#24 歴史に疎い身共でさえ
永禄十一年(1568)十一月十二日(旧暦)
「お気持ちだけでけっこう。ありがたく頂戴致します」
佐吉も阿呆やない。まぁ知ってるわな。
菊亭家がそうでなくとも伝奏を琵琶とすることを。闘争を生業とする血の気の多い武家などと面と向かえるはずもなく。
だが佐吉の心のこもったお辞儀で場が冷めた。鳴門の渦潮よりも素早く潮目が変わったわけではないが、言葉にするなら予定調和。きっとこんな四文字が天彦の脳裏をそっと過ったことだろう。
今の菊亭家にできることなど限られている。そして近江の土豪への報復はそのできることに含まれない。
これが事実、これが現実。あるいはお子ちゃま一座のちょっとした演目。
天彦は小さな拳をきつく握り込み、湧き上がる口惜しさを隠さず佐吉をじっと見つめる。
「いずれな、いずれ」
「はい。我ら菊亭一門一党、殿が必ずや見せてくれるであろう遥か先を共に見られるよう精進してまいります」
「そうか、そうやな。こんな不甲斐ない主で堪忍やで」
「滅相もございませぬ。不肖石田佐吉、これほど心地よき感情を知りませぬ。よもや生涯忘れることなどございましょうや。感謝こそすれ詫びなど微塵も無用にございます。殿、忝うござる」
仕舞うには絶好の空気が流れる中、
「なんてゆうと思ったか! こんな仕舞い方、普通過ぎてあり得へん。これはあくまで現実や。人が暮らし、懸命に生き、儚く死んでいく現実世界や。そんな都合のいい話あるかいな」
「え」
「え、やない。佐吉」
「は、はっ」
天彦は立ち上がり、然も嘲笑うかのような悪い笑顔を浮かべて言う。悪役顔ができているかかどうかはあくまで主観で。
「何を甘っちょろいことゆうとんねん。貴族なんてもんは上(摂関家及び朝廷権威すべて)に遜り、そして下(将軍を筆頭とした武家)に強請る生きもんや。言葉なんぞ信じるな。約束なんかに耳を貸すな。要するに佐吉、おまえは家来の報復もようせん菊亭天彦という頼りない船頭が操る泥船に乗ったんやで」
佐吉は大方の予想通り固まってしまった。理解が大きく超えてしまうと全機能を停止させてしまういつもの佐吉である。
ところが今朝の佐吉は一味違った。言葉は失っていなかった。失ったのは、いや捨て去ったのはこれまでの自分。何事も型に御落とし込み杓子定規で計ってしまう過去の自分を捨て去ったのだ。
「泥船に乗るのはカチカチ山のタヌキです! 殿さまは違う。殿さまは五山の化けキツネでござる」
「「「「…………。」」」」
ぽかーん。天彦はもちろん、雪之丞とラウラはよもやの反論に驚嘆の間抜け面を曝す。あの佐吉が。
この場で冷静なのは佐吉の為人を知らない是知だが、彼は彼の別ロジックで可怪しな表情をして固まっていた。
「おきつね様か」
「はい」
佐吉の肯定にすると天彦はふと懐かしみを感じた。おきつね様。そんな風に親しみを込めて佐吉から呼ばれていた過去がある。たしかにそう呼ばれていた時期もあったと思い出し、思わず可笑し味があふれ出てしまった。
ややあって、この何とも言えない空気感を打開したのはやはり雪之丞、
「この頓智合戦、佐吉の勝ちや! 若とのさん、一本取られたで」
「阿保言うな、あの茶々丸にさえ参ったせんかったこの身共が、佐吉なんかに遅れを取るか」
「負け惜しみがきついだけやろ」
「あ、いいおった」
「だ、だって負けてるやん。だって若とのさん、いま“あっ”て顔して笑わはったもん」
「してへ……、さよか」
雪之丞の応援込みで佐吉に一本あり。天彦は抗う素振りを見せただけで即座に撤退、真っ白な扇を広げた。
「石田佐吉、天晴れであった。取らせて遣わす」
「はは。ありがたき幸せに存じ奉りまする」
「若とのさん、某には」
「お雪ちゃんは寝返ったから、新しい主君にもらい」
「そんなぁ」
絶対に渡さないと佐吉がきつく握る下賜品は天彦愛用の扇である。特に名のある扇子職人に作らせた品ではないので商品価値は微妙だが、普段使いしているぶん味だけは存分にあった。
それはそれ。天彦、負けっぱなしも癪に障る。
「佐吉、一つええか」
「はい」
「菊亭の一門一党とは誰のことや」
「むろん某を含めたこの場の四名です」
「この場の四人を指す言葉にしては少々主語がでかないか。未だ上昇途上やといえども栄えある半家の名門やで」
