#02 か細い声で語るとか草
元亀元年(1570)十一月二十日
大前提、天彦は過去も現在も未来も、母なる人物の温もりを知らない。あるいは覚えがないとして。
京極氏は母方の御実家である(確定ではないが有力な候補のひとつとして)。
そして京極氏には尼子という分家があり、その尼子氏は現在から遡ること僅か二年と八か月ほど前に滅亡している。
史実ではその遺臣である山中鹿之助幸盛や立原源兵衛尉久綱らは新宮党の末裔尼子勝久を擁立して再興を図った。
それを積極援助をしたのが魔王信長と言われていて、当時は毛利家の基盤を揺さぶる何らかの掣肘的意味合いがあったのだろうからごく自然な成り行きであると推測される。
だが毛利家滅亡の目下、信長にその必要性はなく、するとそのスポンサーは現れない。故に尼子再興の意味合いは限りなくゼロに近しく、彼ら遺臣にしか用をなさない遺物である。
そして史実では再起を図った尼子だったが、拠点としていた播磨上月城を毛利に落とされ当主勝久は自害して果て、幸盛も誅殺されてしまっている。
こちらでも同様、形は違えど史実をなぞって同様の経緯をたどっているらしかった。知らんけど。
だが事実として、その勝久の遺児である庶子の倅がお神輿として担ぎ出され、今まさに天彦たちの目の前で、喉を枯らして宿願成就を叫んでいた。
「新十郎……」
「ご存じで」
「……うん」
「殿は相変わらずの博識にございますな」
声を枯らして窮状を訴えている若侍こそ、亀井新十郎玆矩。その人であった。そう。尼子の一門、最後の将。
そしてその縁を言いだすとこの狭い貴種界隈では雁字搦めに絡めとられ身動きが取れなくなってしまうでお馴染みの、天彦にとっての遠い親戚の一人である。
だが歴とした、少なくとも一滴は同じ血の通う天彦の数少ない認識下での母方の肉親でもあったのだ。
ともすると雪之丞が菊亭最大の一門衆であるのと同じく、亀井家とは尼子の一門格であったのだ。
まっま。
込み上げてくるのは意味不明なノスタルジア。
あるいは郷愁とも同じだが、無いはずの記憶が脳裏の奥によみがえり、知らぬはずの母の面影をなぞってしまう。もはや病気。病名を挙げるならマザーコンプレックスに相違なく。
「与力致す」
「殿!?」
殿――!?
天彦は意識してかせずか。いずれにせよ助太刀を宣言していた。
これにはさすがのイツメンたちも度肝を抜かれた。むろんこいつ正気かの感情で。当然正気ではないいつもの悪ふざけであるだろうの確信を以って。
それもそのはず。尼子氏の再興など一々相手にしていられないほど、この時代にはありふれた逸話なのだから。それこそその他大勢に埋没するレベルの小咄として。
あるいは執念深いという観点では、余り札の何枚入っているかわからない爺抜きよりも寒い案件ではないだろうか。いずれにせよ関わって得をする案件とは誰もが思えないのである。
何よりも与力合力するにも戦となると相当かなり銭がかかる。戦その物の必要経費ももちろん、死にゆく者の家族手当てにしてもそれこそ莫大な費えが必要となるのである。
残された家族への手当てはどこよりも手厚く。それが菊亭が掲げる絶対の是である以上は確実にかかる。
大原則、菊亭家の報酬は俸禄(給与)であり、知行(土地)を与えられている者は氏郷と且元の二人きりに限られていた。
但しその二人にしても知行地は半ば敵地のど真ん中にあって目下容易には行き来が適わないというのが現状である。
何が言いたいのかというと。
その銭が今の菊亭にはほとんどまったくといっていいほどないのである。
それこそ家来たちのほとんどは、手弁当自己負担の持ち出しで天彦の元へと馳せ参じているくらいなのである。
「実は銭がございまするのか」
「あはは、知っての通りすっからかんの素寒貧なん」
「でしょうな。ならば何故。殿とて無理は御承知にござろう」
「与六ぅ、そこを何とか。何とかしてほしいん。この通りさんなん」
「それは弱りましたな。某一人がよくとも。っ――、そんなお顔をなさっても、筋が通らねば説得は厳しいかと存じまする」
「あかん?」
「なりませぬ」
「どうしても?」
「なりませぬ」
「やろうなぁ」
「もしや、訳がございまするので」
「うーん、あるようでないようで」
「ならば厳しかろうと存じまする」
「あ、うん」
母方の親戚やから。
それを言い出したら、あ、こいつマザコンや! ざっこ。
とは思われないとしても、そんな筋はいくらでもある。誰にでもある。
醒めた目で見られることは請け負いで、ともすると家中の火種にもなりかねない危険極まりない案件であった。こう見えて当主稼業、弱味は見せられないとしたものであった。一ミリとて。
ましてや周囲を見渡せば、直近すぐお隣さんに一門に加わったばかりの運命共同体でもあるお家さんが。そのご当主家康公など妻子を人質に絶賛取られ中なほど。どの口でちょっと寄り路などほざけるものか。
