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雅楽伝奏、の家の人  作者: 喜楽もこ
十六章 貴種流離の章
267/314

#15 綺羅を尽くす

 




 元亀元年(1570)十二月二五日






「猶、見たこともない新造船の由にございまする」

「おおきに。射干に気遣っているなら心配いらへん。姿、見せてもええんやで」

「はっ、お気遣い忝くございまする」


 報せを遣わした風魔党の急使、その親玉がそっと耳元で追加情報をもたらした。

 天彦が声の方に視線を向けるもやはり、すでにその姿はなく。

 小太郎はそこに居たであろう熱量だけを微かに残して見事なまでの忍術を披露して消え去った。


 天彦は扇子をぱちぱちぱち。三度調子を取ってすぐ、


「ふーん、……あ、そう」


 まるで吐き捨てるように。いや完全に言葉を吐き捨て言い放った。


「殿、如何なさいましたか」

「なんもあらへん。気にせんでええ」

「ですが御機嫌が優れぬように見受けられまする」

「佐吉、おおきに」

「は、はは――」


 佐吉は察してすぐさま撤退。それで正解。

 何しろ今の天彦にはすべての気遣いが琴線に、いや逆鱗に触れる。


「おのれ……、やってくれおる」


 結論、ぜーんぶ魔王さんの掌の上。……さすがのさすがに業腹ねん。


 天彦は上空に程近い虚空にそっと視線を預ける。


「……」


 だが次の瞬間には妙な違和感を覚えてしまう。果たしてそうかな。その文字とともに。

 この策、何やらいつもと趣向が違うと感じる。あくまで第一感と肌感なので正確性は何もないとしても。だがこれは魔王様お一人で練られた策に非ず。けれど算砂の陰湿さも感じない。その確信だけは妙に持てた。


 それこそ織田信長という人物を間近で見てきた、為人ひととなりをよく知る天彦ならではの違和感であった。むろん算砂も。

 信長であるならもっと直線的であり、算砂であるならもっと曲線的なはず。

 だがこの策から感じる肌感は、あるいはもっと奥深くの。果たして遥か高みから見下ろされるような。上に裏にと幾重にも仕込まれた、まさしくそう。天意があったのやも。


 そう感じざるをえない途方もない策略の厚みを感じてしまう。


 げろまんじ。


 そう考えるとなぜか腹落ちし、同時に沸々とした可笑しみが込み上げてくる。


「負けや、負け。今回ばっかしは身共の完敗におじゃりますぅ」

「殿!?」

「と、殿――」


 そう。まるで手を伸ばせばそこに届くかのように。


 呵々とお笑いになられる帝の破顔と、クソガキめ。これに懲りたらちっとは真面目に仕えぬか。そんなリアルな肉声が幻聴として聞こえてしまう。

 と、同時に抗っても抗いようのないすっぽりと包み込まれるような王者の風格を、一連の策の裏に確と感じ受けてしまっては、もはやお手上げの降参のギブなのであった。


 紐解けば果たしてどこの段階から仕組まれていたのか。


 勘繰りたくはないがあるいは菊池権守ですら策の一環ではないだろうか。本人が認識しているいないに関わらず。

 少なくとも播磨勢の制圧と一連の織田家抵抗勢力の一掃は策の内であることは紛れもなかった。

 ならば一条家の持つという勅も本物の可能性が高い。なぜならその可能性の一端を少しでも嗅ぎ取ってしまえば最後、免罪符として持っている相手方に対し、天彦なら究極的な断罪はけっしてしはしまい。そんな確信犯的悪巧みを感じてしまうから。