「いいえ、某はけっしてそうは思いませぬ。この四名がすぐにでも八人、八人が十六人と発展していき、やがて一門はこの京の町を席巻することは必定。その勢い昇竜の如く、いずれ日の本中に勇名を轟かせることでございましょう」
この面子で勇名? 絶対そうはならんやろ。百年たっても不可能や。
だが佐吉、ええ子や。身共、あかんたれや。
なにせ名を轟かせる気が一ミリもないのだから。
だから天彦は泣き笑いの顔をしつつもせめて胸だけは逸らして張った。
他方佐吉。本人は気付けなかったが佐吉の表情がぐんと一気に大人びていた。そして口調もやや変化していて、目性などは完全に別人のそれとなっていた。
いつ大人になったかと問われれば、佐吉はこの日この瞬間を思い起こすであろう佐吉にとっての大いなる転換点となる出来事となっていた。
あまりにしんみりとしすぎたからか、あるいは絶好の機会と捉えたのか。ラウラが湿っぽい空気に風を差し込む。
「荘園奪還、大銀主吉田殿と交わした収入源の軸の確保、唯一無二である盟友亜将様との和解、当家第三の家来の面目を取り返すこと、菊御料人対策、悪徳高利貸し徳蔵屋の成敗、有為の人材登用、本家からの独立、昇殿の聴しを賜るつまり官位官職を賜る、姉御前撫子姫の御降家先の調査、いやそもそも知ること、そして何よりラウラを正式な家令とすることと、ラウラ提案の海底エルドラドの捜索は未解決! 例えただけでこの体たらく。どの伏線も何一つとして回収されておりません」
うん、ほとんど正しい。
はて、伏線ってなんやろ。どんな味、美味しいんやろか。不味いんやろか。
「返す言葉も……、あり過ぎるやろがいっ!」
「居直りおったぞ、こいつ」
「あ」
「失敬、致しましでございます」
「其許、感情昂った真似して、ちょいちょい一線踏み越えてくのなんや。なんのつもりや」
「申し訳ございません。けして真似では」
「まあええわ。一歩譲って概ね認めたとして、なにしれっと己を第一の家来に据えとんねん。特に最後の二つはなんじゃい。せんぞ家令には。探さんぞ財宝積んだ沈没船は」
「うわ、出たっ。佐吉訊いたな。この名門家、とっとと見限るが吉である。言葉に違わぬ泥船だ。我らと共に参ろうぞ」
佐吉は一考に値しないとばかり被りを振って拒絶した。
佐吉、ええ子や。
「ラウラ。一つええこと教えといたろ。ええか我ら名門がなぜ名門なのか。それはな、生きる術を知っているからや」
「ほう。実に頼もしい。それが天彦さんの言葉であれば更に良き。はて、いずこの金言でござりましょうや」
「身共や」
「はっ笑わせる。お前なわけないやろ」
「あ」
「ごほん、天彦さんなわけがございません。賭けてもいいです。有り金すべて」
「いくらや」
「……二百文少々、です。恥をかかせたいので」
「誤解や。ほんまに悪気はなかった」
「それでご回答は如何か」
ここで勝ち誇ると途轍もない何かが跳ね返ってきそうでこわい。やめとこ。
「じっじや。左丞相さんや。勘がよすぎておもんないこっちゃ」
「ほら。それで正解のご褒美は頂けますので」
「ふん。何がご褒美や。まあええわ、甘いサルベージ船でも浚いに行こか」
「ははは、剛毅なことで。お供しましょう」
ラウラの賛同を合図に四人で下京へ気晴らしに繰り出すことにした。
◇◆◇
永禄十一年(1568)十一月十二日(旧暦)下京
その足で流行の茶屋に向かうと、「ご機嫌麗しく、菊亭の俊英殿」。
天彦は問答無用の笑顔で拉致されてしまう。
惟任日向守十兵衛。天彦に負けず劣らず作り笑顔の下手くそな御仁であった。
天彦は条件反射的に、茶々丸はどない――と、言いかけてやめる。
心配しているとて何だ。境遇を気にかけているとて何だというのだ。自分は親友を売った。その事実の前にはすべてが偽善に等しい。偽善はお為ごかしの次に忌み嫌う悪徳ではないか。
己をきつく律して家人と向き合う。
「お雪ちゃん、上手いこと捌いといて」
「はい」(亜将さん来たら知りませんよ)
「頼んだで」
「承りました。お気をつけて」(厭に決まってますやん。知りませんからね)
雪之丞と視線を幾度か応酬させてから首謀者を横目に捉えて目線を預けた。
「いずこへ。身共、目下謹慎中の身の上で」
「謹慎中とな。これは異なことを」
「建前社会の生きづらいこと」
「心中、お察しいたす」
