#06 もう何も考えず語感だけで語りたい
元亀元年(1570)十一月十四日
姫路城本丸迎賓の間。
未来の現代では別名(白鷺城)で知られている姫路城本丸も元亀元年の目下はまだ通常の平城である。
だが難攻不落には違いなく威風堂々、その姿を内外に誇示して佇む。
そんな姫路城の本丸迎賓の間では、天彦の快癒を待って菊亭主催による和睦の儀が執り行われ、今まさに一連の播磨騒乱に終止符が打たれようとしていた。
双方ともに多くの血を流し多くの命を失った。よって奇麗ごとでは済まされない。
よってそんな場合、通常の手順なら極力遺恨を残さぬよう朝廷から公卿が派遣されるか僧侶が仲裁役に入るのが専らなのだが今回は。
最も被害を受けた菊亭が責任の所在を一切問わないと公言している。よって双方陣営ともに満足とまでは言わないまでも、納得感が場の主流を占めているように思われた。
敵には執念深く容赦なく。仕返しは厭らしく苛烈に。で、お馴染みの天彦にしてはかなり甘い判断である。
同胞や親族を失った家内はけれど収まる。彼らは死ぬのも務めの内と承知しているし、何より菊亭に大局を読めない者はいないので。
こういった問題が発生した際の一番の問題児は当主であるはずの天彦なのだが、けれどどういうわけか妙に訊き訳がよかったのだ。
どうやら理由は別にありそうで、何やら朝廷からの御使者が届けた文を読んでからかなりご機嫌さんらしかった。
人は感情の生き物である。とか。
利益のためなら自分自身でさえ欺ける彦は、双方から望まれるがままに上座に鎮座し小さい体躯に精一杯の見栄を張って権高く振舞っていた。
和睦の儀もたけなわ。
「小寺に黒田。そして並みいる国人さんら。本日はこの菊亭の呼び掛けに応じて参集してくれておおきにさんにあらしゃります。たった今この瞬間より我らは目的をひとつにする同胞。互いに手を取り合い共に西国の安定に尽力いたそうではおじゃりませぬか。ほんによろしゅうさん」
「よろしく御願い申し上げ奉りまする――」
奉りまする。
播州勢の盟主である小寺政職が儀礼の返上を申し述べると一息に固めの盃を仰ぎ飲み干す。ぐび。
そして天彦から直々に名指しで招集された十七名の播州国人領主たちも盟主の後につづいて復唱、のち盃の澄酒を一息に飲み干した。ぐび。
三々五々、播磨勢が去っていく。
これにて播州攻略編は完全にお仕舞いである。……むろん表の。
これで終われば簡単なお仕事。あの家康公が天彦にどうか頼むと額を畳みにこすりつけてまで懸命に懇願はしないのである。
ならば何が残されているのか。そう。残すは裏サイドである。むしろこちらが本命まである厄介極まりない面倒なお仕事が残っていた。
具体的には人質の奪還である。それも確実にしらばっくれるであろうイスパニア海洋帝国とイエズス会からの奪還である。
「権大納言様、よろしいか」
「厭やろ」
「よろしいな」
「あ、はい」
家康はそそくさと立ち去ろうとする天彦を呼び止めた。
それはそう。家康はこの奪還ミッションに御家の命運のすべてを全振りにして賭けているのだから。天彦にすべてを託して。
だが天彦は一向に首を縦に振ってくれない。それでは不都合極まりなかった。
了承を得られなければ大変では済まされない。でなければ根本的にこの和睦が平和裏に収まらないから。すべてが御破算である。
それでは菊亭にとっても不都合なはずなのに。だが何故。家康が疑心暗鬼となってしまうのも尤もであった。
むろん天彦にとっても重要なミッションである。そもそも官兵衛との約束でこの裏ミッションは全体案件とは別件個別にクリアしなければならなかった。
つまり天彦個人が請け負った個別案件。それを伏せて家康に高値で売りつけているのである。
