表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
雅楽伝奏、の家の人  作者: 喜楽もこ
十四章 生生流転の章(余談編)
240/314

#14 いいえ正統派小悪党です

 



 元亀元年(1570)八月二十五日






 会合は一進一退の膠着状態がつづき天彦は休憩を提案、否応なく場は一旦お開きとなった。


 空気を入れ替える休憩だったが、果たして意味をなすのだろうか。

 会合衆の去った大広間は実に重苦しい雰囲気が沈滞していた。


「九郎、例の件は」

「万事抜かりなくございまする」

「ん」

「新参は何やら浮かない顔ですな」

「そうか」

「はい。殿の本気を知らぬとは、いやはや知らぬが仏とはまさにこのこと」

「九郎はお口さんが上手になったん」

「いいえ。華美装飾の一切ございませぬ真実故にいくらでも語れまする」

「ふっ。そないしとこ」


 茶をずずず。


 だが天彦は口ぶりほどの余裕を持っていなかった。

 まず宗湛は揺さぶりに乗ってこない。ならば感情を揺さぶらなければならず。けれど喜怒哀楽のどこを責めればよいのか悩ましかった。

 泣かせること。怒らせること。喜ばせることはそれほど難しくはない。だが笑わせることは非常に難しいとされている。これは一般的な定理であり、天彦自身も同意であった。


 つまり糸口はお笑い。


 笑いは濃淡の対比だと訊く。即ち落差。ならば落差のある感情とは。やはり恐怖か。だが恐怖から果たして人は笑うのだろうか。

 天彦は薄ぼんやりとした思考でぼやく。堺町で流行らしい香る茶をすすりながら。


「ずずず。なんやちょっと期待してたのにただの紅茶ねん」

「こうちゃ」

「紅と書いて紅茶と読むん」

「流行の南蛮茶にございまするが、なるほど赤い。紅茶とは言い得て妙にございまするな。さすがは叡智様。視点が違う」

「恥ずいからやめて」


 あるいは紅茶のように一旦脳みそをチューニングし直さなければ新たな視点による妙案は発想されないのではないだろうか。

 それにはインプットが最も手っ取り早いのだが、そんな新鮮味に触れる機会も時間もまったくない。


「弱ったん」

「ならば弱られてみてはいかがでしょう」

「見たまま弱ってるん」

「あははは、まさか」

「ひどい」


 天彦はすっかりポーカーフェイスが癖づいてしまっていて、弱音を見せられない自分が憎らしい。戦国弊害あるあるか。発表する場は一生なさそうだけれど。


「しかしやはり殿は恐ろしい御方。敵方からすればこれほどの恐怖はございますまい」

「怖い怖いと何や。味方にすればええさんねん」

「あははは、然り。まさかに金言。この世の真理にございまするな」

「大袈裟すぎ。九郎、なんぞお強請りでもおじゃるのか」

「ならば九州に一国。いいえ二国くださいませ」

「なんや権守家の御曹司が吝嗇臭い。西国丸ごと強請らんかいな」

「大戦の始まりですな」

「小戦では済まんやろな。血が滾るか」

「……それなりには」


 だがそれもどうかと菊池権現家の御曹司は首を捻った。


 火の国と呼ばれるくらいだ。肥後者は薩摩者に負けず劣らず血気盛んだと思い込んでいた天彦は、九郎もてっきり血を騒がせ血気を滾らせるものと思っていた。

 ところが九郎はクレバーな反応を見せて天彦の調子を狂わせた。


 が、この九郎の反応の善悪適否はかなり微妙であった。客観的には頼もしいが天彦の警戒度が一段階引き上げられてしまったから。半ば自動的に。義務的に。

 だがこればっかりは仕方がない。天彦は菊池家の御曹司を史実レベルでほとんど知らないのだ。即ち未知であり無知。よって為人の判断材料はリアルタイムでしかなかった。


 すると戦国菊亭メソッドに従って判断する他なく、能力と野心とが完璧にリンクしてしまう時代背景なればこそ、有為の人材ほど危険度が高くなった。

 そもそも論、時代は元亀、時は戦国。警戒心なき手放しの信頼など向ける方が悪なのだ。あるいはきっと向けられる側も迷惑してしまうことだろう。


 それでも忠誠が向けられている間は信用する。それが天彦のイズムであり戦国メソッドでもあった。

 そして九郎のこの反応は明らかに物事の事情に通じている証であり、趨勢を大きく俯瞰で見られる証でもある。仲間である限り頼もしいに決まっていた。


「九郎」

「はっ」

