#17 真・結果は手段を正当化できるのか、できる
元亀元年(1570)九月二十五日
「隠し味は琥珀汁であったか」
「はっ。ですが某こそ驚き申した。殿が全知と呼ばれる所以の一端、某この目で知り申した故に」
「大袈裟なん」
「いいえ」
主従であればどこにでもあるだろう会話である。
だがそれを普通と取らない者もいて、
「おい貴様、お殿様の有難いお言葉を否定するとは何事か」
「あ、いや。申し訳ございませぬ」
「詫びて済む問題か、そこへ直れ。今ならこの菊亭一の重臣射干ルカが其の方のそっ首、斬り落として進ぜる。それが不服なら侍らしく潔く腹を召せ」
「……」
新加入の竈番は早速ルカの手洗い歓迎を受ける。
あるいはルカ一流の歓迎の意なのかもしれないが、是知なき後、日に日に是知化(小姑化)しているルカの応接に、そんな隠された意図を読みとける者はいない。
「ルカ、そのへんで」
「はっ」
普通に考えれば牽制であろう。それほどに天彦のジュスト右近へ向ける関心度は高かった。
だが果たして人物その物に本気の関心を寄せているのだろうか。やはり懐疑的に見ざるを得ない。
なぜなら天彦は終始グラタンの話題にしか触れていないから。誰よりも知りたがりの彼が境遇の現在過去未来に興味を惹かれないはずがない。
要するにグラタンの味が忘れられない天彦は頻りに感心してみせているだけ。と、読み解くのが妥当である。
実際に隠し味がコンソメであったことにはいたく驚いていた。だが天彦にとって知ればそれほどでもない。納得感が増すだけで。
それでも頻りに驚いてみせていることがジュスト右近の人物よりも、シェフとしての腕前、技前に魅力を感じている証である。
いずれにしても天彦はそれほどにグラタンの味に感動を覚えていた。
○○とははっきりわからないが、けれど味の向こう側にある確かな旨味と美味も含めて。
「なるほど得心いった。ときにジュストよ。琥珀汁の語源を存じておじゃるか」
「はい。いいえ。恥ずかしながら存じませぬ」
「お前さんにグラタンを仕込んだのは宣教師か」
「ルイス・デ・アルメイダ司祭にございまする」
「然様におじゃるか。ならば納得」
「納得……、にございまするか」
「ん、御仁であれば複雑な味にも精通しておろうからな」
「……まさかご存じとは。して何故にございましょう」
「あれはイスパニア貴族におじゃる」
「貴種! 某はそのような貴人に手解きを……」
イスパニア下級貴族に感動するジュスト右近だが、彼の目の前には日ノ本で上から数えた方が早い圧倒的貴種がいるのだがそのことには震えるほどの感動は覚えないようである。しばく。
「あまり大っぴらに傾倒するなよ。主上さんはよく思っておられぬ。むろんその側近どももな」
「……」
「なぁーに、いずれ参る。其の方らの信心が報われるその日が」
「殿……! 殿が我らを御導き下さるのですね。某、身を粉にしてお仕え致し殿の宿願達成を成就させてみせまするぞッ」
え。無理なんだが。てか厭やろ、そんな人生のお題目。
ご存じの通り天彦は大前提として人生のエンジョイ勢である。ノリとオモシロで生きている。
重い題材はごめんである。ただでさえ重い課題を背負わされる人生なのに。
だがそれを否定するにはジュスト右近の熱量はあまりに沸騰しすぎていた。
しんど。
げふん、ごほん。
「ときにジュストよ。琥珀汁の語源を存じておじゃるか」
「はい。いいえ。恥ずかしながら存じませぬ」
「伴天連の国では“完成された”の意味があるらしい」
「なるほど然り! さすがの御見識にございまするな」
「我らも共に人生の完成を目指すでおじゃる。それにはまず完成形を思い描かなければならぬのでおじゃるがな。ふはははは、まったくないん。爪の先ほども描けてないのん」
「あははは、某も殿と同じくにござる。ですが勿体なきお言葉。望むところにございまする」
(究極グラタンの完成形目指して)頑張ろなー、おー。
ジュスト右近と慣れて(じゃれて)いると、そこに「三河守様、お越しにございます」呼び込みの先触れがあった。
いよいよ本丸、決戦のときである。
「参ろうさん」
「はっ」
天彦は言って立ち上がりルカと次郎法師、そして新参の脇坂安治を従え会談会場である広厳寺の本堂へと足を運んだ。
◇
回廊を渡り本堂にたどり着く。先方はまだのようである。
寺の案内役は振り返りもせず背中で天彦を誘導する。席次は何やら天彦が上座のようであった。