そうとは知らない家康は必死で天彦を口説き中。←今ココ
というのも姫路勢はどうあっても征西に与力帯同させなければならなかった。
それもそのはず。これほどの一大勢力が戦力を温存したまま背後に居座るなど、考えただけでも生きた心地がしないのである。
よって家康にとって黒田家の快い参戦を引き出すための担保として、人質奪還はマストの絶対でクリアしなければならない案件となっていた。
「権大納言様、なぜ請け負ってくだされぬのか!」
「請け負わぬとは申しておじゃらぬ」
「ならば」
「貸しやから」
「おお! むろん承知してござる。なればこの際でござる。いっそ返せぬほど借り受けるというのは如何にござろう」
「おい待て」
「待ちましょう。ですがあまり時をかけすぎると某の首はこの胴体と繋がっておらぬと御承知くだされ」
「脅しの手口がえぐい!」
「事実でござろう。それとも相違あると仰せか」
「事実ならなに申してもええとはならん」
「これは異なことを。嘘・欺き、詭弁・偽計・はったり・捏造。この世のすべての虚偽を使い果たしてでも勝利を拾えばよいとご教授くださったのはどこのどなた様でございましょうや」
「誰その悪党」
キミだよ。
とでも言わんばかりに家康の深い色をした黒の瞳が天彦を厳しく見据える。
「その目ぇさん、背筋が凍りつくん」
「よもやこの家康をお見捨てになられますのか。いやお見捨てにはなれますまい。お巫山戯も大概になさいませ」
「なんでや」
「むろん、お考えの策にこの三河守が必要と存じ上げるからにござる」
「身共を舐めすぎねん。お前さんらお武家さんの代わりなどいくらでも……」
「いくらでも。何でござろう」
「ふん。知らん知らん」
「ふふ、忝くござる」
「再三申す、これは貸しや」
「はっ、ご厚情ありがたく頂戴申し上げまする」
見捨てられない。なぜならそれはね。
天彦が静養中に計七回執り行われていた菊亭首脳会談のすべてに徳川首脳も参加して、この征西の落としどころの道筋をある程度以上に共通の認識としてすでに共有してしまっているからだよ。とか。
というのもルカの見立て通り天彦は結果的にこの三日間、高熱を出してぶっ倒れていた。
そして熱に魘されうんうんいっている間に、ずっと枕元で献身的な介護をしてくれた雪之丞の問い掛けにうんうん答えてしまっていた。それもかなり突っ込んだ具体性のある回答を。
果たしてあのお雪ちゃんがあんな高度な政治的案件を問うてくるだろうか。こない。つまり裏で糸を引く者が必ずいる。
犯人が誰にせよ、レギュレーションが非常に曖昧な菊亭にあってこれだけは言える。雪之丞に秘密を明かすなど愚の骨頂。これだけは鉄板の大鉄板で絶対則であった。
明かしたが最後、控えめに言ってお仕舞いです。その秘密はグースの羽毛よりも軽い雪之丞の口によって疾風迅雷、韋駄天よりも早く家内を駆け巡ったことだろう。駆け巡った。
「国家千年の計。権大納言様のともすると突飛と思われがちな行動もすべて、ここに集約されておったわけですな。いやはや魂消た。果たして権大納言様に何度覚えたかわからぬ“お流石”の言葉をくどいとおもいつつもやはり覚えてしまいまする。しかし合言葉は零、弐、伍にござるか。……こればかりは謎が解けてござらぬ」
天彦は機嫌よく話を訊いていた。だが話を訊き終えるやすると一転、どこか遠い目をして、まんじの口癖を吐き出していた。実に厭そうな面持ちで。
「文明は火から生まれ、生命は水から生まれる。そういうことねん」
「権大納言様お得意の謎かけにござるか。ですが文明は人から。生命も人、いや母体から生まれるものでござろう」
「お人さんが生み出すものは文化におじゃる。精々その程度なん」
