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雅楽伝奏、の家の人  作者: 喜楽もこ
十三章 画竜点睛の章
221/314

#01 ジャパニーズ・オクゲ・ソウルするです

 



 元亀元年(1570)六月十ニ日






 夜半、暁九つの鐘が鳴る前。



 天彦の寝所に複数の気配が忍び寄っていた。


 射干のエキスパートたちががっちりと守備する天彦の寝所であればむろん警備は万全よりも万全を期している。

 そこをボディーチェックなしどころか誰何さえされずに難なくすり抜け辿り着けたということはそういうこと。


「殿、与六にござる。斯様な刻限に申し訳ございませぬ」

「よほどのことやろ、前置きはええん。訊かせたって。但しゆっくりとや」

「はっ。ならばお待ちいたしまする」

「ん」


 闖入者は菊亭侍所扶とその郎党数名であった。


 天彦は条件反射的に身体を起こすより早く応答していた。

 むろん起き抜けの脳みそはすぐには期待通りの機能を果たしてくれない。

 展開の想定を立てながら脳の覚醒作業に入っていく。心の準備と言い換えてもいい。

 いずれにせよメンタル雑魚の天彦にとってはきつい作業。

 よくない報せと知りながらの作業はあまり嬉しいものではなかった。


 よう鍛えられている郎党さんや。


 与六の背後に控える三人の家来の表情から情報を読み取ろうとしてもゼロ回答。実にお侍然とした御家来衆であった。……諦め。ならば与六は。


 誰かが灯した蝋燭の灯りだけでは頼りなく、その表情はいつも通りの精悍さがある。自信に満ち溢れたいつもの顔つき。……ほえかっこええさん。


「いま何刻や」

「夜半にござる」

「23時か。そらよっぽどやな」

「我が不徳。喫緊にお報せせねばと急きましてござる」


 そして豪胆はったりを最大の売りとしている与六が相手では、口調や語気からも感情の揺らぎは推し量れない。

 天彦は事前の情報収集を諦めた。ならばお覚悟を。脳内で誰かの台詞を口ずさんで与六の繰り出すだろう言葉にすべてを委ねることに決めた。


「ええさんや」

「はっ。ならばお覚悟を」

「お前かい!」

「ん?」

「いや話の腰を折って堪忍なん。どうぞ」

「はっ。……御屋形様御乱心の報が我が手の者より舞い込んでございまする」

「あ」


 与六が館号で称える相手はこの世でただ一人。


「申し訳ございません。某もいくぶん動揺しているようにござる。謙信公、反旗を翻し出陣。越後の織田軍の側面をまんまと突き破り大打撃を与えた模様にございまする」

「嗚呼……、まんじ」


 天彦のただでさえ起き抜けでよくなかった顔色が見る見る内に死んでいく。

 常から美白な顔色に更に青白みが差し込んでいき、やがて顔中を真っ青に染めていい感じの内面(驚愕)を見える化させていった。


「その御反応。どうやら策ではなさそうですな。あるいは御慧眼から零れ落ちた何かが障りましたかな」

「……半分は策や。残り半分は、、、」

「ならば誤算が」

「あったん。大有りやったん」

「なるほど。朧気ながら見えてまいり申した」

「やろな」


 さす六。察しのいいことで。


 だが天彦にはその軽口さえ気軽に言葉にできなかった。あるいは言語化する気力がないのかも。いずにせよ完全・完璧に萎えてしまっていた。


 自分の目測または見通しの甘さに。

 それに至った自分の無能さに。


 完全・完璧に萎えてしまっていた。


 それもそのはず。史実はやはり忠実に歴史を再現しようとしてくることがこれで鮮明となったのだから。あるいは形を変えてでもエピソードの履修に躍起になることが判明したから。

 解釈がどうあれ織田軍は越後遠征では何がどうあっても一敗地に塗れなければならないようであった。それも驚天動地の大驚愕を伴った急襲を受けて。


「……いや、規模デカすぎやろ」


 リアルに与える影響力と。あとメンタルに与えるインパクトも。


 史実では精々が浅井一万有余の襲撃だった。それでも壊滅状態で悲惨な撤退戦を余儀なくされたのだ。軍神本気の会心の一撃を浴びせられて果たして無事で済むのだろうか。済むと思いたいところだが、願いの域はどうしても出ない。


