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雅楽伝奏、の家の人  作者: 喜楽もこ
十四章 生生流転の章(余談編)
242/314

#16 人生はノリ、結局のところ


ちょっと長いですが秋の夜長にじっくり、どうぞ

 



 元亀元年(1570)九月二十五日






 天彦たち菊亭新メンバー(雪之丞・ルカ・ルカ親衛隊三名・三バカトリオ・新加入のポケモンキッズ他)は、スポット加入の次郎法師を加えて堺津を出立。

 播磨をすぐに臨める摂津国西側(現神戸市中央区)にある広厳寺こうげんじに場所を移していた。


 ここ広厳寺は地域最大である兵庫津に隣していて、八丁(800メートル)ほどの距離には軍勢の駐留に適した平城花熊城があるまさに好都合のロケーションに位置するウォーターフロント寺院であった。


 荒木村重築城の花熊城に家康公率いる家康軍本体二千の軍勢が駐留し、残す二万八千の大軍勢は各々近場に展開させ待機させている。

 また天彦には実に心強い朗報も舞い込んでいて、近く先触れのあった西園寺家の御家来衆およそ七百名も合流する手筈となっていた。


 そして目玉としては兵庫津沿岸に配置している菊池権現勢の村上水軍三百艘であろうか。こうして天彦は味方すら眉をしかめるやや過剰とも思える万全の布陣で此度の姫路城開城ならびに播磨明け渡し案件に臨んでいた。


 引き渡し交渉だが、手筈通りなら明後日九月二十七日に面通し次第手始めに引き渡される予定の三木城並びに出城や砦を筆頭に、順次明け渡され本丸姫路城を受け渡され播磨鎮圧の完了という手筈となっていた。


