#14 いつかの郷愁、いつもの悪巧みと
元亀元年(1570)十二月二五日
大前提、人のスキは否定してはいけない。
ワンちゃんそれが生理的に受け付けず、仮に大っキライなもの(こと)であっても。
聖なる夜。正しくは夕日が傾きかけた夕暮れほんの少し前刻。
「アリ」
「ヤ」
「オウ」
美しくも厳かな掛け声が鳴り響く。
ご存じ蹴鞠の掛け声である。
菊亭陣幕では八名ものお公家さん方が蹴鞠に興じていた。湖面に浮かぶ備中高松城を真正面に臨んで。風流さんやなぁ――とは誰も言わずに。
つまり異様。あの公家が雅を口にしないのだ。それはもう異常以上でも以下でもない。
即ちこの一種異様な光景こそ、目下を現わすすべての異常事態を象徴している風であった。
何しろ蹴鞠に興じているお公家の誰一人として喜色を浮かべる者のいない中での蹴鞠なのだから。
何しろ、あの備中高松城が湖面に浮かんでいるのだから。
つまり見事なまでの水攻めであった。
それも合算、十七万もの大軍勢による完璧な包囲網の敷かれた。
ルールメイカーにしてルールブレイカーな天彦だが、さすがにあの高松攻めの史実には抗えなかったのか。
支配勢力や城主こそ違うものの、史実に名立たる有名な備中高松城の水攻めだけは踏襲していた。
なぜ踏襲したのか。歴史の改ざんなど今更なのに。
真意は誰にもわからない。あるいはきっと今は亡き藤吉郎を偲んで。なのだろう。
あるいはそれともただ己の立てた策(悪巧み)を成功裏に収めたいばっかりに。なのか。あるいは……。
天邪鬼代表選手天彦のこと。可能性は多岐にわたる。
熱心なドクシャーなら天彦の真意など既のとっくにお察しのことと思われるとしても。仮に可能性が零ではない以上、例に挙げずにはいられない笑。
いずれにしても戦場とはとても思えない静かで冷ややかな陣中にあって、粛々と蹴鞠を蹴上げる音とその掛け声だけが鳴り響く一種異様な光景だけが浮き彫りとなって、粛々と繰り広げられていたのである。
何度でも言う。誰ひとりとして愉しんでいる者のいない中で。
「アリ」
「ヤッ」
「オウ」
それは急遽強引に招聘された飛鳥井雅敦しかり、雅敦に随行してきた公家もしかり。
そして菊亭陣営に元からいた烏丸光宣しかり、結局帰洛のタイミングを逸してしまい謎の流れで備中高松城攻めに随行させられてしまった山科言経しかり。
ご褒美の甘味に釣られて、数合わせで参加させられている実は蹴鞠が達者な雪之丞しかり。
誘ってもいないのに与力を申し出てきて、あまつさえこの蹴鞠会にも図々しく参加している三河守家康しかり。
備中高松攻め軍十七万の基幹戦力となっている播磨州のまとめ役、軍師官兵衛もしかりである。
そして何より主催者である天彦然り。
要するに誰一人として愉しんで蹴鞠を蹴っている者などいないのである。
もっとこの状況を紐解くのなら即ち、彼ら公卿はこの蹴鞠を通じてこの異常事態の裏に隠された本質の恐ろしさを察してしまったのである。
そう。主催者たる天彦(菊亭)の思惑や策意を、この急遽開催された蹴鞠会を通じて察してしまったがために、誰ひとりとして白い歯を見せられなくなってしまったのであった。
真意を察するほんの数分前まではあれほど笑顔が絶えなかったというのに。
但し天彦の不機嫌面だけは意味合いが違っていて、天彦は光宣を筆頭とした謎の設定厨に対して憤っているのであった。仕来りうざい。あと正装とお歯黒もうざい。そういうこと。
「あくどいアリ」
「卑劣ヤ」
「どぎついオウ」
「聞きしに勝る狡猾なアリ」
「姑息極まりないヤッ」
「藤原長者にあるまじき悪辣さトウ」
やめとけ!