「おおきに」

「申し訳ございませぬ」


 与六が居住まいを正し頭を下げようとしたその時、――かつん。

 与六の額に目掛けて扇子の先端が飛来して直撃。

 与六ならば余裕で回避できそうな速度で飛んでいった扇子だが、けれど彼は除けなかった。

 まるでそうすることが当然であるといった顔つきで額の真ん中で受け止め、かつん、ぽとり。額から薄く血を滲ませた上で再度謝罪の言葉を口にした。


「申し訳、ございませぬ」

「だから何の立場で詫びるんやと申しておる」

「くっ」


 天彦は与六の謝罪を固辞。全力で拒絶の意を表明した。

 これまで与六にはけっして向けてこなかった峻烈な意志を瞳に浮かべて。


 すると、


「申し訳ございませぬ――ッ!」


 与六は目を瞠った後、またしても謝意を示した。


 だが、


「ん。以降は二度とないようにな」

「はっ。確と肝に銘じまする」


 だが天彦は今度は一転して与六の謝罪を受け入れた。

 天彦にはその意味合いの違いが正しく伝わっていたからであった。与六もきっとそう。きっとその意図で詫びたのだ。そうであると信じたい。無条件の手放しで信じられた。


 常に自分と同じ視点に立ってほしい。立ってくれなイヤや。


 そんな子供じみた、けれど天彦にとっては絶対に譲れない切実な感情を、与六は汲んで理解してくれたのだと信じられた。

 するとどうだろう。

 二人の間に一瞬生じた違和感もまるで夢幻であったかのようにいつもの雰囲気に戻っていた。


「ならば某も欲しがりますぞ」

「う」

「ふはは。して殿、御聞かせ下さいまするな。その取りこぼした半分とやらを」

「はは、あははは」

「この期に及んで逃げ遂せるとお思いか」

「はぁ……」


 今度は一転詰められる立場に変わってしまう。

 与六は飛び切りいい(悪い)顔で天彦を直視すると、膝をすりすりと畳の上を滑らせてにじり寄る。


「さあ尋常にお吐き召されい」

「そう凄まんといてんか。……すべての元凶は身共にある。身共が思い上がっていたん。堪忍なん」

「なるほど。……どうぞ、心して拝聴いたしまする」


 天彦は頷いて茶を所望してずずずごくり。乾いた喉を潤した。


 ヌルゲーだったはずの越前征伐遠征は急転直下の無理ゲーへと姿を変えてしまった。むろん越後ドラゴンの本格参戦によって。


 天彦は舐めていた。歴史に名を連ねる大英雄の野望のデカさを。

 だって歴史家の評価では謙信には野望がないってことで統一されていたんだもの。知らんけど。そうなっていたのは事実。


 故に天彦もその情報を叩き台にシミュレーションを組んでいた。

 だが違った。そういうこと。

 そしてこの問題の一番まずい点と言えば……、


「与六、堪忍なん」

「と、申されますと」

「この裏切りには三河守さんも連動するん」

「なっ……!」


 なんと……!?


 これまでずっと空気だった郎党さえ驚嘆の声をあげるほどの新たな事実が開示された。控えめに言ってメガトン級の破壊力である。


 裏切りが強いなら野望でも可。結果は同じ。変わらない。


 さてこの発言を紐解いていくと、それが菊亭家と徳川家との盟約だから。

 この言葉に集約される。家康は越後の動きに連動する。絶対にする。

 というのも天彦はそれを条件に三河の窮地を救ったのだから。

 家康はせざるを得ない。天彦の神仏のお告げを降ろす異能に一度でも触れてしまえば、この時代の人間は実にチョロい。いや実に信心深かった。


 しかも家康にとって対価としても申し分なかった。天彦の差し出した三河の安全と天下二分の計は。むしろ破格。故に約定は果たされる。


 天彦としてはどちらでもよかった。謙信は権威に弱く御しやすい。家康は史実の通りなら排除より取り込みに走ったからこれも難なく手の内である。権威を無にはしないだろうから。

