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雅楽伝奏、の家の人  作者: 喜楽もこ
十四章 生生流転の章(余談編)
236/314

#10 あの日の夕日とこれからの朝

 



 元亀元年(1570)八月五日






 足利将軍家は善きにつけ悪しきにつけ室町時代の肝であり華であった。


 だが時代は足利から織田へ。あるいは関東から睨みを利かせる上杉との巨頭政治へと移行するのかもしれないが。

 いずれにせよ一時代は確実に終わりを迎え、室町から元亀へ。新時代の息吹をすぐそこに感じられるそんな頃。


 公家町は静まり返っていた。


 誰も彼もが門戸をがっちりと閉じ、じっと息を凝らして気配を窺がう。

 あるいは風がどちら側から吹いてくるのか。はたまた吹く風は追い風なのか向かい風なのか。誰もが神妙な面持ちで政局を見極めようと懸命に息を凝らして動静を窺がう。これぞ公家町の風物詩であった。


 あるいは利権絡みの区切りには付き物の定理とも言うが、いずれにせよ物事の終わりには必ず総括が必要としたもの。

 それは如何なる階層・方面(団体)にも普遍的に投げかけられる命題であり、人の営む倫理体系にある以上、政を預かる朝廷に措いても例外なく同様に逃れられない定理であった。


 そして朝廷機構はともすると政を預かるからこそより厳密に徹底的に、是々非々の総括を行わなければならなかった。

 だがこの総括は未来に向けた意義ある展望などではない。もっと後ろめたく後ろ暗い、どろどろとした血生臭いだけの帰着点に対する仕方なしの大掃除なのである。


 その日は大粒の雨が降る。誰かの慟哭と悲哀に満ちた大粒の涙雨が。


 だが必ず決行される。それが朝廷という組織全体あるいは組織その物を生き永らえさせる唯一にして絶対の有効手だと知っているから。利権云々とはまったく別次元の組織全体を包括する生存戦略の一環として。

 あるいはこれこそ朝廷という武力に支えられなければ存続できないくせに独自の武力を持たない道を選んで歩む一機構の、代々脈々と継承されてきた経験則に基づく絶対則であったのだろう。


 即ち粛清の日は遠くない。


 こうまでドラスティックな変革を求められる事例は長い歴史の中でも滅多となく、裏を返せば織田家の意向は絶対であった。

 だがけっして230年続いた室町時代が長すぎたせいではない。織田は貴種を軽んじた。その一言に尽きるだろう。


 織田信長は、家名を、延いては権威を、あるいは文化そのものを。

 まるでお祭りの風物詩である綿飴をコットンキャンディと呼ぶが如く軽々に軽んじたのである。その方がキャッチーで目新しいからという理由のみで。あるいは自身の劣等感という名の飽くなき飢餓感を満たす手段として。