天彦は立ち止り、
「ええのんか」
「愚問だりん」
「むろん」
「某には皆目見当もつきませぬ」
ルカと次郎法師は即答で応と答え新参の脇坂だけは回答を保留とした。
天彦の疑問はこうだ。目下天彦は罪状多数の謀反人にして、家名さえなんちゃって名乗れない追放処分の身の上である。
当然だが無位無官であり、対する徳川は三河守。従五位上侍従の官職を授かる歴とした貴族なのである。現下の天彦よりも遥か高く格上の。
一般的に自分が上座に座ることが許されるのか。あるいは故実の礼儀作法に適うのかという素朴な疑問に引っ掛かりを覚えていた。
実にくだらない拘り、引っ掛かりである。普段日常の天彦になら。
だが今の天彦は著しくナーバスになっていた。それほどにこの会談は下手を打てないという強い思いに駆られていたのであった。
そうこう短くないとき悩み立ち呆けていると、
「徳川様、お越しにございます」
だがその悩みも秒で解決されることとなった。
先方がやってきて下座に着くなり辞を低く天彦に叩頭してみせたから。
半ば自動的に正解を手に入れた天彦はほっと胸を撫で下ろし、上座について早速面をお上げさんと許しを与える。
「ははっ。お目通り叶い祝着至極。御変わりなきようで三河守安心いたしましたぞ」
「その節は心配をかけておじゃった。ささ苦しゅうない崩されるがええさんにおじゃる」
「では楽に致しましょう。紀伊守殿も」
「うむ。ではそのように」
昂然と面を上げた家康公は、けれどニコリ。実に雰囲気のよい柔和な笑みを振りまいて応じた。
家康は今回の征西に池田紀伊守恒興を与力として従えやってきていた。
その池田恒興も同席するようで、天彦はまるで魔王に監視されているような窮屈さの錯覚に見舞われる。
それもそのはず。人材はいくらでもある。なのに池田恒興を与力とした。その答えは、監視こそ池田恒興の第一任務と考えるのが至極妥当である。
池田恒興は信長公の乳兄弟であり滝川一益の父方の従弟でもある一門扱いの重臣である。つまりお役目も果たさず籠絡されてしまった見張り番とは違いミイラ取りがミイラにならない鉄板の人選。裏を返せば徳川(天彦)の見張り役であることは火を見るよりも明らかである。
何しろ信長の猜疑心は異常。ともすると猟奇的なくらい。これは天彦の中の定理である。その分扱いやすいのだけれど。
だがけっして間違えられないという怖さは常に付きまとう。それが信長公の強みであり弱点でもあるのだが。
猶、その万見仙千代だが徳川来訪の報を受けるや身を潜めるように姿を晦ませてしまって行方知れずとなっていた。
チャンスたーいむ! と天彦が叫んだかはわからないが、家康公が姿を消せばまた姿を見せるだろうと放置されていた。
閑話休題、
天彦は家康の置かれた状況を具に読み取り、自身と同じかそれ以上に警戒されている家康タヌキにやや同情的な視線を送るのであった。
お互いに楽ではなさそうやね。の感情で。
と、
あるいは天彦の感情を察したのか。当初からの策略通りか。
家康は不意に笑みをこぼすと天彦を中庭の見える縁側へと誘う提案を口にした。
「宰相様。何やらお庭が風流だとか」
「それは存じんかった。見たいものや」
「では参られませぬか。この三河守が御供いたしまする」
「うむ。三河守、大儀でおじゃる。善きに計らえ」
◇
余人を交えず庭を眺める二人。
あるいは直衣(公家の平服)と素襖(武家の常服)を美しくも凛々しくあるいは勇ましく着込んだ二人の貴人が、言葉なくそっと美しい中庭に向かい並んで茶を啜っている図は、控えめに言って絵になった。
ややあって、
「たいそう美しゅうございますな」
「治世の安定を感じさせるよいお庭さんにおじゃります」
「宰相様は庭で世相をお読みなさるか。なるほどご炯眼にござる」
「駿河守さん。恥ずかしながら我が身の不徳で今や宰相ではおじゃりませぬ」
「何を仰る。世間の認知こそが真の格式であると、某は存じまする」
「ほーん。そーゆーもんなん」
「そういうものです」
「ほなお好きにどうぞ。なさればええさん」
「ははは忝く。好きに振舞わせていただきましょう」
から始まった何気ない会話。けれど常にどこか空々しく、噛み合っているはずなのに空転している。そんな気持ちの悪さを引きずっていた。
それは偏に家康が終始タヌキっぷりを発揮し、天彦を懐柔すべく同情の限りを尽くした寝技を繰り出しているからに外ならない。