 ところが。


 昨日今日と、小寺氏は開城どころか一向に面通しに現れる気配すら窺わせない実に不穏な空気を漂わせていた。


「官兵衛さあ」


 人生はノリ。結局のところ。


 その誰かの意見には天彦も100%同意できる。言い換えるなら人は感情の生き物という意味だから。気分が乗れば超回復も早まるらしいし。

 これ本当。物理科学をも凌駕するのは気分でありフィーリングでありガッツを生み出すメンタルなのだ。精神性が流行らない時代にあっても永久不滅の真理である。

 ならば延いてはノリは独創性や発想や志向性に通じると言い換えることもできる。仮にこれを周波として。

 けれどこれら波長や志向性があまりに似通っているとときに人は煙たく邪魔とさえ感じてしまう。


 黒田官兵衛。天彦の脳裏では黒田勘弁。どうしてもバイアスが邪魔をしてフラットな人物評価を下せない史上の偉人。

 つまり天彦の警戒感シグナルはマックスゲージを振り切っていた。ともすると他の武将の誰よりも。あの即刻ご退場願い遊ばせた藤吉郎・半兵衛コンビに勝るとも劣らないほど。


「お殿様、黒田にはどこでお会いなされたので」

「ルカの参るずっと前や。……おい、なんやその胡乱な目ぇさんは」

「お殿様はウソつきのくせにウソがお下手の目だりん」

「ほな教わろうか。嘘が上手なお前さんに」

「む」

「う」


 ルカに厳しい目で咎められたので目で詫びて発言権を譲る。


「お殿様はこの交渉、裏で何かが行われていると勘繰っておられますか、だりん」

「あるやろ。もうこれは」

「だから三人を貸せと」

「そうや」

「どこにお遣いに」

「街道を見張らせてる。勘が正しいならすぐにでも襤褸はでるはずなん」

「なるほど。つまり小寺が約定を反故にするとお考えなのですね。あれほどの好条件を差し出されておきながら」

「正確には黒田や。割れてくれればそれでよし。今回の悪巧みは上手くいかん予感がするん」

「ほう。それは奇特な。して徳川様には」

「まだ伏せとこか」

「思惑をお持ちだりん?」

「そんな具体性はないん。あくまで勘や」

「やはり勘。ならば何よりも確実だりん。他の者にも周知して備えさせるだりん」

「ん、そうしたって」

「はい」


 ルカは音もなくそっとその場を離れた。


 禅堂に招かれた天彦は腕の立つ家来・脇坂安治とスポット参戦で侍ってくれている次郎法師を供に付け、この禅寺の住職がやってくるのを今かと待った。


 この広厳寺(別名楠寺)は臨済宗の禅寺であり摂津国五山十刹制度の諸山(旧室町幕府公認禅宗寺院)の一つである。

 本来なら天彦の菊亭など門前払いもよいところ。だがそれをするには天彦の風聞と徳川家(裏に控える織田家)の看板はあまりに金ぴか過ぎていた。


 ややあって勿体つけるにも程がある時を待たされてようやく。

 住職が姿を見せた。小坊主をぞろぞろと引き連れて如何にも室町台公認寺院らしく格調高く権高く。


「これは菊亭様。お待たせいたして申し訳ございません」

「かまわへん。無理を申したんはこちらにおじゃる」

「おお、何と寛容なことでしょう。どうぞ」

「頂戴するん」


 ずずずず。


 思う以上に味のしない薄っっっい茶を啜りつつ、


「住職にはご無理さんを押し付けて誠に申し訳なくおじゃる」

「何の勿体ないお言葉。菊亭様以下ご一同様のお気に召すまでごゆるりとご逗留くだされ」

「何と心尽くしの御言葉なこと。さきの別当にして太政官参議菊亭天彦、この御恩さんは生涯忘れることはないさんにおじゃりますぅ」

「何のこれしきのこと。即座に忘れていただいて結構です」

「ん?」

「ははは、ささ。細やかなれど膳を支度しております。客殿へどうぞ」

「おおきにさん。ほならお言葉に甘えさせてもろて、皆さんで参ろうか」

「はっ」


 一行は客殿へと向かった。


 向かう道すがら、


「世界が身共にだけ厳しい件」

「あら、ご表情からは厳しい交渉を予想しておりましたが。案外そうでもないのですね」

「それは誤解なん次郎法師。人はなあまりに過酷やと現実逃避に走るんや」

「ならばせめて過酷である顔つきと雰囲気だけでも醸してください」

「なんで」

「あちらをご覧に」

「あちら?」


 天彦は次郎法師の誘導する指先の先に視線を預ける。

 するとそこには親の顔よりよく見た光景が繰り広げられていた。

 そう。虫取りに夢中になって今ここがどこでどんな局面なのかすっかり忘却してしまっている菊亭一の御家来さんのあられもない天真爛漫な姿が。


「ええかお前さんら。こうして首の細長いとこ詰まんで捕るんやで! ていっ」

「おお朱雀さますげー」

「おおかっけぇ」

「わはははは、そうや。某は凄いん。えっへん。やってみ?」

「はい!」

「おう!」


 じんおわ。


 お雪ちゃんさあ。


 とある界隈では正統派ヒロイン系男子とさえ評価されているキャラなんやで。

 もうちょっとちゃんとヒロインしよ。な。