いいパスを貰った天彦は懇親の右足で振り抜いた。
「お前さんら台詞が次第に長なっとるやろがいッ、アリ!」
「天彦さん、これは勝負を競う競技にあらしゃいません。平和の祭典に通じる平和祈願の蹴鞠におじゃります、ヤ」
「みっちゃん五月蠅い。一生黙ってて、トウ」
「いいえ黙れません。だって天彦さん黙ってたらすぐ草生えさせはるし、すぐ規範を破らはるんやもの、ヤ」
「だから黙ってい、トウ」
いや、まじのまんじに。光宣一生黙っててほしい。
天彦はその感情100で四方に張り巡らされている四つ角の一角に視線を預けた。
そう。古来よりの仕来りに従って蹴鞠会場の四隅に植えられた、四本の宿り木に。
ここ戦場なのだが。の感情で。オマNGの感情で。
皆の胡乱寄りな無表情と、天彦の不機嫌寄りな無表情とだけは大きく意味合いが違っていた。
その理由がこれである。
天彦は光宣を筆頭とした謎の設定厨に対して憤っていたのである。仕来りうざい。あと正装とお歯黒もうざい。そういうこと。
設定厨ここに極まれり。仕来りに何かと拘る、いやはっきりと病的に五月蠅い光宣は、蹴鞠の第一人者の一人でもある飛鳥井雅敦と結託して、あろうことか四方に蹴鞠の精霊の宿る松(西北)、桜(東北)、柳(東南)、楓(西南)を植えさせるという鬼クソめんどいことを天彦にやらせたのであった。
蹴鞠の精霊て――!
日ノ本は八百万の神が御座す土地だからと言ってもさすがに、蹴鞠の精霊て!
その作業の大変さときたら、少々の難事でも表情を動かさないルカをして衒いないジト目を向けてくるほどの難産であったとかなかったとか。
ルカの揺るぎもしない感情はさすがに盛ったが、いずれにしても。
だが天彦にはどうしてもこの場で蹴鞠を蹴らなければならない事情があった。この際理由でも可である。事実認定がほしかったのだ。
誰もが噂を口にする、菊亭蹴鞠大会としての風聞が。
それを可能とするには、備中高松城水攻め前シチュはもってこいの場面であった。
「えぐいのはどっちねん、アリ!」
「天彦さんは反省し。ヤ」
「するかいボケ、トウ!」
「しなさいアリ」
「急に冷静に諭すまんじやつ、アリぃ」
「急に萎れないでほしいでおじゃりますぅ、トウ」
うん。光宣はやっぱし優しい。やっぱしずっトモねん。
果たしてそうかな。
「戦場に仕来り100持ち込む人おらんのよ、アリ!」
「それを申されるのならそも、戦場に雅を持ち込むことの方がどうかなさっておじゃります、ヤ」
「この設定厨がッ、トウ!」
「可笑しな言の葉を使わないでいただきたくおじゃりますぅ、アリ」
と、
天彦がずっトモ光宣と舌戦を繰り広げていると、謎の勢力が天彦の与力に回った。
「ほんに御大層にあらしゃりますなぁ、ヤ」
「ほんまにさすがは菊亭さん。豪儀なことにあらしゃりますなぁ、トウ」
「ほんに残酷、そして強か。総じてお強い。見事にあらしゃいます、アリ」
何かの揶揄も忘れずに。何かに対する批判も込めて。
と、
「某お腹すきました。後でおいもさん食べよ、ヤ」
「よろしいな。ならば某も朱雀殿にお付き合いいたしましょう。トウ」
「え、厭ですけど。アリ」
「なぜに御座ろう、ヤ」
「三河守さんに分け与えたら普通に取り分減りますやん、トウ」
「くは、がははは。それはたしかにでござったな。失敬ご勘弁願いたく、アリ」
「三河守さん、ちょっと図々しいですよ、ヤ」
「……御忠告、肝に銘じまする」
「仕来りの掛け声を忘れたはりますよ、お武家さんこそ守らんとアリ」
「重ね重ねの御忠告。この三河守家康、確と肝に銘じてござる。ヤ」
中には、ちょっと趣向の違う可怪しな勢力も混じっているが。
しかも失笑どころか益々場を冷えさせてしまっているが。周囲の悲鳴が幻聴として聞こえるほどに。
一方、
「朱雀様、拙者ならばご相伴に預かってもよろしですかな、トウ」
「勘弁はええよ。某の一のお家来さんやから、アリ」
「はは、官兵衛にござる。ですがこの黒田。当代一の幸福者にござる。ヤ」
「うん。勘弁はほんまに正直者さんや。褒めたろ、トウ」
「恐悦至極! アリ」
「ヤ」
「トウ」
ちゃっかりマンは健在であった。とか。
すると天彦の視線がやや険しく窄められた。
「お雪ちゃん。そうやって何でも暴き立てるのは感心せんで、アリ」
「お言葉ですけど若とのさん、ヤ」
「厭な予感がするけど申してみ、トウ」
「はい。ここは菊亭陣中。ほな当家の作法が罷り通るはずですやん、アリ」
「ちっ」
「あ」
「あ」
直言御断無用。
それは天彦が打ち立てた菊亭の法度の一つであり、直言の中には忌憚のない意見もむろん含まれる。
ならば。徳川の不機嫌は仕方がない。実は何気に尤もだし。
天彦は雪之丞の言い分も尤もであると得心しつつ思考を切り替える。
「アリ」
「ヤ」
「トウ」
他方では、むろん公家たちが浮かべる胡乱な感情の正体が果たして何であるのかは察していた。
それはそう。当り前より当り前である。何しろ天彦自身が自ら仕掛けた悪巧みなのだから。
そしてその悪巧みにまんまと嵌められた被害者が飛鳥井雅敦を代表とする、急遽招聘されその招聘に快く応じてくれた、あるいは応じざるを得なかった彼ら公卿たちなのだから。
こうして天彦の菊亭家が戦場の先端にある陣中にあっても蹴鞠に興じる、延いては蹴鞠を愛する御家だと喧伝させる一助に仕立てあげられてしまって。
「あくどいアリ」
「卑劣ヤ」
「どぎついオウ」
「聞きしに勝る狡猾なアリ」
「姑息極まりないヤッ」
「藤原長者にあるまじき悪辣さトウ」
やめとけ!