「父御前。いずこに向かっておじゃりまする」

「政局のせの字もわからぬ青二才さんは黙して従っておじゃればよろし」



 …………。



 そしてその朝廷という国権の最大利権機構を支え、運営するのが公家町に暮らす貴族であり公卿である。

 むろん戦国乱世である。字義通り総括するなどという生易しい応対はない。

 しかも総括を求めるのは戦国乱世の梟雄、織田信長。総括には必ず流血を伴った。それも大量の。

 言葉を飾らず言うなら粛清要求である。勝者により絶対的なる敗者の淘汰が始まるのである。


 牛車内の親子もその政局に巻き込まれた当事者であった。

 父を光康といい、子を光宣といった。言わずと知れた名門烏丸家の当主と嫡男である。天彦の生家今出川家のお隣さんの。


 その彼ら、あるいは自らずっぽしと足を踏み入れているのかもしれないが、いずれにせよこの難局を果たしてどのように乗り切るのか。その思いで懸命なのだろう。

 親と子の温度差は多少違えど、そんな重苦しくも切実な悲壮感漂う車中であった。


 勝者総取り。これは戦国の常識である。

 問題はその勝者である。

 なぜならこの勝敗判定が実に微妙な判定に終わったため、公家町は鳴りを潜めているのである。あるいは粛清という名の総括さえも一旦棚上げとされていた。


 なぜなら織田魔王軍論功行賞軍略一等である菊亭の、若き当主がとんでもないオイタをしでかし追放されてしまったから。

 本来なら宮廷は菊亭色で染まるはずであった。足利将軍家に全賭けオールインしていた烏丸家はどうにかその伝手で生き残る手段を模索していた。


 ところがその伝手は根元からぶつりと断ち切られてしまった。

 業腹だがならば已む無し。

 烏丸親子は新たな伝手を求めて生き残り策を張り巡らせている最中であった。


「天彦さん。ほんまに変わらはらへんわ」

「待たれ尚書。軽々にその禁句をつぶやくものではない」

「朋友の名が禁句におじゃりまするか」

「そうお申しさんにおじゃります」


 決然と言いきられ、光宣は返す言葉を失ってしまう。


「……麻呂の迂闊におじゃりました」

「尚書はいまだお覚悟さんが定まっておじゃらぬご様子。そんなことでは烏丸家の先も危うくおじゃりまするぞ」

「覚悟はとうに定まっておじゃりまする」

「なればよろしい。お黙りあれ」

「はい」


 実父の権中納言に、自身の官職である左大弁(太政官)を唐名で呼ばれ冷たく叱責されてしまった光宣は、反省の意を浮かべるでもなくしゅんと項垂れるでもなく。

 ただ黙して車窓にじっと視線を預けるのだった。その虚無を思わせる双眸で。



 天彦……。



 勝者筆頭であるはずの親友ずっトモは報酬どころか己のどころか一族一門一党すべての人生を棒に振ってでも義理に生きた。あるいは殉じたのかもしれないが、即ち勝敗の立場にかかわらずどちら側の陣営にとっても非常に繊細な難局を押し付けてどこかへと消え去ってしまったのだ。



