏族である。
一説によれば彼の西郷隆盛公も一族なのだとか。主だったところだけでもこれだけ挙げられるなど、もはや笑ってしまうほどのお見事あっ晴れな負けっぷりである。
このように始祖藤原北家の血がそうさせるのか。あるいはただのオニ引き弱なのかはわからないが、とことん敗者側の陣営に付きその名を燦然と輝かせる。
だがしかし。裏を返せば氏族の生き残り術に長けた血脈ともいえなくもなく、だからこそ天彦は愛おしく思うのである。
少々強引ではあるけれど風流三昧を標榜する天彦は思うのだ。
「は? それがなんなん」
と。
身共なんか生まれ落ちたその日から、居らんことにされてたけど。
絶賛今も仏敵とか散々呪詛を吐かれまくっておりますけど何か。
風水がァ、占星術がァ、四柱推命がァ、陰陽道がァ、手相占いがァ、タロットがァ、動物占いがァ――!
知らん知らん。
そんなもん全部が全部、確率論とメタ推理でなんとでも説明がつく。
天彦はメタ推理のプロ。だからこそ信じない。重要視しないと言い換えてもよいだろう。
それはあたかも真実の愛が完全無欠に一つの顔をしながらも、実際は幾通りもの顔を持っているように。絶対に信じないのである。
だが他方、逆に運気は信じる。同じオカルトに括られそうな文言だが、これらは似て非なるもの。というより気持ちこそ信じるに値する唯一のベクトルだと思っている。人は感情の生き物だから。
ぽっかぽっかぽっか。かっぽかっぽかっぽ。
天彦は例のごとくタンデムに雪之丞を乗せ、家康から贈られた愛馬に揺られながら、
「リア充、爆ぜろ!」
「爆ぜろ!」
「なあお雪ちゃん、なぁー」
「はい若とのさん。ねー」
毒づいた。
何かを爆ぜさせたいだけの雪之丞は放置するとして、ではなぜ天彦がこうも声を荒げているのかというと。
「規模が大きなるとこれや」
家内に菊池権守家の随行をよく思わない層が一定数いるからであった。
神仏の存在が未来の現代では考えられないほど近しいこの時代、験はこれでもかと担がれるし風習はあり得ないほど重要視されていた。
だからこそこの一部とはいえ耳に届く反感感情もけっしておろそかにはできないのだが、
「九郎、お前さんは身共の宝や! なあお雪ちゃん」
「そうですか?」
「そこは理が非でも合わせんかい。そうゆうとこやでお雪ちゃん」
「ほな、はいです」
「歯切れの悪い。なあ九郎」
「きょ、恐悦至極にございます。ですが宝など、お歴々を前にして、お、恐れ多いことにございまする」
氏郷、目ぢから! こら高虎、圧えぐいて! 与六まで……。
だが天彦は鼻で笑う。
何が化身や。何が呪いや。笑わせよる。そんなもんあったかてくちゃくちゃに丸めて食ったるわ。――と。
そんな知らず漏れ出てしまっている独り言に対し、周囲がどれほど奇異な視線をむけてこようともお構いなしに。
天彦は轡を並べて傍に控える菊池権守家の若き当主を心中から快く思うのだ。
「期待させた分だけ落胆も大きかろう。けれど九郎、この借りは必ず返すで」
「はっ、はは。勿体なきお言葉、菊池九郎、これほどの誉れはございませぬ」
「誉れで飯が食えたらええさんやなぁ」
「誠に」
九州征伐が実質無期限棚上げとなった今も、こうして不満一つ零さず菊亭に身を寄せてくれる九郎を見ていると。無性に。
その必負家である菊池家が、今こうして天彦の菊亭に付こうとしているのはギャグなのか、必然なのか、はたまたそれとも。
だがあいにく。天彦という人物は一切の験を担がない。縁起の良し悪しを気にしなければ、方角時期の吉凶を気にとめる風でもまるでない。オカルトの類も同様に。
だが。
「お祓い参ろうかな」
「受け付けてくれる寺社あるといいだりん」
「ひどっ」
「と、思うだりん? でも寺社はお殿様の何十倍、いいえ何百倍もそう思っておられますことでしょう」
「……なあルカ、なんか怒ってるんか」
「お殿様を扱き使う、魔王織田信長、ルカはけっして許しませぬ」
「ちょ、滅多なことを申すでない」
天彦は苦笑とともに聞き流す。
たしかにルカはオコである。だがそれは額面通りの感情由来のオコではない。
彼女は征西が延期されたことに肩を落としているのであって、その反動から激怒しているにすぎないのだ。
偏に射干の得るはずだった報酬、即ち一党の土台となるべき所領の恩賞が遠退いてしまったから。延いては安定した賦課が泡沫となってしまったから。
天彦はラウラを通じて射干党に対し、この遠征に際し新恩を約束していたのであった。
