#01 さて世界が色を取り戻したわけだが
元亀元年(1570)十一月二十日
二条城(旧室町第)本丸天守の間。
とある一報を受けた天守の間には、言葉にはできない異様な気配が充満している。あるいは絶望とさえ感じさせるような異様な気配であった。
その気配の中心地。もしくは発生源である場所には一人の武将が立っている。
衣服は時代感にそぐわない奇天烈ハイカラな洋風コーデに、ビロード深紅の膝丈ロングコートを羽織って。
彼の名を上総介、あるいは三郎、または織田弾正忠平信長と言った。
言わずと知れた覇王である。市井では魔王と呼ばれ畏怖されていて、むしろこの異名の方が世には広く浸透していることだろう。
比叡山を焼き討ちしてからというものすっかりこの異名は独り歩きしている。尤もあれは倅の大やらかしを被っただけなのだけれど。
さてその魔王は魔王の異名に相応しく鋭い視線を更に険しくさせ、天守から眼下に広がる京の町を睥睨している。
そんな魔王だが実は所作には威儀がない。むろん威風は満点なのだがいつもどこか気忙しそうにあるいは神経質そうに身体のどこか部分を小刻みに揺すっていて、やはり威儀を感じるとは言い難かった。
そんな魔王は愛用の黒地に赤の大瓢箪軍扇を手に調子を取る。まるで誰かさんを彷彿とさせる時代感にそぐわない奇妙な調子の鼻歌を口ずさんで。
ややあって、パシャリ。
軍扇が閉じられた。と同時に魔王が振り向く。居並ぶ家来たちに向かって。
その表情は凄惨の一言に尽きた。あるいはこの世のお仕舞いであろうか。
いずれにせよ天守の間を一瞬で地獄へと引き摺り降ろすには十分なまさしく恐怖を体現して、その場に居合わせる家臣たちを恐怖のどん底に突き落とす。
一堂が髷を晒して叩頭する中、この厳かで恐ろし気な静寂に誰もが静黙する室内にあって。
威風堂々とは少し違う。けれどけっして魔王の武威に屈してはいない人物がただ二人。
顔をやや下げ畳に指は添えているものの背筋をしゃんと、魔王の姿を捉えて離さずしっかりと直視していた。
己に瑕疵はないといわんばかりに。あるいは命などいくらでもくれてやると言わんばかりに。
魔王はどこか口元に冷笑を浮かべると、先ずは一人目、並ぶ二人の片方を軍扇で指し示して指名した。
「本来ならば是非もなし。師の嘆願なくば、貴様はこの世におらぬと知れ」
「ご寛恕ありがたく、恐悦至極に存じ上げます」
「で、あるか。ならば刑部大丞、早速申し開きを致せ」
「とくにはございませぬ」
「何をッ」
「未だ献策差し上げました策の途中なれば、斯様な総括は早計にございます」
「……で、あるか。やはり貴様は甚だ不遜であるな。なるほどあの狐めの竹馬の友と言わざるを得ぬ」
「お褒めに預かりまして光栄至極に存じ奉りまする」
「褒めてなどおらぬわ――ッ!」
「ぐはっ」
さすがにしばかれるの巻。
魔王様に蹴られどつきまわされている二人の内の片割れはそう。あの天彦をして無理っぽ。または不気味くんでお馴染みの竹馬の友。本因坊算砂であった。
「何が一石三鳥の策か。悉く見破られ、破られるどころか悪用されておるではないか! この不始末、如何付ける」
「これまでは序章、あくまでも餌にございまする」
「なに。貴様、苦し紛れの虚偽ならば一族郎党皆殺しの憂き目に遭うと知れよ」
「むろん御尤もにございますれば。僕に家族などと申します存在はございませぬが、如何様にでも御沙汰くだされ」
「……ふん。で、あるか」
信長は右手を差し出した。するともう一人、算砂と共に信長の武威に縮み上がっていなかった片割れが膝をすりすりすり寄った。そして信長の小姓から瓢箪型の水筒を奪うと信長にさっと差し出し、にぱっと笑った。
「ちっ、貴様も貴様じゃ仙千代」
「はっ」
