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雅楽伝奏、の家の人  作者: 喜楽もこ
壱章 百折不撓の章
26/314

#26 世に業物は数あれど

 



 永禄十一年(1568)十一月十二日(旧暦)今出川殿・菊亭借り屋敷






 場所はすでに移って菊亭借り宿あばら家の何の取柄もなさそうな中庭で、時刻はその中庭に浮かぶ上弦の月が映えている頃、実益はとっくに退散している。


 二人はせっせと歌を作った。雰囲気がでないからと本番さながらに本格的な作法を整え、天彦は貴重な和紙で作られた短冊に和歌を書き込む。

 その表情はいつになく真剣。

 月冴える可惜夜、ほんのり差し込む月明かりと相俟って五割増しで凛々しく見えた。


「整いました」

「天彦さん、さっきからそれなんですのん。しかも一つも整ってないし」

「黙らっしゃい。和歌を歌う行為自体に対する枕詞みたいなもんや」

「勝手に作法を作らんといて。ではどうぞ」

「はい。それでは参ります。“今出川いまでがわ雅正がせいがくに草生える、枕濡まくらぬらしてひとりかもむ”――」


 どや。


 意)菊亭のあばら家で、独り家業の琵琶の習得に明け暮れる毎日にあって、己の才のなさにうんざりして毎夜泣き寝落ちしてるんやで。


 手応えあり。技術点はさて措き、切実な毎日のやるせない思いは伝えられた。

 天彦は会心の出来栄え(自己採点)を確信して今日一ドヤった。

 だがやはりというべきか。ティーチャー光宣の眼光は鋭く表情はやたらと険しい。


「あ、また生やした! すぐ生やす。なんでそこで草生やすん。さっきからずっと草ばっかし生やすやん。草は生えへんの。言うこと訊いて。なんで訊けへんの阿保なん、ちゃんとして」

「早口やめいっ」

「あ、うん。そやった。冷静にやね。でもちゃんとして」

「ずっとちゃんとしてるやろ。これ以上は高望みや」

「高……、というか草って何なん」

「今出川(菊亭)の枕詞やろ。あんなもん草生えまくっとるがな」

「あ。怒られるで、さすがに。意味わからへんけどどうせ悪口やろうから」

「悪口や。でも誰に怒られるんや」

「権大納言さんに決まってるやん。と思ったけどそうやった。実子のそれも嫡子がここに居たはったわ」

「実子の長子やけど嫡子ちゃうで。ままんもどこ行ったかわからへんし」

「威張って指摘せんといて。麿かて知っててわざと間違えてるんやから。ままんってなに」


 天彦は聞き流した。


 そんな天彦の天邪鬼な態度に光宣はほとほと呆れた。人柄や為人ではない。破滅的なまでの独創性にだ。あるいは破壊的に才能センスがないかもしれない。うんない。

 軸が歪んでいるとでもいうのだろうか。感性が斜めに歪んでいて、感覚が和音を奏でない。つまり不協和音。それもずっと。

 だからか、天彦が何を歌っても最後には共感できず疑問符が浮かんでしまう。酷いものでは意味さえ理解できないのである。

 そんなことはかつてなかった。わからないので寸評のしようがない。わからない。それは恐怖と同義だった。


 光宣は恐怖を振り払うように短冊に目を落とす。


「お手本を見せます」

「いや、もうええて」

「いいえ参ります、露華撫子ろかなでしこ爪紅べにくれない風流ふうりゅうの――」

「待ていっ」

「痛っ! なにすんの!?」

「もう帰ってくれ」

「なんやのん途中やで」

「やらせるかいっ」

「なにするん、返してや」

「返さん。こうしてやる。ていっ」

「あ」


 天彦はほとんど怒声をあげて遮った。そして短冊と筆を奪い短冊をくしゃくしゃに丸めると、筆をぽきっと二つに折った。お高そうな家宝的逸品を。


「な、撫子姫への思いの歌が……」

「悔しがるんそっちかいっ!」

「当り前さんや。他になにがあるん」

「筆。この高級そうな毛質の筆しかない。世に二つとなさそうな逸品さんやけど。実はびびってる」

「やったらなんでするん。でもええよ。そんなんただのお宝さんや、買えば仕舞い」

「おお、かっちょええ」


 ぼんぼんかいっ!