 難儀なお人や。ほんまに……。



 誰を思ったのか思わなかったのか。

 光宣の虚無だった漆黒の双眸に薄っすら色味が差し込んだ。


「ときに尚書、室は如何しておじゃる」

「さあ」

「さあとは」

「言葉通りわかりませぬ。てんで姿を見ませぬので」

「お前さんの室におじゃろう」

「はい」

「……まさか離縁されたのか」

「そのようなことは存じませぬが、何やら九州に参るとか。風の噂で耳にしておじゃりまする」

「なっ……、と、止めなんだのか」


 言葉の乱れも気づかないほど気を動顛させている風の父光康の言葉に、光宣はまるですべてを承知していると言わんばかりの虚しい気配を纏って、


「御止めする義理がおじゃりましょうや」


 実に空々しく言い放つのであった。問いかけるテイはきっちり守って。


 それはある。義理どころかそれが夫婦の形だから。ましてや烏丸は貴族。風聞や体面を始めとした身の振り方への影響が大いにある。普通なら。

 だが室の下向が誰かの描いた絵ならどうだ。阿呆らしくて付き合っていられない。それが正直な感情ではなかろうか。

 あるいは仕組んだ父を恨み殺意すら芽生えても可怪しくはないだろう。おそらくきっと。


 光宣にはそんな確信があった。確かな裏付けやエビデンスはない。

 すべては状況証拠と自身の直感だけである。だがこの父ならやる。その直感だけで十分であった。


 だが夫婦仲を察した風の光康はそれ以上の追及をやめた。

 そしてどこか突き放すように「お好きにされるがよろしいさん」と匙を投げたと伝わる口調でつぶやくのであった。


 己が描いた絵やろが。このクソジジイめ。


 生粋の公家であり中でも詩を愛するお上品な光宣はけっしてこのような言葉は口にしない。だがそうと思わせる反骨の瞳でじっと父御前光康を見つめるのであった。




 ◇




 足利将軍家に振り回され人生を棒に振った者は多い。


 特に公家には多くいて、上は関白近衛殿下を筆頭に、下は泡沫貴族まで数え上げればきりがないほど足利家の浮き沈みに連鎖して目下、右往左往させられていた。


 そんな不遇な者の中には足利家にも、此度の勝者である菊亭家にも、どちらからもとばっちりを食うという悲惨なお家があった。

 単に足利家との絡みだけなら死罪か追放の二択であり話は早い。すでに逃走を図っている者も少なくない程、実にお沙汰は明快であった。

 ところがそこに菊亭家が絡むと話は実に複雑ややこしくなった。

 彼の家は大罪人であるのと同時に大戦果を挙げた勲一等の大殊勲者でもあったのだ。

 その事実は京の内外に広く喧伝されていて、戦に関して菊亭の知恵働きを疑う者はいなかった。それは織田家にも内裏も同様に。


 よって菊亭絡みは腫れ物であった。なぜならいつ織田の許しが下されるともわからないから。

 天彦の菊亭家は朝家の直臣である。故に菊亭の罪は帝しか問えない。よって形式に則って天彦の罪は帝が責めた。あくまで織田の意向に則り。

 そのテイを知るからこそ勝者側の公家たちは天彦絡み即ち菊亭印の付いた家の沙汰には慎重を期した。つまり放置を選択したのだ。


 しかしそれでは食えない。それは緩やかな死罪と同義であった。何しろ彼らの多くあるいはほとんどが銭儲けに疎い浮世人。貧乏貴族ばかりなのだから。

 ともすると清貧こそが伝奏の神髄であり、家業伝奏に従事する生粋の貴種の姿であろう。だが食えねば死にゆく。それでは本末転倒なのである。


 烏丸家もその悲惨なお家の代表格であり、本来なら沙汰が下されているだろうこの頃でも菊亭絡みの烙印を押されているばっかりに、下手な判断を下せないという理由から、宙ぶらりんを余儀なくされていた。