「貴様が付いておりながら何たる体たらく。余はこれほどがっかりしたことはかつてないぞ」
「はっ」
「もう畏まるのはよせ。申し開き致せ」
「はい。ですが」
信長は半ば諦めの境地で仙千代を手で追い払うように許しを与えた。
そう。片割れは天彦の追放目付け万見仙千代重元であった。
「ならばお一言だけ言上申し上げたく存じ奉りまする」
「申せ」
「はっ、権大納言様。某の意に操られ制御が効くような御仁に非ず。ですが某、自身の力量不足をけっして疑ってはございませぬ。殿直々に鍛えられた自負がございますれば絶対に」
「ふん小癪な。……で、あるか」
どうやら魔王も異論はないようであった。
むろん納得はしていないはず。されど腑に落ちる言ではあったのか。
そんな内心の情動をありありと自他ともに認める美しい顔に浮き彫りにして、仙千代のしくじりを許してみせた。
彼の苛烈反応は“但し血の繋がらない他人に限る”なのである。即ちどうせ身内はきつく裁けないの感情が強く作用した結果である。
よってこの一連の播磨騒乱。即ち天彦追放に始まり姫路勢蜂起を経過しイスパニア海洋帝国参画で終わった様々な陰謀はすべて、本因坊算砂の立案であったのだ。そしてそのアシストを仙千代が行っていたのである。
本当に恐ろしいのは魔王か算砂か。何しろ彼、これで天彦激ずっラブなのだからおっかない。
ともすると痛すぎるメンヘラに好かれるメンヘラホイホイ気質に生まれた天彦の宿命、あるいは傑物から関心を寄せるため知識と知恵を披露しすぎた自業自得とも言えなくもないけれど。
いずれにしても本当の敵は身内にあるとか、あまりにも悲惨であまりにも憐れではないだろうか。
尤も算砂はとっくに縁を切られ菊亭家から絶縁されているのだが、彼にその自覚が一ミリもない以上、その事実はこの世に存在しないのである(棒)。
「刑部大丞、貴様の申した仕上げとやらを献策致せ。苦し紛れの虚言でないならの」
「はっ。お耳を拝借致しまする」
「で、あるか」
ごにょごにょごにょ。
魔王は目を大きく瞠ったのちにやり。声を出さず、だがぞっとする不気味なほどに悪い顔で薄く嗤った。
「実に面白い。刑部大丞算砂、善きに計らえ。重元、引き続き算砂を与力いたせ」
「はっ」
「ははっ」
と、算砂がぽつり。
「すでに手は打ってございます」
「小癪な。だが悪うない。貴様らの首、繋がっていることを願ってやろう。大儀であった。引きつづき任にあたるがよい」
「はっ」
「ははっ」
いずれにせよ魔王は二人の失敗を許した。
許せるとは強さの証。そして許しとは勇気の印でもある。
勇気を出して一歩踏み出した者順に世界は変わっていくものじゃん? とか。
むろん魔王信長はそんな感情論で動かない。
彼は“必要なものを必要なときに必要なだけ”でお馴染みの、世界に轟く大トヨタのかんばん経営戦略方式をすでに取り入れつつある、超合理主義者なのだから。
但し下請けは地獄である。それはこの戦国元亀も同様であった。とか。なかったとか。
あくまで一般論として。あくまでフィクション・エンタメとして。
◇◆◇
元亀元年(1570)十一月二十日
算砂が悪巧みを献策し首の皮が一枚で繋がったときと同刻。
姫路白鷺城城下には城下町を散策するお馬鹿さんたちの姿があった。
ある者はキョロキョロ。ある者はワクワク。またある者は歓喜を隠さず大喜びで、出店のすべての甘味を食らい尽くさんばかりに財布の紐を緩めていた。両の手に持ちきれないほど買いこんで。
「若とのさん、あれも初見ですわ! 行ってきます」
「待て」
「何でですのん」
「やめときなさいはしたない。せめて自分の手ぇさんに持ち切れる分だけにしとき」
「ぬぐぐぐ。なんで某の手ぇはたった二つしかありませんのん」
「くふ。久しぶりに本気で思たな」
「何をですのん」