「あれも身共のせいなんか。納得できんけど、わかったん。ちゃんと雰囲気作ったろ」

「ご理解いただけまして嬉しく思いまする。うふふ」

「なんや」

「御変わりないのは殿だけではございませんのね」

「……僅かな期間でお人さんは変わらへんよ。特にお雪ちゃんは」

「あら、男子三日会わざれば刮目してみよとはどなた様の金言でしたか」

「知らんのん初耳ねん」


 客殿に着いた。




 ◇




 食事は思いの外豪勢で、どこか薄気味悪くすら感じるもてなしであった。

 早寝早飯が信条の天彦にしては非常に珍しくたっぷりの分量をたっぷりの時間をかけてその饗応に全力で乗っかり応じていた。


 というのもこのもてなし。かなりの趣向が凝らされていて、中でも料理は度肝を抜かれた。何とあろうことか善寺のくせに舶来品をふんだんに使用した西洋料理を並べたのだ。

 しかも味が控えめに言って絶美味であった。中でもグラタン擬きは秀逸で天彦は懐かしいやら吃驚やらで終始舌を巻かされていた。

 猶なぜ擬きかというと本来の具材であるマカロニがショートパスタに成り代わっていたから。だが酪と小麦粉の香るたしかにグラタンであったことには間違いがなかった。


「たいそうな馳走でおじゃった」

「お気に召したのであれば何よりでございます」


 食事の礼を一頻り伝え終えた天彦は本題に切り込んだ。


「料理人をこれへ」

「……何かお気に召さないことでもございました」

「あった」

「ならば奉公人に成り代わり拙僧がお詫び申し上げまする」

「ならん。これへ」

「何卒。行くあてなく路頭に迷っておった浪人風情なればお目通りなど――」

「黙れ坊主。二度は申さん」

「……は、はは」


 住職は悲惨を顔に張り付けて天彦の前を辞した。


「お味がお気に召さなかったので?」

「いいやそれどころか大そう美味かった。頬っぺが落ちるかと思ったん」

「まあ呆れた。けれどならばなぜ」

「大航海に料理人は欠かせんやろ」

「それほどの人材が埋もれていると仰る」

「そうや。それほどや」


 サンジゲットだぜ。……はかなり盛ったが天彦には予感があった。


 この時代は歪んでいる。だが歴史力は自身の力で修正しようと必ず史実の偉人を登場させる。それも所縁の深い場所や人物の元に。

 ならばここはどこである。そう摂津国である。摂津国といえば古くは細川であり和田惟政であり荒木村重であり、そして高山ジュスト右近である。(猶1563年すでに改宗しているため霊名は正式である)


 右近は三好家の家臣であった高山飛騨守の嫡男としてこの世に生を受けた。はずである。史実に照らすのなら。

 だが三好長慶没後三好の衰退もあって高山の本領は、近年台頭してきた豪族(池田氏や伊丹氏)に押されいよいよ本領を奪われてしまっていた。

 だが高山ジュスト右近は摂津国守護に任じられた和田惟政に見出され茶川城の城主に信任される。←ここまでは史実通りのストーリー。


 ところがこの世界線では高山ジュスト右近を抜擢する和田惟政が存在しない。

 彼は惟任と共に遠く九州の地にあるかあるいはすでにご退場遊ばされているのである。

 つまり高山右近はここら界隈で必ず埋もれているはずなのだ。

 何せこの城を建築した重大反逆人荒木村重を討ち取る者こそ、この高山ジュスト右近なのだから。人材枯渇の菊亭において在野に埋もれる有為の人材、みすみす逃す手はなかった。

 雪之丞と戯れていた新加入のキッズたちはあまりにキッズすぎたので。カマキリで遊ぶなし。


「まあ期待せず待つことにしよ」

「殿の千里眼を拝見させていただきます」


 と、


 天彦の眼前に住職に連れられ年頃18・9の青年侍が姿を見せた。

 侍は辞を低く対当すると直言の許可を待ち、


「光栄至極。お初にお目にかかる。某饗応の料番頭を務める高山右近と申しまする。何やら此度の饗応で菊亭様におかれましては、ずいぶんとご不快な思いをなさったとか。事実ならばこの通り伏してお詫び申し上げまする」

「許さん」

「なっ……」

「絶対に許さん」

「腹を召せと仰せか」

「それも一興。だがそれではあまりに理不尽。ならば一つ提案して進ぜよう。受けるか右近」

「中身によりまする」

「ならば申す。身共の傍に侍るなら許して進ぜるが如何におじゃる」

「ふふ。何を申されるかと思えば。聞きしに勝る傲慢な御方。よろしい。それほど某をお望みとあらばその申し出、お受けいたす」

「二言は許さんよ」

「武士に二言はござらぬ。何よりゼウスに寛容な菊亭様なれば是非もなく」

「違うん」

「違うとは。よもやゼウスに」

「違う。菊亭は可怪しいん」

「はて……面妖にござる」

「身共はお前さんの何や」

「嗚呼! ふははは、たしかに殿にござった。よろしいか殿」

「ん。それでええさんやジュスト右近。よろしゅう気張りや」

「な……ッ!」


 最後に渾身のライフハックをぶちかまして技あり・技ありの合わせて一本勝ち。


 ちょっと強引だが、高山右近ゲットだぜ!