 そんな不遇の烏丸家の嫡男光宣がどこか遠い目をして亡羊と車窓の外を眺めていると、


「ん……?」

「如何なさった」

「父御前、牛車を止める許可をくだされ」

「む」


 光康は光宣が言って指さす方を見やる。

 するとそこには公家町にはあまり似つかわしくない光景があった。

 煌びやかな衣装を着こんだ、実に見栄えのする騎馬の隊列があったのだ。


 隊列の先を行く者に心当たりがある光康でなくとも、その人物率いる隊列が武家でないことは一目瞭然であった。

 なぜなら隊列が放つ威風には、武家ではけっして備えることのできない優美な品格が備わっていたから。

 中でも特に先頭を行く美丈夫は、これから戦に向かうとはとても思えない気品にあふれた雅な佇まいで闊歩していたのである。


「亜将さん」

「近衛中将さん」


 そう。従四位下近衛中将・西園寺実益(通称・亜将)であった。


「これ尚書、どこに――」


 次の瞬間、光宣は車外に飛び出していた。


 ぜぇはぁ、ぜぇはぁ。


 人目も憚らず着衣を乱し、息せききってまるで童心に帰ったかのように駆けだして、


「亜将――!」


 どこにそんな大声が。といった風な大音量を発して騎馬の隊列を呼び止めた。


「何者」

「よい」


 呼び捨てとは聞き捨てならん。西園寺家の家来衆がにわかに殺気立つも、当の本人はそれを一蹴。むしろ当然とばかり柔和な笑みを浮かべて向ける。


「ぜぇぜぇぜぇ……、しばらくお待ちを」

「相分かった。鞍上にて応接する御無礼を許されよ」

「はい。ええさんよ。はぁはぁはぁ」

「おい。左大弁殿に水をお出しいたせ」

「はっ」


 ごきゅんごきゅんごくり、ぷはー。


 生き返った。光宣は大袈裟に命の蘇りを演出して場の空気を和ませた。


「ほう。しばらく見ぬ内に達者になられたな」

「亜将さん、願わくはいつも通りに御願い奉りまする」

「さよか。ならばその通りに致そう」

「はい。ありがたき幸せにおじゃりまする」


 目下訳あって出世が保留されているとはいえ家格は雲泥の差。

 太政官左大弁とはいえ大臣家の烏丸ごときに呼び捨てに侮られる謂れはない。

 そんな明らかに殺伐とした雰囲気が支配する自身の周囲を、演技ひとつで一遍に覆し霧散させた級友の手腕にはさすがの実益も舌を巻いた。


「して光宣、如何なる要件であろう」

「はい。いくつかお尋ねしたい義がおじゃります」

「一つに致せ」

「うふふ」

「何が可笑しい」

「だって。亜将さんとあろうお方さんが、あまりに吝嗇臭うおじゃりまする。それではまるで紅葉の御紋の御方さんではおじゃりませぬか」

「あははは、確かに! うむ冗談てんごうじゃ。麿と其方の間柄である。何なりと申すがよいぞ」

「では遠慮なく」


 光宣は鞍上から向けられつづけるたくさんの剣呑な視線に晒されつつ、けれど言葉を飾らず言い放った。


「一族の命運を託し国まで捧げ、挙句信じた共に愚かにも裏切られた憐れなご気分は如何なるものにおじゃりましょうや」


 ――と。


 空気が凍る。凍るなどという生易しいものではない。

 次々に鯉口が切られる金摺り音が聞こえ、瞬く間に視界は怪しく鈍い輝きを放つ銀色で埋め尽くされる。


 だが光宣は怯まない。動じない。揺るがない。飄々とした相貌で視線を上目使いに真っ直ぐと実益に向けて答えを待った。


「ふむ。大前提が間違えておるな」

「……と、申されますると」


 そして問われた側の実益も何食わぬ顔で応じて見せる。

 この応答が級友の命運を左右するであろう問答であると察しながら。いや察したからこそ自然体を意識したのか。

 持ち前のどこか居丈高な態度を滲ませ、ほんの一瞬考えこむ仕草を見せると、


「あれが文を寄越しおってな」

「文を。差し支えなければ」

「そう慌てるな。慌てずとも訊かせて進ぜる」

「は、はい」

「長々と欠伸が出るほど詫びておった。要約すれば文面は謝罪であろうの」

「……詫びたからお許しになられますと」

「ふん。慌てるなと申したであろう」

「随分と焦らしまする。それではまるでどこぞの性悪狐……失敬、どうぞ」

「くくく、そして文面の最後に、対価を支払うから取りに参れとあった」

「対価を支払う。……伊予の対価におじゃりまするな」

「で、あろうの。何故ならあれは申すに事欠き麿に西国の王になれと申しおったからの」

「……お、王に」


 むろん帝を差し置いての話ではないことは承知している。

 物の例え。それが征夷大将軍でも鎮西将軍でも大差ない例え。

 あれで天彦は帝の絶対信者なのである。それはこの場の二人ともに十二分に承知している。


 ならば。


「織田を裏切る」

「それとも違うように思うがな。あれは婚約反故を公言しておらぬ」

「……!」

「気付いたか。麿もそう思う。童のころ頻りに申しておったアレじゃとな」

「大陸に纏わる国家三分の計におじゃりまするな」

「で、あろうの。あの阿呆は九州を分捕る心算であろう」

「あるいは西国も」

「かもな。なれば帝に返上した上で麿を神輿に担ぐ算段であろう」

「何と危うい。ですが亜将さんは危険を御承知で」

「うむ。乗ってやる。家来が寄越すというものを、受け取らずして主家の当主が務まるまいよ。はは、あははは」


 愉快、愉快。


 伊予一国が西国すべてに化けおった。


 実益はなるほど快男児の豪快さを見せ、この前代未聞の大出来を大笑いに笑い飛ばした。


 菊亭が家来なら西園寺が主家なのも納得の馬鹿さ加減に、光宣は言葉を失う。

 それもそのはず。

 西園寺は親織田の筆頭格。一国を失ったとはいえ公卿としての出世栄達は約束されたのも同然なのだ。その好条件を捨ててまで危険に身を置く意味が理解できない。ならばこそのこの家来にしてこの主君ありなのだろう。


 が、まさにその瞬間。かちり。

 光宣の中で何かが合致した気がした。あくまでも気がしただけ。

 なのに、


「麻呂もその御下向に同行したく存じまする」

「ほう」


 気付けばすべてを投げ打つ覚悟の言葉を告げていた。下手をすれば逆賊にもなりかねない危険な旅路を。共に参ると。身命を賭して。

 少なくとも実益の耳には確とそう届いていた。童心に帰ってこの馬鹿馬鹿しい策に付き合ってやると聞こえていた。


 実益は疑う素振りも止める素振りも見せずに即応して、


「其の方が同心いたすならこれほど心強いことがあろうか。ではともに参ろう。かつてのように」

「はい。かつてのように」


 実益は右手を差し出しがっちりと握り返された手を「わっ!」光宣の身体ごと強引に引き寄せタンデムに跨がせるのであった。


「参るぞ」



 応――ッ!



 実益は内心でこの調子ならとほくそ笑む。策を弄さずとも派手に闊歩すればそれだけであとニ・三匹は大物が釣れそうだと。


 天彦譲りの実にいい(悪い)顔で嗤いながら、公家町を行くのであった。






 ◇◆◇






 元亀元年(1570)八月十日






 堺津・問屋街のその一角。旅籠とも呼べぬ豪華な宿が立ち並ぶ新界隈。


 菊池家を主家と仰ぐ村上海賊の郎党たちが身を寄せる仮宿には、たいそう美しい中庭が拵えてあった。

 野蛮極まりない海賊にもこの風情が理解できるのか。ふとそんな自嘲の揶揄が思い浮かんでしまう光景を前に海賊たちの頭領である武吉は、おおよその評判と見たままの風体に似つかわしくない理知的かつ深刻な面持ちで、眼前に広がる美しい庭園を見つめていた。


 野島村上を起源とする武吉は無類の侍と称されるほどの武人であるが反面、瀬戸内に帆別銭徴収の仕組みを構築したり、一方では祖父の義理を返すという義に順ずる一面も持っていて一言に武辺者と語れない面白みに溢れた人物であった。