 生粋のぼんぼんなのだが、この橘氏長者光宣。こいつはこいつでポンコツだった。今日一日、ずっと撫子ゆうづつの歌ばかり歌うのだ。きもい。きしょい、キモすぎる。

 得体の知れなさは恐怖心を煽るとしたもの。天彦も光宣を恐れていた。

 相性は悪くない。だが両者ともにお互いを怖がっていた。これではいい詩は生まれない。


「光宣これいつまでやるん。もうほんまに帰っておくれ、およよ」

「ウソ泣き禁止! そも押しかけてきたんはそっちさんやろ」

「ここ身共のおうち。そしてお前さんは烏丸くん。烏丸殿はあっち。ほら早う帰ってくれ」

「ぐずってないで、もう一歌歌うで」

「ぐずってるんは……、なぁ光宣。普段あんなへたれやのに、歌になるとなんでそんな押し強いん」

「強いかな」

「めっちゃ強やで。実益たおせるわ」

「うそ」

「ほんま。今度二人で挑んでみよか」

「……やってみよかな」


 その気になるんかい――っ!


 よもや光宣が和歌ガチ勢だとは。


 天彦はいかなる分野においてもガチ勢のガチの恐ろしさ(痛さ)を思い知った。


 光宣先生は思いの外スパルタで、よもや思っても見なかった展開に天彦のメンタルはゴリゴリと音を立てて削られていく。

 むろんフィジカルだって無事ではない。すでに表は手元が怪しいほどの真っ暗闇。ぽっこりお腹のお子ちゃまボディは食欲よりも睡眠を欲していた。


「光宣もう堪忍や。ほんま許したって」

「このくらいで音をあげるなんて、天彦さんって案外あかん垂れやねんね」

「おもしろい。その喧嘩とびきり高値で買うたるで」

「望むところや」


 可惜夜は耽っていく。

 どっちもどっち。類トモの仲良しだった。




 ◇◆◇




 永禄十一年(1568)十一月十七日(旧暦)今出川殿・菊亭借り屋敷






 客間兼居間。天彦は渋面を浮かべて使者を送り返した。


 まったく触れられなかったのでそういうものとして諦めていたが、本日正式に惟任家から使者が参り久御山遠征が延期になったと告げられた。

 だが既に遠征予定日はとっくに過ぎている。つまり延期とはいっているがどうやら無期限延期(中止)であると解釈するのが自然と受け止める。すると問題が一つ、貸し借りが精算されないことになる。

 これは由々しき問題だ。なにしろ武家への貸し付けなど利子をくれてもお断りなのだから。あるいはこれもセットで今回依頼の担保に取られているようであれば、光秀という人物の評価を下方修正しなければならない。


