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雅楽伝奏、の家の人  作者: 喜楽もこ
十三章 画竜点睛の章
225/314

#05 構造的かつ文化的暴威に曝されているB型です

 



 元亀元年(1570)六月二十八日






「ふむ、大山猫のような女であるな」

「亜将さん、それは虎ですよ虎さん」

「ほう植田は物知りやな」

「えへへ。まあそうでもあります」

「おい虎、そこへ直れ」


「誰がじゃんッ!」


 お前じゃん。


 男子勢全員の視線が揃って訴えていた。

 だがそれがよろしくなかったのだろう。野生の海賊姫の何か(主に闘志)に火を点けてしまっていたようで。


「おのれらァ、纏めてぶっ殺すじゃん――ッ!」


 海賊姫は野性味たっぷりの口上を告げると同時に、腰に佩いた二本の武骨な得物の銀閃を閃かせてしまう。


「……正気かあいつは」

「呼んだんは実益さんなん」

「訊いてないぞ」

「そこまでは把握してません」

「しろ」


 天彦は実益の無茶振りに表面上だけ歩調を合わせ、そろりそろり。

 危険物と距離をとる。

 野生の勘が冴えわたる生き残りのプロを携えて。


「若とのさまぁ」

「こらお雪ちゃん主君の背中に隠れるとかないやろ」


 気付けば銀閃の突端にソロでロックオンされてしまっている実益は、どこか苦々しい背中で語った。


「他意はないのだ不興を買ってしまったのなら許せ」

「鯛もサバもブリもないじゃん。ぶっ殺す――!」

「……無手じゃぞ、麿は」

「余計に殺りやすいじゃん」

「あ」


 あ。


 あ。


 野生の姫様の辞書にはどうやら正々堂々などという生温い文字はないようであった。おそらく概念ごとぺいっとその頁を千切って放って捨てたのだろう。あるいはむしゃむしゃと食べてしまったか。


 が、


「ふはっ! それにしてもスプラトゥーンのインクくらい揮発性高いのなんなん」


 持ち味のコミカルさが前面に押し出されていてシリアス要素はゼロであった。


 にやり。


 ソードカトラスをぶんぶんに振り回す年魚市の相変わらずのハチャメチャっぷりに思わず天彦の表情は緩んでしまう。


 だが楽しさには限りがあるべき派の天彦はここが潮時と判断した。

 あと間断なく放たれる銀閃を回避する実益の足元に汗が滴り危うくなっていたのもあって。


「年魚市、そのへんにしとくん」

「む」

「しとくん」

「……じゃん」


 気付けば言葉が詰まらない。どうやら年魚市姫の登場に天彦のイップスは完全に解れていたようであった。




 ◇




 場所を他に移して道すがら。


 再現性の有る無し。すなわちオートクチュールの一点物かプレタポルテの量産物か。

 家名や血統には地域に根差す人々の深層心理に働きかけるアファメーション的安心感が隠されている。故に名は馬鹿にできない。特にこの戦国室町における家名は思わぬ効力を発揮するのだ。


 実益の策はつまりこう。


「このお転婆海賊姫をどこぞの海賊にでも嫁がせた上で、後々は西園寺の軍門に取り込む算段なん」

「そや。子龍、お前ならあるやろ腹案が」


 ある。


 菊池家を再興。そして菊池権守の名跡を継がせるか。ほんで九州あたりの海賊を纏めさせて上洛せよと。これでええさん。


「どや」


 どや。に聞こえた。天彦の耳には。

 実益はたしかに言ったのかもしれないが、天彦的には場にそぐわない某符であった。


 だから怪訝な顔つきで小考する。



 …………、…………、……、



 考えることコンマ5秒。秒速より早く導き出された結論は、


 いやムリムリムリムリ。絶対むりなん。だった。


 だから天彦は言語化することにした。息を吸って吐いてを繰り返し極力感情を取り払って。


「アホやろお前」

「何をッ」


 アホだった。あふぉすぎた。



 ん……?



