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雅楽伝奏、の家の人  作者: 喜楽もこ
十六章 貴種流離の章
255/314

#03 命題の真理値

 



 元亀元年(1570)十一月二七日






 大前提、AとBがともに真であるときのみ真になるものとして。


 1-0.9∧7=0.52


 即ち一割の確率でしか正解に辿り着けない難題でも、この通り試行回数の分母を増やせば二分一以上にまでその的中確立をあげさせるのだ。僅か七回ぽっちの挑戦だけで。


 とか。


「むむ。ぐぬぬ。ぐぎぎぎ。うーーーん。……さっぱりなん」


 天彦は久しぶりに本気で頭を悩ませていた。


 家康からは攻略目標である出雲国先先遣許可を取りつけられていた。

 渡りに船とばかりの前のめりなイエスだったので、おそらくは播磨接収に手古摺っているものと思われる。気性の難しいお国柄なのでなるほど納得。


 いずれにしても本格的に尼子の再興に乗り出そうとしたまではよかったが、一週間あまり経過した今でも一向に攻略方針を定められずにいたのである。


 というのも亀井新十郎玆矩の宿願とやらの出雲国を押領している勢力の存在が天彦にはピンとこなかったのだ。

 新十郎の側近、多胡重盛は頻りにせっついてくるが知らん。

 天彦はじっと動かず姫路の地に逗留していた。あるいは誰と、果たしてどの勢力と矛を交えるのか、答えに窮していたのである。


 そもそも織田家不在の山陰山陽地方の接収など容易なはずであった。

 何しろ記憶を基にたどれば確固たる勢力の存在など勢力どころか家、あるいは有名どころの個人にいたるまで皆無のはずだったから。

 故に毛利家亡きあとの中国地方の覇者など誰一人として存在しない。想定の段階で断定してしまっていた天彦を果たして誰が責められるのか。


 だからこその安請け合い、安出しゃばりだったのに。


 ところがである。存在したのだ。その勢力が。しかもかなり統制の取れた勢力が確固として根を張り、相当な規模で展開、存在しているではないか(風魔党調べによる)。

 しかも士気まで高いと訊くと一々すべてに合点がゆかない。あるいは己以外の転生者の可能性も勘繰ったが、その可能性は即座に打ち消した。

 ならばもっと噂に上り、何より世界はもっと大きく変貌を遂げていることだろうはずだから。


 確実に自分よりも上手に巧く立ち回っていることだろうから。絶対に。


 よってこの世界の出来事の範疇QED。ならば……。


「おい夜叉丸、あいつまたなんか唸っておるぞ。薄気味悪い」

「うむ市松、どうせいつもの悪巧みであろう。放っておけ」

「儂はもう嫌じゃぞ。付き合いきれん」

「儂も厭じゃが、直江様にどつきまわされるのはもっと厭じゃ」

「儂も厭じゃ。あいつも頭可怪しいからの……あ」

「ん、なんじゃ……、あ」


 こんの……! おいそこ丸っと全部聞こえてんぞゴラァ!