果たしてそうでなくとも四国・九州征伐には今後かなりの時を要するであろう。彼ら連合軍は立ち止っていられるほど暇ではなかった。
なのに、
「お待ちあれ」
一人の精悍な若侍が険しい表情と口調で侍所扶の裁可に異論を唱えるべく立ち上がった。
彼の名を菊池権守家当主、菊池九郎重隆と言った。
「控えおろう。新参者の出る幕ではない」
「くっ、新参なれど一言言上仕る!」
「何をッ」
「何度でも申し上げ候ッ」
九郎は与六の有無を言わせぬ圧力に気圧されながらも踏ん張った。
控えめに言って与六の圧はえげつない。
何しろ単騎で太閤殿下に喧嘩を売った命知らず。そんじょそこらの武士ではない。
ましてや今や菊亭家の押しも押されもせぬ筆頭家来である自負がある。
そんな彼が自身の裁定に口を挟まれたのである。怒らないはずがない。と、同時に新参者が差し出口を生意気な、という感情も相まってか。
与六は常にも増して凄味を利かせて九郎の前に立ちはだかった。彼がその壁に立ち向かって今があるように。
「よろしいか!」
「よろしくないと申しておる。貴様の耳はお飾りか。控えよ」
「与六どのとあろう御方がこれまた異なことを申される」
「何を。菊池権守殿、控えおろうと申したぞ」
与六のトーンが本域となり、場に緊迫の帳が降りる。
彼は果断。おそらく斬る。躊躇わずに戸惑わずに必要とあらば斬り捨てる。本当に斬ってしまうのだ。洒落は利かない。意外にも。
そう。直江兼続の中の人与六は、実はこう見えても戦国ガチ勢の中でもひと際目を瞠る最右翼の人であった。
だが、だからこそ菊池九郎は立ち向かった。
彼とて一門の未来を背負う頭領である。引くに引けない理由がある。
お家を、延いては一門を。その手で再興するまでは、けっして引かぬと心に誓った。
それが九州に根差す武人の魂だからと言い張り。胸を張って死を決意した。
そんな漢の、そんな武士の顔で突っ張る。
「外様の領分で、と申されまするか」
「皆まで申さぬ。下がりおれ」
「ですが引きませぬ。一度でよい、某の言上、聞き届けめされいッ」
「ほう面白い。ならば身命を賭してと申すのだな」
「むろん!」
「ふん、ならば申してみよ。但し――」
「条件など片腹痛し! しかしながらありがたき幸せ。御礼仕りまする」
「小癪な。御託はよい。疾く申せ」
「はっ、ならば。お聞き召されよ各々方!」
九郎は目一杯に息を吸い込むと精一杯に背伸びをして、
「我が殿がかつてこれほどまでに切実に、斯様なお強請りをなさいましたか。我らは名誉のため地位のためはたまた銭のために奉公しておるのか。否、断じて否でござろう。皆さま一様に、ここに御座す御殿の御厚情に触れ、あるいは殿の大局に賛同するからこそご奉公差し上げているのではございませぬか。今一度お考え直しくださいませ。各々方には努々お間違えなきよう御再考下さいますこと、この菊池権守九郎重隆が言上仕り候ッ!」
大見得を切り大演説を解き放った。
なるほど青臭いが的は射ている。中には胸を打たれたものもいるほどに。
するとややあって且元が、氏郷が、高虎が、ルカが、是知が、佐吉が、あるいは雪之丞までもが九郎の言葉に耳を傾けたすべてのイツメンすべてが、各々の頭でじっと考えこみ始めた。遠くに控える小太郎も同じく。
ややあって、
「小癪な小僧っ子め。某は殿の御意に従いまする。これまでもこれからも」
「菊池権守、これは貸しぞ! 某も且元殿に同じく賛同いたしまする」
「戦場こそ我が居、望むところ!」
「貸しだりん。でもあとでお説教するだりん」
「え」と九郎。
気を取り直して、
「某、汚名を返上いたしたくござる」
「同じく名誉を回復いたしたく。これは好機と思うてござる」
「鉄砲さん、ようさん撃てるんやったら付き合いますけど。あと甘味もようさん下さるなら」
遠くに控える風魔小太郎がにやり。
それを受けて直江与六兼続は、
「ふっ、揃いも揃って阿呆ばかりか。勝手にいたせ。某は存じぬ」
失笑を漏らして突き放した。むろんテイを装って。
彼も扶として立場がある。彼が引き締めなければどこまでも果てしなく気ままに振舞う者ばかりなので。それが菊亭の家風なので。
そうと知りつつ、知るからこそ与六は言う。どこか諦めの面持ちで。
「こうなれば是非もない。恥ずかしながら殿の御判断を仰ぐ他あるまい。殿、役目も果たせぬ不甲斐なき扶をお許しくだされ、何卒」
だが、どうやらこれにて決したようである。
天彦はたまらず、にぱっ。
会心ではけっしてない。極めてそっと。だが誰の目にも明らかに喜びの情が伝わる笑みを浮かべてうんと一つ頷いた。テレテレと。デレデレと与六にぺこりとお辞儀をして。
「与六、おおきにさん。九郎も大儀。そして身共を支えてくださるみんなさん。この御恩、必ずや何倍にもしてお返しさんにおじゃります」
「勿体なきお言葉恐悦至極。末代までの家宝に致しましてございまする」
ございまする――!