「文化とな。うーむ、難解にござる」
天彦は謎かけがぜんぜん得意ではない。むしろ苦手分野だった。それを証拠に茶々丸には十戦十敗、コテンパンに伸されっぱなし。理系ダンだったので。
むろん言い訳としての常套句だが、あるいは頭悪すぎた玄白とも。
さて合言葉は零、弐、伍。これは実にくだらないお巫山戯から生まれた符丁だった。ルカとお遊びのお巫山戯で作った合言葉なのである。
それは言えない。国家千年の計と大仰に銘打っておきながら、ふざけましたは口がさけても言えなかった。とくに戦国ガチ勢の前では。
いずれにしてもそれが独り歩きして射干党はおろか今や風魔党の末端にまで浸透してしまっているではないか氏ぬ。
洒落がわかってくれる家内でさえ十分寒いのに、他家のそれも戦国ガチ中のガチ勢にネタバレしてしまってはこっ恥ずかしいでは済まされない。それこそ菊亭千年の恥である。
そう。これはマージナルオペレーション・グーチョキぱー。
三国。即ち上杉家と中央政権とそのいずれかでもない第三勢力とが互いに切磋琢磨しつつ牽制しあうことを願った願望含みの合言葉である。
つまり三国がじゃんけんの相関関係でいられれば天彦の思う理想と語ったまでのこと。
そのじゃんけんの手の形をなぞってぐー(零)ちょき(弐)ぱー(伍)と数字化しただけのほんの言葉お遊び。戯言である。
はっず。
「あいにく某は謎解きが不得手にございますれば。おい次郎法師」
「御断り申し上げます」
「なっ……」
「何かございましょうや」
「素っ気ないのう。一考の余地くらいはあろうものを」
「御主君のご機嫌が何よりでございますればご勘弁を」
「儂は其の方を手放した覚えはないのだがな」
「わたくしもご主君がどなた様かなど明言しておりませぬが。これも戦国の流儀。お許しを」
「ならば儂じゃな。主君として命じる、謎解きを解明して答えよ」
「但し。先祖伝来の御領地も守れぬ間抜けな御方に、主君の資格があるとは思えませぬが」
「っ――、変わらず辛辣じゃな。よい下がれ」
「はっ」
家康がうんうんと知恵を絞り頭を悩ませている間にも。
お雪ちゃんさあ。
天彦は脳内で舌打ちをして、確信犯的に雪之丞を傍につけたルカに恨めしい視線をぶん投げて改めて家康に向き直る。メンタルが弱っていてもやはり天下人タヌキの中の人。まったく以って油断ならないの感情で。
なぜなら家康は考え込む素振りを見せながらその実、奥行きの深い双眸でまるで何かを察した風に微笑んでいたのである。
お遊びはこれまで。といったところだろうか。天彦が気を引き締め直すと、
「なれば無駄な駆け引きなど無用にござる。権大納言様に言上仕る」
「ん。望むところや。申してみい」
「恐悦至極。なれば一言。この三河守、もはや菊亭家一の家来を自称しておりますれば。筆頭家老と申しても相違なく、なればこれはもはや一門としての家内の仕置き。ご当主が裁かずして何となさいますのか」
「でた!」
「何が出たのでござるか」
ミーンナサンユー、みーんなさんゆー、皆さん言う。
やたら一番になりたがるのはこの時代のトレンドなのか。それとも。
いずれにしても今やルカのお説教よりよく耳にするこの台詞に、天彦の頬は知らず緩んでしまっていた。つまり嬉しい。そういうこと。
「家令は永久欠番。そこは座れん」
「承知してござる。故に家老」
「当家は公家。武家に非ず」
「遅かれ早かれ武家の時代が参りましょう」
「参らぬ」
「如何な菊亭様と申せども――」
「黙れ」
「くっ」
「麿はお公家。彼我の間には明確にして絶対の垣根がおじゃる。その件、二度と申すこと罷りならん」
「ぞ、図に乗りましてございまする。ご無礼を平にお許しください」