「佐吉の片腕分。是知の2/3」

「作麼生説破にございまするか」

「まあそや」

「朱雀様ならば」

「爪の垢ほどにも至らんやろうな。因みにやが与六の片足分。ルカなら半分といったところや」

「……わかりませぬ」

「わからんか。お前さんの通信簿や」


 つまり信頼度。あるいは忠誠度の指標であることを秒で見抜いたのであろう菊池家の御曹司は、この日初めてクレバーな仮面を脱ぎ捨て感情を露わにした。


「殿! 評価軸を明らかにしていただけますれば明日にでも追い越して御覧にいれまする!」

「嫌いか。文官が」

「いいえ文官ではございませぬ。独善家と八方美人。隼と蝙蝠。家中に好ましく思っておるものなどございませぬ」

「なるほど辛辣。家中は佐吉と是知を快く思ってへんのやな。でも……、たしかに正当な評価かもしれへんな」

「かもではございませぬ」

「加減したって。もうあの騒がしかった家中はないさんねん。ごめんやで。不甲斐ない主君で」

「っ……、滅相もございませぬ! ははっ、御免仕りましてござる」


 天彦はそんなすっかり遠慮のなくなった九郎にジト目を送り付けつつ。

 神屋宗湛。すでにプロファイリングは終わっている。


 赤裸々なほどに疚しく呆れ果てるほどに生き汚いのが天彦の持ち味。あるいは生き方の鉄則でもる。

 天彦は形振り構わず責めることに決めた。つまりコンコルド現象を利用して心理的に神屋を始めとした博多会合衆の痛いところを突くことに決めたのだ。


 実に狡猾なやり口だがこれは戦。隙に繋がる弱味を見せた方が悪いのである。


「ならば殿」

「札は切る」

「はっ。掃部頭、よろしいか」

「おう」


 三人は何事かを了解し合い、


「ん。ほな再開しよか」

「はっ、お下知である。会合衆をこれへ」

「はは」


 こうして会談という名の大戦が再開された。



 ぞろぞろ。



 同じ面子、同じ装い、同じ動作で博多商人たちがやってきて定位置の下座に着いた。

 しかし今度は同じではない。上座からは庶人を遇するような折り目正しい言葉はない。どこまでも厳しく、そしてそこはかとなく冷たく感じる二つの視線が注がれるだけ。


「始めようか」

「はっ」


 神屋宗湛は厳しい舌戦を覚悟したかのような神妙な面持ちで首肯して応じた。


「ときに宗湛。堺へ参ったんはイスパニアからの交易船を待っているんやな」

「くっ……、たしかに南蛮船到来は望むところ。ですがそれとこの会談に何か因果はございましょうや」

「うむ。とくに関係はないさんやが一つ教えといたろ。待ち望むガレオン船は参らんとな」

「な……ッ!?」


 天彦のこの予言めいた宣告には、どこか絶対的な響きがあった。

 するとそれを察知したのか。それまで黙って戦況を窺っていた他十一名の博多会合衆が色めきだつ。


「何たる悪辣な!」

「やはりか。噂通りの人物ですな」

「噂に違わぬ狡猾さ。会頭、話に乗らぬが得策ですぞ」

「銭に汚いとは訊いておったが、ここまで意地汚いとはほとほと呆れる」

「悪党め。地獄へ堕ちろ!」


 およそ公家に向けてよい言葉ではない。だが天彦も菊池も村上も。あるいは事情を知らないだろうルカまでもが空気を察して静観して、一切咎めだてすることなく悪態を吐き出させるだけ吐き出させた。まるで当初から織り込み済みといわんばかりに。


「ごほん」


 するとややあって、怒号が静まる。

 感情的には理解できた。それはそうだろう。一度ならず二度までも交易ガレオン船が未到着では商売上がったりどころの騒ぎではない。

 そしてこの動揺っぷりを鑑みるにおそらくだが会合衆は持ち株で輸送費その他を捻出しているように思われた。そして強気の態度にも裏(紐)があると予見できた。それもかなりの確度で。


 にやり。


 菊池権現家の若き当主が笑みをこぼす。すると歩調を合わせるようにすぐ隣に控える、むくつけき野生の海賊頭も静かだが獰猛な笑みを浮かべた。


 そんな二人を横目で見ていた小悪党改め大悪党天彦は、会心の笑みを浮かべると声高らかに演説を打った。


「ガレオン船一隻三万、二隻で銭六万貫也か。利益の見込める投資としては驚くほどではないさんやが、回収不可能な完全なる出費ともなれば話は違うてくるやろなぁ。おおこわ、あな恐ろしや。果たしてここの何人さんが生きてまた会えるんやろかぁ。首あってこその生におじゃるなぁ」