 ちょっとやんちゃに自分の血を混ぜすぎたけれど。まあ許容範囲の血統ロンダリングである。


 いずれせよ策はなる。なるように仕込んだのだから、なる。確実に。

 するとつまり、まさにこの時。思考レベルだがつい数時間前までの平和が音を立てて崩れ落ちた瞬間である。


 なぜこうなったのか。天彦のシナリオに瑕疵はない。

 なぜなら織田家は暴走する。天彦の中での絶対だった。あるいは絶対を超えた何かであった。

 それが魔王自身なのか。それとも意思を引き継ぐ誰かなのかはわからない。

 だが織田信長は公家の天敵。天彦は見て話して触れて接して。その一挙手一投足から判断した。けっして決めつけではないはずである。ない。


 なぜなら残念なことに公家には合理性がまるでない。生産性も皆無である。

 そんなともすると存在するだけ無駄なカスを象徴というだけで居残らせてくれるほど信長は甘いのだろうか。答えは一つ。魔王はけっして甘くない。

 彼の要不要の合理性は極まっていた。天彦の知る限り。身内贔屓もえげつないし。公家を他者と捉え排除するに足る理由はいくらでもあった。


 何しろ実の息子すら利用して比叡山を燃やし尽くす人物なのだから。

 天彦は確信している。あれは信長の仕業であると。いくら軍扇に込められた軍権が絶対とはいえ、あの信長に伺いも立てず四万の大軍勢を動かせるだろうか。


 絶対に否――! である。


 天彦は信長公の瞳の奥に、合理性などということばではもはや判断できない絶対的な使命感めいたサムシングを感じ取っていたのである。


 だから織田家は暴走する。天彦はそう判断した。

 むろん暴走とは天彦視点の暴走を意味する。それが日ノ本にとっての善悪とは無関係に。後世の日本の適否とも無縁に。合否はむしろ不合格かもしれない。

 なぜなら天彦はお公家様。視点は常に我が身を起点に、志向性は常にジャパニーズ・オクゲ・ソウルを基に。なのである。


 ならばどう対処するのか。むろん天彦の菊亭に織田家を抑え込めるだけの戦力はない。あっても単独で制圧する心算は更々ない。公家だから。策意を以って知と智で戦っていく。


 故に仕込んだ。徳川地雷を。軍神メガトン爆弾を。

 織田家暴走の暁には確実に抑え込めるだけの戦力と、そしてそれを維持し支え続けられるだけの経済基盤整備を条件にして。


 越後と三河は織田家の安全装置だったのだ。だったのだが……。


「装置の方が暴発してどないするんまんじ」


 らしい。知らんけど。


 いやほんとうに天彦は数舜だがもう知らね。の感情に陥っていた。よくあることだが。完璧に投げやりに。

 クラスの1軍が気まぐれに話しかけてくんなし。その感情で。

 あるいは身共の思惑を軽々と越えてくるのやめてもらっていいですか。こっちはライクハックという名の超絶チート持ってるんですけどー。の感情で。


 もういい加減、うんざりする。


 感情は完全に迷子であった。


「あかんあかん」


 天彦は少し焦った様子で愛用の扇子を取り出すとぱちんぱちん。

 家内ではすっかりお馴染みとなった謎の調子を刻んでそのリズムが軽快になるごとに表情に精気を蘇らせていく。


 不完全だが確実に優しい惑星だろうリズムを刻み終えて、すぐに、


「与六」

「はっ」

「魔王さん壊走してきはるわ。お出迎えあんじょうよろしゅう頼んますぅ」

「……生きてお戻りになられると」

「戻るやろ。知らんけど」

「いなくなった方が好都合では」

「与六」

「はい」

「茶筅が泣くやろ」

「ふっ、あれが泣き申すか。では某は丹後に参りまする」

「ん。頼もしさんやぁ。気ぃつけてな」

「お気遣い忝く。これにて御前御免仕る」


 与六は郎党を連れて去っていった。


 手筈シナリオは以前のものを踏襲。二人の会話は実にスムーズに進行していく。

 これは知識と教養レベルが一致しているからこそ為せる業。

 知識階層が違うと会話は思いの外かみ合わず上下なく両者ともにしんどいとしたものである。


 天彦は周囲をきょろきょろ。いない。可怪しい。念のために天井に……いた。

 なんでそこに居るん。顔に血ぃ昇ってるやんの呆れ顔で。


「ルカ」

「はいだりん」


 ルカはしゅたっと舞い降りた。

 その身に蜘蛛の巣をこれでもかと引っ付けて。……キモいっ!