「爪を伸ばすものではございませぬな」
「ほんまなん。お人さんは身の丈にあった着物が一番相応しいん」
「誠に。某、野心あって此度の征西に自ら名乗りを挙げ申した。ですがそれが災いの元にござった」
「野心と御認めになるのでおじゃるか」
「はい然様にて」
「魔王さんのご不興でも買わはったんやな」
「然様。上様は我が不在の間の駿府の備えにご嫡男信忠殿を配置なされ、我が室並びに嫡男は元より母までをも人質にお取りにならました」
「駿府城、もう戻される気はないさんにおじゃるな」
「……で、ございましょうな」
え。さらっと。……洒落にならないのだがまんじ。
つまり言外の転封告知。しかも家族の人質付きで。
天彦は内心でドン引きしながら会話をつづける。
「故に某、此度の大遠征。失態致せばお仕舞いにござる」
「お武家さんは厳しい宿命を背負ってあらしゃいますなぁ」
「成否の要は宰相閣下。すべてはあなた様の御心ひとつ」
「買い被りなん」
「いいえ。然に非ず」
すると家康は体ごと天彦に向き直り、板張りの床に額をこすり付けて懇願の姿勢を取った。そして、
「何卒、この三河守をお救いくだされ大権現様――ッ!」
「おまゆう」
大権現に大権現されてしまう図。控えめに言ってオモシロすぎた。違う。おっかなすぎた。
だが反面、家康公の必死さも浮き彫りとなって天彦の心の中の柔らかい部分をつんつんとつついた。
天彦にとって家族ネタは地雷。それもある。
「宰相閣下が熱く語られた先の世の夢。今なら某も異論なく賛同致しまするぞ」
「すぐそうやって誘惑する」
「誘惑ではござらぬ。本心にござる」
「ほなら、かわいい服はたいていレディース展開、まじふざけろっていつも思うやつにも同意してくれはるの」
「あはは、奇天烈な発想にも追々慣れて参らねばなりませぬな。これからは永い時を共に歩んで参らねばなりませぬ故」
「あ、そう」
100イエスマシーンきもい。
それはそれとしても、色々あって絆された天彦はふと寄り添う素振りを見せる。
「て、思うじゃん」
な訳はなく。
「銀山の利権なら悪しからず。身共の一存では決められませんのん」
「……ちっ、一筋縄では参りませぬか」
「参って欲しいんか。ほなら阿呆になったってもええさんよ? 海岸線から圧力をかけている我が手勢に即刻引かせるとか」
「結構にござる」
「どっちの結構さん?」
「それ以上の馬鹿にはならずにくださいませ」
「ひどっ」
だが、
「菊花には大輪の花びらこそ相応しくござりますので」
家康公はまったく懲りずに天彦に甘言を弄した。
このことが表す意味とは。
あれ。おタヌキさん、身共のことびびってる? あれ……。
である。
史実を知る天彦が家康公を実際以上に恐れるのと同じかそれ以上に、天彦が為してきたすべてを調べ知り尽くしてる家康公もまた実際以上に神格化してしまい恐れ戦慄いているのであった。
と、そこに試用期間中の風魔党の一人(現下ルカ親衛隊にこき使われている)が姿を見せた。
「申し上げまする」
「急ぎか」
「はっ」
「近う」
「御免。ごにょごにょごにょ」
天彦の耳に“姫路城で目立った動きアリ、可及的速やかに殿のご判断を仰ぐ必要がございます”の報告が舞い込んだ。差出人は風魔の頭領小太郎である。
「どうやら戦況が動いたようにござるな」
「え」
「ふふ何を面食らっておいでか。播州小寺。いいや黒田か。一癖も二癖もござるようですな。宰相閣下の神通力を以ってしても黒田の籠絡、叶いませなんだか」
「あ、うん」
「然もありなん。あれは乱世の梟雄。誰の下にも与せぬ武士」
ばれてーら。さす家。やりおる。
天彦は内心で今日一の。あるいは最大限の賞賛の言葉を送っていた。
そして家康の放つ野蛮とはまるで質の異なるおっかなさを、持ち前の何事も意に介さない強靭な精神(棒)で跳ねのけると、
「しくじったん」
正直に実情を明かした。
家康はうんと一つだけ小さく頷くと、
「我が手勢は三万。内、即座に動かせる兵二万八千。対する播州小寺勢の総勢十万は優に超えてきましょうな。如何な時流とは申せ、ひとたび戦ともなるとたちどころに大戦となるこのご時世。ほとほと嫌気が差し申す」
遠回しに非難されているような錯覚に見舞われる天彦だが、家康の愚痴とも不満ともあるいは恐怖心ともとれる言葉も強ち大げさではなかった。