「ご、ご無礼仕った」

「御前、御免仕る」


 誰があいつか。与六唯一の失敗作である夜叉丸こと加藤清正と、市松こと福島正則をきつく睨みつけて追い払う。


「夜、茶を」

「はっ」


 気を取りなおして、大事なことなのでもう一度言う。

 天彦の記憶には毛利家亡きあとの中国地方の覇者など誰一人として思い浮かばないのである。

 いくら考えこんでみたところで、記憶には一切合切ヒットせず思い当たる節が皆目なかった。

 何しろ数には限りがあるし、滅びるべくお家は予定通り滅びゆき、滅ばないお家まで予定に反して滅んでいる。


 天彦が戦国滅亡請負人かどうかはこの際、なら答えはひとつのはず。

 土着氏族が寺社勢力と結託あるいは麾下に収まり押領している。となるのである。

 なるのだが、果たしてそうなのか疑問が尽きない。

 話は振り出しに戻るが、風魔党の報告では一帯に確固たる勢力が根差し展開しているとのことらしかった。


「こっわ」


 正体不明の敵と戦うことほど恐ろしいものはないとしたもの。


 天彦はこれまで経験したことのない局面と向き合い、言葉に言い表せない薄ら寒い感情に襲われていた。

 その無形の脅威は、天彦の小さな体と狭い心をちくちくと痛めつけてくる。


「うーん」


 わからん。いっっっちミリも思い浮かばん。


 半ば匙を投げようとしたそのとき、


「お殿様の真意はいずこにございますだりん」

「なんやルカ、唐突に」


 天彦が考え込んでいると思考を遮るように声がかかった。

 ルカが思考の邪魔をすることは珍しい。ルカに限らず家中の誰もがこの状態に入った天彦を邪魔立てするものはいなかった。あの雪之丞でさえも。


 だから天彦は目を開き思考を中断。ルカに応接してやることにした。どうせ煮詰まっていたことでもあったので、の反応で。


「申してみ」

「はいだりん。夜が戸惑っております。お殿様の言動に矛盾が生じているため、どう受け止めればよいのかと申しております」


 戸惑いというよりも泣いているのかもしれない。

 夜申は生粋の切支丹。

 主君天彦の切支丹に対する苛烈な応接が、ゼウス信者である彼女にはとても辛く感じてしまうのだろう。おそらくきっと。


「茶々丸殿と密接な関係をお築きな反面、一向門徒には苛烈な仕置きをなさいます。切支丹にしても同じく。いいえむしろ真逆。我ら信者には手厚くしてくださるのに教団に対しては非情とも思える御沙汰を下さいます。その真意はいずこにございますのでしょうか」


