#04 気高くされど貪欲に
元亀元年(1570)七月十八日
夜半、夜九つの鐘が鳴る頃。
天彦は宿の軒先でかつての預かり家来九郎重隆と旧交を温めていた。
実に余所余所しく、実に儀礼的に。
あ、しくったん。
思った時には口を突いて出てしまっていた。肥後分捕るんの余計極まりない言葉が。
ルカ(意図して)と雪之丞(天然素材で)がコンビネーション技を繰り出して仙千代の気を削いでいてくれたから助かったものの、危うい会話に踏み込んでいたことを猛省する。
だが完全に振り切れているわけではなさそうで、
「ごほん」
仙千代の視線に艶めかしささえ感じる粘りが生じていた。
やっば。時は常に有限であった。
いずれにせよ菊亭京都追放見届け目付けである万見仙千代が意味ありげな咳払いをたてたところでロスタイムの計測開始。
天彦は一切粘らず即応して、九郎と距離を置くべく短い別れの挨拶を送った。
その最中もずっと悪巧みを巡らせて。
西国の覇者大毛利家が空中分解した今、九州地方の覇権争いは混とんの様相を呈するだろうことは如何な有識者とて異論ないはず。
島津、大友、竜造寺にはそれぞれに持ち味があり、然りとて決め手に欠くことも同じく。
すると延いては戦乱の機運が高まることは必定である。何しろ彼の地は常態からして気性激しく修羅の国なのだから。
だがそこに目を付けないようでは戦国コーディネーター(キリッ)を自負できない。そも菊亭の当主などやっていられないのである。知らんけど。
目を付けるは博多。そこ一択。それが菊亭メソッドであると言わんばかりに。
博多は目下事実上の自治都市として真の自治権を勝ち取った守護大名不在の都市国家状態にある。
いつまでその形態を維持できるのかはわからないが、天彦はそこにこそ照準を合わせて悪巧みという名の策を巡らす。
次に菊池氏。
知識としてはかなり拙い。
だが大友とは×、早良とは〇。これだけ知っていれば今は十分。なのである。
奇しくも本年二月に勃発した竜造寺家と大友家の大戦(今山の戦い)は、史実よりも二月も早い六月に停戦していた。
戦果は両陣営が勝ち名乗りを上げていることでお察しである。
この両陣営にとっての痛恨のドローは、周囲に様々な影響を与えることとなった。
細かな影響は割愛するが、最大の影響はその痛み分けという結果を以って博多の自治権が確立されたといっても過言ではないことであろう。
博多の持つ地政学的位置を脳裏に思い浮かべて頂ければ自ずと答えは導き出される。
そう。竜造寺家と大友家の版図が交錯する地点にあるのが博多であった。
いわば博多は九州地方の火薬庫である。同時に莫大な富も生み出す打ち出の小槌でもあるのだが。
そこに並び鷹の羽(菊池家)を舞い込ませればあるいは……。
天彦の思考がいよいよ深まりかけたそのとき、
「菊亭様、手短にお願いいたしますぞ」
「ん、善処するん」
まだ表面上は一ミリもデレていない京都追放見届け目付けの目があるため、大っぴらには談合できない。
おそらくだが九郎との会食にはそうとう厳しい条件がつけられるはず。あるいは会食そのものが許可されない可能性もあった。いやむしろ本命。
天彦は慎重に目線で状況を訴える。機を見て敏であろう九郎の勘の良さだけを頼りにした務めてわかりづらいキラーパスを。
だが九郎は思いの外感触よく、即座に反応を窺がわせた。