「お前さんほんもんの阿呆やろ」
「あ」
「あ」
わはははは。
お馬鹿さんのおバカな発言にどっと沸く。
若き当主を絶対的支柱とするご存じ菊亭一門イツメン衆の面々である。
但し現状、フルメンは揃っていない。家令が不在なのである。
海賊商船団とその銀主たちは意気揚々テンション爆上げで、都への上洛準備に取り掛かるため船団へと戻っていった。ラウラ女史はそれに帯同。最後の役目としての心算なのだろう。優秀な通訳として提督に最後の御奉公を差し上げると嘯いて去って行った。おそらくは何らかの悪巧みでも仕込んでいるに違いなかった。心配は無用。
そのイスパニア海洋帝国船団御一行様を見送って目下、久方ぶりの一門衆揃い踏んでの懇親町ブラとあって、誰も皆、厳めしい相貌とはおよそ不釣り合いなとても柔和な表情を浮かべている。
その一行の中心人物と言えば。
「あーしんど。もう一生お仕事したくないん」
「さんせー。某、若とのさんに大賛成です!」
「ふははは、それは結構。優雅にござるな」
実にタフな交渉であった。人質奪還はもちろんだがラウラ返還には相当かなり手古摺らされた。メネゼスは本気でラウラに執心していたのだ。
だがさすがはイスパニア海洋帝国提督である。公私の分別は明確であった。
利益と損失を天秤に測り、ラウラの移籍を承服した。あくまで一時的レンタル移籍であると念押しして。覚書まで認めさせて。
そこでもひと悶着あるかに思われた交渉過程だが、天彦は気前よく念書を認め今に至る。周囲はよく天彦から納得を引き出したものだと興味本位半分、イスパニア海洋帝国提督に強い関心を寄せたほど。
だが天彦は周囲の興味本位な関心など素知らぬ顔で、奇麗さっぱり納得ずくを表明している。
なぜああも奇麗さっぱり署名捺印したのかは当の本人しかわからないが、けれどおそらく内心では、有史以来つづく地球規模でなら人一人の生涯人生など所詮は一時にも満たない泡沫であるとかないとか嘯いていたのだろうと推測される。
笑笑つまりラウラを返す気など毛頭端からないのであった。
閑話休題、城下の目抜き通りを一行は練り歩く。
久方ぶりの一門衆揃い踏んでの懇親町ブラとあって、誰も皆、厳めしい相貌とはおよそ不釣り合いなとても柔和な表情を浮かべていた。
そんな城下楽市にあって、この町は直接の戦禍を被っていないためお目当ての品を求めて行き交う人々の顔には陰りや憂いは感じられない。つまり活況快活、大盛況なのである。
「らっしゃい! お武家の御曹司、新鮮な果実お一つどうや」
「よってらっしゃい見てらっしゃい。そこなお武家さん方、お一つ如何でございます」
播州の気風なのか。京ではあまり経験のない気さくな呼び込みの声が頻繁にかけられた。イツメン侍衆は二本差しの万全武装にも関わらず。
子連れだからか、それともイツメンたちが笠を目深に被っているのと誰もが地味な装いの安着物だからなのか。少なくとも貴種の一団とは誰もが思ってもみないようで。
「よう別嬪さん。今晩どうだい」
「これなるは大陸明の皇帝陛下の愛用品ときたもんだ! そこなお客人、いま買わなきゃ一生の後悔になるぜ」
「坊ちゃん一杯いかがかしら。播州名物招きそばだよ」
ばんばん声がかけられる。
それもそのはず。
目抜き通りには仕官を求めて全国各地から集まってきた浪人や侍たちがわんさかと目についたのだ。
よもや電光石火で決着を迎えるなど誰にも想像できなかったことだろう。
菊亭イツメン衆も、そんな周囲によく見られる仕官を求めて集まってきた他の侍たちと同化して見られていた。
中には、
「よう別嬪の用人さん。今晩どうだい」
「やあ別嬪さん、素通りなんて淋しいことしてくれなさんな。お一つどうや」
品こそ欠片もないものの総論的には褒めている風の言葉もあって。
