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雅楽伝奏、の家の人  作者: 喜楽もこ
壱章 百折不撓の章
27/314

#27 本日秋晴れ大快晴、菊亭天中殺なり

 



 永禄十一年(1568)十一月十九日(旧暦)今出川殿・菊亭借り屋敷






「お、おぉぉ――」


 感嘆のどよめきが巻き起こる。


 勾当内侍というぶっといお墨付きを頂いた。これにてラウラは男装を解除、本来あるべき自然な姿で公務に就くことが適った。控えめにいって目に麗しい。

 それは配下のイルダとコンスエラも同様で、本日は家内でちょっとしたお祝い事と神事を執り行っている。

 なぜ神事なのかといえば、名前を与えるからだ。偏諱ではなく家名である。

 命名の儀式にせっかくだからと朝廷陰陽寮から陰陽師をお招きした。取り計らってくれたのもお墨付きを与えた勾当内侍好子である。


 従六位上・神祇大佑土御門久脩ひさながである。彼は土御門の三十一代目の当主であり、天彦と学舎を同じくした学友でもあった。

 むろん友ではない。盟友などではけっしてない。むしろ逆、敵性門流(村上源氏久我流)ど真ん中の人物であり、あるいは宿敵と書いてトモとルビを振るならそのとおりの宿敵トモであった。


 華の永禄三年組。西暦1560年を天彦はそう捉えている(欲目込みで)。

 欲目を差し引いてもたしかに傑出した人物が多く生まれ出た、ともすると歴史家にとっての垂涎の豊作年代であろうといえる。この久脩もその華の永禄三年生まれであった。

 そして何よりこの久脩。彼ら華のエリートの中でも際立って優秀であり、地頭の良さでは群を抜いて突き抜けていた。


「麻呂もまだまだ精進が足りんと、主上さんは叱咤したはるんやろうなぁ」


 意訳)なんで麻呂がこんなやつのために神事をせなあかんのんや。


 五秒と空けず愚痴っていた。

 しかも余程不愉快なのだろう。常から人目を気にする久脩らしくなく、時折り内心の憎悪が隠し切れずに直接的な文言となって漏れ出ている。


 他方の天彦。

 気持ちは痛いほどわかる。なにせ天彦自身も十割(100%)まったく同感だったから。


「厭やったら帰りや。お帰りは彼方さんや」

「ふっ、其許もいい加減に大人になりや」

「は、なにゆうてんの。おもくそガキやん、身共もお前も」

「おまえ」

「なに、ほんならワレ」

「我。おほほほ、ほんに口汚いことでおじゃる。まよろしいわ。こんなとこで言い争うなどみっともないし。麻呂、従六位神祇大佑やし勅許もろて昇殿赦されてるし。おほほほ、其許は?」


 震えた。天彦は恥も外聞もなく胴震いに震えた。

 だが負けない。少なくとも口だけは負けたくない。天彦は根性を見せた。


「無位無官や。流行ってるん知らんの」

「流行るかいっ! どこの田舎文化や」

「なんや。そんなことも知らんと星読み名乗ってるんか、相変わらず胡散臭いやっちゃで」

「なっ、なんやって」

「なんやとはなんやろ。すんすん、すん。あれ、なんや臭いな。あ、ひょっとして久脩うんこちびったん。褌洗てこいや」

「おのれ菊亭、愚弄するか」

「したら何や」

「殺す」

「やってみい、コロス」


 額を擦りつけてガウガウ吠え合う二人だが、とびきりこんまいのが二人牙を剥いていがみ合っていたところで、大人が大勢詰めかけている室内の空気にはそれほど影響を与えない。しかも天彦無位無官、久脩十六位上と格上でもないとくれば猶更である。


