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雅楽伝奏、の家の人  作者: 喜楽もこ
十六章 貴種流離の章
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#12 不完全情報ゲーム

 



 元亀元年(1570)十二月十三日






「中島清にございます。当代茶屋四郎次郎は我が兄にございます」

「うむ清と申すか。遠慮は無用。ときに不躾な問いをするやもしれぬが、忌憚なく申すがええ」

「なんと光栄なことにございましょう。天にも昇る心地にございます。何なりとお申し付けくださいませ」

「うむ。ええ御心がけさん。麿はたいそう嬉しく思わっしゃります」


 場所を変えて近場の寺へ。

 核心である身分照会をすると意外な言葉が返ってきた。


 大前提、茶屋四郎次郎は屋号である。


 茶屋(中島氏)の当代通称であり、茶屋家の当代は四郎次郎を世襲する習わしである。それはむろん承知している。

 天彦が意外だったのは当代四郎次郎清延が世に出るよりも早く失速してしまっていることであった。


 むろん茶屋の名は京でもそこそこ通ってはいる。だが茶屋の本来の有名はそんなところではないのである。それこそ商家としては天辺を極め、そこらの武士など軽く道を譲るほどには轟くのである。←天彦調べによると。


 茶屋四郎次郎。彼は本来、角倉了以・後藤四郎兵衛と並ぶ京都三大長者として名を轟かせるはずであった。そして家康から橘の家紋(丸に橘)を賜るほどに、信頼され押しも押されもせぬ徳川家御用商人として発展を遂げていく。


 ところが名を馳せるどころか病床に伏しているというではないか。

 徳川家康と既知となり、やがて後世に語り継がれる“神君伊賀越え”の大立役者となり大出世を果たすのだが、あるいはの可能性としてその神君との邂逅が果たされず歴史が改変された被害者の一人なのかもしれなかった。


「いや、身共は悪うないさんよ?」

「天彦さん、御心の声が駄々洩れです。お控えください。周囲が不気味がって苦情の対処が面倒くさいので」

「ちょい待てい」


 罪悪感はさて措いて、天彦はその茶屋四郎次郎清延が中途半端な繁栄にとどまって半ば世に埋もれてしまってることにびっくり魂消てしまっていた。


 そして不安に駆られもしている。なぜならば天彦の思い浮かべた策の数々も無効になってしまうのでは。そんな思いが先に立つから。そんな危惧が生じてしまうから。

 天彦は拭いきれない不安を脳裏に浮かべつつも、一切表には出さずに探り探りで会話を進める。


「兄御前、お見舞いいたす」

「勿体なくもありがたきお言葉。当代もさぞやお喜び差し上げ、これにて快癒に向かうことにございましょう」

「それならええ」


 茶屋四郎次郎清延。家康公と同年代の彼は商人だが専ら諜報働きで家康に貢献したとされていて、商売をしながら上方の情報を浜松に居る家康に届けていたらしいのだが。

 天彦が着目しているのはそこではなかった。上辺の建前ではなく裏の話。もっと本質のどろどろとしたリアルなやつを欲していた。


 そう。茶屋四郎次郎清延は稀代の死の商人だったのである。誰がなんと言おうとも茶屋が一代で巨万の富を得られたのも偏に、矢や槍や鉄砲といった軍事物資の調達と運搬をしたから他ならない。……と、天彦は踏んでいたのだが。