 ◇




 住職とのタフな交渉という名の恫喝を仕舞うと、丁度そこにルカが姿を現わせた。

 何やら深刻。それものっぴきならない気配のやつ。


 天彦は咄嗟に気づく。これは大物が釣れたのだと。あるいは大物すぎて手出しできないまである。そんな深刻な表情をルカはしていた。


「お殿様。先ずはこちらを」


 それは一枚の文であった。それも克明に官兵衛の計略・罠(天彦を監禁して織田との交渉の手札とする)が明かされた密書であり、主に事後の後ろ盾の約束に念を押す類の文であった。

 それが露見したのは天彦の指示によって街道以外行き来する者を張っていたルカの手の者が捕らえた怪しい飛脚の所持品からであった。

 なんとその文の宛先はさきの関白・九条植通であったのだ。


「……九条妖怪。どこまでも祟りおる」


 ルカも激しく同意する。だが文以外にも伝えたいことがあるようで、


「ここからは家内秘。部外者はお引き取りを」

「我が部外者と申すか、下郎」


 お人払いを要請した。だがこの場合対象者は一人きり。つまりはっきりと明確に、名指し同然の要請を行ったのだ。次郎法師に対して。


「はい、申しました」

「何であろう、その胡乱な目性は」

「さあ。生来では」

「とことん舐め腐る」

「なれどわたくしは意図しておりません。ですがあるいは見る者の心を照らしておるのやも。例えば二君に仕える出戻り蝙蝠侍の後ろ暗さとか。厚かましくも傍に侍ろうとする破廉恥極まりない厚顔さとか」

「ほう。我に意見するか」

「我とは。即ちお殿様がなければ滅んでいた脆弱大名を主君と仰ぐ三河くんだりの元弱小国人如きのことにございましょうや」

「あ゛」


 次郎法師は喉元まで出かかった言葉をじっと飲みこんだ。

 彼女とて乱世の侍。理性などとっくに捨てた。口喧嘩レスバも上等。口汚さの非難など冷笑と共に唾棄してやる。つまりどんな非難も受けて立つ覚悟はある。


 それでも彼女は耐え忍ぶ。


 井伊直虎という人物を一字で表すなら忍。あるいは耐。それは国境に生を受けた在地国人の生きる術。生存戦略なのだろう。

 彼女は常に己を律し、冷静沈着に言動の細部にまで気を配って生きてきた。


「我は侍所扶殿のお達し並びに菊亭家家内評定衆の決定に従い、粛々と殿の御内意に従ったまで。非難されるいわれはない。ましてや半畜生を身内に抱える貴様になど」

「ほう。わたくしが畜生と。果たして何か致しましたでしょうか」

「何を抜け抜けとッ! 貴様ら一門、何をやったか!」

「ふふ、破廉恥な裏切者に見せる誠意は持ち合わせておりませぬので。ましてや内通者の可能性も消えておらぬ現状では、とてもとても」

「お、の、れ……ッ! そこへ直れいッ」


 常に冷静沈着。と言ったのは嘘だ。


 次郎法師にはただ一つ。我慢ならないことがあった。

 それは我がもの顔でマウントを取ってくる射干ルカの風下に立つこと。それだけはやってない。あのいけすかない鼻高顔がどうしても我慢ならなかった。


「ならば結構。そこまで申すのならば申して進ぜる。よくもおめおめと生きて面を出せたものだ。貴様の一門がいったいどんな非道を行ったか申してみよ! 我ならば人知れず腹かっさばいてお詫び申し上げておる」

「ならば詰め腹を召されればよろしい。さあどうぞ」

「我ならばと申したであろう」

「ですからどうぞ。出戻りの蝙蝠侍殿。腹を召されよ恥ずかしい」

「なにを……!」

「何か」

「やはり口だけですか。ふふ、滑稽ですね滑稽殿」


 待った!


