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雅楽伝奏、の家の人  作者: 喜楽もこ
十四章 生生流転の章(余談編)
241/314

#15 プラトニックとストイックと

 



 元亀元年(1570)九月十日






 物集女街道。


 京を俯瞰してみれば洛外中心市街地をバイパスして京都盆地の西縁をほぼ南北につなぎ、物集女もずめを経由して山陰街道と西国街道を連絡する街道である。


 陸路における西国との主要交易路でもある物集女街道沿いにはかつてはかなりの数の関所が設けられていた。だがご存じ織田治世となった現下、目下その上がりを主たる財源としていた在地の土豪や国人衆がどうなっているかは火を見るよりも明らかであり、また同時に糊口を凌ぐ手段もお察しなのである。


 何せ彼らはそもそも論、武力・暴力を生業とする生粋の簒奪者なのだから。


「この旅籠界隈でテメんとこだけだぞ。営業許可料を支払わない店は」

「何ですんお武家さん、大きな声を出さはって」

「侍を安く見積もると痛い目では済まへんぞ、女将」

「安いも高いもありません。ほらこの通り、ちゃーんと織田さんの商いご勝手状を持って――あ……、なにをしはるんでっか!」

「黙れ! 何が織田か。儂らは飛鳥よりこの地を治める秦一族の末裔ぞ!」

「ひっ、も、物集女党……」

「その物集女党や。おいお前ら、かまわん。やってまえ!」


 へい――!!!


 旅籠は瞬く間の内に潰し荒らされ原型を失ってしまう。憐れ無常なり。


 このように、とくに物集女荘を拠点とする物集女氏の暴れっぷりは凄まじく、街道沿いに何らかの商店構える店子たちのぶっちぎりナンバー1の頭痛の種であった。

 本来なら史実では数年内に織田信長の内意を受けた細川藤孝の手勢によって掃討される運命なのだが、どうやらその雰囲気は感じられない。

 彼ら野盗に毛の生えた土着豪族は好き放題に勝手放題に暴れまわり地域の安全を脅かしていた。


 たしかに意外かもしれない。織田と言えば規律・規範のイメージが第一に思い浮かばれるだろうから。実際にその印象どおり織田家の規律維持並びに規範順守の精神は相当なものである。


 だがそれは内なる方向だけに向けられたものであって、京の町をそれも洛外からもあぶれたような商人・町民が暮らす洛外大外街区にまで向けられるものではない。即ち命令でもなければ率先して治安維持活動に乗り出す将はいないのである。目下の織田家には。


 だが誰も彼らを責められない。何しろいくら頑張ったとてこの地が自らの恩地になることはないのである。

 あるいは織田幕府が開かれ管領にでも抜擢されればその限りではないのだろうが、織田家中にそんな火中の栗を自ら進んで拾いたがる奇特な御仁はいなかった。裏を返せばある意味でのお利巧さん揃いなのである。

 彼らからすれば京の都は住処ではない。都はあくまで仕事をする職場であって住める土地ではないのである。

 彼らは知っていた。京の都がむしろ不毛な土地であることを。京を押さえた武家の悲惨なその末路を。厭というほど知っていたのだ。京を目指した大名のその悲惨すぎる結末までも。


 何しろ織田家が絶賛ただいまその忌まわしき呪術に罹りちうなのだから。


 そんなこんなが重なって洛外の治安は過去最低レベルを更新中。

 こんなことではやれ織田は無能だ、やれ水色桔梗の治世がよかったと京雀たちが囁き始めるのも時間の問題であろう。


 だがしかし、そうとわかっていても今の織田家には打てる手がなかった。言葉を飾らず言うなら無駄な兵力を割く余裕がなかったのである。日々晒される東国からの凄まじい圧力のせいで。


 信長自身は朝廷対応にかかりきりで身動きが取れない。中央政権として朝廷掌握はマストである。そのための工作にかなりの時間と思考を持っていかれており、はっきりいって悲惨の極致であった。公家対応は根気のいるほとほと疲れる作業であった。

 これも史実にはなかった変化である。はっきり織田家にとっての弊害といって過言ではないだろう途轍もない変化である。


 朝廷、即ち帝が武家を頼らずとも家臣に報酬を支払え、また自らも自立できる財源を確保できていることが信長疲労困憊発端のすべてである。

 菊亭によるいい人キャンペーン(天領回復作戦)もたしかに地味な効力は発揮しているが、やはり何といっても石見銀山の100%供出が途轍もない恩恵を朝廷に与えていることは紛れもない事実である。