 事実、これで天彦は一条家を咎めることはできなくなった。何よりそんな気が失せてしまっているのだ。この時点で策意にまんまと嵌っていることは紛れもなかった。


 またその観点から、炙り出されるように侵攻を開始した長曾我部元親と宇喜多直家勢もある意味での被害者の可能性が浮上してきた。

 むろん可能性の一環だし一ミリも擁護する気は起こらないとしても。事実は事実として受け止めれば、その公算がかなり高いと思われた。


「主上さんさあ」


 負けは負け。いったん気分を切り替えて猶、だがそれとは別に腹が立つ。猛烈に。激烈に。


 天彦は一瞬だけ奥歯をきつく噛み締めてすぐさま、ふっ。脱力開放して、目くらましに張られた陣幕の入り口脇付近、そこだけ一際人口密度の高くなっている場所に視線を向けた。飛び切りのジト目を添えて。


 そこには貴人警護の甲冑を着込んだ将兵が、幾重にもその貴人を取り囲んで陣取っていた。各々がよく知られた色とりどり、あるいは型式とりどりの兜前立てを設えて。


「いずこに参らせます」

「ちょっとそこに」

「……お加減召されませ。あのご様子ではすでに半分参られております」

「やだね」


 もう。と愚痴るラウラの言葉を聞き流し、天彦はおもむろに立ち上がると扇子を片手にぱちぱち、その一団が陣取る人口密度の高い入口付近の一角に歩を進めた。


 そろり、ささ、そろり、ざざざ。


 衣擦れの音を背景に、常に脇に従う佐吉と是知以外のすべてを凍てつかせる極寒の冷気を纏って。


 してやられた。

 天彦の勘気の由来はこの一言に尽きた。


 では誰に。むろん決まっている。彼のおおうつけ者に。いや真正大虚け者には違いないが、なぜか勘働きと鼻だけは妙に利く野生のサバイバーに。家内を除けば唯一にして絶対的ずっトモである左権中将織田三介信雄に。


 ここ数日、妙に静かやと思ったが。思ったら。


「これかいあんほんだらっ」


 この時代、大船団を派遣、いや新造、調達可能な者は相当かなり限られた。

 だから出資者の大本が誰であるかなど探るのは容易い。

 だが一方、天彦の立てた策意を読み解き、その策に策を重ね掛けできる人物の特定は容易ではない。

 なぜなら天彦がいたずらに騒ぎ立て可能性を追求してしまえば、それこそ家中に大いなる疑念と胡乱を渦巻かせてしまうから。


「ぎく」

「下手か!」

「なんじゃとぉ!」

「なんよ」

「……び、びっくりに巧いも下手もあるものか」


 語気よわっ、よわっ語気。


 いや、あるやろ。


 天彦は三介を見つめる。むろん咎める意味合い120%オンの最大限のジト目で以って。


「なんでしたん」

「し、知らぬぞ」

「怒らへんから申してみ」

「ぞ、、存じぬと申したら存じぬのじゃ!」

「茶筅」

「くっ、しつこいぞ」

「茶筅」

「……ふん、儂は親父と元親の密約など知らぬからのッ!」

「茶筅」

「わ、儂はただお前の力になってやりたかっただけなのじゃ。だから此度の遠征の肝であるらしい塩飽水軍と仙千代を繋げただけなんじゃ、……あ」

「殿!?」

「……若」


 茶筅さあ。


 お馬鹿。ど阿呆。お間抜けさん。……でも好き。


 天彦は今回の実行犯である万見仙千代の姿を探す。

 だが姿はどこにもない。

 こういったとき、茶々丸が居てくれたら。彼なら必ず家中で蠢く策略の芽を摘んでくれたはず。だがその彼はもういない。居るが傍には居てくれない。


「佐吉」

「はっ、ここにございまする」

「お気張りさん」

「は、はは!」


 ならば育成するまで。天彦は熱っぽい視線を佐吉に向けて最大限の期待を寄せるのだった。他力おつ!