 すると脳裏に第三の可能性が思い浮かんだ。浮かんでしまった。

 この策略。ひょっとすると惟任自らが仕組んだのでは。そんな可能性まで勘繰ってしまったら最後、思考の闇にはまり込んでお仕舞いである。

 なのに天彦はその可能性を捨てきれなかった。それどころか可能性の序列をかなり上位に押し上げていた。

 むろん変わらずど本命は幕臣細川藤孝であるが、細川惟任共謀の可能性が二位に急浮上してきた。なにしろお二人は超がつくほど昵懇の仲。


「どう思う」


 天彦は室内にいるいつもの面子(ラウラ、雪之丞、佐吉)の誰ともなく問いかけた。


「数日もすれば第一陣が戻ってまいります。それまではすべての可能性を消さずともよろしいかと」


 ラウラが応じた。


「その口ぶり、横領された寺領に入ってくれてるんやな」

「はい。二か所に」

「無理するなよ。誰を嵌めようとしているんかは知らんけど推測が正しいなら大掛かりな陰謀やろ。かなり危ないで」

「心得ております」

「当家に限って死して奉公は勘違いやと申し付けておくで」

「はい。重ねて心得ましてございます」

「それでええ」


 ラウラはなぞの勢力をたまに使っている。だが天彦はとくに問い質さない。雇用関係はここの間で完結している。それで十分だった。

 何しろ志が低い。低いが不適当なら高くない。少なくとも戦国公家大名になろうだなんて大それたことは万が一にも考えていなかった。


「是知です。お殿様、よろしいでしょうか」

「ええで。どないした」

「はっ失礼仕る。清涼殿から御使者が参っております」

「清涼殿。宮中とは違うんやな」

「はい。そう仰せです」

「さよか。珍しいこっちゃな。招いたって。ここで会うわ」

「はっ、ではお招きいたします」


 是知はそそくさと去っていった。やや頬が上気しているように見えるのはけっして気のせいではないだろう。宮中からのお使者とはそれほどの格式であった。


「お雪ちゃん佐吉、裏で控えとき」

「はい」

「はっ」


 過去このパターンで襲撃はされていないが念のために後室に控えさせる。

 応接間にはラウラ一人残しお人払い。

 天彦は支度を整える。先触れも無い無礼訪問だ。それほど格式張る必要はないだろう。そのつもりもない。裾を手で払い膝裏の皺を伸ばしてお仕舞い。居住まいを正して待ち受けた。


 ややあって是知が来客を告げて襖を開けた。


「無作法を許してたもれ」

「あ、……はい。どうぞこちらへ。座を温めておりました」

「ふふふ、上手いこと言わはるぼんさんや。気遣い無用、かまへんでおじゃります」

「いえ、そういうわけには参りません」

「さよか。ほな遠慮なく」


 参られたのは偉いさん。それもど偉い人物だった。

 何が清涼殿か。宮中のそれも大内裏ど真ん中の人物である。

 天彦は本能的に上座を譲り辞を低くして歓迎の意を表した。


「承知してるやろけど一回だけ。勾当内侍におじゃる」

「はっ。お目にかかれまして光栄至極におじゃります。身共、正三位権大納言晴季が長子、菊亭天彦におじゃりまする」

「よろしゅうに」

「はっ、御願い奉りまするでおじゃる」

「ようできました。ほなら崩そか」

「いいんですか」

「ええで。ぼんさん相手に畏まってもなぁ。格式張るのも肩凝るやろ」

「はい。では遠慮なく」

「そうしい」


 貴人も貴人。帝の妃が参られた。


 しかも勾当内侍好子さん。むちゃくちゃいい匂いがした。

 時代背景的に和風に表現しなければならないのは承知している。だがそんな作法も度外視して思わず。

 凄いな、このお姉様。ホワイトベルガモット(柑橘系の爽やかな香り)の香りがする。――と、思ってしまうのだ。

 そして時代的にお香といわなければならないのだろうけど、思わずフレグランスと言ってしまいそうになるほど洗練された香りだった。


 だから迂闊な天彦は、


「洗練されたええ香りや。ちょうどこの頃、相模に伴天連からの貿易船が参っていましたけど。キリシタン宣教師が同乗してるんやったらそこからの献上品やろか。どないです」


 知っている知識を言葉にして、あろうことか核心を突いてしまっていた。

 意図せず無意識にだとしても、迂闊、ここに極まれり。


「……この目で見るまでは信用ならんかったんや」

「え、何をですか」

「その恐ろしいまでの心眼やで」

「あ」

「ぼんさん、あんたさんの目ぇは果たしてどこまで見通せるんやろか」

「狭いです。精々そこの御庭までです」

「小田原は見えてはるようやけど。甲斐のお国ならどうやろか。それからこのことはナイショやで。主上さんに叱られてしまうから。当たりや。なんぞご褒美あげなあかんな。飴ちゃんお食べ」