 そして他方、西国も目が離せない状況となっていた。信長はいよいよ西国征伐の本格的着手に踏み切った。

 さすノブであろう。勘の良さはピカ1である。一年放置してたら果たしてどうなっていたかは、神のみぞ知るでは済まなかったはず。

 土地に根差す有力大名、即ち支配者不在ですっかり荒廃してしまっている西国の地均しには東国方面抑止の要である徳川軍を差し向けることが決定された。


 泣く泣く。渋々と。


 差し向ける弾(駒)が枯渇したわけではない。織田家にはまだまだ有為の人材に溢れている。だが魔王信長は徳川を送ることを決断した。

 戦略的にもかなり無理を押している決定だが、徳川を本拠地から遠ざけること(転封)は天下統一プランニング(あるいは生存戦略)上必要不可欠な戦術であった。


 家康が上杉と、そして菊亭と近づきすぎたがために。


 つくづく菊亭に祟られる織田家だが、かといって同盟を破棄するわけにはいかない。むしろ当面は堅固に保持しなければならず、そのためにはかなりの要望を聞き届けてやらなければならなかった。

 その一つが西国出征の先陣要請であり、徳川の思惑がたとえどこにあろうとも目下の信長にとってニヤリと笑み崩れてしまうほどのまさに渡りに船のお強請りだった。


 だが次なる問題が発生する。徳川本体出征に伴い手薄となった三河方面は織田が代わって理が非でも死守しなければならなくなった問題である。

 すでに数度戦端は開かれていて、一度は本城を失陥している。

 現在は奪還できているが、織田防備中に万一にでも失おうものなら控えめに言ってお仕舞いである。

 魔王信長はマスコット兼頭脳の菊亭につづき東国抑えの要徳川まで失ってしまうことになるのは必至だから。菊亭無きあと徳川までも失ってしまっては如何な織田軍とはいえども御家衰退は火を見るよりも明らかであろう。


 ここにきて信長は史実での明智・木下の両輪不在が祟っていた。

 将軍家並びに朝廷工作の明智(惟任)と西国征伐の木下を失ったことは痛恨の極みである。

 むろんそんな無い世界線の史実には気づくことはないのだが、勘のいい魔王様のことである。あるいは妙な違和感に日々胸騒ぎを覚えているかもしれないけれど。

 いずれにしてもご愁傷さまです。悪いのはだいたいぜんぶあいつです笑。


 ∴、故に。

 我が身を顧みず洛外の風紀を糺そうとする織田の将はいないのである。



 閑話休題、

 そんな街道沿いには洛中はもちろん洛外からもあぶれた人々によって大小様々な集落が形成されていた。


 この未来の現代では向日市と呼ぶ地域一帯には古くは縄文時代から集落が形成されていて、6世紀には物集女車塚古墳が造営されたほどの由緒正しき土地柄であった。


 そんな土地にやや小柄ながらも肉の引き締まった若侍が一人。旅装束に身を包んで繁盛店の前を通りすがった。

 店内から聞こえる賑やかしい声に誘われたのか、はたまた酪と醤油の焼けた何とも言えない香ばしい匂いに誘われたのか。あるいはそのどちらもかはわからないが、笠を目深に被りなおすとふと茶屋の前で足を止めた。


「もにか茶屋。……もはや隠す気もないのか」


 ここ最近、可怪しな名前の店が多く出店されていた。この茶屋もそのうちの一つであろう。もにか茶屋。

 侍には思い当たる節があったのか。あるいは思い当たる節しかないのかもしれないが、どこか苦々しげにその茶屋の屋号看板を見つめていた。


 伴天連風の名を隠さずに堂々と掲げても御咎めだてされない一党の存在は、今ではかなり知られている。どちらかというとポジティブな話題となって京の町を騒がせていた。裏を返せばそれだけ英雄家の御曹司がきら……、話題に絶えない人物である証だろう。


 一党二千有余名。何やら二つに割れてしまったと噂を耳にするが真実はわからない。何しろ彼ら、いや彼女らは専ら破壊工作に専従し、中でも特に敵地を搔き乱す流言の計を得意技としていたのだから。


