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雅楽伝奏、の家の人  作者: 喜楽もこ
十四章 生生流転の章(余談編)
232/314

#06 大阪本願寺と鎮西大将軍と

 



 元亀元年(1570)七月二十一日






 天彦の悪巧み策の材料が概ね揃った日の同日、午前。


 さて大阪。戦国元亀現在、この地名が示す一帯は一般的に難波なんばと呼ばれ親しまれている。故に地域一帯を指して大阪と呼ぶ者はまったくいない。

 だが大阪の地名は存在した。人々も大坂の言葉を認知して使った。いや厳密には大坂表記あるいは音読文字としてオオサカなのかもしれないが、いずれにしても大阪・または大坂、あるいはオオサカが存在したことだけは事実である。


 ならばどこに使用されたのか。


 大阪石山本願寺。その本拠地一点に大阪の表記は使用された。


 過去も現在もあるいは未来の現在でさえ、人々はこの地を指してのみ大阪と呼んだ。

 その地は聖地。真宗門徒にとってのエルサレム。そしてこの地に大阪城が建設されることは未来永劫けっしてない。

 なぜなら悪巧み狐のまったく無茶苦茶な介入によって史実は捻じ曲げられてしまったから。魔王軍と真宗門徒衆との全面抗争は避けられ、城を建設しただろう天下人もまんまと退場させられてしまったから。


 故に目下一向宗の本拠地は大阪である。あるいは大坂。または音読文字でオオサカである。

 一般的に大坂の文字が公的に使われ始めたのは江戸時代に入ってからのこととされている。すると文字としての表記は大坂が正しいのだろう。知らんけど。


 いずれにせよ識字率など2%以下だろうこのご時世に、そんな些細な誤字に気を回せるほどの暇人はいやしないそんな頃、


「……あんのボケ、何を寝ぼけたことさらしとんじゃ――ッ!」


 大阪石山本願寺の最も格式高い執務堂(御影堂)に激震が走った。


 震源地はその更に最上段の一席から。

 貴色紫をふんだんに使った僧衣を纏い後頭部を美しいまでに剃り上げ磨き上げた美少年と美青年の間を行ったり来たりする美僧が、その美顔に似合わぬ野太い声で雄叫びをあげた。


 すわ何事か。執務室に詰める高級僧侶たちは作業を止めて震源地を注視する。

 何しろこの激震。メンタルに多大なプレッシャーをかけてくるだけでなくリアルフィジカルにもダメージを与えてくるから油断も隙もなかった。

 油断するとすぐに雷撃へと姿を変えて個別攻撃を加えてくるからたまらない。


 それに加えてこの美僧。最近のスタンドプレーが目に余った。

 誰も意見できないことを良いことに、門命を決する一大事案さえ独断と偏見で決してしまうからたまらない。しかもそんな暴挙が一度や二度では済まなかった。それ以外にも非常識極まりない粗が、やけに目についていた。


 そしてその暴挙のほとんどが、こうした神経を逆撫でするのだろう文を読んでの激発が発端。


 どうかお諫めください。


 執務堂(御影堂)に集う高僧たちの縋るような視線を一身に浴びた人物は、


「まったく」


 同門ではあるが同輩ではけしてない高僧たちのお強請りというなの懇願を、総意という形で受けてしまったら仕方がない。

 これまた高級そうな位階の僧衣を着付けた僧侶風コーデの美少年はおもむろに立ち上がった。美顔に隠す気もない渋面を張り付けて。


 なぜ渋面を浮かべるのかはこの後すぐに判明するとして、もう一方のWHYを解説しておこう。

 なぜ風コーデなのかというとその美少年は僧に似つかわしくないビジュアルをしているから。正確には装備が極めて胡乱である。

 彼は武装解除が当前の本堂に措いて、唯一武装が許されているのだろう二本の大小を控えさせていた。胡坐を組んでいたその脇にそっと。


 つまり坊官。


 坊官とは厳密に春宮坊の職員の総称であり、法皇の御所や門跡寺院に仕える在家の僧を指す。剃髪して僧衣を着るが帯刀するとともに肉食・妻帯を許可される侍待遇。俗に殿上法師と呼ばれる。


