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雅楽伝奏、の家の人  作者: 喜楽もこ
十六章 貴種流離の章
268/314

#16 負い目ではなく然りとて引け目でもなく

 



 元亀元年(1570)十二月三一日






 綺羅を尽くす大茶会開催前夜の大晦日。



 大前提、平和は理屈では成立しない。むしろ屁理屈でこそ成立してしまう難物である。

 屁理屈とは強靭な理性を指し、またそれと同じくらい合理的な防衛力並びに外交力が備わってこそ。平和はどうにか保たれ成立する。善悪適否はさて措いて。



 どんどん――、



 床を叩く重い音が静まり返る室内に響いた。

 二つの箱を床に置いた彼は、すぐさま叩頭の姿勢に戻り、


「これと、これ。そして我が命で何卒! どうか当家壊滅だけはご寛恕いただきたく候――、何卒っ!」


 これでもかと額を床にこすり付け一族の助命を嘆願した。


 天彦の眼前で、これでもかと額を床にこすり付け叩頭する人物こそ六郎兵衛こと宇喜多春家である。当主直家の信厚く宇喜多家恩地の備前瀬戸内砥石城の城主である。つまり当主直家の実弟。そして彼は備中高松城攻略後の、次のターゲットの城主でもあった。


 彼は目下、備前国や美作国で宇喜多家と軍事衝突を繰り返す仇敵、三村氏(親成)対応を任されている最側近のはずである。それが……。



 おうふ。



 主君であり実兄を裏切っての投降、助命ではなく一族滅亡の寛恕。自身の命をも担保にして。


 天彦にとっては、文字通りまさしく重い音である。あの二つの箱にはそれぞれ事前見分によりブツが改められている首級がひとつずつ、収められているのだから。

 何よりあの籠には逆賊宇喜多直家の倅にして宇喜多家嫡男君が包まれているのだ。

 そう。彼こそ未来の備前宰相にして豊臣政権下での五大老の一人、八郎秀家その人である。絶賛ゼロ歳児中の。



 いや、どうせーって。いう……。



 むろん理屈は承知している。戦国の作法も。

 首級は当主直家とその娘婿・備前金川城主松田元賢であることも重々承知している。

 つまり完全降伏・完全屈服の意味であることも。


 だがしかし天彦は公家。360度、どの角度から見渡しても完全無欠のお公家様である。武家の作法に従ってやる道理は……、ぐすん。


「それはないて」


 あった。


 武家の法に従う道理はなくとも、容易に想像できてしまう未来予想図には歯向かえないとしたものである。

 仮にここで申し出を突っぱね宇喜多家を滅亡に追い込んでもみろ。

 たちまち噂は日ノ本を駆け巡り、一夜にして菊亭包囲網が敷かれること請け負いである。

 あるいはそこまでいかなくとも無情で非情な采配は、今後敵対するであろうすべての敵勢力を背水の陣に追いやってしまい、確実に族滅覚悟の徹底抗戦を余儀なくしてしまうのである。鉄板で。