「もにか、は存じぬが寄るか。おい女、一席空いているか」

「はいいらっしゃい……、あいにく満席、と、あそこのお侍様と相席なら。少しお待ちを。伺ってまいります」

「うむ。頼んだ。喉がかわいた。茶と井戸水を頼めるか」

「はい。お食事は如何なさいますか」

「道中で食す握り飯とみそ。それと香の物を頼む」

「はい承りました。それでは少々お待ちください」


 待てと言われた若侍は笠を取り女給のあとにつづいた。


「お侍様。あいにく店内たいへん込み合っておりまして。相席をお願いしてもよろしいでしょうか」

「繁盛たいへん結構である。相分かった。かまわ……だが断る!」

「へ!?」


 きまずっ。


 席主の唐突な心変わりに女給は面食らってしまう。しかもその語気は非常に強く断固とした意志を感じ取らざるを得ないほど。


 女給の目が着席する侍と、待ちきれず背に続いて入ってきた侍とを見比べる様に右往左往していると、


「久しいな死にぞこない。座るぞ」

「ふんご勝手に致せばよろしかろう。だが一つ、蝙蝠侍に揶揄されるいわれはござらぬ」


 語り掛けた方は言うとどかっと腰を下ろした。


 何やら二人は既知の間柄のようであった。

 ほっと胸を撫で下ろした女給はそうと気づかれないようにそそくさとその場を後にした。明らかに当人らの放つ気配が好意的とはかけ離れていたからだろう。


「生きておったか佐吉。相変わらずの不愛想」

「そちらこそおめおめと生き恥を晒しているようで何よりですな、是知殿」

「貴様の許可などかつてもこれからも必要とは思えぬな」

「ふっ、裏切者に出す許可など持ち合わせてはござらぬ。昔も今も」

「喧嘩なら買うが」

「よほど叩きのめされたいようですな」

「……いや、やめておこう」

「恐れを為しましたか」

「いいや違う。剣術も体術も某と五十歩百歩の貴様など露とも恐れておらぬ。だが腰の物が露見するのは恐ろしい」

「竹光にござるな」

「あいかわらず厭な目の付けどころだけは冴えておる。然様」

「実は某も。ですので気付いたまでのこと」

「なるほど貴様も金欠か、死にぞこない」

「然様、まったくの素寒貧にござるよ蝙蝠侍殿」


 そう。

 彼らはかつて菊亭家が誇った政務の両輪。石田佐吉と長野是知であった。

 二人はこれ以降何かを話すでもなく静かに茶と水を啜って、この何とも言えない気まずい時を稼いだ。


「おい訊いたかい」

「何をや」

「五山の御狐様がまたぞろやらかしたって話をだよ」

「いや知らん。訊かせたってんか」

「おう訊いて驚けよ!」


 すると関東弁商人風の男はすぐさま閉口させられることになる。


「あらへんあらへん。菊亭様に限って今更驚かされることなんかない」

「田舎者はこれだから。あのお公家様に関して今更何を驚くんや」

「兄ちゃんええか。西国毛利家を一網打尽に平らげたお方さんやで! もう今更驚かされることなんかあらへんよ」


 お、おう。


 商人は黙り込んでしまう。確かに訊かされた話からすれば明らかにパンチが弱いネタだからだろう。

 だが相席する対面の男は欲しがった。「早う話せ。舌が滑らかになるように一本付けたろ」とまで言って催促した。


「そいつはいいや。なぁに御狐様がな」

「おう、どないした」

「文一枚で播州播磨の小寺家を屈服させてしまわれたんだ」

「……なんやて!」

「なんやて!」

「なんやと!」

「嘘やん」

「そんな……」

「早う言わんかいやっ、だぼがっ!」

「しばくぞウスノロがっ」


「え、え、え、え、えぇええええええええええ」


 野次馬からの唐突な罵詈雑言に目を白黒させて困惑した。

 それもそのはず。戦ともなれば彼ら行商人にとっては稼ぎ所。大戦を見込んで売れるモノ値上がりするモノを嗅ぎ分けて買い付けに走っている真っ最中。

 その戦がなくなったとなれば死活問題まで視野に入れなければならない大出来であったのだ。


「姉ちゃん、こっちお愛想や」

「こっちもや、幾らや」

「代金置いてくで」

「ごっそさん。こっちも置いた」


「毎度アリー」


 一気に客がはけ膝が触れ合うほどの活気を見せていた店内が閑散とする中。