 その彼は室内でも取り回しの利くやや小ぶりの二本の大小を佩くと、実に厭そうに上座へと歩みを進める。

 眉をしかめていてさえ美顔であり、凛然と歩む姿は雅の一言に尽きた。それほどの美少年である。


 この彼の名を下間美作守頼亮。実父を下間刑部卿頼廉とする下間家の嫡男でありる。

 猶この下間家は代々本願寺の坊官を務める奏者家(お取次ぎ役)であり、同時に本願寺門主家の家令を務めた名家である。


 そしてこの頼亮。本年、通例に倣い主君である本願寺門主に取り立てられ大阪石山本願寺坊官並びに奏者と、そして本願寺家家令の任を仰せつかった若き俊英であった。


 そう。この下間美作守頼亮しもつま・みまさかのかみ・らいりょうは、あの教如光寿(茶々丸)をして切れ者と言わしめる傑物であり字義通りの貴種なのである。


「門跡。美作守が恐れ多くも言上仕りまする」

「なんじゃい愛福ッ。見たらわかるやろ、いま儂は何をしとるか」

「そこを押して何卒」

「何をしとるんや」

「怪しき策に正気を失っておられます。ですので何卒、我らの進言にご尊耳を傾けてくださいませ」

「なに」

「くっ――、なに、とぞ……」

「まあええ。訊かぬとは申してへん。後にせえと申しておるんや後にせえ」

「いいえ、何卒」

「……おい我、二度は申さんぞ。後にせえ後に」

「いえ、お言葉にはございますがそれでは事を仕損じまする」

「おどれ、死んだぞ」



 ぐっは――ッ。



 頼亮はもう一つのWHYを実証するべく、あるいは彼の意に反して裏拳一発で宙を舞った。それも育ち盛りの立派な恵体を見事に半回転させて。

 頭から床へと激突し轟沈する頼亮を確認すると、神速の裏拳を放った教如は、ふん。

 鼻息を鳴らし何事もなかったかのように平静を取り戻し、またぞろ視線を文に預ける。


 が、


「何卒!」

「……ちっ、生きとったんかい」


 さすがの教如も呆れ果てたのか、顎をしゃくって次を促す。


「はっ! 半分ほどは逝きましたが、どうにか生き永らえたようにございます。これも御仏の思し召しかと――」

「じゃかましい。何が御仏の思し召しじゃい。儂が死なんよう手加減してやったからやろがい」

「はい。その通りにございまするっ」


 あ。


 してやられた。


 教如は鋭い目を更に鋭く研ぎ澄ませこめかみ辺りをピキらせる。

 けれど怒りの感情はどこかへ霧散させている。どことなくそんな感情が伝わる口調で投げやりに言う。


「そのまま逝っとけ面倒くさい。で、なんじゃい」

「ありがたき幸せ。なばら言上仕りまする――」

「待て。おどれ、何が可笑しい」

「可笑しいなどと滅相もなく」

「おもくそ笑うとるやんけ、おら。己の顔を鏡で見てみい」

「失敬。どれ。……ふむ、誠に頬が緩んでございまするな。何やら拙僧、嬉しさが隠し切れぬようにございます」

「何が嬉しいんじゃい」

「はっ、御門跡様が我ら門徒の頭上に君臨なされ門主となられて初めて! 拙僧の言葉に耳を傾けてくださいましてございまする」

「ちっ、きしょい」


 御影堂に安堵のため息が漏れ聞こえた。




 ◇




 だが教如の激発もなるほど納得の一大事がしかも一つに限らず幾つも、その危急を告げる文には認めてあった。


 まず一つの一大事、


「お前、阿呆なん? ……いや阿呆なんは知ってたけども」


 阿呆すぎん?