すると貸す耳を一切持たなかった集団の先頭を歩いていた人物の足が止まった。
ルカである。
ルカは美人だ。それは癪なのでけっして言葉にはしない天彦も認めるところ。
但しこの時代感にそぐうかと言えば否である。西洋的未来の現代感覚での超絶美人なのである。
そのルカが足を止めた。まさか容姿を褒められた言葉に反応したわけではないのだろうから、そこにはきっと彼女の意図がある。
「お殿様、今なんと聞こえましただりん」
「ははは、おもろ」
「おバカな顔で笑っていないで、たった今聞こえた言葉を聞こえたままにルカに復唱して訊かせるだりん」
「おいコラ、厭やろ」
容姿を褒められた言葉に反応していた。純然と。非の打ちどころなく完璧に。
「こんな美人に仕えられてそんな悪態をついてもよろしいので」
「ええやろ」
「嬉しいくせに」
「あははは」
「何ですかその乾いた笑い声は。しばきますよ」
「しばくな!」
「ならば嬉しいと申すだりん」
「いろいろと可怪しいけど厭やろ、普通に」
「あ」
「あ」
ルカもご機嫌さんだった。
それもそのはず。あの一党伝説(笑)の初代女当主が帰還したのだ。肩の荷が下りたのはもちろんのこと、これからの一党の発展を思えば嬉しくないはずもなく。
「ラウラ様、お優しい御方ですね」
「目ぇさん腐ってんな」
「なんですかそれ。如何なお殿様とは申しましても聞き捨てなりませんよ」
「アホやろ」
「何ですって!」
「まあ落ち着けらしゅうない。あれは怖さが極まって、一周回ってそう見えるだけ。そんなことでは既に術中やぞ」
「やはり恐ろしい御方ですか」
「まあな。そして厳しい。苛烈なまでに。身共が知る限りイルダやコンスエラなど足元にも及ばぬな」
「……覚悟は、しております」
「それでも足りんやろ。あれの厳しさときたら、身共が知る中でも三本の指には入るから。なあお雪ちゃん」
「んがふふ! ふんが!」
らしい。
猛然と首を縦には振っているのでおそらくきっと肯定の意、なのだろう。
何しろ雪之丞は天彦と二人して、ラウラにはこてんぱんに叱られまくった。
と、そこに。
『助太刀求む! 当家の宿願である故地奪還に与力くださる仁の御方を、当家は求めております!』
報酬は切り取り御免で。
そんな風な文言が記された幟旗が天彦の目に飛び込んできた。
これに興味を示さなければ主人公など張ってはられない。
「いけません。もろに罠です。完全無欠に匂うだりん」
「身共、なーんも申してへん。それになーんにも匂ってけえへん」
「よもや頼りの勘がお鈍りとは。本調子ではございませんね。夜、お殿様を寝室にお連れいたせ」
「はっ、即刻直ちに」
待たんかい!
「勝手に病人にすな。身共はぴんぴんしゃんしゃんしてるん」
「然に非ず。こんなぷんぷんに香ってくるのに匂わないなんて、鼻がお風邪を召しているかそれとも頭がお花畑だりん」
「舐めすぎねん。そんなもん一里さきからでも嗅ぎ取ってみせるん」
「お流石だりん。では参られませんのですね」
「参るやろ」
「ったく、聞き分けのないクソガキが。ほとほと面倒ばかりかけやがるだりん」
「おいコラ待て。いくら何でも地を出し過ぎやろ!」
「ならば控えさせるべく、お殿様には威厳と聞き訳を求めるだりん」
「あ、ほな地ぃさんでええさんや」
「はいはい」
無役となるとさっそくこれ。呆れ半分嬉し味半分。
だがルカはすでに承知の介であった。イツメン衆に目配せすると自身が先頭にたち壁となって天彦の警護に務める。
それを受けて天彦はにやり。
「ほな久方ぶりに一門で、この面白そうなイベントに参ろうさん」
「はっ」
「応――ッ!」
与六を筆頭にイツメン侍衆が応と応じて、一行は明らかに面白そうなこの謎イベントへと向かうのであった。