 他方、そのうわさ話を横目で窺っていた佐吉と是知の二人は、まるでタイミングを計ったかのように軽快な注文を飛ばしていた。


「団子をくれ!」

「団子を頂きたい」


 困窮著しい彼らにとって財布の紐が緩むほどの慶事なのだろう。

 どこか心なしか、殺伐としていた場の雰囲気まで和らいでいるように見えてしまう。


 と、


「菊亭様で思い出した」

「なんや」

「菊亭侍所扶様や」

「誰やそれ」

「直江様に決まってるやないか。本気か?」

「ああ直江様か。それがどないした」

「おう。今回の人事でな、何やら長尾様の家令に御就任なさったそうや」

「めでたいのか」

「めでたいやろ。お前正気か?」

「……いや至って正気やぞ。で、それ降格人事違うんかい」

「あほやな。長尾家は譜代中の譜代。御実城様の生家であり、次代の御屋形様を生むお家柄やぞ」

「長尾家が? 何でや。上杉とは別物やろ」

「御実城様に子がないからやろ」

「誰や御実城って」

「おいコラ待て。上杉謙信公に決まってるやろ。あかんわ、阿呆と話してたらしんどなってきた。帰ろ」

「なんやと。おいちょ、待て! あ。……やられてもうた。あの野郎代金置かんととんずらしよった」


 もう背も見えない。きっちりしてやられた物知らずが地団太を踏みながら会計を済ませている店内にあって。そこらかしこで失笑が漏れ聞こえる中。

 その光景をくすりともせずじっと見つめる佐吉と是知二人の視線は、先ほどまでとは打って変わって今度は一転。鷹の目のように鋭く険しくなっていた。


「着々と。実に与六殿らしい歩みにござる」

「あれのどこが着実か! 二足どころか十足飛ばしではないか。ふん運と武だけの脳筋侍が今に見ておれ」


 かつての同僚の出世を悔しさを隠さず妬むのだった。


「佐吉」

「何でござろう是知殿」

「まだ浪人をやっておるのか」

「二君に仕えることはござらぬ。ならば問いまするが、そちらこそ今出川家の禄を食んでおられるのか」

「いや辞した」

「解雇されましたか」

「無礼であろう、辞したと申した」

「ではそのように」

「うむ。……しかし朱雀。やつだけは許せん」

「正直魂消てござる。まさか東宮の職を辞してまで馳せ参じなさるとは」

「美談ではない! 殿に害が及ぶであろう。それを危惧したからこそ我ら菊亭一門衆は黙って身をひいたのだ。それを身勝手な……」

「たしかに身勝手は許せませぬ。ですが、……眩い。某には同じことがどう考えてもできませぬ故に」

「貴様がそうだから! ――なんじゃッ、今は取り込み中であるぞ」


 と、そこに。


「つんつん」

「……」

「……」


 己の行動を擬音として口に出すなど控えめにいって狂気である。

 だが正気を疑うその人物は断りもなく隣の席に着くと、


「つんつん」

「ええいやめい、わかっておるわ!」

「何でござろう、モニカ殿」


 満面の笑みを浮かべ「にぱっ」そして擬音も忘れずきっちり付けて、二人との再会を喜んだ。


「やっぴーお久ぁ、佐きっちゃんにコレ君」

「誰がか!」

「お久しぶりにござる」


 是知は知らぬようだがどうやら佐吉は知っているようであった。

 屋号と同じ名を呼ばれた町娘風コーデの女子は「にしし」とこれまた擬音を口にして笑うと、


「旅の足銭ないんでしょ。あるよ。いい稼ぎ口が」

「なぜ旅だと思う」

「お二人とも、お殿様の元へ参じるのではないの? あれ違った? てっきり血眼になって失ったものを取り返す算段付けてるんだとばっかり……」


 是知は適否を答えず先を促す。


「訊かせよ、モニカとやら」

「何とも不穏。だが訊くしかなかろう」


 佐吉もすぐさま態度を表明。彼にしては珍しく心情の不安さを口にして、悪魔の囁きに二人してそそのかされに首を突っ込むのであった。


 他方、その返答が当然とばかりモニカは微笑むと、


「ここいら物騒なんだよね、悪さする小物が多くてさ。モニカちゃんたち弱っちゃってんだよね」

「賊狩りか。貴様らならお手の物であろう」