 呆れを通り越し呆れ果てた声を出す。

 かつての主君、天彦の間抜け面を思い浮かべて。


「何をどうすれば追放されんねん。おのれ殿上さえ極めた東宮別当やぞ、位人臣を極める一歩手前の宰相やぞ」


 どうやったら追放されんねん。


 教如は本域の疑問のつぶやきをそっと零す。

 だが対して、


「了以は死なせてやって初めて報われるんやろがいッ! 甘ったれのど阿呆が」


 声を荒げて激高した。


 当人の口からもあったように、この策の誤算は了以が救われてしまったこと。

 本来なら天彦はこの戦果を引っ提げて大宰相の名を恣に、織田の笠で菊亭印の権勢を揮っていたはずなのである。


 だが実際は。


「クソが」


 市井でも宮廷でも織田家でも。菊亭の名は口に出すのも憚られる禁忌な扱いを受けている。

 むろん本当の禁忌には抵触しないが、誰も彼もが腫れ物に触るような気配を感じて遠ざけて、けっして迂闊にはその名を発しようとはしなかった。これぞ最も恐ろしい空気感である。


 それもこれも時の人である天下人信長の態度が見えてこないため。

 追放を上奏したのは信長自身とも、信長に気を遣った朝廷自らともいわれていて真実は杳として語られていないから、人々の不審を深めている。


 教如はそのどちらもだと推察する。


 織田も朝廷もどちらも互いに牽制し合い、怒りの矛先を預け合っているのが真実だと推察していた。


 では誰の怒りをかわしたいのか。


 決まっている。


「ど阿呆が。阿呆なんか阿呆やったわ。くそ、己はええ加減己の立場を理解せえや」


 織田も朝廷も菊亭の意趣返しを恐れていることは明らかであった。

 実際にその事例は挙げれば枚挙に暇がないほど。

 そしてそのほとんどが滅亡あるいはそれに近しい悲惨な最期を迎えている。


 教如はそれを神仏の某などとは思わない。すべてはたった一人の練りに練られた合理的かつ利己的な策意の結果であると知っているから。


 ただその策が神懸かっていすぎなだけで。


 それも含めてのイレギュラー体質か。


 教如はかつての主君の甘い、いや甘すぎる考えを思い出し今日一番の渋面を浮かべた。


 だが。


「……射干を切れたんは重畳、いや僥倖や」


 教如にとって射干党は目障り極まりない存在であった。彼に限らず多くの郎党たちが疎ましく思っていたことだろう。彼らの独善的なふるまいは自由闊達を地でゆく教如をして目に余った。いや鼻についたのか。


 いずれにせよ射干排除は時間の問題だったのだ。

 何しろ奴らにはゼウスという絶対神が君臨していて、すると戦国ではマストとされる主君天彦を絶対のぜとする体制への恭順や、主君に殉じるという御家継続思想に欠けた神本位主義の性質が根本に見え隠れしていたから。


 どの口で。


 だが教如はどんな口でも断言する。

 菊亭に集う一党は、菊亭の為に尽くし菊亭の為に殉じなければならないのだと。

 それが天彦の慈悲に触れた者の定めであると。

 絶対に誰も信じないだろう文言を真顔も真顔で言い切るのである。



 あいつを泣かしたらしばく。いやコロス――。



 即ち教如は親友ずっトモであり、主君とも仰ぐ天彦が目に入れても痛くないほど愛おしかった。ただそれだけ。


「まあ次にあったらおもくそしばくとして。……問題はこっちや」


 思考を一旦リセットし。


 教如は本題とも言い切ったもう一つの一大事をぽつり、


「矢銭三万貫を支度致せ、一両日中にも徴発せしめんとす、やと。……信長め、舐め腐りおって」


 いやこれはあいつの策か。


 教如は正しく、裏で画策あるいは暗躍する政策担当奉行・角倉了以の澄まし顔を思い浮かべていた。


「や、矢銭三万貫にございまするか」

「そうや。吝嗇な額を強請りにきおった」

「吝嗇な額、にございますか」

「なんや」

「いいえ」


 むろん三万貫はけっして吝嗇な額ではない。インフレ激しいこの戦国元亀であってもかわらず相対的に高額であることにかわりない。だが相対的に本願寺にとっては容易く捻出できる額であることも一方では確か。ならばその意図は。


