第拾壱話 き の う、生まれた
元亀元年(1570)十二月十三日
「おのれ凶賊。己らこそ私が京に聞こえし三大長者、茶屋一門の者と知っての狼藉か!」
自らをお金持ちだと宣伝してどうする。
天彦の呆れを他所に、やはりというべきだろう。凶賊どもの目がにわかに怪しく煌めきだし、見る見る本気度を増していく。
「ぺっ、だったらどうした」
「四の五のやかましい」
「くっ」
「ひっ」
すると損得勘定がどうやら苦手っぽい用心棒風コワモテ二人が、ほとんど同時にくわえていた草楊枝を吐き出し腰に佩いた得物に手をかけ凄んでみせる。
かなりの凄味だった。なるほど常日頃から暴力を生業としていそうなだけはある。
すると女衆はたちまち怯み縮み上がり、威勢よく啖呵を切っていた少女も萎えぽよしてしまっていた。
「まあ待ちな」
と、そこに、まるでそこまでが台本演出であるかのように別の男が割って入った。
やや小奇麗で体型的に甘党そうな男はけれど風貌は紛れもなくやくざ者で、終始凄んでいる用心棒風コワモテ侍たちを目配せ一つで黙らせると、自称茶屋家の御令嬢を粘度の高い視線で舐め回すようにたっぷりと値踏みして言った。
「法螺にしてはこれまたずいぶんと吹かすじゃねーか、え?」
「ほ、法螺なものか!」
「ならわかるだろう。土地には土地のしきたりがあるってことくらい。あ?」
「……楽市は織田様が――」
「黙れ女郎。言うに事欠いて織田だぁ? ここは小寺様の御料地ぞ」
「う」
「ちっまあいい。その茶屋のお姫さんが、いったいぜんたい何故こんな辺鄙な片田舎の城下町で行商なんてなさってるんで」
「っ……、それは。わたくしにも事情が――」
「理由なんて知ったことか。だが知りたい。お前さん、茶屋とはいったいどれほど近しい間柄なんだ」
「ふん、私こそが次代の茶屋を受け継ぐ嫡子である。恐れ入ったなら無礼を詫びてとっとと立ち去るがいい」
「あはははは。そいつは随分と景気のいい話だ。なあお前ら」
「へい」
「だろう!」
理由はこの際どうでもよいのだろう。小太りは女の言葉に真実を見たようで、
「さらえ」
実に事務的な口調で手下どもに指示を飛ばした。
「え」
きゃあああああ――!
と言った風な、この戦国元亀では親の顔よりよく見るだろう光景が天彦のまさしく目の前で展開された。
だが天彦は怪しく目を光らせると“ビンゴ!”力強く確信を言葉にした。
そして抵抗する女衆を力づくで抱えようとする悪党どもに向かって、つかつかと歩み寄っていったのである。
僅か一人の供を従え。
そして、
「儲かってまっか」
お間抜けさんそのものの合いの手を入れて、誰もが顔を引きつらせる緊迫の場面に抜け抜けと介入していくのであった。
◇
「お武家の坊や、まさか意味くらいわかってんだろ」
「あたぼー」
「悪いことはいわねえ、痛い目を見る前に引き下がりな」
「笑止」
「ちっ、めんどくせえガキだな。おい小姓、御曹司を危険に晒してもいいのか。とっとと失せろや。あ?」
すると小姓と称された天彦のお供は、「控えよ。控え居ろう――ッ!」
これまた天彦に負けず劣らずの戦場映えする凛とした声を鳴り響かせた。
そして、
「この紋所が目に入らぬか――ッ!」
お供は打ち合わせ済みなのだろう渾身の台詞を言い放つと、まったく板につきすぎて嫌味が過ぎる持ち前の、実に鼻持ちならない得意げな表情を浮かべると薄く狭い胸を張った。
そう。長野是知である。
天彦はこちらも打ち合わせ通りなのだろう。タイミングを計り愛用の扇子をぱさっ。堂々広げて大威張りで掲げて見せた。
どやぁ。
だが、
「知るかガキ。下手に出ていりゃ図に乗りやがって。どこのどいつさんか知らねえが、あまり調子くれてやがるとテメエも痛い目をみるぜ」
「出た!」
「……こうなったら洒落ではすまされねーぜ」
「いったんお前さんは黙っとき」
「な……っ」
「こら是知、この可能性があると申したよね。身共は申したよね!」
「っ、無念にございまする」
「後で別室や。お前さん、そういうところやで」
「くっ、畏まってございまする」
小悪党そっちのけで是知にお説教をくれてやってさて、
「舐めやがって、……こいつ、いや、さてはやばいのか」
天彦は、怒りを通り越し一周回って胡乱に返ってきてしまっている小太りの小悪党を呆れ顔で見た。
そして、
いやいやいや、菊亭知らんとか、お前さん昨日生まれたん?
