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雅楽伝奏、の家の人  作者: 喜楽もこ
壱章 百折不撓の章
23/314

#23 襲撃されるの日常とか、どんな

 



 永禄十一年(1568)十一月十一日(旧暦)






「粗いな」


 第一感がこれだった。この場合、荒いでも代用可。

 天彦の感性を証明するように、巨大な影が二本、にょきっと伸びて室内に差し込んだ。


「ラウラか」

「いいえイルダです。天彦さん、お大事ありませんね」

「残念そうに言うのやめよか。身共になんかあってもようなったんか」

「まさか」

「さよか。今回は長居するな。まだ退散せえへんのか」


 いくら意趣返しとはいえ嫌味が過ぎた。イルダの無言の応答に天彦も無言で詫びる。


「それでどうなってるんや」

「現在こちらの仮宿は所属不明の浪人傭兵部隊に襲撃されております。その数推定70前後。当家の寝ず番と本家の夜警番が共同でこれにあたっておりますが、目下の情勢は……」

「戦況はようないんやな」

「いいえ。部分的に御味方不利なだけでございます。ですが古来より城攻めは籠城方の有利としたもの。御安心ください」

「攻め手は十倍ゆうもんな」

「五倍です」

「そうともゆうな。三倍やけど」


 気休めに気休めで返す。両者ともこの場に安全があるなど思ってもいない。

 だが結果的には不安はすぐに払しょくされるだろうことも知っていて、おそらくイルダの同僚もしくは上司が報せに走っているはず。

 そして程なく救援に駆け付けてくれるだろう戦闘民族集団が、まんまと敵を蹴散らしてくれるのだろう。時間は経てば経つほどこちらが有利。だからそこまでの辛抱か。


 わかっていても天彦の身体は小さく震えた。小刻みなのは気合いで捩じ伏せているから。油断をすると大きく胴震いしてしまう。

 命を狙われる恐怖とは、相手と理由と事情と感情のすべてがわかっていても容易に払しょくできない性質のものだった。


「怖いですか。必要とあれば御手をお握り致しますが」

「このくらいの年頃には大人扱いが受けるらしいで」


 天彦は暗に断りを入れて、襖越しに聞こえる戦闘音に意識を傾ける。


「武装の件、真剣に検討していただけると我ら家臣も悦びます」

「わかってる。もう少し待ってや」

「なる早です。もしも西園寺の御曹司が翻意したらお仕舞いですよ。貴方たち得意でしょ、裏切り」

「わかってる。ゆうたよな」

「もう。わかってないから教えて上げてるのに。こっちの身にもなってよ」


 この気安さが吉と出るか凶と出るかは死ぬときにわかるか。

 天彦は自嘲しながら己の安全を外注に委ねる危うさに改めて肝を冷やす。

 イルダの言葉は耳が痛い。つまり少なからず道理が含まれているのだろう。

 しかし一方では、天彦の逡巡にも理屈はあった。何せこの規模の襲撃に耐えうる常設武官を雇い入れるなど現実的ではないのである。


 不可能とまでは断言しない。借りた金もけっしてはした金ではない。だが使いきれないほどの大金でもない。自前で武装しようものならたちまち音を立てて尽きてしまう程度の多寡である。