普通に街中。普通に茶店。洛中でさえない異なことであった。
「是非お越し下され。あばら家でございますが我が家がすぐそこにござる」
「ではお言葉に甘えて」
何かある。でなければ京都奉行御自ら自分を探しているはずがない。
天彦は偶然の出会いではないことを確信していた。周囲のご家来衆のほとほと安堵した表情や雰囲気から察して。
二条惟任邸に足を向ける前に、是非ともやり残したことがあった。
天彦は顎をツンっと上げて敢えて下目遣いの視線態勢を作り上げて言う。
「帯刀、武士に二言はあったなぁ」
「……ご無礼、仕った」
「こうして身共に命があってよかったこっちゃ」
「ご健勝、祈願しており申した」
来んかった。火事の報せにも、夜襲の応援にも応じず全ぶっち。
「帯刀」
「はっ、御前におりまする」
「哀しみに沈むときは沈黙と酒がいるそうや。飲める年になったら付きおうてくれるやろか」
「っ……!」
天彦は言外に不義理を許した。飲める年頃とは即ち元服を意味し、付き合って欲しいという打診こそが赦しの言葉そのものである。
隠された意図を読み解いた帯刀則家は、天彦の度量の大きさに感服したのか平身低頭謝意を示して許しを請うた。
だが仮に居直られたところで、何かを問い詰められるはずもなく。そもそも出逢いからして子供を試すような人物だ。程度がいいとは思っていない。
「汗顔の極み。面目次第もございません」
「お互い甲斐は鬼門やな」
「はっ、いえ、滅相もござらん」
「錦馬超。またいずれそう呼べる日が来るとええな」
「はっ」
そういうこと。この時代の二君臣従は責められない。二律背反とは少々中身が違っている。
現状、武田軍はまだ最強の一角を驀進中。今川も健在であれば織田家中での評価も同様に高いはずである。何しろ殿様自ら献上品を差し出して盆暮れごとにご機嫌伺いしているくらいなのだから。
つまり帯刀則家は術中に嵌った。接近した者すべてが把握されていて、小物ほど脅しがきついのだろう。容易に想像ができた。
なにしろ武田の諜報技術はこと人海戦術に限れば、すでに現代でも通用するレベルにも達していた。
二条武衞邸近辺・惟任屋敷についた。
かなり大きく立派なお屋敷。今出川殿と比べれば霞んでしまうがそれでも十分立派なお武家屋敷であった。お邪魔します。
家人に出迎えられ客間へと向かう。おう、むちゃきゃわロリやん。
あれが噂のお玉ちゃんか。天彦の視線的には並んでお辞儀する奥方も目に付いたが、先ずは超有名人のロリ形態に反応しておく。
「菊亭の俊英殿、こちらが我が室にて。煕子、こちらが名門清華家今出川の御長子、菊亭天彦様にあらせられる」
天彦は直言を許す。
「ご紹介に預かりました日向守奥の煕子にございます。本日はようこそおいでくださいました。家人を代表し、厚く御礼申し上げます」
「もうちあげましゅ」
奥方の歓迎の言葉につづくように躾けられていたのだろう、玉姫の文言は枯れた天彦の心に何かを注ぎ込むのだった。
な、わけあるかい。あざとすぎるやろ。
「くるしゅうない。と偉そうぶるのは性にあわん。地でええやろか」
「はい。存分に御振舞いくださいませ」
「おおきに。急な来訪にもかかわらずご丁寧に。えらいすんませんな」
「滅相もございません。ただちに茶を用意いたします。ごゆるりとお寛ぎくださいませ」
「くだちゃい、まちぇ」
そっちの噛みかたの方がむずいやろがいっ。
お玉に脳内ツッコミを入れる時点ですでに術中なのだが、天彦はそれを承知で儀式に臨んでから改めて惟任と向き合う。
「愚妻がお恥ずかしいところをお見せ致した」
「ほんなら、もう少し恥ずかしがってもよろしいのでは」
「いや愛妻にて。どこに出しても恥ずかしくはござらん」
「そやろうね。あ、いや、でしょうな。それで用向きは如何なる」
「さすがの御慧眼。お察しがよろしい。実は某、困りごとが出来してござる」
曰く、惟任日向守は噂(悪風)に参っていた。裏が取れないので言い分を鵜呑みにすると、何やら門跡の料地を自分が押領したことにされているらしい。
それだけならまだいいがそのことを危惧した帝が遣いを立てて真偽を問うたから惟任はこの通り大いに焦っているらしい。