 聞いてください好子さん。あーん。

 もぐもぐと南蛮由来の飴玉を頬張りながら天彦が言葉に詰まっていると、


「女郎、そこへ直れ。もしぼんさん欺いているんやったら、この勾当内侍が赦しまへんえ」


 唐突に凛とした声が響き渡った。天彦が状況を飲み込んでいる間にも勾当内侍は真っすぐにラウラを見咎めるのだった。


「え」

「あ」


 バレた。

 まさかの事態に天彦は唖然とし、問い詰められている当人は愕然とした。


「やっぱしおなごやな。見たらわかる。どこの草や」

「いえ滅相もございません」

「なんで男装なんかしとるんや。事と次第によっては大事になるで」

「……それは」


 勾当内侍御付きの侍女たちが一斉に帯びていた匕首を抜き放った。

 その所作があまりに自然体だったので天彦は侍女がただの女官ではないことを確信する。


「承知してます」


 緊迫する客間に一石が投じられた。天彦が観念して事実を明かしたのだ。


「天彦さん」

「かまへん」

「ですが」

「ええのや。女性が家令職に就いたらあかんと誰が決めた。少なくとも身共はそんなお達し一言も聞いてへんで」


 居直った天彦は一息にまくしたてた。正論が通じる時代ではない。しかもかなり鬱憤もたまっていた。腹もそうとう立っていた。自ずと語気は粗くなり次第に口調からも丁寧さが失われていく。


「いまだ無位無官や。周囲の盆暗共がやれ参議ややれ公卿やと自慢しくさってる間にも、身共はずーっと惨めなまんま。油断したらすぐ命狙われて、頼れる大人はこの者ただ一人きり。何があかんのや! 文句あるなら掛かってこい。どいつもこいつもええ加減にしさらせ!」

「落ち着きなさい。落ち着けっ!」

「あ、はい」


 気づけば意識が朦朧とし、はぁはぁぜぇぜぇ胸を押さえていた。窒息寸前、過呼吸だ。

 どうにか落ち着きを取り戻したかと思ったら、しかもいつのまにやら勾当内侍の膝の上でよしよし頭を撫ぜられていた。


「……落ち着きました。面目ありません」

「ええよ。もう少しこうさせて。小っこいおつむや。ほんまにこんまい。すーはーええ匂い。お陽さんの匂いがしやはるわ」

「あう」


 欲しくとも子供の居ない勾当内侍。一方前世から通じて母親の温もりを知らない天彦とで、お互いの隙間を埋めるには絶好のアイテム同士だった。単にそれだけのこと、他意はない。


「寺社のこと、なんや動いたはるんやってね」

「それがお越しになった理由ですか」

「そうです」

「でしたらはい。ですがまだ本格的には」

「引いてくれはる」

「え」

「借りときます」

「あ」

「おおきに。聞き分けのええ男子おのこは好きよ。御褒美あげよ」


 何も返事はしていない。だが合意は形成されていた。

 せめて額に接吻キスならまだ格好もついただろうが、飴ちゃんでは。あーんはする。脳に貴重な糖質なので。


「天彦ちゃん」

「ちゃん」

「妾、コワいんやで。ようよう覚えときや」

「デスヨネ」

「歌会、開いてくれはるそうやね。おおきにこのとおりです」

「あ、はい」


 綺麗なお姉さんのとびきりの笑顔めっちゃコワい説。

 まさしく説が立証された瞬間であった。


 しかもどうやら開催の必要性自体に疑問符がつく中、なのに達ての希望なので開催はマストとなっていた。500貫。ちーん。


 3,500貫、身共……。


 かつ惟任氏依頼案件の塩漬け確定。既に手付に手を付けている時点で差し引き大幅マイナスだった。


 菊亭天彦。

 果たして誰かの押さえつける手を払いのけ、自らの意思で何事かをなせる日は訪れるのだろうか。










【文中補足】

 1、和歌

 漢詩に対しての詩形として和歌と呼ばれていた。(五七五七七形式)

 因みに五七五の俳句と違い五七五七七の短歌は季語が不要。

 ※爪紅、鳳仙花の別名。当時既に鳳仙花の汁を使って手足の爪を染めていた。


 2、勾当内侍(35)

 天正二年(1574)労咳で死去。享年41歳



【菊亭家財政中間報告】

 手持ち10,000貫(割符手形)

 借金16,000貫(椎茸で1,000貫を相殺し、かつ利子の年内停止と荘園押領の保留を勝ち取っている。よって現在利子停止中)。

 惟任家発注請け負い仕事 3,500貫(内手付金500貫前払い受領)猶、この依頼が達成されることはないだろう。

 新規経費別途500貫が新たに借財として乗っかる。

 これは西園寺家から歌会の費えとして提出されている見積もり額。猶、折半を請願中。おそらく無理なので経費500貫追加。かかりすぎやろ歌会。












 

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