「ところがどっこい。大義名分が五月蠅くってさ。手は貸さないのに口ばっかしでヤになっちゃう。それに個人的にはお姉様方に目を付けられたくないんだよねー」

「やはり存命であったか。殺しても死なぬとは思っておったが」

「だね」

「なるほどそれで我らに。貴様、目の付け所だけはよいようだな」

「……これのどこが。腐っておるだろう」


 是知の自己肯定感と佐吉の自己認識との差が露骨に出てさて、


「どうするご両人、この話乗るかい反るかい。乗るならこの場で手付で十両、成功報酬でその倍は出すけど。手勢はウチの使っていいよ。ちょいと血の気は多いけどねギラリギラギラ」

「よし乗った」

「むぅ、背に腹は代えられぬか」


 むろん残党であろうと射干は射干。その誘いが地獄への片道切符である公算は極めて高い。知らんけど。






 ◇◆◇






 元亀元年(1570)九月二十四日






 佐吉と是知が野盗討伐に四苦八苦奮闘しているだろうそんな頃。

 天彦は天彦で絶賛窮地に追いやられていた。


 文が速達便で往復すること僅か六度で播磨一国を手中に収めた大手腕を以ってしても敵わぬ難儀が降りかかっていた。


「誰が難儀ですか」

「身共、なぁんも申してへん」

「お顔が申されております。それとも」

「まいったん。許したって」

「よろしい。そこに直り成され」

「おいて」

「直れ」

「あ、はい」


 播磨国小寺氏との地均し調整も粗方終えた長月の十日、天彦の下に徳川家の使者として次郎法師が来訪した。

 むろん戦勝祝賀ではないだろう。何しろ再会を喜ぶどころか美人が台無しになるほどこめかみをピキらせているのだから。じんおわ。


「局面をほぐしただけねん」

「何も申しておりませんが。まだ」

「あ」

「何でございましょう」

「あ、うん」


 天丼は大事やで。そんな愚痴すら零せない雰囲気に飲まれつつ。


「一言申してくださればよろしいものを」


 から始まった大説教大会という名の大愚痴大会は、懐かしさも相まって熱量がパなかった。つまりちんちん。

 むろん因州弁(鳥取弁)の方ではなく三河弁のちんちんである。非常に熱い状態を指すやつ。


「まったく、と……、あなた様ときたら。ちょっと目を離した隙に一国を籠絡しているのですもの。それでは周囲を警戒させて尤もにございます」

「そんなわけないん」

「ございます。それとも我々が見ている世界は虚構とでも仰せでしょうか」

「久しいな。健勝やったか」

「まったく。はい。おかげさまを持ちましてこの通りに。と……、さきの参議様も御変わりないようで嬉しく存じ上げまする」


 次郎法師は時に姉のように。あるいは竹馬の友のように。厳しくも厳しい凛然とした態度で臨み接する。

 けれど天彦はこの辛い応対にも厭な顔ひとつせず、なんなら好意的に迎え入れる。それはそう。

 世間から実際以上に畏怖され、とある界隈からは徹底的に忌み嫌われ、一般的には必要以上に恐れ遠ざけられる天彦に対し一切タブー視せずに接する数少ない貴重な人材であった。


「駿河守さんは」

「お越しにございまする」

「いつ会える」

「と……さきの参議様のご都合がつけば明日にでも」

「次郎法師」

「何でございましょう」

「身共、淋しいん。次郎法師が“と”で詰まるたんびに、このちいこい心さんがちくちくするん」

「っ――、もう、殿のばか!」


 ばかは片仮名でもなく漢字でもなく、紛れもなく平仮名で叫ばれた。

 誰が何と言おうと絶対に。天彦の耳には丸く柔らかな平仮名として変換され届いていた。

















プロット変更、イツメンちょっとずつ合流。

やっぱ書いてて楽しくないとね。そういうことー

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― 新着の感想 ―
はい、そちらの方が【菊亭】らしいのでイツメンの少しずつ集合、最終的にはまたあの日々が戻るかもしれないというの方が嬉しいです(*´-`) 菊亭、ひいては天ちゃんを追放した人達に何かあったら楽しいと思う…
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