人口増加は経済面の起爆にかなり寄与している反面、少しの軍事衝突でもたちどころに大戦に化けさせる恐怖の一面も兼ね備えていた。人余りと兵士の専従化によって。
「策はございますのでしょうな」
「身共はお公家におじゃりますぅ。おっとろしいことはお武家さんにお任せして、ほな――」
「待たれいッ」
「あ」
天彦は家康の謎の体術に絡めとられ、たちまち膝の上にちょこん。お戻り。
「……三木城の別所氏はすでに懐柔しておじゃる」
「お見事」
正しくはほんのちょっとした悪巧み。九条の文に記載された花押を悪用した偽命令書で騙しているだけだが。
だが三木城に正しい情報が伝わることはけっしてない。悪辣な射干と負けず劣らず情報戦に特化した風魔のコラボがすべての情報を遮断してしまっているから。
「いつの時代も情報を制する者が勝者となるん」
「金言にござるな。では軍議を」
「ん」
こうして急遽、菊徳共同戦線が張られることとなったのである。
するとそこに、どこからともなく中庭に姿を見せた者があった。
二本差しの侍は菊亭・徳川双方の護衛から苦い顔をされても一向に気にする風でもなく、ずけずけと歩みを進めた。
そして天彦の横に腰かけると、いつになくやる気に満ち溢れた元気いっぱいの声を響かせる。
「鉄砲撃ってもええですやろか」
「どないしたんお雪ちゃん。唐突に」
「これ」
懐から文を取り出すと天彦に差し出した。
「どれ」
え。
ええ……!
それは天彦の愛する射干ギーク一派からのお手紙であった。
姿を晦ましていた彼らからの、あの日以来のコンタクトである。
『朱雀くん、新作できたから取りにおいでよ』
要約するとそんな感じの実に気安い親書であった。ともすると中島くんを誘うカツオのテンションで。あろうことか雪之丞に宛てられた。
なんで身共のとこに来んの。ひょっとして片恋なん。
天彦は極めてマジなそんな忸怩たる思いはいったん仕舞って、
「ほなお雪ちゃん。久々ド派手に参ろうか」
「やっと某の出番ですね!」
「でもご無礼はあかんよ。ここには三河守さんが居たはるんやで」
「存じてます。だから某は急ぎやと思って」
「ご挨拶差し上げなさい」
「でも某の方が偉いです」
「お雪ちゃんは身分を捨てたんと違うのんか」
「捨ててません。邪魔と申しただけです」
「でもやない。屁理屈も要らん。何より相手によって身分を使い分けるのは卑しいで。偉いならずっと偉いまま。わかったならちゃんとご挨拶差し上げなさい」
「御自分だって使い分けるくせに」
「何やと」
「何ですのん」
と、
「ふははは。宰相閣下。朱雀殿の言葉にも一理ござる。お久しぶりにござる。別当殿。御挨拶申し遅れ面目ない。この三河守の顔に免じて許してくだされ」
「いいですよ。こんにちは」
「あはは。忝くござる」
これにて丸く収まったかと思いきや、天彦は前面に不満を表明して、
「あかん。ちゃんとご挨拶差し上げなさい」
「また某だけ子供扱いですか。御自分の方が小さいのに」
「あ」
「あ」
ポータブルが重宝されありがたがられるのは未来の現代ばかりではない。
戦国元亀も同じである。
なのに人の規格だけは小さいと虚仮にされる。解せん。
この苛立ちは。
「此度の戦、身共が自ら指揮執ったるん。三河守殿、大船にのった心算でおじゃれ」
「そればかりはおやめくだされ。何卒ご勘弁を」
「若とのさんやっぱし阿呆やろ」
「なんでやねん!」
「なんでもへったくれもありませんのん。どこの世界に張り切って先頭を陣取る大将が居たはるんですか」
「おいて、急に常識的ッ!」
結局オチの出汁に利用される久世商店彦であった。
いずれにしても戦はおっぱじまる。
果たして新生菊亭丸の門出は吉と出るのか凶と出るのか。
少なくともこの播磨国侵攻は、これから始まる徳川家との征西大遠征コラボを占う試金石となることだけは間違いない。
【文中補足】
1、伴天連の国
この場合はフランスを指す。
2、大権現
仏菩薩が衆生を救うために、仮の姿をとって現われたものを尊んでいう。
3、播磨国(動員数合算十ニ万四千)
>姫路城(小寺氏・4万)
>御着城(小寺氏・一万)
>上月城(上月氏・二万)
>明石城(明石氏・八千)
>英賀城(三木氏・三千)
>志方城(黒田氏・三千)
>沖塩城(赤松氏・五千)
>龍野城(有馬氏・五千)
>三木城(別所氏・三万)※離間の計によって現下隔離中
誤字報告、いつもながら大感謝しております。ありがとうございます。