 打撃を与えたいなら半端すぎ、ちょっかいを出すには安くなかった。

 教如はかつての同窓であり同じ主君を仰いだ同門の顔を思い起こして眉を顰める。

 そして気づいたときには持ち前の高い集中力を発揮して「ほーっほっほっほ」毎度「おっさんかい!」入れていたキジバトのおっさんみたいな鳴き声にもツッコミを入れないほど深い思考の淵に落ちる。


 ややあって、


「織田が砦を立てるようやぞ。それも我が大阪の本拠の近くに」

「なっ……!?」

「おそらくは天王寺やろ」

「何故」

「あいつが昔、危惧しとった」

「あいつ……」

「こっちの話や。いずれにせよ天王寺が拠点。間違いない」


 それが事実なら大事である。大事どころか……。

 頼亮は今にも叫び出しそうな自身の感情を懸命に抑え込んで言う。


「戦にございまするか」

「普通ならそうなるやろ」

「……では」

「おう。儂の、いやあいつの側近連中に普通のもんなんか居らんのや。普通では絶対に務まらんやつやったからな」

「はい。承知しております。なれば普通の解釈ではないと仰せなのですな」

「そうや」


 敢えて誰とは明言せずに。けれどその異端さは確実に共有されていた。

 策意を見抜いた教如も確かにえげつないが、この策を練った者が何より誰より一番えげつない。となるのが普通。


 だがその普通ではない者が策を明かしてきた。三万貫という中途半端な額を強請って。

 真面に捉えるなら自分たちの脅威となる砦の建設費を自分たちが献上するという間抜けを笑う策と取れる。たしかにこれでも十分効く。少なくとも真宗門徒を煽るには十分な効き目であろう。そしてこの献策を強請った人物の意にも沿う、のだろうおそらくきっと。