「まぁあでも菊亭はん、一個だけ褒めて進ぜるでおじゃる」

「む、なんやろ。きしょいねんけど」

「きしょ、ごほん。この御祭りをうち(晴明神社)にしたでおじゃろ。そのことや」

「……あぁ、それな。しゃーなしや」

「なっ、参ってもうといてなんやその言い草は」

「荒れてるで、口調」

「なっ、いくらなんでも無礼でおじゃろう」

「ほんまやし」

「なにぉ。そこへ直れっ、小刀の錆にしてくれる」


 久脩は顔を真っ赤にして怒り散らすが本当のことだった。

 そも菊亭家(今出川家)の氏神は賀茂別雷神社、通称上賀茂神社である。すると必然系譜は賀茂氏となり、加茂氏とは言わずと知れた勘解由小路氏なのである。

 賀茂氏は阿部氏の上位氏族。家柄や血筋という観点からではなく師弟関係という意味において。

 だがいつの時代か阿部家は賀茂家を追い抜いてしまった。以降関係性はお察しである。

 血の系譜を受け継ぐ家門として勘解由小路家と土御門家は各々の祖の意思を受け継ぎ熾烈な鎬を削ってきた。それは現在も猶継続中である。


 それを押してまで天彦は晴明神社を呼び寄せた。このボケ茄子が来ると知っていたら断固として抗ったことだろうけど。

 いずれにしても勾当内侍の御達しだ。首を左右にふる勇気は持てなかった。

 おそらくは耳聡い彼女のこと。菊亭、土御門両家の関係悪化を危惧して可怪しな気を回したと思われる。大きなのっぽの古時計である。


 だがそれとは別に実はいい機会だとも思っていた。土御門家には一つ大きな借りがあったのだ。本来なら命さえ危ぶまれ、別家申請はまだ許可されていなかったことだろう。

 ところが土御門家の後押しがあり異例の速さで許可された。その途轍もない大きな借りが土御門家に対してはあったのだ。

 むろん久脩個人にではないが、家と個人とが密接な互換関係がある以上、切って切り離せる代物ではない。そういうこと。


 だから何度も謝意を述べようとしたのだ。なのにこのクソ野郎がそれをさせじと阻んだのである。実に巧妙にあの手この手を駆使して。


 アマヒコケッシテワルクナイ。誤表記ではなくカタカナで。


「落ち着け久脩、身共はだれや」

「菊亭の糞溜めに生まれたクソやろ。それか公家町のうんこちゃんや。違ごてもやっぱし野クソや。要するにクソや」

「口調。というより選ぶ語句がぜんぶ汚い」

「し、失敬。其許がそう申させたのでおじゃる。麻呂はぜったい悪くない。そう考えたらやはり其許はクソやった」

「おい場所を考えて物言えよ。ここはどこや。はい、そういうこと。そして身共は本日の御祭りの主催者です。ちょっと頭が高いんと違うか。遜って床舐めろ。三べん回ってわんっでも可や。その場合は四つん這い必須マストやぞ」

「ますとってなんでおじゃろ」

「船の帆や」

「帆。はて、……! こいつ、何の関係があるんじゃい」

「気付いたか」

「気付かいでか。そもそも何が主催者でおじゃるか。しみったれた玉串料でほざくな。というより玉串代ツケってなんや。初めて訊いたぞ」

「あ、それゆーた。絶対ゆーたらアカンやつやのに」

「う」

「やのに」

「……や、やかましい。義理欠いたんはそっちが先でおじゃろう」

「後先の問題かな。心に手を当ててみなさい。はい、そうです。もう土御門家はお仕舞いです」

「なっ勝手に仕舞にすなっ! お前んとこなんぞ始まってすらおらんやないか」

「口調」

「知るかっ、三流の爪弾きもんがっ」

「あ、かっちーん」

「なんじゃい」


 ちょっと耳障りなほど本格的にガルガル言い始めたとき、


 しゃりんしゃりん。


 厳かな鈴の音が鳴り響き、一瞬で室内に静謐の帳が舞い降りた。


「かしこみかしこみ申ーすぅー」


 いがみ合っている間にも久脩が連れて来た晴明神社の神祇官補が祓詞を告げはじめ、如何にも神秘的に大幣おおぬさがシャンシャンと室内に鳴り響いた。

 天彦も一旦休戦。皆と同じく神棚に向かって首を垂れ、厳かに紡がれる祝詞に耳を傾けた。

 三十分少々で祓詞の謳い上げが終わると榊の奉納。神棚に御決まりの作法で礼をして拍手。そして玉串を奉奠していった。


「おめでとうさん。これでラウラは射干しゃがラウラや」

「誠にありがとうございます。この恩上、我ら三姉妹、未来永劫忘れることはございません」

「大袈裟や。八十年くらいでええ。その間ずっと敬いなさい」

「はて、永劫より長いのでは」

「ははは、めでたい日に細かいこと言いっこなしや」

「はぁ。いずれにせよこれほどの温情沙汰、我ら三姉妹けっして忘れることはございません。誠にありがとうございました」


 ラウラが儀礼的にやや大袈裟に謝辞を述べると、二人の姉妹も慇懃に続いた。

 三姉妹とはラウラを長女とするイルダとコンスエラのことであり、彼女たちは義姉妹の契りを結んでいた。これにて正式に菊亭近習新家・射干家(文官)の発足である。

 厳密には長女、次女、三女の順が必要なのだろうが、天彦は彼女たちの風習に任せて敢えて順番は聞いていない。シスターの一言で済む話である。


 因み家名の射干しゃがはラウラが自ら選んだ。天彦の挙げてやった候補から悩まずこの名を指し示して。

 奇しくも草花の候補はこの射干一択だった。菊亭の菊に対する配慮であることは明らかで、そうならないよう天彦も敢えて草花系を遠慮したのだが、それでも是非にと指名された。その請われたときの天彦は何とも言えない愛くるしい顔をして喜んでいた。むろん当人は他に露見していないと思いながら。