「当家にございますか。……祖父の代から当代もこちらにございます品の通り、呉服屋を営んでございます」


 うそーん。


 用人たちも清の言葉を肯定するように同意の頷きで応じていた。


 天彦も茶屋の営業品目の細部までは把握していない。

 だが絶対に呉服問屋だけであるはずがない。それだけは確信があった。

 だから諦めないまんじ。なぜなら記憶は絶対に違っていないから。

 天彦はくじけずに根気よく深掘りしていく。


「茶屋が手掛けておった事業は他にもおじゃろう。清は存じぬか」

「当代が手掛けていた事業にございますか。……はて。何か知っておるか」


 御令嬢が用人たちに問い質す。誰もが小首を傾げる中、一人妙齢の女中が恐る恐るといった体で小さく手を上げた。


「申すがええさん」

「恐れ入ります。小耳に挟んだのですが、当代様はご当地にて何かを手掛けられていたご様子にございます」

「ほんまか!」

「ひっ」

「驚かせたな、許せよ」

「……滅相もございませぬ。ご無礼お許しくださいませ」

「許そ、許した。して何を致しておじゃったのか」

「はい。実はご当代様はしばしばご当地に足を運ばれ――」


 具体性は出なかったが、およそ見当は付いていた。

 即ち木綿コットンである。姫路木綿は姫玉、または玉川晒しと呼ばれ今後好評を博することとなる。

 むろんこれも銭になる立派な情報である。策の一つでもある。先物買いできるなら大儲けすること請け負いの。まだこの時代には発見されていない鉄板の商権だから。

 だがこれじゃない。いや本命はこれではない。惜しむらくは即効性に欠ける点であり、約束手形を切るにしても実現性も信憑性にも乏しかった。神仏の啓示にするにも限度があった。