 しかし本意は別にあった。

 教如の目には、“我らが主君を粗末に扱ったクソ魔王に一杯食わしたらんかい”そんな隠し暗号に見えていたのだ。ちゃんと。


 これぞ同じ釜の飯を食った仲の以心伝心というのだろうか。

 教如には確信に近い確証があった。何のエビデンスもないにもかかわらず。何の根拠も一切ないにもかかわらず。一切揺るぎない確信が心中深くに芽生えていた。


 エビデンスが必ず必要なエビデンス出さんかい! そんな感情で言い放つ。


「舐めるな魔王。我ら菊亭一門の絆を」


 信長公とて本願寺と全面的に構える気はないはずである。

 史実とは違い本願寺はあの越後と和睦を結んでいる。しかもこの度越後の新たな家令となった人物とは同格の同輩でありオレオマエの仲でもある。


 即ち和睦以上の密接な間柄。

 そんな本願寺と事を構えればどうなるのか。あの理に聡い信長公がわからぬはずがないのであった。


 ならば牽制、いやあるいはむしろ掣肘か。


 そう考えると得心がいく。さすがに真意までは測りかねるが意図ならわかる。

 口惜しいが魔王は本願寺を恐れていない。精々が鬱陶しいコバエ程度の感覚であろう。

 負けず嫌い代表格である教如をして、口惜しいが認めてしまうそのくらいには彼我の戦力差は圧倒的であった。


 故に、


 貴様が付いていて何をしておったのか。たわけ。


 さしずめそんなところだろう。ああ見えて非情で売る魔王、彼の人物には滅法甘いところがあった。

 今回の追放処分にしてもそう。公然と反逆姿勢を示されても猶、半ば許してしまう甘さが見えた。

 ましてや愛娘との婚姻も一旦保留どまりとしている。普通ならとっくに破談になって然るべきはずなのに。


 だがその気持ちも教如にはわかる。それこそ身を捩るほどの痛みを伴ってわかってしまう。


 あれは、あいつは日ノ本には必要な人材である。絶対に欠かせん。

 そして愛い。かわいらしすぎるのだ。極めて不細工ではあるが。


 教如は得意の謎かけを脳裏に思い浮かべると、にやり。


 ならば策に乗ってやる。だが儂が乗ってやるのだ。魔王、貴様とて無傷ロハというわけには参らんぞ。


「おもろいやんけ」


 教如は自称一千万を擁する一向宗の門主として、あるいは格式的に大大名にも劣らぬ風格を纏い織田信長何する者ぞの気炎を吐いた。


 そんな様を潤んだ目で見つめてくる幼馴染であり、信ずるに値する家令に若干ではない気色悪さを覚えつつ、


「愛福。ただちに門徒に招集をかけい。戦の支度や」

「はっ!」


 畿内に大激震が走るのはこの僅かすぐ後のことである。






 ◇◆◇





 元亀元年(1570)七月二十二日






 戦国コーディネーター菊亭、ガチのコメディやってます! とか。


 お気楽に数日間を過ごして意気揚々と修羅の国に乗り込む予定だったのに。

 阿呆が阿呆で、お気楽に道化を演じさせてくれない。

 時代がそれを許してくれないのならまだしも、身内に刺されるってなんやねん氏ねコロセ。


「いやお前、何してるん。何してくれてんの。アホなんアホやろ」


 天彦はまるで誰かさんと意味合いの同じ言葉を同じシチュエーションでつぶやくのであった。


「お殿様、何と書かれているだりん」

「お茶々が乱心や」

「え」

「わかるわぁ。そのダルそうな顔」

「何をなさいましたので」

「大阪を封鎖。本願寺に十万の門徒を籠城させ、織田の矢銭を拒絶したんや」

「えぐ」


 異論ない。茶々丸の行動はえぐかった。

 どうせ茶々丸のことだから大した理由はあるのだろうが、戦国コーディネーターとして命がけで滅亡フラグを回避した自負がある手前、さすがの天彦であっても無関心は気取れない。


「ルカ。手下はあるんか」

「親衛隊が少々」


 天彦は目を細める。単純に訊いてへんぞの感情で。

 ルカは飄々と受け流す。言ってませんからの感情で。


 睨み合うこと数舜


「む」

「ならば、はい」

「う。負けたん」

「ふっ勝っただりん」


 だがさっと掌を出された瞬間、天彦の敗北は決定する。

 お給金くーださい。あ、はい。

 ルカのその決定的な態度表明に、天彦はこれ以上ないほどの苦い顔を浮かべて白旗を上げるのだった。


「貯えがあるやろ」

「主家解散と同時に発散した郎党にすべて配りました。何せお家が取り潰しとなったので、付いてこいとも言えませぬので」

「ちくちくやめろ」

「ではずけずけと申しますか」

「もっとやめろし」

「ふふ、ずるいお人」

「かわいいさんやろ」

「はいそれはもう。憎らしいほどに魅力的で」


 天彦は笑って許された。目下ルカの温情だけが関係性を繋ぎとめている。


「……その一袋持っていくん」

「あら大盤振る舞い。いったいいつ仰っていただけるのかとやきもきしておりました」

「だからちくちく言葉はやめろと申すん」

「うふふ、よろしいので?」

「あかんかったら受け取らんのか」

「いいえ。ありがたく頂戴いたしますだりん」


 ルカにも都合があるのだろう。当座の報酬を遠慮なく受け取った。


 このくらいの正直で気安い間柄が好ましい。けっして心地よくはないけれど。むちゃくちゃ腹立たしいけれど。


「何でしょう」

「何もないん」


 天彦は気分を変えて、


「使えるか」

「お召とならばいつなりと」

「おおきにさん。ほな大阪へ遣いを寄越してほしいん」

「大阪。茶々丸、いえ教如光寿様の下ですね」

「そうや」

「はいだりん。夜申よざる

「はっ、ここにございますご当主様」


 すると背後で何かの用事をこなしていた用人の一人がさっと立ち上がり片膝をついて返答した。


 天彦は予感に従い目配せをする。するとやはり案の定、ルカから応の返答が返ってきた。


 おいて。気づけば用人のすべてがルカの手下やん。

 即ち天彦の家来は一人もいない。やばくない? ……ま、えっか。

 ルカを信じられないようではカスである。カスは盛った。下衆である。言葉は何であれ、少なくとも戦国元亀、忠臣の忠義に心を傾けられないようでは大儀はなせない仕様であった。