具体的には何事かを理解しその上で納得したような表情を浮かべると小さく一度こくりと頷いて返したのだ。
よし、いけるん。
天彦は確信ともいえない僅かな手応えだけを頼りに、九郎の勘の良さに賭けることに決めた。
務めてわかりづらいキラーパスを送って合図とすることに決めたのだ。
「九郎さん別れ惜しいが最後に」
「はっ」
「ご一門はいずこにおじゃる」
「お恥ずかしながら一拠とは参らず。九州各地に点在しておりまするが、やはり肥後には多く残ってございまする」
「なるほどの。ほな無関係とも言えんやろ。なんや日向のお空にぽかりと三つ。小さな、けれど確実に天候を左右するやろう雨雲が立ち込めているらしい」
「野分の前兆ですかな。伊予に流れ着かねばよいのですが」
「おそらくは暴威そのままに」
「参りますか」
「知らんけど」
天彦の謎かけを意訳すると相良氏が球麿・八代・葦北の三郡を手中に収め九州覇権争いに名乗りを挙げた。となる。
勘のいい九郎は具に天彦の謎かけの意味を理解し、ならば戦乱の気運かと尋ねたのである。どうにか冷静を保ったテイで。
だが天彦の目は誤魔化せない。なぜならその三郡。
押しも押されせぬ菊池家発祥の故地なのだから。
否が応にも闘志に火が付く。天彦の言葉を借りれば、これで燃えなければいっそ武士など返上するがいいさんなん。となるのだろう。
さて話を戻す。
不安定ながらも九州地方は目下、島津、大友、竜造寺の三強で膠着状態に入ろうとしていた。そこへ一石を投じたのが日向の伊東家である。
何やら後ろで絵を描いたのは毛利家とされているが、今となっては真偽は不明。その毛利家はもういない。どこかの悪巧み狐のせいで奇麗さっぱり滅亡してしまっているから。
加えて見込みだが、毛利の代打で乗り込んでくるはずの織田軍もそうとう遅れてやってくる。
来ないなんてことは考えにくいけれど、九州覇権争いの趨勢決着に絡めるかどうかはかなり疑問。何しろ労せず奪い取った西国統治でさえそれなりに時を必要とするだろうことは必至の情勢なのだから。
そう。最後の会談時、信長公自身の口から直々に訊かされているのだ。九州は当面捨て置くと。実に恨めしそうな目性と不満たらたらの未練口調で。
すべてはこの悪巧み狐一匹のせいで。
魔王軍率いる魔王様はすべての天下布武プランを一から練り直さなければならなくなっていたのである。
統計分母の確率が大きいことがよいことばかりではないのと同じに、天下統一も適正な速度という絶対的な最適解が存在していた。
つまり信長公は有意性を嫌ったのだ。
それは奇しくも西国毛利家に圧勝してしまったからこそ生まれた隙である。
むろん隙とも言えない小さな綻びだが、人の上げ足を取らせれば天下一品彦からすれば十二分な綻びであった。
お手紙、お手紙と。
筆まめ彦がどなた様に向けて心尽くしのラブレターを認めたのかは語るまでもないだろう。
その日、とある難攻不落の巨大要塞を本拠に仰ぐ城下町には、お祝いの振舞い酒が盛大に振舞われたとか。
「してその野分、都へは影響しましょうや」
「尾張胡瓜はよう漬かるん」
「なるほど。東国の重しが効いておりまするな」
「ええ漬物石なん」
健在どころか御家発祥以来過去最大規模の版図と戦力を有する大越後を背後に、のうのうと西国征伐ツアーに参加など、天彦が信長であっても絶対にお断りなのである。何しろ謙信公、今や露骨に上洛を匂わせている。
ただし美味い話ばかりでもない。