天彦の地雷を踏み抜いた家康は大げさではなく震えあがって謝意を示した。周囲の目などまるで失念してしまって。
ん、許そ。天彦の口からその一言が発されるそのときまで深く小さくなって叩頭をつづけた。
「二度と申すな」
「はっ。確と肝に銘じまする」
「ほなええさん。まあ乗りかかった船。途中で降りるなど毛頭考えてはおじゃらんかった」
「おお! 何たるご寛容、何たるご器量。さすがは天下に轟く権大納言様。甚だ豪気にござる」
「おまゆう」
さすがに笑う。この道化っぷりに。
これは天彦にはできない腹芸であった。
そしてこの切り替えの早さこそ、生き馬の目を抜く戦国を生き抜く秘訣なのだと実感する。すると次第に天彦の緩んでいた頬も若干引きつる。
しかし結果的に家康は欲しいすべてを掻っ攫っていったではないか。
押し売りならぬ押し借りとは恐れ入る。神仏界隈でさえ蛇蝎の如く忌み嫌うあの五山の御化身に対して。しかも踏み倒す気満々よりも満々で。
一般的にそれはもはや強盗である。時代感に沿うなら凶賊か。だが貸し借りの概念が明確な関係性においては歴としたビジネスとして成立するのだから嫌気が差す。何度も言うが天彦はリケダン。物事の理非は可能な限り数値化してほしい系男子である。
そして同時にこの猜疑心の塊彦は、どうあっても家康を信用しきれないのである。佐吉の天敵であるという史実の一点を以ってして。佐吉が好きすぎるあまりに目が曇って。
そんなところが実に天彦ライクしていて空々し……、微笑ましいのだがそれはさて措き、
「貸しやで」
「はっ、確と借り受けてございまする」
「ん」
「しかし権大納言様。思いまするにこの世はつくづく不思議に満ちておりまするな」
「何をつくづくと年寄り臭い。そんなもん当り前なん」
「お言葉を返すようですが、つくづくにござる。よもや斯様な奇跡がおころうとは
「ふふふ」
笑うしかない。だって訳がわからないんだもの(棒)。
発明者であるギークは失踪。使用者も訳がわかっていいないので結局事実は闇の中。
「お笑いごとではございませぬぞ。市井はそれを体現なさった権大納言様を益々恐れ遠ざけることになりましょう」
「いやせめて恐れ敬って? あとなんぼ強請っても種明かしはしたらへんよ」
「そこを何とか」
何のことはない。家康は戦人目線で三木城の天守を爆破した装置あるいは機械の仕組みを探っていただけ。そういう意味ではつくづく油断ならない相手である。
そして魔法も奇跡もこの世にはない。それは天彦の本心でもある。
いやあるいは奇跡だけがないのか。魔法の非存在性が証明されたわけではないので。
現に目の前のタヌキは言葉巧みに自分から特大の利益をふんだくるという魔法を顕現させたばかりではないか。とくにこれといった触媒(担保)も差し出さずに。
天彦は二十代そこそこにしてすでに老練の域に達している家康に、心の底から畏怖を覚える。あるいは警戒心の極まった敵意一歩手前の感情を覚えてしまう。
「む。某の顔に何かございますかな」
「なーんもないさん」
「なればよいのですが」
「ん」
あの顔を見ていると、どうやらそれはお互い様のようではあるけれど。
さて余談がすぎた。
「よし。オーダーもあったことやし裏ミッションに取り掛かろ。――佐吉」
「はっ! ここにございまする」
「お仕事の時間や」
「はっ」
「身共がこれから申す関係各所に各二通ずつ、文を届けたってんか」
「はっ、確と承りましてございます」
おっかなびっくり。けれど嬉し。
果たしていつぶり以来だろうか。短いようで長く、長いようで短かったように思う。
照れ屋彦をして最愛と言わしめる永代家令に会えるその瞬間がすぐそこまで迫っていた。
「ラウラ、長いこと待たせて……」