 何しろ武士という人種。驚くほど燃費が悪い。しかも生産性が欠片も無いとくれば、飼うとなると相当の覚悟と収入が見込めなければ不可能だった。


 と、そこに無遠慮な荒々しい複数の足音と、具足がすれる激しい音が闇を切り裂くように近づいてきた。


「若殿様、御無事ですかっ!」

「おうその声は戸田か。ここにおる、このとおり無事や」

「御免。ご無礼仕る」


 実益家来・戸田民部少輔は室内の安全を我が目で確認すると、夜着の天彦に背を向けた。


「粗方は制圧いたしました。ですが数名ほど闇に乗じて屋敷に潜入したと手の者が」

「わかった。任せてもええか」

「むろんのこと。万事お任せあれ」


 戸田民部少輔は気安く請け負ってくれた。

 この関係を当り前のものと思ったらお仕舞いだ。天彦は座したま深々と腰を折って謝意を示した。

 むろん相手が恐縮してくれることを織り込んでいるからできる芸当であり、あちらも当然のものと受け入れ始めたらこの関係は終りの始まりを迎えるだろう。


「若殿様、僭越ながら申し上げる。ここらで真剣に何らかの手を打たねば、いずれ取り返しのつかぬ厳しい結果を招きますぞ」

「進言痛み入る」


 イルダ、うんうんちゃうねん。うんうんやけども。


「笑い事ではござらんぞ、此度の襲撃、かなり異質にござる」

「というと」

「これまでの銭目当ての傭兵や寄せ集めの浪人ではござらん。命を捨てて事をなす野武士が主体となっており申す」

「野武士……、野伏、いや修験者か」

「然様」


 天彦の脳裏に第一感、山本勘助の名が浮かんだ。

 策士的に忍び衆の取り纏めをしたイメージだからだが、連想せずあるがままを解釈しても寺社である。仮に寺社まで巻き込んだとなると益々以って粗いと感じた。


「甲斐の寺社。諏訪大社か」

「そこまでは掴めておりません。おそらくは違いましょう」

「大社が帝に弓引くとは思えんもんな」

「はっ、帝こそ大社の奉戴すべき天子なれば」


 安直だった。これが仏を頂く寺なら話は別だが、社が朝廷に弓引く姿は想像できない。

 いずれにせよ敵さん、実益に相当こってりと絞られたので当面はおとなしいと思っていたが。

 ここ直近、菊御料人の攻めがきつい。気のせいではなく天彦の身辺警護が厳重になればなるほど襲撃頻度が上がっている。遂に今夜、本格的な夜襲があった。こうなるともはや戦の様相である。


 じっじはまだしもぱっぱは完全に沈黙を貫いていて、頼れるどころかむしろ警戒感を煽る始末。このまま今出川殿に居てもよいのだろうか、と。

 長篠の戦い(天正三年・1575)までは取り敢えず忍耐のとき。そこから武田は凋落の一途をたどると考えていたことが、そもそも甘い認識だったことは否めない。持つのだろうか。我が命は。おそらく持たない。


 仮説を立てると、がぜん天彦の危惧は最上級に膨れ上がる。

 いくつかの手はある。しかしどれも強権的で強硬的。決行すれば首謀者感情を逆なでること請け合いだ。つまり問題は菊御料人の精神状態である。

 本来なら命を狙う敵性存在の精神状態などどうでもいい。甘々の天彦ですら配慮はしない。

 だが義理とはいえ母であり、尚且つ来年度には弟か妹が生まれてくる。この生まれ来る命、母親違いとはいえども天彦の感覚的には十分血が繋がった兄妹であった。


 親兄弟とは極力争いたくない。ましてや命のやり取りなんて願い下げ。

 縁あって繋がったのなら親しくありたい。しょーもないことを言い合って、わちゃわちゃと笑い合いたい。あくまで願望ベースで。

 反面、憎まれたら辛い。この場合のルビがカライでもツライでもどちらでもいいほど精神的にしんどいのである。切望ベースで。いっそマストで。


「なんで共存の道筋がないんや」


 生きるか死ぬかの二択なんぞ、この世はほんまにおうてるんか。


 天彦的には民度の低さを嘆いただけに過ぎないぼやき。しかし取り方を間違えればある意味で朝廷批判ともとれる危ういつぶやきでもあった。

 が、咎めるものはない。イルダは激しく同意の頷きで賛意を示し、戸田民部少輔は目を細めて虚空の一点を見つめていた。


 さて、如何したものか。

 菊御料人を始末できないのであれば生存戦略は限られる。下策は天目山の戦い(天正十年・1582年3月)で武田が滅びるまで生き足掻く、であり。

 この策を用いればかなりの確率で多くの部下を失うだろう。あるいは自分自身さえも。

 そしてその過程もかなり危険度が増すだろう。完全に滅んでしまえば菊御料人ももはや観念するだろうけど、それまでは死に物狂いで生き足掻くはず。何しろ武田の血を継ぐ系譜の一端だし、何よりあの甲斐の虎の実妹だし。