「地獄かな」


 あるいはそれすら生温い修羅の道。


 これぞまさしく屁理屈である。これぞまさしく外交ではなかろうか。

 天彦は幾重にも驚かされた。そして幾度となく感心する。まるでお家存続の極意を見たような気がして。


 むろん十重二十重に張り巡らされた謀略であることも加味しながらも。


 興味が俄然湧いてしまう。


 これまでまったく関心を寄せたことのなかった、言葉を飾らず言うのならモブでしかない戦国武将に、天彦は俄然惹かれていた。


 ならば取る手は一つ。選ぶ言葉も一つである。


「春家。お前さん――」


 と、


「宇喜多春家殿。御覚悟お見事にござる。後はこの三河守家康めにお任せあれ。疾く往生なされるがよい」

「忝くござる。この御恩一生、……はは、がははははは」

「わははははは」


 何かが通じ合ったのか。家康公と春家はまるで旧知の間柄のように通じ合う大笑いを交わし合った。


 言葉を奪われ置いてけぼりの天彦はぽかん。

 だが主君を虚仮にされた家来たちは黙ってはいない。


「おのれ家康ッ! 貴様、殿のお言葉を遮るとはどういう了見である」

「貴殿、何様のお心算か」


 是知が吠えると佐吉がつづいた。


 そして脇に同じく控えていた菊池権守九郎はといえば、彼が最も感情的な応接に打って出ていた。

 それもそのはず。彼はこの件の最大の被害者である。多くの直臣を伊予松山城の攻防戦にて失っている。

 九郎は手元に置いてあった大小の大を手に取り膝立ちになって、今にも抜き放ち斬りかからん勢いで身構えていた。


 むろんそれには徳川家臣団も黙ってはいない。


「参るぞ! 平八郎、遅れをとるなよ」

「応よ、あたけたらぁ!」

「おらぁ――ッ」

「木っ端侍めが、目に物見せてくれようぞ!」


 酒井が本多が榊原が鳥居が、怒声に近しい大声で威勢を張って猛然と家康の盾となって立ちふさがった。


 すると菊亭も黙ってはいない。


「氏郷、高虎、且元殿――、不逞の輩に当家の流儀を教えて進ぜよ」

「応!」

「田舎侍が舐め腐りおって、ぶっ殺す」

「お任せあれ」


 武威には武威とばかり与六を筆頭とした侍所イツメンお家来衆が意気盛んに応戦し、これまた天彦の盾となって分厚い壁のように立ち塞がった。数も意気も互角。


 するとざざざ。つづくように三つ紅葉と三つ葉葵を背景に、両陣営の大勢の侍たちが二手に分かれて静かに睨み合っていた。

 こうして瞬く間に、菊亭、徳川、両家の侍衆はほとんどゼロ距離の近さで睨み合い色めき立った。


 果たしてどちらかの首魁の一言で、この場に血の雨が降ることは免れない危機的状況の中。

 渦中の天彦と家康も目と目で見つめ合う、半ば死闘にも等しい視線の応酬を繰り広げていた。


 双方から聞こえる荒い呼吸音が、凍える寒さのはずの禅堂の熱気をこれでもかと高めていく。


 ややあって、ふっと息を吐き脱力したのはおタヌキだった。


「逝かせておやりなされ」

「死してこそ浮かぶ瀬もあれ。お命さんは生きてこそ活かせると存じるでおじゃる」

「それも一理。ですが御仁も侍。お公家様の理屈では救えませぬぞ」


 まさしく平和は理屈では成立しないを解かれた格好の天彦は、ぐうの音も出ず凹まってしまう。この場合の凹むは臍を曲げてどん拗ねると言い換えても同義である。


「亜相様なら疾くおわかりのはず。悪いことは申しませぬ、静かに逝かせておやりなさいませ」

「ぐう」


 惜しい人材である。しかも彼は切り札にもなった。

 ここで恩を売りつければ、あるいはよい壁となってくれるはずである。

 誰の。むろんこのしたり顔で戦国侍道徳を説いている徳川おタヌキ家康公の。


 やはり天彦は確信する。

 徳川家康は押しも押されもせぬ戦国の英雄であると。そして自身の宿願に立ちはだかるでっかくて分厚い壁となることも。同時に強く確信するのであった。


「三河守さん、あんたさんに貸し過ぎてなんぼ貸したかわからんくらいや」

「あはははは、さすがは亜相様。お見事ご立派なお覚悟にございまするな。この家康、爪の垢を煎じて頂戴したくございまするぞ」



 がははははははは――



 快哉とした笑い声が鳴り響くと、自然両陣営の緊迫感も解けていき見た目に最大の山場は去った。


 これが器の差か。それとも……。