与六につづきイツメンたちが心底から感激して、あるいは儀礼的に復唱して。
天彦は再度喜びを表すと、「大儀におじゃる」慇懃に確と申し置いた。テレテレと。
そしてつかつか。襤褸を纏った一団に歩み寄った。
天彦の前には悲願を訴える演説に喉を枯らす青年侍の姿が。
天彦はしばらく演説に耳を預け、ややあって野次馬たちを押しのけるようにその幟が立つ真ん前に分け入った。
そして愛用の扇子を抜き放つとおそらく新十郎だろう青年神輿に言い放った。
「興が乗った。直言を許す、名乗りおれ」
「へ!?」
若き侍に向かって実に大仰にかつ実に権高く、そして実に嬉しげに与力を申し入れるのであった。
冗句としか思えない途轍もないスケールの大風呂敷を広げることも忘れずに。
「なんや新十郎。名くらいきちんと名乗らんかい」
「おい小童、言うに事欠き名乗れであると」
「そう申したん」
「何を」
「名も名乗れず御家再興とは片腹痛いん。そんなことでは二十万の与力が露と消えてしまうでおじゃる」
「え。に……!? は?」
「ご、よん、さん、、に、……いち」
「待てい!」
「待ったろ」
「忝い。某は尼子氏一門衆亀井家当主にして現在、恐れ多くも尼子の名跡を引き継がさせていただいておる新十郎玆矩にござる。そう申す貴殿はいずこのどなたにござろうか!」
「くくく、身共は名もなき貴種におじゃる」
「な、ふざけるでないわ! 其許こそ名乗れぬではないか。冷やかしにしても悪質にござるぞ」
「ならば名乗って進ぜるが、身共が名乗ってもよいのならな。努々肝を冷やすなよ」
「え」
天彦は愛用の扇子ぱさっ。三つ紅葉が刻まれた面を掲げて、
「我が名は権大納言菊亭天彦である」
「へ」
「よもや二度、身共に名乗らせはするまいな」
「あ、いや、……え」
あの、まさか。
固まることしばらく。
ややあって、若き青年神輿は驚愕から立ち直ると、
「ま……、まさか。そんな……」
「またの名を藤原長者とも呼ばれておじゃる。其の方は佐々木源氏の流れでおじゃるな。これを縁に、お見知りおきあらしゃりますぅ」
と、高虎が我が意を得たりとここぞとばかり、よく通る戦映えのする声を張った。
「者ども、頭が高い。控えおろう!」
「は、ははぁ――」
新十郎は元より、新十郎を支え擁立した侍どもが一斉に、あるいは話を訊いていた野次馬通行人もひっくるめて。
誰彼ともなく周囲一面、地面に額をこすり付けた。大抵の場面で権威は威力を発揮するを証明するかのようにして。
だがあるいはそれ以上か。その姿勢はともすると神仏にも示さないだろう最上位の跪拝の姿勢であったとかなかったとか。いずれにしても誰彼ともなく最上位より猶も高い畏怖の念を示すのであった。
ただの悪巧みを得意とするちょっぴりノスタルジアに浸る小悪党キッズに向かって、笑ってしまうほど大袈裟に。大仰に。
そんな天彦は所在なく、そうとは知られぬようこっそりと、ただ不器用に笑って誤魔化すだけなのである。
【文中補足】
1、天海(慈眼大師)
算砂のお師匠にして信長の政指南役。
2、亀井新十郎玆矩
山中幸盛の義理息子、娘の婿にあたる尼子の一門格亀井家庶子(尼子勝久の侍従)。
史実では秀吉の信頼厚く、若干24にして因幡国鹿野城城主に抜擢され一万三千石の知行地を領有した。銀山の開発とは密接であり、因幡衆として銀山運営に大きく寄与したとされる。
誤字報告、ファンアート、加点、いいねでのご声援。涙が出るほど嬉しいです!
ありがとうございます、頑張れます。
十六章 貴種流離の章
説話の類型の一つ。 尊い身分の人が故郷から遠く離れた他郷をさすらい、さまざまな苦難や試練を体験した上で帰国すること。
と、ありました。はい。この四字熟語の通りの章にしたいと思っております。あくまで願望ベースですので、きっとならないと思いますけれど笑。
だってプロットの枠組み通りに進んだことないのですもの。ほんと厭。自分も天彦さんも菊亭ファミリアさんたちも棒。猶、厭のルビは(すこ)としておいてください。
それではドクシャーの皆さま、果たして何話構成になるのか存じませんが、定期更新を目標にがんばりますので(あくまで努力目標として)、またぞろお付き合いくださいませ。よろしくお願いいたします。ばいばいまったねー