この匂わせは天彦にとっても困り種、だったのだ。
制御が徐々に効かなくなる傾向が強くなりつつあるという意味合いで。
だが守護大名、それも関東管領職に就く偉人を一介の貴種ごときが制御できると思う方がそもそも僭越(棒)なのである。
だから成り行きは知らん知らんと流れに任せて竿は差さない心算である。
となれば……。
「すべてはお殿様の布石のまま、と」
九郎はつぶやいてしばし固まる。
ややあってどうにか感情を奮い立たせて気を取り直すと、今でこそ見られなくなったが当初は信長がたびたび見せていた天彦への驚嘆とまったく同じ顔をして言った。
「何たる策謀、何たる鬼才。果たしていったい幾つ仕込めばこの解にたどり着けましょう。いいや果たして仕込んだとて辿りつけるのかさえ甚だ疑問な難解な絵図。権謀術数の数々に某、心底感服仕りましてござる。なんと恐れ入りましてございまする。……あ」
やはり未熟か。九郎は興奮のあまり最後の最後で詰めを誤ってしまった。
するとやはり仙千代の怜悧な瞳がギラリ。鋭さを増してしくじった九郎へと胡乱をぶつける。
「菊亭様、如何なる仕儀にございましょうや」
「あははは。仙千代さん、ちょっとした言葉遊びなん。お手を煩わせるようなことはないん」
「本当に信じてようございまするな」
「この菊亭天彦を信じるん」
天彦は鷹揚に頷くと信頼を請け負った。虚偽を申告したその舌の根も乾かぬ内にぬけぬけと。
セーフ。
会話をつづける。
「っ――、お殿様、某は何たる愚かなッ! せっかくお殿様が下すった機会を。我が身の不徳を呪いまする」
「まあ待つん。失敗はどなたさんにもあらしゃいます。九郎さんは捉え方が大仰で大袈裟なん」
「はっ」
釣れた。天彦は確信した。
むろん九郎には悪い話ではないはずで。延いては一族にとって慶事のはず。
しかし当り前だが相応の危険は伴う。あるいは相応では済まない傷も負うかもしれないけれど。
それが何だというのか。
傷の一つや二つ当たり前である。菊池一族千年の宿願を果たすなどそう容易いはずがあってたまるか。
その感情で悪びれず、だが決意は固まった。
今この時この瞬間、菊池は菊亭の一党となった。それこそが自身の策意に巻き込んだ天彦の贖罪であり覚悟である。
再三再四天彦は、菊池は我が郎党であると確と肝に銘じて言い聞かせ、けれど反面そんな決意などおくびにも見せずそっと会話をおし進める。
これこそが菊亭メソッドの極意であった。意中を煙にまいて生きてきた、あるいは周囲に舌を巻かせてきた狐彦の本領発揮、なのである。
「何しろ半分は偶然、残す半分は運だけなん。世は事もなしゆーてな」
「はっお殿様の御金言、確と肝に銘じまする」
「ん、まあええさん。けれど身共は帝の臣。雲行き怪しき土地の乱れ、延いては人心の憂いには心苦しいものがあるん。それだけは留め置いといてな」
「はっ。ご心中お察し申し上げまする。ですがお殿様、努々、ご無理なさいませぬように」
「ん。九郎さんもな」
「はい! 先ほどの件。明日の夕刻、遣いの者を参上させまする」
「頼んだ」
「はっ」
念のため雲行き怪しき土地とは守護大名不在の国を指すと注釈してさて。
九郎の勘の良さだけを頼りにした務めてわかりづらいキラーパス問答だったが、どうやら天彦の想定以上の手応えを以って高解像度・高理解度の内に終えられたようであった。
◇◆◇
元亀元年(1570)七月二十日
客対応で氏ぬ――!