 ◇






 結論、やることは変わらない。例え策意を読み解けたとしても。


 宇喜多は攻め滅ぼさなければならないし、直家の首級は挙げなければ示しがつかない。反面、塩飽家を咎めることはできない。対村上に仕えずとも水軍が征西の肝となることも変わらない以上は。


 策を見破られて猶、成功がすべて包括的に織り込まれた策。なるほどさすがと唸る他ない。


「主上さんともっとお話ししたかったん」


 湖上に浮かぶ備中高松城を見上げてぽつり。

 惜別の郷愁が今更ながら天彦の小さな胸に押し寄せてきた。


 すると天彦の頬にキラリ。一粒の雫が頬を伝った。


 天彦は一張羅もお構いなしに頬を拭いこすると表情をキリリ。意を決した風に言い放った。


「是知」

「はっ、ここにございまする!」

「将を射んと欲すればまず馬を射よ、か」

「……殿?」


 ふむ。

 天彦はふっと息を吐いて是知に向かって微笑むと、


「家中に達せ、有りっ丈の綺羅を尽くせと。そして近隣に触れを出せ。一月一日の元日に、この菊亭主催で主上さんの大追悼茶会を催すものなりけり。性別・職業・身分の貴賤に関わらず挙って御参加思召せ、とな」

「え。あ、いや、……それは」


 これ絶対にあかんやつ。


 命を下された是知はもちろんのこと、天彦の言葉に傾注していたイツメンたちもが顔色を変えた。むろん宜しくない方に神妙な面持ちで。


 それはそう。目下、喪中である。


 ただでさえ禁忌を破りまくっているところに。密やかでしめやかに執り行われる厳かな茶会ならまだしも、綺羅を、即ち包括的に贅を尽くせとはいくら何でも……、


 無茶がすぎる。


 ましてやここはお家の存続を懸けた、命のやり取りを賭けた戦場である。それもただの戦場ではない。数万の軍勢を取り囲む十数万の大軍勢を率いる大戦の場の最先端。


 油断禁物も然ることながら、派手な茶会など催してもみろ。世間に対し悪風を撒き散らしてくれと申し出ているにも等しい愚行ではなかろうか。


「ルカ」

「はいラウラ様」


「氏郷殿」

「はっ扶殿」


「佐吉」

「はっ是知殿」

「扶様と申せ」

「厭でござる」

「おのれ」

「何か」


 小競り合いはさて措き、

 ん、待てよ。果たしてそうかな。あるいはそうか。


 すると賢しい者から順に。つまり天彦の薫陶が行き届いているイツメンから順に失くしかけた顔色に、徐々に朱を差し込んでいった。


 が、


「お殿様は生粋のアホだりん」

「今回ばかりはルカに同意いたします」

「……殿、お労しいや」

「なんと損なご気性か」

「ご覚悟お見事。なれどお家のことも少しばかりは――」

「そこまでお怒りなのじゃ、皆まで申すな」

「いいや違うね。あれは大そう哀しんだはるお顔さんやね。知らんけど」

「おい夜叉丸、あいつやっぱし本物のど阿呆やぞ」

「じゃな市松。さすがの儂も呆れ果てたわ」


 おいコラそこ。聞こえてんゾ!


 すると、


「がはははは、さすが儂の菊亭じゃ! 乗ったぞ、儂は。なんじゃ三河守、そのしけた面は」

「しけたと申されましても、生来生まれ持つ顔にございますれば」

「嘘を申せ、嘘を。この小心者めが。がは、がはははははは」



 がははははははははは――ッ!



 成果は家来に気遣われ、そして阿呆が一人釣れただけ。


 結果、陣幕には途轍も言葉にできない極寒の帳が降りるのであった。


 まるで遠く西の空に見え隠れする冬空の暗雲を予言するかのように。












【文中補足】

 1、綺羅

 綺は綾織りの絹織物の意味であり、羅は薄織りの絹織物の意味となる。即ち美しい衣服全般を指す。

 上記の意味から美しい衣服で着飾っている人を指す。また衣服だけでなく権力者や優れた人に対しても用いる。













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