 と、天彦は悩み抜いて結局伝家の宝刀を抜いた。


「先送りや」


 日本人として、むしろアイデンティティ最善の選択をするのだった。




 ◇◆◇



 永禄十一年(1568)十一月十二日(旧暦)






 開けて翌朝。

 中庭は巨大な秋雷にでも襲来されたかのような酷い有様で、昨夜の激戦の跡として戦禍を如実に映し出していた。

 

 昨夜は忙しなく互いの無事を確認できていなかった。

 いつもの側近三人(雪之丞・佐吉・ラウラ)に加え、本日からは長野是知を御傍衆に加えた日課である朝議の時間。いつもより気が入っていいはずなのに。

 なのに佐吉の様子が妙である。変、可怪しい。可怪しいどころの騒ぎではない。顔面を頭巾で覆いもはや佐吉本人かどうかさえ胡乱な事態だ。


「それでいけると思たんか。舐めすぎやろ佐吉」

「面目次第もございません」

「面目何ぞどうでもええ、とれ」

「何卒」

「しゃーないな。ほな始めよか、――なんてゆうはずないやろがいっ!」


 お雪ちゃん、ラウラ。剥いでしまえ。


 天彦の号令に喜々として飛びいる名を出された二人。

 明らかなオモシロだ。これを見逃せる菊亭家来衆ではなかった。


「や、や、そこまで。待った!」

「脱がんかい」

「是知、ぼさっとしておおらずに、そちらを押さえよ」

「は、はい」


 む、無念なり――!


 佐吉の頭巾は秒で剥がされた。

 なんてことはない。ただ顔が途轍もなく面白くなっていただけであった。

 正しくは両目に青タンを拵え、主に左頬を激しく腫らしていただけだ。


「どないした」

「……某の不注意にて。転びましてございます」

「さすがにそうはならんやろ」

「あいや、誠に」

「まことやと」

「はっ、誠にございます」

「佐吉」

「はっ」

「お前の誠は高いんやな。そんな高潔な誠を奉じられたら、卑しい身共は参ってしまうわ」

「ぐぅ」


 佐吉は罪悪感に苛まれ目を回してしまう。


「不問や。今日は帰ってゆっくり静養し」

「お、お勤めには大事ございません。何卒っ!」

「あかん」

「何卒」

「……」

「殿……」


 天彦が黙って態度を保留していると、ややあって堪忍した佐吉が訥々と語り始めた。


「殿の仰せの通りでございました。某は考え抜いた末に断ったのでござる。すると待ち合わせた茶屋に潜んでおった侍共に囲まれ、このように無様を曝す結果と相成ってござる……。面目次第もございません」


 天彦は目をつむって頷いた。何度も、何度も。

 そして目を見開き雪之丞、ラウラ、是知の順に視線を巡らせた。


「参りましょう」

「行かいでか」

「やりましょう」

「コロス」


 果たして誰の号令だったか。思い思いのけれど方向性は極めて等しい決起の言葉が室内に響いた。

 すると佐吉を除く漏れなく全員が、ほとんど同時に立ち上がった。そして誰もが瞳に小さな闘志を滾らせ、誰とも示し合わせることもなく即時報復決行の意思を共有するのだった。


「出陣や。敵は近江豪族、青地なり」

「者ども、出あえ」


 菊亭天彦。

 体はこのとおり小さくて非力。おまけに絶賛無位無官のお荷物なれど。

 しかし心はけっして弱くない。気持ちはけっして弱くない。

 

 齢数え10にして初陣の火ぶたを自ら切った。
















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