まさしくその驚嘆の感情で大袈裟に戦慄いてみせるのだった。
背後から感じる家来のボルテージマックス全開の怒気と、正面からの浴びせかけられる敵の失笑を、その小さなその身体ひとつで受け止めて。
だが知ろうが知るまいがそれこそ問題ではなかった。
天彦にとって家紋を掲げ、それを愚弄された事実さえあれば他はどうでもよかったのである。
事実が既成化されてしまえば。それで万事OKだった。
天彦は聴衆、野次馬を惹きつけるべく息を小さな肺いっぱいに吸い込むと、戦場でも不思議とよく通る声でお馴染みのドラマティコボイスを凛と奏でた。
皆皆さん、お訊きおじゃれ――!
すると観衆、野次馬が足も手も止め天彦の言葉に傾注した。
「麿の大事な一門のお印。このお印を胸に果てていった多くの仲間の大切な、大切なその御旗が虚仮にされたでおじゃる。これを御覧の皆々さん。始祖以来四百有余年、脈々と受け継がれてきた大英雄家たる藤原長者菊亭が――」
あの小っこいの今なんといった。
き、菊亭!?
ウソやろ。
え、やば。
誰かがつぶやくと次第に近場からどよめきが湧き起こった。するとそのどよめきは秒とかからず大きな波紋となって周囲に伝播していった。
そしてその大きなどよめきは次第に雑然とした騒音へと姿を変えた。
だが雑音はすぐさま与六の発した“殿のお言葉である、静まれい――ッ!”の大号令に掻き消され、しーーーん。
静謐よりももっと静かな、ともすると痛みさえ伴うほどの静けさに変わっていった。
気をよくした天彦は与六おおきにの感情で小さく一度頷いて、演説をつづけた。
「その菊亭が衆目の面前で赤っ恥を掻かされたでおじゃる。すべてはこの権大納言菊亭天彦の不徳のいたすところ。恥じ入るばかりなれど麿はお公家さん。お武家さんのように詰め腹は許されぬ身にあらしゃります。ならばこの雪辱、いったいぜんたいどうして晴らせばよいものにおじゃろうか」
観衆、野次馬が固唾を飲んだ。
善きにつけ悪しきにつけ、菊亭の名を耳にしたことのない者などこの日ノ本にはいないだろう。そんな大ビッグネームが公衆の面前で恥を掻かされたのだ。
始末など血を見る以外にありはしない。
ほとんどすべての認識がその一言に集約されたのを確信して、
「苦は楽の種、楽は苦の種と知るべし。助さん、格さん。やってお仕舞いなさい」
黄門さまが言いそうで絶対に言わない台詞やつ。知らんけど。
仮に光圀公が仰るとしても、精々懲らしめてお上げなさいくらいのはずである台詞やつを、天彦は決め台詞的に使ってみせた。
そう。天彦はこの期に及んでとことんふざけた。
黄門さま(中納言)は格下なのだからセーフと嘯いて。
血生臭い場面でこそふざけてナンボとでも言わんばかりに。
あるいは侍が自身の技前より業物の切れ味などよりよほど己の胆力・精神力に重きを置くのとどこか似ていて。
公家たる天彦は本気でふざけてみせたのだ。それこそ何よりも重要視してきた自由度と引き換えにしてでも己に課したたった一つの制約だった。
人はそれを信念と呼ぶ。人によっては信条、または矜持とも。
いずれにせよ貴種筆頭格に生まれながらも、高貴にも雅にも振り切れない憐れで愚かな自分自身に課した、たったひとつの冴えない制約。それは常に足枷として、天彦の行動を硬く縛り付けていた。
おもしろきことも無き世におもしろく。
リスペクトを兼ねて座右の銘としているこの句を胸に。
幼少期、誰しもが一度は口にしたであろう~過ぎ晋作でお馴染みの高杉晋作の有名な辞世の句を。
「とか。……助さん格さん出番ねん」
閑話休題、
だが当り前だが台本はない。即興こそが極意なので(棒)。
極意は盛った。仕込むにはあまりに事が急すぎた。
故に誰も名乗り上げない。上げられない。思い当たる人物がいないのだ。それもそのはず。大多数がぽかんである。
が、
するとさすが。息もぴったりに菊亭家の家令が即興で舞台に上がった。