「お殿様、止めないでください」

「殿、止めても無駄です」


 奇しくも間に入る格好となってしまった天彦の背筋が凍るほど。あるいは伸びるほど峻烈な視線をぶつけあう二人の女史。


 と、そこに。


「申し上げます!」

「助かったん」


 急を報せる寺の使者がやってきた。


「申せ」

「はっ、西園寺亜将様、当禅寺に御着き遊ばせました」

「よっしゃ!」


「殿」

「お殿様」


 急場を凌げたことと純粋な再会の感動と。

 二重の意味で歓喜を爆発させた天彦は、一目散に駆けだしていった。




 ◇




 吉報は重なる。そんな格言はない。あったとしても天彦にかぎって当てはまるはずもないのだが、喜びは天空彼方に達していた。

 実益はもちろん級友ずっトモである烏丸光宣まで馳せ参じてくれたのだ。


「漏れるん」

「漏らすな、ばか者」

「ははは、天彦さんほんとはかわらはらへんね」


 茶を啜りながら一頻り再会を喜び合ってさて本題。

 天彦は表情を律した実益の気配に半ば気圧される形で居住まいを正した。


「子龍よ」

「はい」

「茶々丸、泣いておったぞ。口惜し泣きかはたまた嬉し泣きかは存ぜぬがな。いずれにしても男泣きに泣いておった」

「長い人生、そんな時もありましょう」

「やつが感情を取り乱すなどお前絡みに決まっておろう。会うてはやらぬのか」

「どうだか。ですがいま会うと二度と離れられん気がして……やっぱし身共は弱弱なん」

「強くはないが弱くはなかろう。他がなんと申そうとも麿はそれを優しさと受け取る」

「おおきに亜将さん」

「ふん。しかし子龍、お前も罪な男よな。あの強情っ張りの頬を濡らすなどと」

「あはは、その千倍は泣かされてるけど。そんなことより亜将さんはどないですの。多くの女性を泣かせていると専ら巷の噂やけど」

「誤魔化しおって。第一に麿は泣かせておらぬ。女どもが勝手に泣くだけじゃ」

「わあ! すごい。伊予で戦の指揮だけやなく屁理屈まで覚えてきはったで」

「何を」

「おーこわ。何よりにおじゃりますぅ」

「抜かせ。お前は底意地の悪さに磨きをかけておるようじゃな」

「ひどっ」

「ふん何が酷いものか。まあよい。頼んだぞ、我が子龍」

「はい。長い人生なれど勝負どこはまさに電光石火の一瞬におじゃります。必ずや西園寺一門のお役に立つべく我が煌めきの一端を御覧に入れて進ぜましょう」

「……ほう。どうやら他にもいくつか磨きをかけておるようじゃな。その瞬間が待ち遠しいぞ」


 てっきり煙に巻かれるものと高を括っていた実益は、面食らったように目を大きく瞠って返答した。……ん、待てよ。


 だがそれも束の間、相貌鋭く天彦を睨みつけると、


「お強請りか」

「おお、お流石! この菊亭、心底感服いたします」

「なにを小癪な。……勿体ぶらず疾く申せ。但し聞ける相談であるかは別物であるぞ」

「はい。では――」


 阿吽の呼吸とはまさにこのこと。


 天彦のすべてがお強請りへの伏線であることを具に見抜いた実益は、渋い顔をしながらも天彦の言葉に耳を傾けた。

 対する天彦は西園寺閥の今後を占う陪臣菊池権守家のためだと前置きした上で、伊予の政略的案件をいくつか強請った。実益は快く了承して一件落着。


 だがよもや秒で後悔することになるとは露とも知らず。

 あるいは気付かぬふりをするのも知恵もしくは上手く立ち回る術なのだと、この数秒後には気づかされるとも知らなかった。


「お強請り序にもうひとつ」

「おいコラ待て」

「待てませんのん」

「いや待て。恐ろしく厭な予感がひしひしとする」

「何度も申し上げますが待てませんのん。何しろ喫緊に差し迫った大問題がすぐそこまでやってきて出来を今か今かと待ち受けておりますから」

「なぜそこまで放置しておった。よもや、……三河守か」


 ビンゴ。

 この後すぐには次郎法師セッティングによる徳川三河守とのディープでタフな会談という名の商談一大決戦が予定されていた。


「さすがなん!」