 だが天彦の脳裏に一縷の閃光が閃きとなって舞い降りる。

 実益案はクソだが発想は悪くない。

 なぜなら彼はその水軍に苦しめられてきたからこそ、海賊に背後を襲撃させる案を提案しているのだから。


 戦国最大の海賊といえば。


 ずばりルイス・フロイスをして日本最大の海賊パイレーツと言わしめた村上海賊に決まっていた。

 彼ら徒党の本拠地は芸予諸島。そして瀬戸内はむろん毛利の勢力版図内であり、おそらくだが毛利・村上間では何らかの盟約が交わされているものと思われる。

 同盟関係はわからないが少なくとも不可侵条約くらいは結んでいるだろう。でなければこの逆進侵攻は間尺に合わないから。


 伊予の西園寺と村上水軍が結託すれば毛利を攻め滅ぼせずともかなりの痛打は与えられるはずだろうから。

 策謀のプロである毛利家がそんな愚を犯すはずがないのである。


 そしておそらくは足利を匿っている大友家とも繋がっている。あるいは更には義昭の号令は九州全土に轟いているのかもしれない。

 逆臣織田の悪名と引き換えにして。逆賊菊亭の悪風の広まりと同じくして。


 故にだからこその逆侵攻。


「お武家さんのくせして一人称マロがお似合いなあのカス将軍やってくれるん」


 やっていることはハチャメチャで名門のくせして一貫性も再現性もない出鱈目を繰り返し、なのにけれど。


「小物の小悪党で神経を異常に逆撫でするくせに影響力だけは絶大とかお前さんは天竜人か」


 怒ったん。


 天彦は怒っていた。大激怒を天井の100とするなら75くらいの感情で。


「あ、危ないやつや」

「殿様こっわ」

「……子龍」


 だがそれですら十分の揮発性を発揮していて、雪之丞はもちろん年魚市もあの実益でさえ足を止めて警戒感を露わにする。


 そんなことはお構いなく天彦は扇子で側近を呼びつける。


「是知」

「はっここにございまする」

「九郎を呼べ」

「九郎にございまするか」

「そうや。何んとか申した傳役も一緒にな」

「はっ即刻。していずこに」

「内裏に向かう。そやな……旧東宮御所で落ち合おうか。是知、支度も併せて任せたん」

「はっお任せござれ。それでは御前失礼仕りまする」


 是知は配下を引き連れ駆けだしていく。


「佐吉」

「はっここにございまする」

「播磨並びに河内へ書簡を」

「はっ」

「赤松はもう堕ちてるやろなぁ。播磨御着城小寺則職と、そやな有岡城の荒木村重。このお二人さんには特に綿密な内容の書簡を届けるん」

「はっ畏まってございまする」


 天彦は完全にモードに入っていた。天彦的には一番深くいい状態で。


 だが、


「子龍、あかんときの顔しとんぞ」

「ひどっ」

「酷ない。酷いのはお前の顔や」

「……」

「なんや」

「なんやて、そのまま不満を表現してるんやけど」

「どつくぞ」

「待った!」


 あの磨きをかけた剛腕は振るわれたらお仕舞いです。氏ぬ。普通に。


 仕切り直して。


「やめいその顔を」

「そう? 気のせいちゃうかな」

「ちゃう。やめとけ」

「なあ実益」

「……なんや」


 身共に伊予まるごとくれへんかなおくれさん。


 伊予を差し出せ。


 耳を疑ってしまう文言に、西園寺ばかりではなく菊亭両家の従者たちもがぞっとして思わず天彦を直視してしまう。

 全員の顔にはいったい何ということを。直接的な驚愕を表わす表情が張り付けられていた。


 それはそう。120の無茶である。

 ならば言われた当の本人は。


 天彦の唐突で突飛なお強請りは長い沈黙か条件反射的激発を生じさせるものと思われた。

 だが現実はそうはならず、実益はほんの一瞬だけ面食らった表情を浮かべたものの、すぐさま常の利発で好戦的な表情を取りもどしていた。


 そして、


「やろう。お前に麿のすべてをやる」

「ええのん?」

「善きに計らえ」

「おおきにさん」


 二人の会話を聞き届けていた家来たちは呆然状態から立ち直ると、



 え、えええええええええええええええええええええええええええ――ッ