 天彦の独演がおわる。すると息苦しいほどの沈黙がつづいた。


 ややあって、


「は……! よもやそこに御座す海賊衆が――」


 と、


「おい下郎、さすがにその発言は看過できんぞ」

「も、申し訳ございませぬ。……ですが」


 菊池の若き当主が間髪入れず宗湛の失言(笑)を叱り飛ばした。

 二人は昵懇の間柄であったはずなのに。世は無常なりなのか。それとも。

 だがいずれにせよ菊池九郎のその迫力は中々に堂にいっていて、失言した宗湛をたちまちの内に消沈させる威力があった。さす武士やりおる。


 さて彼らが失おうとしている損失銭六万貫。未来の現代レートに換算すればおよそ72億円也。たしかに失えば如何な会合衆とて無傷とはいかない大金である。

 むろんいずれも名うての商人揃い。11で分担すれば7億足らず。捻出できない額ではないが100%未回収が確定しているとなると話はまるで違ってくる。

 そうでなくとも破損金の穴埋めはしんどいのに、心理的負担は相当くるであろうことは想像に難くない。

 しかも加えてこの案件、おそらくは誰かの期待を背負っての投資である公算がかなり高い。例えば足利とか足利とか。あるいは惟任とか。


 くく、惟任であってほしいん。


 出資者あるいは旗振り役が誰であろうと、いずれにせよそちら方面の計画もきっとご破算となってしまうだろうから。


「困ったさんねん」

「ふふ、悪いお人だりん」

「ルカがゆー」

「はいルカが申し上げますだりん♪」


 ルカはまるで音符が跳ねるかのように語尾をリズミカルに飛ばした。

 対する天彦は真っ直ぐに視線を見据えたまま、渾身のツッコミを炸裂させた余韻に浸る。

 そしてそれも束の間、今度は一転表情険しく宗湛の無礼を咎めることも忘れ、愛用の扇子でトントン調子をとって掴みかけている流れを確実なものとするべく丁寧にじっと読み耽った。


 一分、二分、三分、四分。


 会合衆が立ち直る時をくれてやる。むろんテイとして。

 天彦は熟考に耽った。深く静かな思考の淵に心ごと沈み込んで。


 神屋、神屋。……島津家の御用聞き。神屋紹策の倅。神屋寿禎の玄孫。寿禎は石見銀山開発……者。石見銀山……!?


 これや!


 天彦の中で立方パズルのピースがかちりと音を立てて嵌った。


「くふ、出来たまんじ」


 ちょっと苦笑い。天彦は忘れていたというよりエアスポに嵌って思い出せなかった案件に行き当たって苦味を味わうように噛み締めた。苦いが美味い。これはかなりの幸運、いや僥倖である。

 なぜならこの閃きは一口で二度美味いから。あるいは三度より何遍でも味わえる旨味があるから。


 播州播磨は日ノ本有数の銀の産出国でもある。中でも有望なのは但馬国と播磨国の国境(現在の兵庫県朝来市生野町)にある生野銀山が思い当たる。

 すでに少量は採掘されているはずだが、本格的な開発はまだのはずである。

 何しろ史実で開発に携わったとされる山名氏は毛利に滅ぼされとっくの昔に退場してしまっていて、その後を継ぐはずの織田信長も背後から牽制されて身動きがとれないでいる。


 つまりまったくの手つかず。天彦の中でぐるぐる何重もの花丸が咲き誇った。


 金香瀬鉱床大谷筋の発見と正確な位置を指示すれば。あるいは灰吹法を正しく伝授させ本格開発に乗り出せば。……これ。これしかない。

 生野銀山には金木・松木・藤木・鞘子といった格有望な鉱床が多く眠っていて、それらの位置は山師に頼らずとも天彦がズバピタで言い当てられた。だって観光で訪れて直に自分の足で地理を網羅しているから。またまたらっきー。


 この瞬間、天彦にははっきりと播磨国攻略の道筋まで見えていた。二度目の旨味である。

 何しろ生野銀山の総産出量は172万キログラムにも及ぶのだ。一時は徳川財閥も支えるほどの。

 銀は金と違って価値ではなく目方(重さ)の単位で価値が量られたが、すると総産出量はざっと48,700貫目となり、銭換算で銭4,770,480貫文となる。

 猶、未来の現代レート換算に直すと576,000,000,000也。江戸に入るとインフレしていて銀貨の価値はこの十倍以上に跳ね上がる。つまり超、ではなく兆……えぐっ!