 やはり。


 そしてそれはルカも同じく。つまりルカは夜申の言葉を借りて自身の疑問をぶつけているのだ。気持ちは汲めるが普通にずるいと天彦は感じた。虐めたろ。


 だがその前に、


「真宗門徒を虐げた認識は一個もない。むしろ遇していると認識している。即刻訂正いたせ」

「……ですが結果的には」

「黙れ。訂正致せ」

「はいだりん」


 ん。


 そもそも論、天彦は宗教に対して好き嫌いどころか関心その物を持っていないのであった。


「ならばルカさん。キミは言動に矛盾は生じないと申すのかね」

「きみ!? ……かね? え、え、え!?」


 出来る大学准教授を装ってみたが完全にすべったのでやめ。

 混乱を招いてどうする。


「いまのなしねん」

「はぁ」

「ルカは相手によって言動を変えんのか」

「……むろん変えます。当然だりん」

「態度は」

「変わって然るべきかと」

「そうやろ。お人さんの一貫性など所詮はその程度のものにおじゃる」

「ですがだからと言って、言動の筋にぶれはございませんが」

「刃を喉元に突き付けられてもか」

「ふっ、何を当り前のことを仰せでしょう。お熱でもあおりなのでは」


 あ。鼻で笑うとか。


 だが問いかけの中身ではなく問いかけた相手が悪かった。

 普通は切っ先を突き付けられれば、人は態度を変えるとしたもの。

 命はどこのどなたさんとて惜しいとしたものだから。


「まさかとは存じますが煙に巻くお心算ではございませんでしょうね」

「ないさんよ?」

「実に胡乱な言い回し。では改めましてお尋ねいたします。言動の一貫性ではなく思想根幹の矛盾の有無を問うております如何」

「あ、うん」


 ファック。誤魔化されてはくれないパターンね。


 第一感、めんど。しんど。この感情が先だった。

 それはそう。未来の現代感覚一般ぴーぽー人である天彦と、戦乱ばりばり中世の人ルカとでは宗教観があまりにもかけ離れていて、どう転んでも折り合うはずもないだろうから。

 ましてや目下は日ノ本におけるキリスト教黎明期。あらゆる角度での捉え方や温度感が違っていて尤もなのであった。


 奇天烈奇妙極まりない天彦の近習でさえこの調子。

 よって説明は非情に厄介。できることならこの案件、遠ざけ避けて通りたいのが偽らざる率直な本音であったとかなかったとか。


 天彦はベクトルを変えて、


「ルカは裕福か」

「本件に関係するだりん」

「致す」

「お殿様を前にして、非常に答えにくい設問だりん」

「許す、申せ」

「ずっと素寒貧だりん! どこかのおバカなお殿様のせいで。バカお殿様、お殿様バカッ」

「言い過ぎやろがいっ!」


 お殿様バカはもはや意味合いが違ってくる。しばく。

 いや許可したばかりだ。ぐぬぬぬ、怒りを抑えてぐっと堪える。そして具に尤もらしい顔をして、


「ほな切支丹はどないや」

「素寒貧な上に不遇だりん」

「真宗門徒は」

「同じく」

「そういうことや」

「はて、どういうことにございましょう」

「わからんのんか。金持ち氏ね――ッ! 身共の利益を掻っ攫っていくやつみんな氏にさらせぼけ」

「ふぁ!?」


 すーはー、ぜぇぜぇ。


「え……!?」


 果てしなくドン引くルカを置き去りに、すると、とある閃きが天彦の脳裏に舞い降りた。

 ともするとそれは天意とさえ感じさせるほど腹落ちした。あるいは今後を占う神仏の思し召しかと勘繰ってしまうほどの非常に密な繋がりを感じさせる閃きであった。


 まんじ。


 結局ルカの知りたかったらしい真意を煙に巻いた彦は、そんなもんあるんかどうかも疑わしいの感情ではっと閃く。


「宗教さんさあ」


 信じるものが集まれば集まるほど儲かるものなーんだ。ちっ宗教め。←いいがかり。

 リターンは心の救済あるいは拠り所なので対価としては申し分ないのだろう。知らんけど。


 本件に寺社はほとんど関わりない。そう閃きがあったのだ。

 故に逆説的に寺社のせい。とんでもない暴論だがあながち無関係とも言い切れなかった。


「小太郎」

「はっ」


 どこからともなく応答があった。

 菊亭イツメン衆ですら不意の出現に戸惑い驚く妖術奇術である。ならば尼子衆など度肝を抜かれて尤もであろう。天彦も、声の主もにんまり。


「抜かりはないさんやな」

「はっ」


 するとまたしてもどこからともなく一個の筒状の何かが現れ、ルカの手元に放られた。

 託されたルカは小さく舌打ちをしてから、そっと天彦にその筒状の何かを差し出した。


「ん」


 受け取り包みを剥く。するとそこには、


 お、おお……!


「何と、何たる細緻な!」

「お見事にござる」

「あれなるが風魔党。なるほど自ら押し売ってきただけはあるようですな」

「儂はやつの体術にこそ興味を惹かれるがな」


 高虎はいったん置いておくとして。そういうこと。

 天彦の手元にあるのは、山陰地方の主だった国の砦が記載された地図であった。


 天彦は地図をさっと広げると、真剣な眼差しでじっと見つめた。


 その気配は凛として厳か。

 普段は煩わしいばかりだが、このときばかりは貴種として生まれた己の血筋に感謝する。ほんの少しだけじっじとぱっぱの顔を思い浮かべながら。


 凄まじい集中力であった。見る者には鬼気迫る、あるいは嬉々として映るような。

 いずれにしても物音一つ聞こえない室内には、呼吸音さえ邪魔立てになるのではと慮ってしまうほどの張り詰めた冷ややかな空気が漂っていた。


 果たしてどのくらいのときが経ったのか。

 誰もが息を飲み、天彦の一挙手一投足を注視する中、ややあって、


「なるほど。なーるほど」


 天彦が確信めいたつぶやきをぽつりつぶやく。けれどその所作は天彦らしくなくどこか大仰で、するとどこか芝居じみて思わせる。

 あるいはそれが意図する狙いなのかもしれないが、真意はさて措きお得意の秘密めいた表情を浮かべて改めて周囲を見渡すと、にちゃあ。


 ロックオン。


 むろんさっきの仕返しの感情で。こう見えて天彦、根が執念深いのである。


「さてルカ。大事なことなのでもう一度。大前提、AとBがともに真であるときのみ真になるとして」

「え」

「1-0.9∧7=0.52」

「え、えぇ!?」

「わからんのんか」

「ふぇ!?」


 目をくりくりと脳内に無限???を浮かべるルカを置き去りにして天彦はつづける。


「なんや簡単な答えやったん。即ち一割の確率でしか正解に辿り着けない難題でも、試行回数の分母を増やせば二分一にまでその成否の確立をあげさせるんや」

「……助けてください与六殿」

「ご無理を申される」


 イツメンたちさえも置き去りにして、


「50%のアタリを引けんようでは、この波乱蠢く戦国元亀のお公家さんなどやってられんのよ」


 何食わぬ顔で嘯いて、殊のほか強がって、そして自分に言い聞かせるように口の中で反芻する。


 できる。身共はできるんや。


 そっとぎゅっと。愛用の慣れ親しんだ扇子を握りしめ。


 果たしてこの論理演算の解がリアルにも適用されるかは極めて疑わしい。

 だが天彦は数理こそ世界を形成する真なる論理であると信じる。唯一にして絶対の鉄則であると信じて疑わないのである。


 おそらくきっと、でなければとっくの昔に正気を失っていただろうから。


 それがたった一つの冴えたメソッド。


 机上に広げた地図を見ながら、にやり。


「こことこことこことここさん。序にこことこことここを落とすとするか。――で」


 都合七か所の拠点を扇子の先端で指し示し、一呼吸おいて、


「ここが本丸。目指すは月山、富田城におじゃる」


 独断的に方針を決定するのであった。











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