 つまり天彦の欲しかった真の情報とは違った。本命は第二、第三の策である。

 天彦はあくまで軍事物資の調達先とその運搬ルートが知りたかった。

 それこそが言経をあっと言わせる切り札にして勝利を司る唯一の護符である。


 そう。天彦はこの征西に措ける軍事物資の調達と確かな運搬ルートを担保として、織田家から銭を引っ張ろうと画策していたのである。

 その上でその銭を債権化し、言経の内裏対策費用の支払いに充てる心算であった。


 そしてその策の成功度は極めて高いと踏んでいた。

 ありきたりな担保では言経はもちろんだが自分自身が納得できない。そんな思いで強く食い下がった。のだが。


「……お役に立てず、申し訳ございません」

「なんと……」

「ですが菊亭様」

「なんや。どないさん」

「私どもに投資くださりませぬか。必ず利をもたらしますどうか――」

「おうふ」


 野生の株式ブローカーに遭遇した。五千貫失い二回休み。

 ゆーてる場合か。六万貫稼ぐ心算が危うく五千貫失うところであった。


 じんおわ。


 天彦がいよいよ遂に生まれて初めて的を外してしまったのかと、がっくりと肩を落とそうとしたそのとき、


「女。我が殿のお手を煩わせるのもいい加減に致せよ」

「っ――」


 御令嬢に向けて解き放たれた、家令ラウラの峻烈にして辛辣な言葉が突き刺さるのであった。


「ご無礼を承知でお一言。何を仰せかわかりかねまする」

「無礼と承知なら黙りおけ下郎」

「くっ、……申し訳ございません。何卒ご寛恕くだ――」

「ならぬ」

「っ――」

「ルカ」

「はっ」

「この女狐。いや女狸を取り押さえ疾く詮議いたせ。得意にあろう」

「それはもう。一党の誰よりも」

「ひっ」


 他にも小さな悲鳴が幾つかあがる。あるいは身内の側からも。

 それほどにラウラとルカのやり取りは真に迫っていたのであった。


 と、


「……何やら思い出した由にございまする」

「ふっ、都合のよい記憶もあったものです。ですがいいでしょう。殿に御聞かせいたしなさい。ただし次はありませんよ。肝に銘じてお話なさい」

「は、はい……肝に銘じまする」



 こっわ。うちの女衆こっわ。


 だがどうやら清。ただの初心な御令嬢ではないようであった。






 ◇






 結論、天彦の見立ては正しかった。


「そんな……」


 それはすべての手札を吐き出さされ、いよいよ絶望を浮かべる少女の顔からも明らかである。

 調達ルートまではさすがにあやふやだったけれど、本命はそこではない。

 なにせ時は戦国元亀である。確実に運搬できる信頼感こそ最も尊いお仕事であると天彦は断言できた。


 それほどに運搬は複雑かつ厳しい条件下で行われていた。陸運しかり海運しかり。まだまだ関の存在は大きかった。必然仲介人の手数料も。


 当然だが卸値にはこの運搬費も転嫁される。仲介業者を通せばハンドリングコストだって当然かかりその額も馬鹿にならない。


 天彦は専ら販売する側に立つことが多い。よってあまりフィーチャーされない運搬手段にこそむしろ一番の関心を覚えていたほど。


「……これが承知しているすべてにございます。隠し立てしたことお許しください」

「不遜よな。殿がお許しになられるかは今後のお前の働き次第じゃ。心してお仕え致せ」

「はい。よろしくお願いいたします」


 やり口はまさに悪党そのもの。成り行き上、茶屋の看板にはなぜか菊亭の印が付くこととなった。これは悪疾あくどい。それも極めて性質の悪い。

 だが結果を得るためなら手段など選んでいられないのが天彦の置かれている実際である。意見の転調などいくらでもする。


 いずれにせよ清の口からそれらがすべて白日の下に晒され、天彦の思惑は半ば85%達成の見込みが立つとあって笑み崩れずにはいられない。


「でゅふ」


 何しろ茶屋が一代で財を成したその手段とルートを分捕れたのだ。

 分捕ったが聞こえが悪すぎるのなら相乗りできたと言い換えよう。


 その隠し札とは。


 茶屋はとある村ごとすべてを小荷駄隊として雇い入れていたのである。

 しかもその集落はおそらく乱破の村であると思われた。

 伊賀の流れを組む村衆を赤穂衆と呼ぶらしい。しかも、


「忍村て」


 おそらくですらないだろうネーミングがド直球にすぎたのだ。

 だがたしかに史実でもあったかもと記憶を探ってようやく腹落ちするのであった。←これマジです笑笑


 そしてしかも更に加えて、


「まんじ」


 らっきーと言い換えても同義やつ。


 天彦は話を引き出す過程で、副産物の存在までゲットできた。

 ぬか喜びはあれだが、おそらくきっと。清は言ったのだ。忍村には鉱物を溶かす魔の溶液がございますと。ならばきっとそうに違いない。

 言わずと知れた液体ガリウム。原子番号31番。融点29.8度の金属でお馴染みのガリウムである。

 毒性は然程強くなく予防措置の必要性も極めて少ない金属の天敵元素。金属を瞬く間に腐食させてしまう金属浸食鉱物である。


 その特徴に酷似した元素を天彦は他に知らない。よって仮に違っていてもそれでいい。とか。


「でゅふ。これで鉄砲の優位性など風前の灯にしたるん。言経さん、どうやらまた身共が勝たせてもろたようやで。くふ、むふ、うふふふふ、ふはははははは」

「……天彦さん。あまりにおぞましいが過ぎますよ。お顔も発言もお笑い方も」

「ひどっ」


 天彦の不穏なつぶやきはイツメンたちを恐怖の淵に引き摺り降ろした。

 但しルカだけ別。彼女は自身と一党が酷使される未来を予想できたのだろう。別ベクトルで青い顔をして引いていた。


 いずれにしても須らく全員が果てしなく引いていた。

 それもそのはず。武神とすら噂される彼らの武勇をもってしても抗いがたい存在がある。それこそが鉄砲に代表される銃器である。それが風前の灯になるとは果たしていったい。


 控えめに言って脅威どころの騒ぎではなかった。


 我らが殿はいったい何をしでかすのか。


 イツメンたちは興味と恐怖心が入り混じった複雑な感情で、いい(悪い)顔でくつくつと嗤う天彦から目が離せないでいるようであった。













【文中補足】

 1、茶屋(屋号)

 茶屋四郎次郎(清延)の代に爆発的に繁栄する。当代清延が家康と気が合い関係を深めていった。角倉了以・後藤四郎兵衛と並ぶ、戦国を代表する大豪商の一家。

 但し四郎次郎は茶屋(中島氏)の当代通称であり、茶屋家の当代は四郎次郎を世襲する習わしであった。


 2、姫路木綿(コットン)

 姫路木綿は玉姫、玉川晒しと呼ばれこの後江戸期に入って好評を博することになるのだが、流通を大阪商人に独占されたため思うほどの利益は得られなかった。

 猶、江戸期の播州ブランドとしては高砂染で有名な高級絹(シルク)も存在する。


 3、姫路城下

 姫路は山陽道の通る交通の要衝であり、外曲輪には多くの楽市が催されていた。


 4、外曲輪

 中堀と外堀の間を外曲輪と呼ぶ。江戸期には多くの武家屋敷が立ち並んだのもこの外曲輪であった。












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