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雅楽伝奏、の家の人  作者: 喜楽もこ
十六章 貴種流離の章
256/314

#04 おもしろきこともなき世をおもしろく

 



 元亀元年(1570)十一月二七日






「ここが本丸。目指すは月山、富田城におじゃる」



 はは――ッ



 ひとたび決すればそこは菊亭。訳がわからずともそれで十分。と、ばかり絶対の信頼感が家来たちの感情を激しく揺さぶる。


「我らはこのこれら砦を陥落せしめればよろしいのですな」

「お頼みさん」

「はっ。承ってござる。各々方、出番にござるぞ!」



 おおぉ――ッ!



「覇気が足らぬわッ、それでも大菊亭家の武を預かる精鋭か――鋭!」

「応――ッ!」

「鋭ッ」

「応――ッ!」

「鋭鋭」

「応――ッ!」


 耳いたい。


 尼子の残党である亀井党が、与六の発破に応じるイツメンたちのそのあまりの威勢の激しさに驚愕しているその合間を縫って、つかつかつか。


 これまでずっと所在なく身の置き場を探っていた人物が、膝をすりすり天彦の元へと擦り寄ってきた、


「若とのさん、なんや嬉しそうですね」

「そう見えるかお雪ちゃん」

「当り前ですやん。某を誰や思うたはるんですか」

「さあどなたさんやったかいなぁ」

「あ」

「あ」


 雪之丞にはお見通し。

 細部が理解できずとも十分。彼は物事の本質を見抜ける天才肌の人である。


「気懸りが晴れそうなんですね」

「わかるかぁ。うん、やっぱしさすがやな」

「それほどでもありますん。だって某、ダテに菊亭一のお家来さんをやってませんのん」

「え、初耳やけど」

「あ」

「あ」


 奥州の伊達さん大活躍ということなのだろう。違う。


「それで」

「内緒やで」

「任せてください! こう見えて某、ナイショ事はいっちゃん得意ですねん」

「おまゆう」

「ひどっ」


 いや酷くはない。むしろ酷いのは雪之丞の方であろう。

 彼のこれまでしでかしてきた情報漏洩の数々は余罪を含めれば……、まあいいだろう。天彦にとって雪之丞は永遠のゴマメ扱いなので。


「言いかけて止めるなんてあんまりですやん。教えてください!」

「厭やろ」

「はやっ」

「お雪ちゃんの“他には言わんといてくださいよ”とか“ここだけの秘め事ですよ“よりかは断然遅いやろ」

「あ」

「あ」


 天彦は我に返って口を噤むのだった。


「明かしてくださいませんだりん?」

「しつこいのがここにも居った」

「ルカの忠心をよもやお疑いになられますのか」

「お雪ちゃんにしたって疑ったことなど一ミリもない」

「なれば何卒」


 しゃーない。

 つぶやいた天彦は、今回ばかりはかなり難解、説明義務があるかもしれないと思い立ち訥々と種明かしをし始めた。


 土着の豪族が寺社勢力と結託し、小勢力が各地に点在しているとする設定がそもそも違っていたのである。