「慌てずとも局面は動くん」
「それもこれも、お殿様のお見立て通りに事が転べばの話だりん」
「……お茶々に祓ってもらお」
「あ、誤魔化した」
ばれてーら。
いずれにしても、思わずつぶやいてしまうほど不運が重なってしまっていた。
そう。今回の征西一連の流れから、最後に食らった帰還命令をその最たる事例の締めくくりとして。あるいは今後を占うプロローグとして。
一事が万事、ツキがなかった。
運否天賦などまやかしに過ぎない。頭では確と理解できていても、どうにも心が受けつけてくれない。あたかも心だけが別人格であるかのように。
「天彦さん、浮かない顔で何をお考えですの」
「召喚命令について、ちょっとな」
「でしたか。信長公、何を泣きついてこられましたので」
「うん……」
かなり要約すると抵抗勢力(公家)に押されているので馳走いたせ。そういうことなのだろう。
こればかりは状況を説明しなければなるまい。天彦はラウラだけにそっと語った。
「あのな――」
ことの発端は信長の祐筆にあった。
信長が特に気にかけ何かにつけて引き立てていた祐筆が、なぜか甚く問題視されてしまったことに端を発する。
そう。魔王お気にの祐筆は魔女裁判にかけられてしまっていた。
魔女裁判は少し盛ったが内容は似たようなもの。
つまり逆賊の嫌疑により諮問会に召喚されてしまっていた。
諮問とは言っているが実質的な審問である。
何しろその祐筆、名を楠木正虎といったのだから。
そう。史実で南朝(後鳥羽上皇)の恩赦を申請し、見事宿願であった南朝の赦免と自身のルーツである楠木氏の朝敵認定取り下げを勝ち取った、一党にとっての大英雄である。
この楠木正虎という魔王様お気に入りの祐筆が、反織田政権・半東宮派の突き上げを食らい政治が停滞、延いては内裏全体を巻き込んで朝廷を紛糾させているとのことであった。まんまと東宮殿下の継承問題にまで発展させて。
昭実っちの搦手えぐい。
敵ながらお流石。雑感ながらもそれが天彦の偽らざる第一感、延いては本心であった。
何しろこれは公家の多用する言葉狩り(言いがかり)やこじつけの類のネタではないのだから。
文字通りの因縁である。
この楠木正虎という人物、ご存じ彼の楠木正成公の直系子孫であり、正史では南朝の恩赦を申請し、南朝の赦免と自身の楠木氏の朝敵認定取り下げを勝ち取った一党の英雄である。
これには楠木氏と同様、南朝方恩顧武将であった新田氏の末裔を標榜する徳川家康公の存在がかなり影響したと推察される。
即ち正虎を朝廷に取り成したのは家康自身である。はずなのである。
だが正虎が表舞台に登場するには少々早く、同時に後ろ盾となるはずの徳川家は目下ドサ周りの地べたを這いずり中とあって、出自がどうのと体裁を整えている場合ではない。
そして徳川家も織田家同様そうとう難儀させられるはず。
何しろ目下攻略中の中国地方。とくに備前は難攻が予想された。
というのも天彦の聞きつけた最新情報によれば、備前攻略にはそうとう手古摺るはずである。あるいは相当以上に難局を迎えるはず。
なぜならご存じ源氏長者である久我通堅卿(近衛中将)が恩赦によって追放刑から返り咲き、あろうことか備前権守に就いたのである。
目々典侍の取り成しによって。
そう。佐渡へ追放された元凶さんの後ろ盾を得て。
「目々典侍さんさあ」
密通どうのは問題視しないし揶揄もしない。どうだっていいからだ。だが、だとしても。さすがに帝に対する敬意があまりにも欠けすぎやしませんかご両人さま。
というお為ごかしを言ったところで。
政局は生者が作るものである。
何しろ久我通堅氏、あろうことか左右の両大臣派閥に取り込まれ、むしろ急先鋒の働きを見せているらしいではないか。
「源氏長者にあるまじきお振舞いさんにあらしゃいますなぁ。おほ、おほほほほほほ」
やや後方。片側だけをめくりあげた籠から、快活なお公家笑いが鳴り響いた。
だがその通り。天彦はひとつも笑えなかった。何しろ通堅を追放に追い込んだのは他の誰でもない天彦くんなのだから。
「じんおわ」
これぞ因果応報の極致。
しかもこの楠木正虎諮問会を運営するのは、やつら。
そう。ご存じ菊亭の仇敵にして、あの宿敵。二条昭実率いる九条家閥のご面々(一条内基・九条兼孝・久我通堅)である。
「なにやら宮内さんも動いてあらしゃるようにおじゃりますなぁ」
「宮内省も。してどなたさんが」
「表立っては清原国賢主水司を手先に。大物さんが暗躍なさっておられますようで」