 これは信長が堺会合衆に供出させた空前の矢銭二万貫(24億円)の実に240倍にも及ぶ膨大な額である。


「のう神屋。南蛮交易など申す危うい投機なんかやめて、身共の神託に銭を出さへんか」

「神託、にございまするか」

「そうや」

「ほう。やはり菊亭様には神仏のご加護がございましたか」


 ヒット!


 釣れたともいう。この時代の神仏は人々の認知にとても近く、けれど反面まさに絶対視に近しい途轍もなく遠い存在でもあった。つまり正しく神であり仏なのだ。


「つい先日、身共の夢枕に霊亀山の化身がお立ちになられた。その神託にお耳さん貸す気はおじゃるか」

「な……! 是非もございませぬ。何卒、我らにご開示くださいませ!」



 くださいませ――!!!



 ちーん。


 天彦の脳裏には長く待ち惚けを食らったもののようやく大好物のグラタンが出来上がったオーブンレンジの音が鳴ったとか鳴らなかったとか。鉱物だけに。


 ここで笑わなければ二度と笑いは起きないだろうギャグを置きに行ってさて。

 いずれにしてもまんまと炸裂。十二名の切実なる懇願の念が半ば絶叫となって大広間に響き渡った。


 この神仏を神仏とも敬わぬ悪巧み界隈の小悪党子狐による悪魔の囁きによって。


「神屋宗湛」

「はっ」

「銭二万貫を支度いたせ。一旦な」

「はっ、神仏の思し召しなれば、何としてでも会合衆にて捻出致しまする」

「ん。そう気張ることもあるまいよ」

「へ」

「近う参れ」


 勝負あった。


 天彦は扇子でちょいちょいと宗湛を呼びつける。

 すごすごと近づいてきた宗湛にもっと寄れ、もっとなんと更に至近に引き寄せて膝の擦り合う距離まで引き寄せると扇子をばさっ。口元を覆い隠してそっと耳打ち。ごにょごにょごにょ。