「正解を喜んでおる場合か。応接を間違えるとちと五月蠅いぞ。今やあれは魔王にさえ無理を通せる影響力と胆力を備えておるからの」

「確かに。ですので、ちょっとで済めばよろしいのですけれど」

「貸しがあるのではないのか」

「はい。ですがそれが逆に三河タヌキの志向性にある種の火種を植え付けてしまったようで」

「志向性の火種とはなんぞ」

「天下を望む火種におじゃりますぅ」

「……いったい何を焚きつければ、三河の田舎武家に天下を望む野望を抱かせるのじゃ」

「それは身共が訊きたいん」

「お前はまったく」


 しらばっくれる天彦だが、


『なあ家っち。もし家っちが天下を治めたらそのときは、当家(菊亭家)の安堵を確約してほしいん』


 とか。それっぽいことを真顔でそれも切実に願い出れば、どんな田舎侍とてその気になってしまうのでは。あるいは天下を臨む野望を抱いたって可怪しくはないのである。てへぺろ。


 むろん天彦以外の誰が申し出ても気分のよくなる戯言ざれごとあるいは世迷言だが、上杉の行動をズバビタで予言してしまった天彦の口から発されるともなれば信憑性のレイヤーが違った。

 とくに大小十五勢力が入り乱れた越前征伐の一連の案件では、その予言の一々が当たるよりも更に上に炸裂しまくってしまっていては、家康公が天彦にある種の霊験灼然な神秘性を感じてしまっていても何ら不思議はないのである。


 それを踏まえてしかも今回は三河守を騙くらかさなければならないのだ。

 というのも楽な地均しのテイで交渉を進めてくる三河守に対し、実際を知るために楽なフリをしてけれど兵を供出させなければならない天彦との間には天と地ほどの認識差が広がっていた。

 正直に明かせば話は単純。だがそれでは先送りにされるのが落ちであり、何より手柄が独占できない。天彦にはどうしても生野銀山の報酬が必要であった。


 よってこの交渉における悪巧みのハードルは相当に高い。

 タヌキと狐の化かし合い第二部の始まりである。


「企んでおるのだな」

「おりません」

「ならばまたやったのか」

「やってませんて」

「やったな」

「……」

「……致し方あるまい。家来の不始末処理は主君の領分。話せ、麿で叶うなら尻を拭いてやる」

「おおきにさん。実益、大好き! むぎゅ」

「ええい、やめぬか鬱陶しい!」


 だがどうやら口ほどには鬱陶しがっていないようで。

 実益は目線にこそ冷ややかさを浮かべてはいるものの、纏わりつく天彦を振り払わずしたい放題にさせるのだった。


 と、そこに。

 幾分か空気が和らいだことを見計らった烏丸家の嫡男が闖入した。


「ほな麻呂も混ざろ」

「お前は違うであろう。こちらまで緊張するから慣れぬことは止せ」

「あははは。ええぞ光宣、もっとやれ!」

「お、おう!」


 あはははは。


「ほう尚書は子龍に付くのだな。ならばこうしてやる!」

「なんの! ほならこうや」

「ほな麻呂はこうかなぁ」


「おい尚書、それは違う。ぜんぜん違うぞ」

「みっちゃん、それはちゃうん。なんかキショイん」

「ええぇ」


「こうだ!」

「こうねん!」

「ひぎゃあ」


 天彦の企てる中長期計画の肝的一大決戦を前に。


 果たしていつぶり来だろう。少なくとも禅寺以来記憶にない、三人揃い踏んでの大お巫山戯大会が始まろうとしていた。











【文中補足】

 1、摂津国

 現大阪府北中部の大半と現兵庫県南東部に位置した。














正統派ヒロイン系男子いただきました!笑笑


たしかに沼系多いっすね。知らず書き手の志向て出るんすかね(鼻ほじー)

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― 新着の感想 ―
あぁ、、シリアスありて、しかして菊亭特有ののんびりさと、天彦さんに備わる五山の狐知恵を同時にまた見られるなんて感無量です(*´-`) そしてやっぱり天さんは力強い誰かの下で知恵を出し、そこから攻める…
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