「言経さん。おおきに」
「何のこれしきのこと。亜相さんに売りつける恩はなんぼあっても十分さんということはあらしゃいませんので」
「お買い被りさんにならへんよう精進しておじゃりますぅ」
誰や、それ。
天彦は気もそぞろに返答し焦点の合わない目で虚空を見つめる。
「……英雄家。満を持して転法輪さんのご登場なん。要らんわぁ。切実に要らんのん」
「いやはや何と。僅かそれだけでもう的を絞られるとは。ほとほとおっとろしい御方さんや」
転法輪家こと三条西家。そのご嫡男大御曹司。次代のご当主。延いては……。
三条西公国の登場に天彦の頬は若干だが引きつった。
だが天彦は同格である清華家家格など問題視していない。ならばなぜ。
「一門の争いねん」
ぐぬぬぬぬぬ。
転法輪三条西公国はとある貴家から至宝の姫を娶っていたのである。
そう。西園寺公朝卿の娘にして時の太政大臣・西園寺実益公のお実姉を正室に迎え入れておられたのである。
即ちともに実益を支え盛り立てる西園寺一門の御同輩にして御盟友なのである。
じんおわ。……まぢでやばいやつのじんおわねん。
と、つい本音が零れてしまうほど最恐最悪の案件であった。レベル5か。むろん6段階の。
だが派閥と言っても多種多様。そこにお家事情が絡む以上、思惑など無限に潜む。ましてやお仲間は一筋縄ではいかない貴種ばかり。志向性が違っても不思議などないのである。
いずれにしても天彦の推測が100正しければ、あるいは言経のリサーチが120正しければ、まさしくじんおわ案件に違いなかった。
「ふむ」
「おや、意外におじゃりまするなぁ」
「何がや」
「いいえ、こちらのお話さんで」
「さよか」
言経の感覚は正しい。天彦、身内案件には滅法弱いとしたもので。
普段なら萎れて凹まるところだが、しかし今回の天彦は一味違った。いわゆる成長の兆しを見せたのである。実に頼もしいほどの精悍な顔つきで。
何しろ年が明けてひとつお兄ちゃんになったので。あくまで数え年だとしても。
故に天彦はタンデムに乗っけた雪之丞のお兄ちゃん然として、気後れすることも後ろ髪を引かれる素振りもいっさい見せず、淡々と思考のパズルと格闘する。
ややあって、呵っと目を見開くと、
「佐吉」
「はっ、ここにございまする」
右後方の鞍上から威勢のいい快活な応答に満面の笑みを浮かべて、
「悪巧みのお時間や」
「はっ! 仰せのままに筆を走らせる所存にございまする」
「それは心強いん。ほなら先ずは――」
でゅふ、でゅふふ。
イツメンたちですらドン引きするほどのいい(悪い)顔で佐吉に悪巧みの一端を文に認めるよう申し付けるのであった。
そして天彦は新たに出現したかもしれない仮想敵、しかもある意味において最大級の難敵の出現に、恐々としながらもしっかりと照準を合わせる作業に没頭するのであった。
「ええこちょばい! 脇こちょやめい! 何の心算なんお雪ちゃん」
「ありゃ、てっきり寝たはるんかと思て」
「鞍上やぞ、寝てるかい!」
仮に眠っていたなら起こし方も違うやろ。
「若とのさん、いよいよ京ですね!」
「なんや嬉しそうに」
「そら嬉しいですわ。某の故郷なんですから」
「身共もな」
「え。若とのさんは違いますやろ」
「待たんかい。身共のおしめ替えてた設定はどないした」
「あ。そやった。てへ」
「てへやあるかい」
京都出身でない公卿など似非。言いきってもいい。
雪之丞といちゃこらと言い合って、そんなお約束も交えながら京の町を目指すのであった。
【文中補足】
1、新恩
新しい恩。 特に将軍や天子などから新たに所領や土地支配権、官職等を恩賞としてもらうこと。
2、権守(ごんのかみ)
権官は、朝廷の官職。正規の員数を越えて任命する官職。
「権」は「仮」という意味。平安時代に多用された。奈良時代には員外官が任命された。つまり代官。
中央政府の次官以下(大納言、中納言など)、地方官(国司など)に置かれた。
3、三条西公国(さんじょうにし・きんくに)1556~
正四位上・宮内卿法印、転法輪家とは正親町三条家との区別の意味で。
4、清原国賢(きよはら・くにかた)
宮内省主水司
新章、導入としてはこんな感じでどうっすかね。
章題の風流三昧とは、文字通り優雅な遊びに耽ること。という意味です。
オマエ菊亭一生遊んどるやんけ! あはい。ですがもっと遊びますので許してちょ笑。
で、ちっとインプット時間を頂戴しまして、そんな十七章。お付き合い下されば幸いです。
ばいばいまったねー