ラウラは周囲を見渡し一瞬で即断。あたりをつけた人物にまっ直ぐな視線を向けると力強く言い放つ。
「助殿。出番にございます、疾く参らせませ」
「え。扶。扶、え。つかぬことをお伺いいたすが家令殿、……某が扶にござろうか」
「思い上がりも甚だしいが、この際どうでもよろしい。参るか参らぬのか」
「え、え」
「使えぬ男じゃ。捨て置くとしよう」
「っ――、参る! 参りまするぞっ」
「うむ、それでよろしい。それでは格殿、貴殿は如何か」
「え!?」
「その件はもう致した。早ういたしませ格殿」
「は、ははっ。では某、扶殿に馳走いたしまする」
「格殿、さすがにございます。さあ殿、舞台は整いましてございます」
ラウラはニコリ。妖艶に笑って天彦のおもしろに花を添えた。
むろん天彦は面白くないのだが。ひっっっとつも。一ミリだって。
それは訳も分からず引っ張り出された氏郷も、高虎だって同じこと。
「やり過ぎ晋作」
まんじの代用図柄でもある晋作語録を口にした天彦の、主役を掻っ攫われて不愉快を隠さない愉快な仏頂面を鑑みるにどうやらこちらはアドリブのようで。
やはり役者が一枚違うのだろう。天彦の頬をぴくぴくと引きつらせる。
「各々方、疾く参らせませ」
「はっ、では御免仕る」
「応――ッ、藤堂高虎推参!」
まんまと場を纏めてみせたラウラに促された氏郷と高虎が天彦に一礼、爆ぜるようにして悪党制圧に乗り出した。
あとは記すまでもないだろう。オーバーキルの文字さえあれば。
結果は赤子の手を捻るより容易いお仕事であったとか。後でスタッフで美味しく召し上がりましたとか。
一騎で二万の大軍勢を蹴散らすとまで言わしめる高虎の武勇と、それに負けずとも劣らない菊亭の二枚看板の武威が解き放たれたのだ。
しかもそこに追随するように勝手に参戦していったのは魔王信長公をしてあっ晴れと言わしめた悪四郎とその仲間たち。
その仲間たちにまで落ちぶれた市松と夜叉丸のお前らどうした感はさて措き、まさしく圧巻、秒の制圧劇であった。
「でかした。褒めて遣わす」
「勿体なきお言葉、祝着至極にございまする」
「何のこれしきのこと。朝飯前にござる。がはははは」
観衆の度肝を抜いてみせるのだった。
だがもちろん、こんなド派手な演出を仕掛けたのには訳がある。
天彦とて何も面白がって小悪党相手に芝居に興じているわけではけっしてない(棒)。
理由は二つ。
一つは播磨勢の依然として抵抗の気配を緩めない煩方への掣肘の意味合いである。ここまで既成事実を積み上げればさすがの彼らとていちゃもんはつけられない。はず。
そして二つ目こそがむしろ本命。ど本命。
天彦は目の前で這いつくばるよりも低姿勢で、震えながら叩頭する行商の女衆のこの感情を引き出したかったのだった。
その女衆をお得意の下目使いに見下して、
「難儀なことやったなぁ。怪我などないかぁ。女、直言を許す」
「こ、光栄至極にございます。御覧の通り傷一つございません。これも偏に菊亭様のご慈悲の賜物。感謝の言葉もございません」
「ん、さよか。女、面をお上げ」
「はっ、はは――」
天彦は、それでも一向に顔をあげようとしない御令嬢の手を優しく取り、“身共とお前さんは同郷なん。なーんも気にすることは無いさんや”実に恩着せがましく促すのだった。
「ははっ。勿体なきお言葉。この晴天のように清々しく実にお見事な御心に触れ、あまりの名誉に震えます」
「おほ、おほほほほ、そうか、そうか。お前さんこそ真にええ心がけにおじゃります。褒めて遣わそ。そや、この扇を取って遣わそ」
「な、なんと……! このような栄誉、我が中島家、末代までの家宝といたしたく存じます」
「ん、そうしい。おほ、おほほほほほ」
二人は波長が合い過ぎるのか。それとも御令嬢が上手なのか。
いずれにしても天彦は、気をよくして地で喜んで、言経譲りのお公家笑いを高らかに響き渡らせるのであった。
これから始まるであろうタフな交渉を予期させて。