 と、そこに、


「父上、お呼びに参じましてございます」

「うむ元吉。近う寄れ」

「はっ」


 嫡男の元吉は膝立ちですりすりと、父の言いつけに従い近づいた。


「さて早速じゃが元吉よ。この情勢を何と読む」


 武吉は不躾に、けれど海賊王としての威風を纏って問いかける。

 そのあまりの脈略のなさに嫡男元吉は呆れるが、すぐさま居住まいを正し言葉を発した。


「忌憚なく申さば危ういかと」

「……其方もそう思うか」

「はい」


 何がとは訊き返されない父の勘の良さに、さすがは一党を纏める頭領であると感心する。

 村上は欲を出さなかった。織田に四国を纏めると言われても一国支配で十分であると辞退したのだ。そのときの信長の反応を指しての、この問答であった。


「四国は元親支配に決まりであろうの」

「はい。織田様が御認めになられた以上、もはや長曾我部殿の権勢に揺るぎはなきもんかと存じまする」

「面白くないの」

「たしかに愉快ではございませぬ」


 織田は長曾我部を四国奉行に据える心算である。四国界隈では専らその噂で持ちきりであった。


 その長曾我部氏とは犬猿の仲。織田家の意向がある現在は鳴りを潜めているだろうが、いずれ難癖をつけてこられるのは火を見るよりも明らかであった。

 そのときに対抗できるのか。できない。国力差が圧倒的に開いていた。


「ならば如何する。坐して滅びのときを待つか。それとも……」

「父上、某に一つ妙案がございます」

「申せ」

「はっ。某、能島村上の頭領として紅葉の御紋に下りたく存じまする」

「……主家の主家を頼るか。悪うないな」


 現状は果てしない落ち目。だが菊亭の凋落など誰も信じない。

 何しろ当主は言葉一つで国を生かしも亡ぼしもする五山の化け狐なのだから。


「若様にお伺いを立ててからとなるが、決まれば其の方、参ってくれるか」

「はい。是非もございませぬ! 予てから某に村上の御旗は幾分荷が重いと思うてございました」

「済まぬ。許せよ」


 能島村上家にはもう一人、影親という一つ違いの息子がいた。

 しかもこの影親。海賊受けすることこの上ない実に気風のよい海の漢だったのである。言い換えるなら武辺の寄った極めて感覚頼りのDQNである。

 海賊衆人気は申し分なく抜群であった。ともすると兄である元吉などよりもよほど。


「太郎には苦労をかける」

「ならば某。本日より太郎を返上し九郎(苦労)と名乗り申しまする」

「ふん、一丁前をほざきおって」

「はっ。ほざきましてございまする」

「ならばよい! 太郎、我が家の命運、そなたに預けた」

「はっ! お任せくだされ」

「ならば其方に一つ、秘伝の策を授ける」

「はっ。ありがたく拝聴いたしまする」

「その前に。今夜は闇夜じゃ」

「月が隠れまするか。ならばひと狩り参りまするか。周りにはお宝の山がわんさと転がっておることですから」

「よくぞ申した。それでこそ海賊の倅じゃ」

「ふははは」

「がははは」


 海賊の親は子にまるでらしくない理知的な策を授けながら、その反面、実にらしい粗野な別れの挨拶を交わすのであった。












【文中補足】

 1、公家・公卿の近況

 >従四位下近衛中将・西園寺実益(通称・亜将)

 本来は伊予を譲ったことで一階級昇爵し近衛大将(羽林)となるところであったが、あいにく取引をした相手が下手を打ってしまったので宙ぶらりんとなっている。つまり一番の被害者。


 >正四位下参議・山科言経

 父親との確執がありながら軸足を東宮に置いた信念の人。

 だが他方では宮廷内における評価はいまいち。なぜなら親菊亭の色が強すぎて上がるも下がるも処遇が宙ぶらりんとなってしまっている不運の人でもある。


 >従四位上・左大弁(太政官)烏丸光宣(通称・尚書)

 割愛。


 >従四位下蔵人頭・薄以々

 一度は裏切ったが、天彦にアドバイスされ早々に旗幟を鮮明(親織田)としたため一番の出世を果たしている幸運の持ち主。


 2、村上太郎元吉

 1556~数え15歳 能島村上氏頭領。織田水軍を壊滅に導くほどの戦上手。船上無敵。













誤字報告、いつもたいへん感謝しております。ほんとうにありがとうございます。

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― 新着の感想 ―
わーい亜っきゅん登用!史実の立場がデカすぎてこの先の時代は弄りにくそうな教如より、なろう強キャラとしてぶん回されるのですね。 インドまでひっくるめたって西国だし、とにかくラウラを取り返してくれたらオー…
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