 催事も一入、天彦が家人とわちゃわちゃいちゃいちゃしていると、来客を知らせる先触れが舞い込んだ。

 先触れはよく見知った顔だったので、天彦は直接来臨時間を問い質す。いつや、すぐです。

 じっじにしては珍しい。厭な予感半分、心配半分でじっじ来臨を待ち受けた。


 程なくすると客間に天彦じっじが姿を見せた。


「天彦さん、急ですんまへんな」

「いいえ。いつでもお越しください。ようこそお越し下さいました」

「おおきにさよか。上がるで」

「どうぞ」


 天彦じっじが上座に座る。

 常なら茶を要求し持ち込みの激不味い菓子を味見させ、荒んだ庭に散々悪態を吐いてから用件に入るはずなのに。

 本日はすこぶるご機嫌が悪そうである。あるいはよいのかしれないが、天彦には海千山千大妖怪タヌキ爺の顔色だけではまだ好悪の判断はつけられない。


「甲斐が来よる」

「なっ」

「気持ちは察する。落ち着きなさい」

「はっ、落ち着きました。それでどなた様がお越しに」

「諏訪四郎。奥の甥御さんや。知ってるか」

「んがっ」


 ど真ん中に直球を放られた。しかもノーモーションで。あるいは無回転シュートなのかもしれないがどうでもいい。天彦の動揺は著しかった。

 甲斐の上洛。そんな歴史あったかな。あっても知らん。諏訪四郎。即ち武田勝頼や。知らん、人物像も朧げにしか。

 滅ぶんちゃうのん。庶子四男坊やのに正当後継者になった不運のお人さん。


 あかん、震えがとまらへん。殺しに来はるんやろか。死ぬんやろか、身共。


「顔色悪いな。ほら、お茶を飲みなさい」

「はい」


 ずるずるごくり。ずずず、ずばずば、ずずずず。


「ぶはっ、げほ、げはげは、げほっ」

「こら、吸いすぎや。おい背中摩ったり」

「はっ」

「ごほっ、こほ、こほ」

「どないしはったんや、落ち着きなさい」

「は、はい。すーはー、大丈夫です」

「怪しいもんや」


 うん、無理だった。


 対応策が思い浮かばずぷちパだった。ぷちパーティーなら大歓迎だがパニックなのでお仕舞いです。さようなら短い間ですがお世話になりました、お世話しました。


 お世話……?


「お? ……おぉ! そや、お世話返してもらお」

「天彦さん」

「じっじ、ちょっと出てくる。ごめんやで」

「じっじ!? じっじええやん。こらどこにっ――」


 天彦はじっじそっちのけで応接間を飛び出した。


 世の中打算と情の押し売りじゃい。そろばんずくと嘯きながらも善意の貸し借りを一方的に貸し剥がそうとしているのは紛れもない事実。


 腹黒ワル天彦は背後に勝手に引っ付いてきた家人(ラウラ・雪之丞・佐吉)を引き連れ、菊亭屋敷を後にした。










【文中補足】

 1、清華家家門(血縁)序列

 土原氏閑院流>御堂流分家>村上源氏。大別するとこんな感じらしいです。

 よって村上源氏流派の土御門家は下に見られていて、現段階では清華家から降格している。


 2、公家派閥

 摂関家は近衛家派閥と九条家派閥とに分かれて熾烈な対抗戦が繰り広げられている。

 九条推し(義稙系列)足利義栄、二条家、一条家

 近衛推し(義澄系列)足利義昭、鷹司家

 とに分裂。

 そのため九条流摂関家(前将軍義栄)VS近衛流摂関家(現将軍義昭)という政治的対立構造が出来上がっていた。


 猶、三条家の家令職家格である土御門家は三条流。三条家は政治的に中道派であるため西園寺も同様見解。

 するとその分家である今出川家、延いては更に分家の菊亭も西園寺に続くと認識されるのが妥当だがそうはならない。

 天彦の今出川勢は完全に反織田派として認識されているのである。これぞ婚姻外交の悪例。大失敗の巻。

 適否は別にして目下反織田、親九条と広く認知されているのが現状である。


 猶、天彦がご近所に用事と言って出ていこうとしたとき、実益が咄嗟に三条(転法輪)かと口調が厳しかったのは単なる嫉妬。

 藤原北家閑院流嫡流の三条家(公頼)には強く出られないため、天彦の異能や面白さを世には広めたくないのである。万一にも側近に登用されると自分と同格となってしまうという危惧もなくはない。要するに我がままな独占欲である。


 3、射干

 アヤメ科の多年草。
























 

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― 新着の感想 ―
[一言] いやほんとUR「信頼できる家族」って知識を活かす大前提ですね、あとはSSR「自由に出来る身分と資金」があればさいこうですが。
[一言] 神祇官は官職ではなく国家祭祀機関の名称ですぜよ。「太政官」みたいな感じ。 あと神祇「省」も明治維新以降に新政府の元で一時期設置されたもので、近代以前の令制官、令外官には存在しなかった筈。
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