 寺社が民百姓から搾り取り悪銭を荒稼ぎしているという点では概ね違ってはいないのだが、決定的に根本が違う。


 なぜならそれでは意志ある一個の抵抗勢力としての理由に説明がつかないから

 よほどのビッグネームでも無いかぎり、一国一帯を巻き込んでの連帯感を抱かせるような土着信仰を天彦は知らない。

 事実として織田家不在の今、山陰山陽地方をひとつに取り纏められるほどの寺社勢力の存在など天彦は認知していない。それは武家勢力も同様に。

 だがしかし、現状横領の勢力にはその動きがみられており、明確にひとつの意識と意図が作用して、織田家不在の山陰山陽地方の押領政策は進められているのである。


 これは天彦が宗教観を持たないからこそ生じた誤解、誤認である。

 天彦は常に宗教を過大に評価し必要以上に警戒してきた。

 だが宗教にそんな万能性などありはしない。所詮は人が作り上げる組織・団体に過ぎないのである。


 ならば、即ち裏で糸を引く人物が存在する。逆説的に。あるいは消去法的に。

 それも極めて高貴であり、日ノ本にその名が轟いている人物の存在が必要であった。

 なぜなら武威だけでは到底及ばないからだ。そんなものそこらの凶賊でも備えている。

 時代感を鑑みればそこには権威が必ず必要で、そして織田家に比肩する権威と言えば相当かなり限られた。むろん武威込みの織田家にである。


「侮っていたんは身共の方なん」

「……室町第でございますか」

「いいや違う」

「では」


 足利義昭は竜造寺が匿っている。それは紛れもない事実。事実として天彦の元にはその報せが届いている。

 ならば。この中国地方に起こっている一連の謀の首謀者は。


「くふ。……身共こそ同族を舐めすぎにおじゃった。伏してお詫びしたくおじゃりますぅ」


 遠く瀬戸内の海を越えて、おそらくそこにあるだろう土佐国を見据えて言い放った。

 核心的に。好戦的な笑みを浮かべて。


「い、一条様……!?」

「さすがは我が腹心、ええ勘してる」

「そんな」


 一条家が裏で糸を引いているのなら、その先には必ずや。

 ルカの言わんとすることが天彦には手に取るように理解できた。

 なぜならそれこそが以心伝心、天彦の導き出した答えと同じだから。


「実益」

「よもや太政大臣様までもが……」


 そう。


 土佐一条家と西園寺家は姫を介しての縁戚関係。

 しかもそれ以上に両家の絆は固く太い。故地四国で地獄の時間を共有する盟友以上の間柄でもあったのだ。


 だが共に謀には長けていない。それは身内の欲目ではなく事実として。

 ならば絵を描いたのは誰なのか。


 そこにも惟任が絡んでくるのか。いや違う。

 何となしに直感で、天彦はそうではないと判断する。


 ならば実益に欺かれているのだろうか。いやまさか。


 信じられない、信じたくない。あくまで仮説。そんなはずがある訳が……、だがかなり真実に近づいてしまっているのではないだろうか。それが天彦の偽らざる直感、あるいは心境であった。