 西園寺家と菊亭家は有史以来の関係性の中で初めて、両家の感情を寸分違わず一致させて夏の空へと大絶叫を解放するのであった。最大級の疑問符を頭上高くに打ち上げて。


 実益はそんな家来たちに厳しいめの視線を向けて叱責し、


「しかし子龍、村上は伊予河野の重臣なるぞ」

「実益が滅ぼした」

「滅ぼしてはおらぬが打倒はした」

「一族は」

「伊予にて抱えておる。我が家名の下にひれ伏しおった。わはははは」


 ガトリング砲の前に、ね。黙っておくが。


 天彦は先を促した。


「うむ。そして村上といえば安芸小早川と昵懇であるぞ」

「そっかー……、でも何とかするん。当代武吉さんは菊池武俊さんから偏諱を受けてるはずやから」


 事実関係は不明なるも、村上がお家最大の窮地を迎えたとき肥後の菊池家を頼ったことは間違いない。そして菊池家は快く村上家を迎え入れていることも。


「相変わらずの驚くべき知見であるな」

「常識やよ」

「馬鹿を申すな。貴様の知識を世間の常識に照らすでないわ。だが星占いあるいは五山のお告げと申しておけ」

「はい」


 天彦は実益の危惧に感謝しその通りに従う素振りを見せた。

 むろん自分勝手なラベリングだと一笑してからだが。

 なぜなら天彦はかつての帰国ではB型だった。つまり構造的かつ文化的暴威に曝され続けてきたのである。


 人は得体の知れないものを恐れてしまい。なのに占いや神託は信じてしまう不思議な生き物。

 なぜ人は占いを信じるのか。まったく科学的ではないにもかかわらず。

 単純にスピは楽しいから。スピは謎めいていて神秘的だから。スピは欲しい答えをくれるから。答えはだいたいこの三つに集約されているのだろう。知らんけど。


「ならばよい。伊予80万石。そっくりそのまま我が子龍にくれてやる、好きに致せ」


 天彦は美しい故実の所作で礼儀を改め謝意を示す。

 対する実益はどこかこそばゆい顔をしてしっしと指先であしらって返した。

 天彦はそんな実益を眩しそうに見つめる。すると実益は鬱陶しそうにまたぞろ指先で天彦の視線を追い払った。


「実益が身共を好きすぎてつらたんなん」

「貴様であろうが」

「ほな嫌いなん?」

「……喧しいわ、小癪な。貴様には中間がないのか」

「ないん」

「……」


 言い負かしたところで何てことはない。実益にはあらゆる窮地を一発で引っ繰り返せる右の拳があるのだから。


「ごめんなん」

「次はどつく」

「あ、はい」


 実益は天才である。それも大天才の部類に分類される天賦の才を持っている。

 ならば何の天才なのか。

 そう。清華家筆頭名家・大西園寺家の御曹司は努力の大天才であった。


 実益は常々言う。よいか子龍、やればできるは絶対に違う。正しくは出来るまでやる。これが真理であると。

 公家でありながら木刀を一心不乱に振り続け、手の皮が剥け豆ができその豆もまた潰れてもまだ猶振り続ける。天彦の一番嫌う精神論を剥き出しにして。


 天彦はそんな実益が好き。好きすぎた。そしてあまりにも眩しすぎた。

 だから実益の持論がかりに真理はではなくとも、天彦の中の納得感は完ぺきに満たされる大大大好きな言葉の一つになっていた。


「菊池とは存ぜぬが伝手があるのか」

「あるん。それも極近しい身内に」

「……まさか」

「ちゃうちゃうちゃうよ! さすがに無理なん偶然なん」

「果たしてそうかな」


 実益の一周回った疑りという名の信頼が痛かった。


 それはそれとして、射干が危うい。

 天彦の漠然とした焦りの原因はこれに尽きた。

 九州に送り出したイルダが帰還してこない。帰ったはずのコンスエラも勝手気ままに振舞ってすべての采配をルカに預けっぱなしのまま。

 やはり時節柄どうしても吉田屋との繋がりを勘繰ってしまう。あるいは天彦も知らないB案が裏で進行中なのかもしれないとしても。


 だがそれ以上は深掘らない。深く掘れない。どうせ複雑な利権構造を知ってしまうだけだから。

 何より目下の菊亭と射干は双務契約常態とは言い難かった。つまり確固たる地位と経済基盤を作り上げてしまった射干に対し、労働に見合う対価の支払いができていない。あるいは長らく借りっぱなし状態であった。