 いずれにしても天彦は一瞬でも斬り合いをシミュレーションしてしまった自分自身に狂気を感じて寒くなる。

 おそらくだが勝てると踏んだら踏み込んでいたのではないだろうか。いやかなりある。故に寒い。自分自身の心の在り方が妙な寒気を誘ってくる。

 それと同じくらい瞳を爛々と輝かせていた官兵衛の存在がこれでもかと寒気を誘う。


 漁夫の利を得る。天彦の脳裏には、そんな意味合いの四文字熟語が浮かび上がる。


 誰も彼もが抜かりなく、誰も彼もが熱くて寒い。


「ぶるる、おおさぶぅ」

「殿、いったんお移りください」


 すぐさま佐吉が羽織を脱ぎ、天彦の肩にかけて身を案じた。


「おおきに佐吉、そうさせてもらお。ほな三河守さん。沙汰はお任せしてもよろしいか」

「はっ、この三河守に万事お任せあれ」

「おおきに。春家さん、大儀におじゃった。お悔みは申し上げられんが、心中は甚くお察しさんにあらしゃいますぅ」

「ははっ――、ご厚情に感謝申し上げ奉りまする。この御恩、末代まで忘れませぬ」


 赤子だけは菊亭で。


 これはマスト。自身の考えで育てなければ見事な復讐マシーンが出来上がってしまうので。怖いと言うより哀しすぎるから厭まんじ。

 ならば、

 広い視野を持って文武両道に長けた中道精神のあるお家、あるいは御方。


 いるわけない定期。


 99%主観でしか生きていない、いや生きていけない世界である。

 ならば妥協して謙信公か。これなら天彦に寄ることもなければ宇喜多に寄ることもないだろう。


「お手紙認めよ」

「殿、お休みくださいませ」

「大丈夫やで」

「いいえ。僭越なれどすでにお熱の予兆がございますれば何卒」


 などと佐吉に気遣われながら天彦は赤子秀家の殊遇を考えつつ、謁見の間として使用していた禅堂を後にするのであった。


 いよいよ綺羅を尽くした大茶会という一大事業を明日に控えて。


「庶人の集まりはどないさんやろ」

「……」

「是知、どないした」

「あ、……その、あの」


 すると、


「ゼロですわ」

「朱雀殿!」

「朱雀殿、控えられませ」


 是知と佐吉に阻まれる雪之丞だが、彼は涼しい顔でまたぞろ言い放つ。


「ゼロですわ」

「お雪ちゃん?」

「若とのさんがあんまりにも不人気なせいで、参加庶人はゼロですねん。これを機に行いを反省してくださいね」


 あ、はい。


 菊亭のファンタ氏曰く、そうらしい。

 半分は当たっているのだろう。残り半分は別の理由が作用している。と思いたい。

 いずれにしても、庶民という名のあの戦争見世物だいすきマンたちが招待に応じないだなんて余程のこと。反応を訊いた天彦にもその自覚はあった。

 何しろこの時代の庶民は強く、戦があると訊けば手弁当で観戦しに行き、あわよくば首級を挙げてやる気満々マンもいたほどである。←これマジです。


 あまぴこくんガンバ大阪。ゆーてる場合か、


「おうふ」


 終わってはいないが恰好はつかない。一ミリも。



 策が、悪巧みがががあああああああああああああああ――!



 藻掻いていても始まらない。事は明日だ。ならばどうする。

 決まっている。切るのだ。万が一の切り札を。憐れ天彦、気づけば絶対に切りたくなかった切り札を切るしかなくなっているではないか。


 つまりオーガニゼーションで人心を釣る。形式は制度、サービス、人材、情報、ネットワークetc何でもいい。一番いいのはわかりやすく腹を満たせる何かである。あるいは銭その物でもよいだろう。

 つまり銭をばら撒くのだ。それも生半可な額ではない額を大盤振る舞いに振舞って。


 まーた出ていく。お財布からお銭銭さんが。


「じんおわ」


 あ、熱が。


「殿!?」

「殿!」

「誰か、誰かある――」


 大事ではない。ただの眩暈。それもフィジカル由来ではないメンタル食らったときに起こる補佐的な眩暈やつ。


 嗚呼、我が暮らし。いったいいつになったら楽になるん。


 石川啄木に共感しつつ天彦は、今度こそ本当に自覚して眩暈を覚えるのであった。



















おい歩くカミングアウト、今日はどこで自慢してきた。←お雪ちゃんさあ


猶、三介にばらしたのは雪之丞である説が菊亭さん家では鉄板の有望です笑

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