お遣いが武家伝奏ではなかったことがせめてもの救いだが、勾当内侍でもプレッシャーには十分だったことだろう。勾当内侍は役人なれど実質帝の妃。応接如何ではすべての公家を敵に回す。それは如何な武家といえども歓迎はできないはずである。
瞬時に状況が飲み込めた天彦だったが、反面。これはもしや比叡山・日吉闘争の序章ではないのかと恐れおののく。
たとえ違っても可能性が全クリされないかぎり、天彦の警戒心は厭が応でも高まるばかり。
関わりたくない。近づきたくない。もっと言うなら知りたくさえない。今すぐ耳をふさぎたい。
なにしろ門衆とは歴史上類を見ないほどの残虐な死闘を繰り広げるのだから。
歴史に疎い天彦でさえ、織田勢と寺社勢との軋轢は知っている。
すーはー。大きく息を吸い込んで吐く。
「なるほど」
「顔色が悪いようですが」
「心配には及びません。して、これっぽっちも真実は含まれていないと」
「氏神に御誓い申し上げて」
「ウソは地球を半周する。真実が袴を履いているうちに。そういうことですな」
「……細部の意味までは承知しかねる。が、妙な得心はいく。つまり的を射ているということなり。さすがの文才でござるな、菊亭の俊英殿」
「あ、はい。畏れ多いことでございます」
「俊英殿、ずいぶんと物言い難いご様子なれば、拙者に遠慮はご無用。忌憚なく申されるがよいぞ」
ではお言葉に甘えて。
「ほな、遠慮なく」
「それで結構。してその答えは」
「虚には虚で応じる、これ兵法の基礎中の基なり」
「寡聞にして存じ上げぬが、即ち更に別の嘘で吹き飛ばしてしまえと仰せか」
「それもある。けどこの場合は寺社の訴えが要点や。ほんならそれどころではなくしたったらええんや」
「叡山の思惑を外せと仰せか」
「ここまでやな。さて惟任日向守さん。この依頼、身共に発注するか否か。なんぼや報酬。今決めたら負けとくで」
「では二、いや三千貫。成功裏に収まった暁にはお礼としてお納めいたしましょう」
「三千五百で請けた」
「負けるとは」
「勝ちやろ。それに五百貫、京都を預かるお奉行さんには誤差と一緒や」
「敵いませんな。ではその通りに」
天彦は右手を差し出した。惟任日向守は一瞬躊躇ってお辞儀で応接した。
なんでやねん。
そういうとこやで明智。
むしろこの作法を自然と受け入れる菊亭家家来たちの方が異常なのだが、それはこの際。
アナスタシア、久しぶりの出番やで。天彦は空ぶった小さな掌をぐーぱー、誰に咎められてもいないのに罰悪そうに誤魔化すのだった。
タイミングを見計らい奥方が茶を運び込んだ。急須が煙をくゆらす。
光秀正室煕子に手ずからお茶を点てられ、粗茶ですがと差し出される。
粗末な茶を出すなと純粋京都人ではない天彦は脳内憤慨するというお約束を経て、
「お点前、お見事」
じっくり味わえるわけもない。だが天彦は心にもない上手を言って惟任邸を後にした。
【文中補足】
1、惟任(明智)日向守十兵衛光秀
天正三年(1575)、明智光秀は織田信長から惟任苗を拝命された説が有力とされている。だが本文ではもっと以前に将軍もしくは朝廷から命名恩賜された説を採用しているため、永禄時点でも惟任苗は周知されている。
なぜなら文中にもあるように光秀はこの頃既に京都二条界隈に大邸宅を所有していたからだ。猶500人の兵が宿泊できる規模なので大でよいはず。
将軍のお膝元に邸宅を構えるとは即ち幕閣もしくは奉公衆(幕府官職のひとつ・将軍直属の軍事部隊)くらいしかあり得ず、光秀はその地位にはあったのだろうと考察される。また当時の将軍の懐具合から勘案すると形無きご褒美でしか奉公に報いることはできなかったはずである。
2、御扱い(御扱)
武家伝奏を遣わすと一方通行の決定事項通告となってしまうため、万一齟齬があった場合双方共に大事になってしまう。
その事態を避けるため宮廷女房が代役を務めた。このように女性ばかりで構成される宮廷女房衆は奥向きの用事だけでなく、外交官も務める歴とした朝廷の官僚集団であった。
3、門跡
門跡とは朝家や公家の子弟が門主を務める特定の寺院を指し、この場合は比叡山延暦寺門系寺院領を意味する。
4、勾当内侍(内待の第一位)
参議簿・橘以緒の娘、好子。権大納言高倉永家の養女。この頃、勾当内侍には高倉家からしか輩出されていないため慣例的に養女として送り出されている。
5、三千五百貫
=420,000,000円(JPY)