「……ま、まさか」

「その胸の内に秘めておけるな」

「は、ははっ……!」


 宗湛の目の色は畏怖を通り越し、もはや恐怖の色味に染まっていた。

 はいやりすぎー。

 天彦は少しだけ反省しつつけれど勝利の余韻を噛み締めた。


 そして、


「そや九郎」

「はっ重隆、ここにございまする」

「ん。荷改めで停留させているお船さん、そろそろ解放したってもええんと違うさんやろうかぁ」

「ふはは、ごほん。はっ! では即刻そのように致しましょう。よいな掃部頭」

「がははは、当然にござる」


「ほな、よろしゅうに」


 こうして博多会合衆は上手く売り捌けば三万貫の十倍になるとも言われている銭のタネを回収できた。




 ◇




「菊亭様。お見事にございました」

「そうか。そうでも……、あったかもな。今回ばっかしは」

「凄まじい逆転術。後学のため某にどのようにして銀山の在処を嗅ぎつけたのかその叡智の一端を明かしてはくださりませぬか」

「申した通り神託なん。御狐様がコンって具合に」

「……自らの手で解明せよと。ではそのように致しましょう」

「しつこいのはあかんよ? 家来になるのも。信長さん、あれでかなり根に持つ御方さんやから」

「……善処いたしましょう」


 あ、やば。


 まあいい。一旦は棚に上げて。だがやはり信じてはもらえないよう。

 だが勘繰る仙千代が異例なだけでこの時代、100人いれば99人いやあるいは100人とも天彦の言葉を鵜呑みに信じた。

 ならば千人。それなら一人は疑ってかかるはず。むろん残り一人の疑り深く不信心なお人には、例のおっかない恐怖の大魔王様もいらっしゃるが。


「して銀山。真にございますのでしょうか」

「ある。と申せばご報告差し上げるんか」

「……むろん。それが上意なれば」

「身共がほんの少し待ってと強請ってもか」

「……」


 否がない。即ちそういうことである。

 天彦は小さく頷くと、まるで慈しむように仙千代の手を取りやさしくよしよしと撫でてやるのであった。


「っ……」


 そんな仙千代を尻目に、


「これにて播州は盗れた。久しぶりに皆で茶会でも催そうか。納涼茶会や」

「賛成です!」

「某も朱雀殿に同意にござる」

「激しく同意だりん」

「我らも同意!」


 全会一致で賛同を得たと思ったら。


「なりませぬぞ」

「すぐ水を差すぅ」

「ごほん。それが某のお役目なれば」

「お休みも必要よ?」

「……無用にござる」


 まるでではなく完全に播磨国を手中に収めたトーンで言い張る天彦に、さすがに仙千代の視線は怪訝である。いやむしろ胡乱か。

 だがそれは実は家来たちも同様であった。ほとんど思考を放棄している雪之丞を除けば側近一番手のルカでさえ、かなり怪しげな感情を覗かせている。


 けれどそれはまだ仕えて日の浅い者が多い家中のこと。堂々と疑問を口に出せる者はい……た。いた。


「殿! 某はそのご発言、かなり疑問に思っておりますぞ」

「おまゆう」


 出た! ですっかりお馴染みの三バカ筆頭・三輪三郎公将である。

 こいつは天彦じっじのお気にでなければとっくにボコして放逐していると天彦にさえ言わしめる、ある意味での逸材であった。

 だが心優しい雇用主彦は出来の悪い社員にも心尽くしの説明に務めるのである(棒)。


「おまクビ」

「は……!?」

「冗句ねん。ホンマは本心やけど」

「……!?」

「ごほん。ときに三郎」

「はっ」

「お前さんに問う。なぜ戦が仕舞いにならんと思うんや」

「なぜ。……当たり前にございましょう。抵抗をやめてしまえば攻め盗られること必定なれば是非もなく」

「誰が取る。菊亭が臣従を条件に領地安堵を誓約した土地を」

「殿、それはあまりに専横が過ぎまするぞ。如何な殿でも危うい橋ではござらぬか」

「なぜ危ういんや。お前は信長公を知らなすぎる」

「信長公を……」

「そうや。そして朝廷の欲目を知らん。何より小寺陣営の軍師、黒田家の倅も知らなすぎる。ええか三郎。今後はすべてをわかった上で身共の言葉に意見するように。わかったん」

「わかりませぬ」

「おいて!」


 切れる。さすがに。しばいたろ。てい!


「てい!」

「……何をなさっておいでか。某、痛くも痒くもございませぬが」

「おのれ。だがもうええさん。お前はあとで本気でしばくとして」


 天彦は三郎を眼中から外して皆に意識を切り替えた。

 小寺(黒田)が欲しいのは織田の領地安堵の確約と放免状。そして織田が何よりも欲しているのが上杉に負けない財力である。つまり甲州銀に負けない基幹金銀の産出である。


 はい整いました。


 天彦は145度くらい視線を左右に往復させて、ちょっとだけ得意がって、


「ええかお前さん方も。身共の承知しているかぎり信託の下った銀山の銀総産出量は45,870貫目なん。大事なことなのでもう一遍申す。銀山の銀総産出量は45,870貫目なん。それを土産に矛を治めよと迫るんや。どこの阿呆が首を横に振ると申すん。これで播州が盗れた意味がわかったやろ。――さあどや」



 …………。


 …………。


 …………。



 まあ小寺は精々土地の管理者権限で手数料の5%がいいところだが、それでも無罪放免を勝ち取れれば御の字よりも更に上のはずである。菊亭家は……むふふふふ。やばい鼻血が!


 などとまったく懲りずに盛大なフラグをおっ立てちう彦が、静かに勝利の反応を待つもだが音沙汰なし。手応えどころかまったくのゼロ。虚無。

 むしろぽかんと口をあけて、誰もが目を点にして呆けてしまっているではないか。


 ああそういう。


 状況が理解できた天彦は実にいい(悪い)顔で小さな掌をゆっくりと家来たちに向けてかざした。そして発声と共にそっと指を折っていく。


 5・4・3……、



「え、えええええええええええええええええええええええええ――!」



 大爆発。


 その場に居合わせた者の誰一人として例外のない心の底からの大絶叫が、天彦のカウントダウンよりほんの僅か。コンマ1秒早く、迎賓館大広間控えの間に響き渡るのであった。












【文中補足】

 1、コンコルド現象

 埋没費用サンクコストの存在を惜しむあまり更なる埋没費用を生み出す現象。行動ファイナンスのおける認知バイアスの一種。


 2、単位

 銀の一貫(重量)と銭の一貫(単位)の違いを区別するために、銀を貫目かんめ、銭を貫文かんもんとした。


 銀1貫目=3.75キログラム

 金1両=銀60匁

 銀15匁=銭1,500文(∴1匁=銭100文)銭100文=12,000JPY


 銀の単位 貫かん(目)>匁もんめ(1/1,000貫)>分ふん(1/1,000匁)

 金の単位 両りょう>分ぶ(1/4両)>朱しゅ(1/4分)>疋ひき(1/1,000朱)



前話七点っす。禿げました。キーボード、打つのもけっこうしんどいんすけど。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