大前提、天丼がお笑いの基本のきだとして。
だとしても、自身への悪口なら笑えないので断固絶拒する。それが菊亭の仕来りなので。←キリっとした真顔で。
「身共が悪党ならこの世に正義など居たはらへんでおじゃる、アリ」
「狡猾極まりなくおじゃる、ヤ」
「しかし二条さんは今頃、さぞ震えたはることにあらしゃいましょうなぁ、トウ」
「ほんに、アリ」
「ほんに、ヤ」
「ほんまに、トウ」
「ほんに、アリ」
「そのご心中をお察しすると。あな恐ろし、――ヤッ」
オチが付いたところで蹴鞠会は一旦お開き。
公卿たちが季節外れの大汗を拭きに陣奥へと下がっていく。
天彦も汗を拭く。さっと用意された床几におっちん。
するとすかさず、家令がつめしぼを手に労を労ってくれる。
「お疲れにございましたね」
「ん、おおきにラウラ」
微笑ましくも穏やかに見つめ合っていると、
「して天彦さん。お公家の方々は何をああもお冠なのでしょう」
「お冠さん。冠さんねぇ。……ラウラ、知りたい?」
「それはもう。もちろんですわ」
「さよかぁ」
「……何か曰くがございますのか」
「曰くと申すほどのことはないさんやが。ルカはもう察してるで。ラウラ、勘が鈍ったんと違うか」
「は? 背景を存じないだけですが。ルカ、あとでお話がございます」
「え」
う。
おっかないのでそれ以上は黙っておく。
「そう虐めてやるな」
「失敬な。わたくしは虐めてなど――」
「まあまあ。種を明かしたろ。それで堪忍さんにしたってや」
「まあ。うふふ、ではそのように」
「おおきに」
タネを明かすにはまず歴史的背景からの説明が必要となる。
天彦は訥々と語り始めた。
「ええか」
平安時代から鎌倉時代にかけて藤原俊成・定家父子が歌道の家として一大流派を築き上げた。以降この流派を御子左家と呼び、御子左家の歌壇での影響力は絶大なものとなっていく。
この定家の子、為家は蹴鞠の家としても知られていてその流れも御子左家流と呼ばれ現代の戦国室町にも脈々と語り継がれている。
為家には三人の子があった。この場合の子は男子を指す。
その子らが後に家領を巡って骨肉の争いを演じてしまう。
結果御子左家流は、嫡男の御子左流(二条家)、庶流の京極流・冷泉流とに分かれ分断されて現在に至る。
天彦はその分断を一本化に纏めようとしているのである。
藤原の名の元に。大上段から原点回帰の正義を振りかざして。
「これもすべては天意におじゃる」
堂々と嘯いた。
天とは朝廷を表し、意とはむろん帝の御内意を指す。
但しお隠れになられた今となっては、果たして真意など問いようもない御内意である。
「名付けて、主上さんに捧げるレクイエムの巻」
天彦は百も承知。これが不敬であることなど。
だが天彦は強弁した。それこそが主上さんの願いであると。
それとは朝臣藤原へと回帰いたせとの御内意であると。
一心に、日ノ本の明日を憂う者として。千年後を共に憂う者として。己がその者であると固く信じて。
大仰な主語はいったん脇に置くとして、さてタネ明かしの本題である。
天彦にはこの策を弄する、藤原へと回帰させるその権利が十分にあった。あるいはあると主張するに足る十分な資質があった。
その根拠は目下菊亭家が藤原長者であることが一つ。そして二つに自身の血脈である。
そう。天彦は庶流派である京極氏の血を半分受け継ぐマンなのである。むろんあくまで推定仮説の域を出ないが。
そして招聘されたお公家衆がああも憤りを見せた理由は。
そう。この場に集う彼らは誰もが各々の本家直系の嫡流である。そしてその嫡流がこの世で最も屈辱を感じる瞬間を考えれば答えは簡単に導き出せる。
そう。それは絶対の格下である庶流に屈すること。枝に幹が浸食されるほどあり得ないこと。
二条から見た天彦(京極)は格下も格下。摂関家二条から見ても清華家(英雄家)菊亭など格下の三下扱いなのである。