 天彦は無言でルカの身繕いを手伝う。渋々と。辟易としながら。


「なんでするん」

「こ、コンスエラお、お姉様が……」

「戻ってんのか」

「はい、だりん。あのお殿様」

「ナイショなんやな」

「はい」

「野郎……顔も出さんと、遊び惚けおって。まあええさん。忍びの美学やめて? 面倒やしきしょいから。次やったら怖いよ」

「くっ」

「その尊敬の眼差しを了承と受け取ろ」

「ど、どこが――」

「あ」

「あ」


 気分を変えて。

 ルカは恐怖に引きつった顔を直して仕切り直して。


「ごほん。ほなルカ、評定衆さんら叩き起こしてくれるか」

「え」

「なんや厭そうに」

「厭ですけど120」

「おいコラ」

「諸太夫のお役目だりん」

「どこに居るんやその諸太夫とやらは」

「……いないだりん」

「ほな動かんかい。それとも身共が動けばええさんなんか」

「はい」

「あ」

「あ」


 睨み合う二人。どっちもどっちの言い分だったので譲り合う。

 二度目の仕切り直しを経て、


「何が厭なんや」

「だってうちにばっかりいっつも厭なお役目を押し付けるだりん」

「だから何が厭なんや」

「青侍衆の館の寝所が臭くて厭だりん。何よりイツメン青侍たちの寝起きの不機嫌さが一番イヤ。うちの手下、二度ほど斬り付けられただりん」


 あ、あぁ。深酒か。何となくの事情と犯人を察したところで。


「ご褒美に先陣切らせてやるから愚痴るな」

「一番要らない御褒美だりん」

「ほう。それが射干の総意なんやなぁ」

「いってきまーす」


 ルカはルカ。ルカのやる気は常にない。そういうこと。




 ◇




 二条城本丸へとつづく渡り廊下。



「お役目ご苦労にござる」

「なんとこれぞまさにゼウスの配剤!」


 廃材だけに。


 などとルカは無礼極まりない言葉をつぶやき、夜回り担当らしい侍の挨拶に足を止めた。


「人質殿だりん」

「……お言葉でござるがルカ殿。某、今や歴とした菊亭門下の将にござる。認識を改めて頂きたく」

「それを決めるのは其許かそれとも」

「むろん殿のご判断にござる。ですが――ッ」

「まあ静まられよ。御前に通じる殿中にござるぞ」

「し、失礼仕った」


 喧噪は悪、静寂は善。そういうこと。


 ルカに咎められた菊池の若君は罰悪そうに消沈して謝意を示した。まんまと。まんまと。


「貴殿のお気持ちは伝え聞いているだりん。なればこそ残念でならない」

「……と、申されますると」

「もう一つ声を落とされよ」

「あ。……はっ」

「うん。貴殿の菊池家を再興したいという大志。果たして殿に届きましょうや。よそんば届けられたところで実行に移されましょうや」

「むろん。この命に代えましても」

「お気持ち大いに結構。なれど側近衆にあの煩方が始終侍っているのにもかかわらずに適いますかな」

「……」


 無理だ。不可能。


 先ほどまでの意気が秒で萎んでいくのがわかった。


 九郎の脳裏には嗜虐的な表情を浮かべてあらゆる雑音を封じている是知の悪辣極まりない笑みが浮かんでいた。

 多少は佐吉派閥という感化されやすい状況も影響を与えているだろうが、だいたい正しい。認識としての是知はたいていの場合で邪魔者である。


「ならば如何すれば!」

「まあ待て急くな。あと声を控えなさい」

「あ。はっ、失礼仕った」

「うん。私は射干である」

「……と、申されますと」

「だるっ」

「は?」

「ごほん。私はだーれ」

「射干党を率いられる副党首殿にござる」

「ご名答。ならば問いましょう。蔭に日向にたとえ火の中水の中であろうとお殿様の御傍に控えるのは」

「……!」

「ご明察。我が一党、射干だりん。再度問う、なれば我が一党以上にお殿様の傍に寄れる郎党がおりましょうや。我が一党以上にお殿様に進言できる郎党がおりましょうや。そう申しましたまでだりん」

「あ……!」

「そういうことです。菊池家のご再興のため、懸命なご判断を」

「よろしく御願い奉りまする」


 意志の疎通は測れた。あるいは謀れたでもこの場合は可であろう。


「ならば九郎殿、お耳を拝借」

「はっ」


 赫赫然然。


 あることあることを吹き込まれた若き俊英菊池家の若公は、闇夜へと消えていったとか。


 こうして菊亭のどこか落ち着かない、けれど謎に整然としている夜は更けていった。













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