「くふ、くふふ。おもろい。実におもろいん」


 言葉とは裏腹に天彦は唐突に膝から崩れ落ちてしまう。


「あ、いた」


 つぶやきにもあるように、ちくちくずきずきと痛むのだろうその左側の胸を押さえて。こふこふとどこか過呼吸気味に息も取り乱して。


「お殿様! 誰か、誰かある!」

「若とのさんッ。ルカ、取り乱すな」

「あ、はい」


 雪之丞がその一言で動揺著しい場を制した。


「おおきにお雪ちゃん、でも大したことないさんや。――あ」

「おっと。お殿様、御安静になさってください」

「あきません。動かんでください。動くな!」

「あ、うん」


 ルカが起き上がろうとして再度倒れ込んだ天彦を支える。

 と、すぐさま雪之丞が容態を確認、駄々っ子のように厭厭をして脈を測らせない駄々彦に対し、語気荒く有無を言わせず制止させる。


 そして、


「む、脈が弱い。夜、丁寧にお運びいたすん」

「はっ」

「長野は速やかに寝所の支度を。室温もやが湿度にも気を配ってや」

「はっ」

「石田は薬師の手配を」

「はっ」

「ルカ、射干は徳川殿対策を」

「伏せますので」

「当り前を問うている間はない」

「はい。では早速」


 ルカはおろかあの煩方筆頭の是知でさえ有無を言わせず納得させ、手筈よく周囲に敢然と下知を飛ばす。


 そして、


「直江殿」

「はっ、ここにござる。朱雀殿、して我らは何といたしまするか」

「従ってくれはりますか」

「何を御尤もなことを仰せか。ご一門筆頭殿の御決断に異を唱える愚か者はおりませぬ。少なくとも我が侍所には」

「ありがとうおおきに。恩に着ます。では侍衆は手筈通り若とのさんのお下知に従ってください」

「はっ。すべての砦城を疾く奪取仕り、殿の御快気に花を添えたく存じ上げまする」

「頼りにしてます」

「こちらこそ。では御免」


 見事に家内の動揺を治めてみせ、巧みに取り纏めるのであった。あっ晴れ。






 ◇◆◇






 元亀元年(1570)十二月朔日






 天彦の容態もすっかり癒えた師走の一日。



 ざざ、ざざざ、ざざ、ざざざざ――



 天彦たち菊亭勢が拠点としている姫路城三の丸前に、突如として異変が起こる。

 だが誰も引き止めなければ誰何もしない。

 それもそのはず。異変の正体は、襤褸と言うのも抵抗を感じる人為的にズタボロにされたのであろうドレスを纏った二人の女史が、たった一人の麗人に引きずられて登場したからである。


 この絵面、控えめに言ってホラーである。こっわ。


 むろん引き摺られる方も、引き摺る方はもっと。


「ラウラ、これは……」

「遅参をまずはお詫びいたします。殿に伏してお詫びいたします。我が身内の不始末を付けにこうしてお詫びに上がった次第にございます」

「ごめんちゃい」

「にんにん」


 もうふざけてる!


 出会って五秒でふざけてますでお馴染みの。

 襤褸雑巾の正体は、そう。イルダとコンスエラの二人であった。


 あはは、おもろ。


 しでかしたことは一ミリも笑えないけれど。

 存在自体は甲乙つけがたいギャグそのものの女史二人を前にして、笑いが込み上げてこない者はいないはずの感情で、けれど険しい表情のまま。


「申し開きがあるんやな」

「はい。この慮外者どもの言葉を信じるのなら、ですが」

「でもラウラ、お前さんは信じたからこそこうして身共の前に引き立てた。違うんか」

「はい。さすがの炯眼にございます。ですが理由はどうあれ罪は罪。必ずや一命を以って贖罪は果たさせます。ですのでどうか釈明させてくださいませんか」

「ええさんや。存分に申すがええ」


 ラウラの鬼気迫るお強請りに屈したわけではけっしてない。けっしてない。

 二度言った時点でお察しだが、死なれても困る。それはダメ。

 ラウラからはそんな悲壮感が感じられた。あるいは決死の覚悟を感じる。


 天彦は二女ポジのイルダに目配せをして促した。


「聞いてよピコっち。うちら文を受け取ったんだよ。ラウラの筆跡に間違いないやつを」

「にんにん。しかも絶対にうちらにしかわからない符丁まで認められていたんだから。ほら」


 ほらと言って差し出されたのは、一枚の書状。

 要約すると、菊亭が裏切った。織田に寝返れとあった。符丁の有無はわからない。それっぽくも見えなくもない程度。

 だが筆跡はたしかにラウラの筆跡に似ていた。いやまんまラウラの筆跡だった。少なくとも天彦の目にはそう映るほどの完コピされた出来栄えだった。


 けれど当人が目の前で事実を否認しているのだから疑いはない。

 天彦にとってラウラとは命を救ってくれた恩人以上に、絶対に信の置けるそういう存在なのである。


 一連の流れを理解した天彦は一言、


「イルダ。この文、誰から受け取った」

「――だよ。疑う方がどうかしてるじゃん。ほらうち悪くないじゃん」

「にんにん」

「……さよか。沙汰は追ってくだす。下がりおれ」

「はい。ほんとうに申し訳ございませんでした。御前、失礼いたします」

「ぎゃっ」

「ふぎゃ」



 ざざ、ざざざ、ざざ、ざざー。



 再度のホラー退場で、皆を下がらせひとりきり。


「お茶々。これは何の謎かけなんや」


 ぽつり。


 けっして疑いのない澄んだ瞳で虚空を見つめる。


 実益につづき茶々丸までもが……。


 これは悪夢かそれとも冗句か。


「什麼生説破」


 懐かしの言葉をつぶやく。

 けれど身体は正直なのか。その声は微かに震えているのであった。












【文中補足】

 1、中国地方

 京の都より近い国を近国、遠い国を遠国、そして中間に位置する国を中国または中国地方とされていたため山陰山陽地方は古来より中国と呼ばれてきた。猶、四国の大部分も中国と呼ばれていた。瀬戸内地方でいいのにね。













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