 戦国雇用関係は極めてドライ。言葉を飾らず言ってしまえば“絶対のぜ”で御恩と奉公最優先である。絆なにそれ美味しいの。


 これを間違えてしまうとたちまち主客は転倒してしまう。


「……まあそれでもあいつらのことや、ただ単に腰の重い身共の尻を蹴り上げて煽ってきてるだけなんやろうけど」


 究極的に射干の居場所はどこにもない。この民度も理解度も極めて低い戦国時代に措いては確実に。

 天彦の美醜感覚なら見目麗しければ麗しいほど排除されてしまう悲しい宿命を背負っていた。




 ◇◆◇




 元亀元年(1570)七月某日






 伊予今治来島。



 村上家の本拠来島城には能島・来島・因島の村上三家をはじめとして、今岡・忽那・得居家の重鎮家臣が勢揃いしていた。

 そして彼らが視線を預ける上座には熊のような巨躯を誇る髭もじゃの大男が手酌で酒を呷りながら一通の書簡に目を通していた。


 村上郎党を率いる村上武吉である。


「殿、して如何したんじゃ。急に儂らを呼びつけて」

「都のお貴族様が儂らと盟を結びたいらしい。がははははははは――!」


 数舜の沈黙の後、どっと笑い声が館に響いた。


 だが呼び水を差したであろうはずの武吉は渋面を浮かべていた。

 その異変に気付いた郎党たちも次第に馬鹿笑いをやめて静まっていった。


「そのお貴族様とは三つ紅葉の大宰相閣下じゃ」

「なんと――ッ」


 今度は一転、座にどよめきが巻き起こる。

 菊亭天彦を知らずともこの瀬戸内に大恩恵をもたらした豪商吉田屋の名前は誰もが知る。ともすると五つの童でも知っている。

 そしてその吉田屋を送り出したのがあの清華家筆頭菊亭家であることも。この情報が世間一般的ではなくとも少なくとも国人や豪族レベルなら承知していて然るべきであった。事実としてこの場に集う者は押し並べて皆承知していた。


 そして当然、その吉田屋の離反も。


「義理に悖る行為じゃの」

「ふふふ、殿の口から義理などと。明日は霰でも降るんじゃねーか」


 誰かの合いの手に座が大いにどっと沸きあがった。

 すでに皆、当主の思惑をある程度のレベルで把握できているようであった。


「伊予を寄越すそうじゃ」

「なんと――ッ!」


 今度は沸かなかった。だが座の熱量はかつてないほど明らかに沸騰していた。


「対価は!」

「毛利のケツを掘れとよ」

「……なんじゃその無茶苦茶な条件は」


 誰もが急転直下、テンションをオニ下がらせて消沈した。

 毛利家と構えるなど瀬戸内海を基盤とする彼らにとって天に唾するも同然の反逆に等しかった。


 だが、


「御大層に儂ら海賊風情に菊の御旗を掲げさせてやるとよ。つまりこれまでの悪行は御破算。その上朝廷のお墨付きまで頂戴して領地は安堵。しかも御大層に官職も賜れるそうだ。お前らど畜生海賊どももひっくるめてな」



 ………………、

 …………、

 ……、



「儂は軍門に下ろうと思う。者ども、異論はあるか」


 皆が図ったように揃えて首を左右に猛然と振った。決まった。


 こうして村上水軍は全会一致で三つ紅葉の軍門に下ることを決定した。

 菊亭に軍門などありはしないというのにも関わらずに。


 そして、


「若君が御座すのか」


 村上一党の当主武吉は祖父が保護された肥後で生まれている。そして彼は自身もそうだが一族の受けた恩を忘れない。

 武吉の個人的資質として非常に義理堅いということもあるが、つまり菊池家に対し明確な恩義を感じていたのである。


 故に毛利との間で僅かに揺れたが決断までは早かった。


「願ったり叶ったり」


 ようやく義理を果たせるときがきたと。













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