 しんど。


 天彦は腹を括って二人のやり取りを黙って訊く。


「夜申、用件は訊いたな」

「はっ、確と訊いてございます」

「よし。ならば即刻大阪へと参れ」

「はっ」


 天彦は大至急文を認め夜申に預け渡すのであった。


 だが悪い知らせは連鎖するとしたものなのか。

 まるで天彦の行いを懲らしめるかのような凶報が舞い込んだ。


 それも何のイベント性も感じさせない雑な御扱いで、何の変哲もない道行くただの通行人のお口から。


「聞いたか」

「何をや」

「まだ知らんのか」

「おい焦らすなよ」

「訊いて驚け、足利の将軍さん。鎮西将軍に任じられたそうや」

「ほえー、それは偉いんか」

「偉いやろ。知らんけど」

「知らんのかい」

「まあそやけどこれで騒動も一件落着やな」

「なんでや」

「そらそうやろ。つまり西にも都ができるんやぞ。如何な将軍さんかて矛は納めなしゃーないやろ」

「ほーそんなもんか。ほなよかったな」

「おお、よかったよかった」




 …………。




 大宰府の再興など、いいことなど一ミリもない。絶対に。


 特に少なくとも天彦にとってはゼロ。皆無である。だってその九州にこれから向かおうとしているのだもの。……なんでやねん!


 たしかに戦の機運は幾分か和らぐ。だがそれだけ。

 大本の火種は燻ったまま、むしろ着火したときの戦禍を思うとより酷くなったのではと憂慮してしまう捻じ曲げ方で収まってしまった。


 鎮西将軍とは帝に九州の統治を任された将軍のこと。噂が事実なら何らかの裏取引があり帝が赦しを与えたのだろう。むろん織田家の承認を得て。


 またの名を征西大将軍。かつて征夷大将軍、征狄大将軍と並び設置された帝の信任厚き将軍職である。古くは平安時代にまで遡り、かの後醍醐天皇が登用したとされる職。

 故に格は落ちるが体面は保てる。実に公家らしい習慣に則った策であり、実に厭らしい寝技でもある。


 ならばこの策は、


「九条妖怪め。まぢでずっと祟ってくるやん」



 ぬぐぐぐぐぐ、なんなんあの爺さん、爺さんなんなん。



 天彦は他の誰でもない九条植通をいの一番に連想し、確信的に首謀者であると断じていた。

 当然その陰には金柑頭の影もちらつく。おのれ惟任、ほんまだるい。


 それこそエビデンスが必要ならエビデンスが必要なエビデンスを出せの心境で、宿敵二人にそっと呪詛をつぶやくのであった。














【文中補足】

 1、家名

 一般的に仏跡にある僧侶は家名を持たないため通称を寺社とすることが多く、同様に教如(茶々丸)も自認としての名を本願寺光寿としている。


 2、換算レート

 一文=120JPY(円)を設定。三万貫=30,000,000文 ≒3,600,000,000JPY(円)とする。


 3、射干親衛隊

 >夜申(よざる)

 >昼戌(ひるいぬ)

 >朝熊(あさくま)

 かつては精鋭五百を数えた親衛隊も今では僅か三名となっている。

 ルカを慕う残党だが腕は立つ。何しろ地獄のコンスエラブートキャンプを生き残った精鋭揃いだから。

 ルカを含めてその四名すべてが菊亭の用人として擬態しているので、一応天彦の身辺は完ぺきに警護されている設定である。


 余談だが菊亭が誇ったギークたちは織田家へとは離反しなかった。

 彼らはルカに説得されどこかの村で好きな研究に没頭しているとのこと。


 猶、イルダとコンスエラの行方も不明。その件についての会話は避けられているので。


 4、将軍職

 >征夷大将軍 東夷に対して太平洋側から軍を率いた大将。

 >征狄大将軍 東夷に対して日本海側から軍を率いた将軍。

 >鎮西将軍  九州を任された将軍。この鎮西将軍が構えた拠点を大宰府と呼び地方行政の中心地とした。










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