いや大袈裟ではなく割と本気で。
天彦の堺来臨の一報を訊きつけた客人の来訪で引きも切らない超タフな一日を過ごしたその翌日。
物珍しさも手伝ってか、来客の半数とは言わないまでも永代別当朱雀家への面会要求客もそれなりにあった。
「若とのさん。某、実家に帰らせてもらおうかと思てますん」
「旦那の夜遊びに愛想を尽かせた妻ムーブ! ……その前にお雪ちゃんは帰れる実家あったんか」
「ありませんわ。ずっと絶縁解けてませんもん。で、何ですのん、それ」
「そやろな。さらっと悲しいことを、おろろんぴえん」
「で、何ですのん、それ」
「あのお雪さんや。ちょっとは身共の相手して?」
「で、何ですのん、それ」
「あ」
「あ」
一遍だけは付き合ってくれたのでよしとして。
「ん、こっちの話なん。苛々してるんか。してそうやな」
故に雪之丞は持ち前の笑顔に影を差して鬱々としていた。
雪之丞とて公卿の端くれ。会話自体はなんてことはないのだが。
客層が酷かった。フルコースかアラカルトかの違いだけで、そのほとんどが有名人に集るファンである。それもかなり程度の低い。
つまり最初はいいのだ。だが数回会話を往復させると決まって相手が向けてくる目線と表情に同じ感情が生じ始めた。
その目と表情と稀に口調にも含まれる侮蔑とも憐れみとも取れるようで取れない悪感情が雪之丞を強く病ませた、苛立たせた。
そういうこと。
雪之丞くんもそろそろ、そんな他人の悪感情含みの目線が気になるお年頃なのである。
「はい、苛々してます。むちゃんこですわ」
「そうかぁ。でもようさんお菓子もろてたやん。好きやろ甘味」
「某が好きなんはお団子さん……、ちゃいます。そんな子供だましの手に乗る某とはちゃいますん!」
ばっちり乗ってそうだがまあよいだろう。
そこの余白はちゃんと与えてやれる天彦である。
「歯をしっかりと磨かんと後で泣きを見ることになるで」
「虫歯の指摘でしたら大丈夫です」
「お利巧さんなこっちゃ。ほな余計な差し出口やったな」
「はい! お歯黒さんさえすれば万事解決ですわ」
「おおさすがお雪ちゃん。野生の天才っぷり発揮なん」
「あ」
「え」
ひと呼吸挟んで、いや一呼吸では雪之丞の拗れた感情が復旧しなかったので三呼吸以上たっぷりおいて、
「つまり四六時中部屋に詰め込まれたんが不満なんやな。昔っから缶詰苦手やもんなぁ、お雪ちゃんは」
「え。缶詰は大好物ですけど。あれ昔っからありましたっけ? あれ、あれれ」
「あ。今のちょっとアホ可愛かったん」
「あ。またそうやってバカにする。若とのさんなんか嫌いですっ!」
「え」
「……合わせませんよ。某むちゃんこ怒ってますから」
おお、まんじ。
「ルカ」
「お殿様は朱雀様に甘甘だりん」
「頼んだで」
「お目付け殿に市井探索の件、ご報告差し上げればよろしいのですね。畏まってございます」
「さすルカ。一家に一人は欲しい逸材なん」
「はいはい」
天彦はそろそろ不満大爆発寸前の雪之丞のガス抜きに堺津探索に繰り出すことを決めた。
◇
堺津に着くなり、
「見つけましたぞ!」
「見つかっちゃった」
は!?
天彦は一応お約束なので乗っては見たが、その胡乱な輩に胡乱な視線をぶつけて言う。
「お前さんら、こんなところで会うたかぎりは偶然などとは申させんぞ」
天彦と雪之丞の視線の先には、かつての主家今出川家の近習であった上原、湯口、三輪の如何にもな姿があったのだった。
すると雪之丞が一歩前へ。三人をしげしげと見渡すと、かつてを懐かしむでもなく然りとて親しむでもなく言った。いや言い放ったのか。
「お前さんら、しかしようもまた。落ちぶれすぎなん」
「くっ」
「ぐはっ」
「ぴっ」
お雪ちゃん、地の文でもそれはゆーてへんねんで。とか。
最後までお読みくださいましてありがとうございます。
はい。正解は九州編でした。正解だった方おめでとうございます。
惜しくも四国編を予想なさった方はこうご期待! いずれ必ず辿りますので。
大穴の東国偏に張った方はお仕舞いです。菊亭のことをわかりすぎているが故の罠に自ら嵌りましたね。
それではドクシャーの皆さま、感想枠での対戦よろしくお願いします。ばいばいまったねー