それを好き勝手に改変される。反論に窮する一見すると正統性色の濃い言い分で以って。
その侮辱たるや、まさしく震える。その表現がズバピタであろう。
あるいはあまりの下衆の所業に対し、怒り心頭で震えてしまって憤死しても不思議ないほど。
令和的感覚の極めて強い天彦からすれば“は?なんそれ”なのだが、理解には苦しまない。なにしろ天彦(清華家)から見た飛鳥井(羽林)がそれに該当するという教育的住環境の元に暮らしてきているから。
人は哀しき環境生物。貴賤に関わらず、誰しもがその宿命を負って生れ落ちる業からはけっして逃れられないという悪例として。
そして何より、その悪辣な攻め口は絶対のぜで味方のはずの菊亭女性陣の共感も得るほどだった。
「お殿様、いつもながらえげつないだりん」
「二条様は今頃、さぞや震えておられますことでしょう。天彦さん、さすがにどうかと思いますよ」
おいコラ待たんかい。
いや、わかるけど待って?
天彦は女性陣への反論は心の内にだけとどめ置き、代わりに。
「ほんとうに」
「ほんとうに」
「ほう。お前さんら、ちょっと一緒にお散歩しよかぁ」
「ひっ」
「え」
天彦は、そろそろ見張り番交代のお時間やな。とか何とか。
思わず同意のつぶやきを漏らしてしまった是知と悪四郎の二人の肩を、愛用の扇子でポンポンと軽快に叩いて危険極まりない陣外へと連れ出すのであった。
「くふ、くくく。震えて眠ればええさんや。二条さんも宇喜多さんも」
人様のスキを虚仮にした罪はその身で負ってもらうで。
天彦のこの宣告には当事者以外もさぞ震えあがったことだろう。とくに直接耳にした家康公などはその最たる人物である。
それほどに天彦の言葉には感情がこもっていた。片やまっまに対するありもしないスキに代表される正の感情と、そして悪意に代表されるあらゆる負の感情がたっぷりと詰まった感情が。
と、そこに。
「申し上げます! 塩飽水軍、参上してございます。その数なんと一千と五百隻! 申し上げます――」
お、おおおお――ッ!
二度目の復唱を待たずして、陣内に大きなどよめきの声が上がる。
なんと凄まじいことか。これにて当家の圧勝は約束されたも同然である。
それはこれら文言に代表される味方の大軍参上を喜ぶ衒いない歓喜の声であり、すると誰ひとりとして怪訝を浮かべる者はいない。
あるいは冷静になってみれば菊亭イツメン衆ならば気づけたかもしれないけれど。今はまだ歓喜の輪に埋もれていた。
だが天彦だけは同調せず、疑心を深めた表情をただ一人浮かべる。
天邪鬼代表選手として。あるいは逆張り選手権優勝候補筆頭として。
天彦は円らな瞳をそっと閉じると、瞑目したまま扇子で調子を取りながら小考。
ややあって目を見開き、駆けつけた大船団の居るであろう南の海を見つめながら。
「そんなぎょうさんのお舟さん。いったいどこから調達しはったんやろなぁ」
ぽつり。
明日を占う(かもしれない)不穏極まりない核心めいた言葉をつぶやくのであった。
【文中補足】
1、飛鳥井雅敦(あすかい・まさあつ)1547~
羽林飛鳥井家十二代当主、従三位参議(極冠)。
歌人であり蹴鞠の最高権威の一人。二条閥だが織田家とも中山家とも通じている、時代を象徴する公家風見鶏、もしくは公家雀の筆頭格。
2、蹴鞠の掛け声。
アリ、ヤ、トウ。これは正式に決まっており、蹴鞠を広めた名人とされる藤原成道の視た三体の精霊(夏安林アリ・春陽花ヤウ・桃園トウ)の名に因んでいる。
3、御子左家
一連のお家騒動の影響か、家名としての家は存在せず流派としてのみ存続された。
果たして彼らは何度、蹴ったでしょうか。
はい。一生蹴っている回でしたね。
おまっふざけろ。ただでさえ読みにくいのに更に読みにくいやんけの絶唱(絶叫?)の後に笑笑くださったら幸いです。




