#11 この人とだったら世界が輝く、それが理想
元亀元年(1570)六月十一日
二条室町第。
かつて将軍義昭が本拠としていた二条城と呼ばれる居城である。しかし今では東宮二条御所として名を改め、現在急ピッチで建設が行われている居館完成までの間、東宮誠仁親王殿下の仮宿として機能していた。
そして便乗商法を得意とする菊亭家も同居している。らっきー。かどうかはさて措き、東宮別当である菊亭当主もこの二条第に詰めている。一族郎党丸ごと全部。やはりらっきー。
いくら何でも詰め掛けすぎのきらいは強いが主従がそれでよいのならいい。よって菊亭総勢二千有余はこの堀川二条にある二条第跡に居を構えている。
今やこの地は都の一丁目一番地。押しも押されもせぬ基幹地区として、あるいは行政区として機能し堂々都に君臨してる。
◇
二条城大天守を頂く本丸一階部分の迎賓の間には、此度開かれることとなった会合の呼び掛けに応じた畿内の有力諸侯と名立たる豪商が一堂に介する。
この錚々たる顔ぶれは、上座に鎮座する今や一躍時の人となった若き菊亭当主の小さな口からよどみなく繰り出される高説に真剣な眼差しを向けて、耳を傾ける。
「人は城、人は石垣、人は堀。これは身共の宿敵であった甲斐の虎さんの残した名言なん」
人は憎んでも正しさまでは否定できない。そんな常套句めいた金言をスピーチの導入として始まった説得は、たしかに建前だけは一流であった。建前だけは。
だが建前だけで十分であった。
なぜなら今や菊亭は天下に大号令を掛けられる三人(東宮・信長・天彦)の内の一人。異を唱える者など早々いない。
トレンドを牽引する堺町の納屋衆であろうとも。畿内に名を馳せる武門の誉れ著しい猛将であろうとも。少なくともこのメンツには異論を訴え出られる者はいないのである。
よゆー。
会合は120%の思惑通り成功裏に終わった。
回答はむろん満額の100である。
メンツはいずれも一流揃い。だが決め手に欠ける。
それが天彦の飾らない本音であった。
ならば何が不足しているのか。極めて単純明快な解である。
圧倒的にして絶対的な財力と権威。人心を掌握するその二つの要素が大きく不足していた。
ならばその二つは誰が持つのか。こちらも単純な解である。
「財閥さん、いらっしゃい」
関西重鎮落語家の口調で声色も真似て。むろんジェスチャーも忘れずに。
「あ、えと……殿?」
「九郎、こういう場面は見ぬことが肝要にござる」
「はっ石田様。御忠告痛み入りまする」
「うむ。貴殿には期待しておる。共に来る難局を乗り越えようぞ」
「はい。御期待に沿い、否、ご期待以上に働いてみせまする」
「それは重畳。気張られよ」
「はっ」
菊池の若君はどうやら佐吉閥に取り込まれたようである。今や菊亭は是知閥と佐吉閥の二大派閥で運用されている。
そこは賢しい九郎のこと。あるいは自ら飛び込んでいったまであるが天彦はいい(いい)顔でほくそ笑む。それでよいと。
文官を引き連れた天彦が場を改めた先は、予め用意してあった三の丸大会議室であった。
そういうこと。
寺社に代表される権威と財の象徴である戦国財閥不在の会合など所詮はやっているテイの域を出ない。されど数は力も理論としては間違っておらず、鬼の居ぬまの洗濯くらいにはなっているはず。……と、信じたい今日この頃。
「いや、無理やろ」
無理だった。
集ってくれた有志が小粒の小物揃いとまでは言わないにしても。比較対象があまりにも途轍もなさすぎて哀しくなる。影響力が圧倒的に違い過ぎた。
だる。ゲロ吐きそう。
だからといって天彦に寺社を召喚できる力はない。あっても彼らは一致団結して突っぱねることだろう。
なにせ神仏の宿敵1.2の内の2からのお願い事なのだから。あるいは対象者によっては1の可能性だって否めないのだし……。
だから天彦は気高く耐える。
どれだけの悪態を吐かれようとも。どれほどの罵詈雑言を浴びせかけられようとも。あるいはいわれなき非難を轟轟訥々と説かれようとも。
気高く耐えるのみであった。――とか。
「コロス。身共に賛同せーへん愚か者はみーんな氏ねどす」
「我、魔王の知恵袋の本性見たり!」
「何たる増上慢か。この悪鬼羅刹の手先めが!」
「ほらみたことか、小鬼が本性剥き出しおったぞ!」
「この性悪子狐めが。生まれた煉獄魔界へと帰らんかいっ!」
「南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏――喝ッ!」
「おんあろりきゃそわか、おんあろりきゃそわか――ッ!」
特技、神仏界隈を騒然とさせる。を炸裂させたところで。
「重鎮僧兄。お前さんらの気持ちはわかるが、少し黙ったらんかい」
……………………、
………………、
…………、
……、
騒然を超えて物情騒然とする座に凛としたドラマティコボイスが鳴り響いた。
座にわずか一節で瞬く間に沈黙をもたらした発言者は、ご存知仏教界のプリンス教如光寿である。
そして彼は目下畿内で最も政局に影響を与えるであろうと目されている最有力人物の一人でもあった。
そんな人物からの物言いに耳を傾けない者はいない。少なくともこの座には。
が、
「お茶々――ッ!」
「あ?」
「う゛」
「おう? 儂は誰や。対するお前は誰じゃ。立場を弁えいや太政官参議」
「……あ、はい」
天彦は短音一つで論破(恫喝)されて瞬く間に意気消沈するグループの仲間入りを果たす。これで土俵は整った。
この応接は教如のある意味での意思表明であった。そしてこの発言もまた周囲に対し教如光寿という人物の為人と凄味を知らしめる演出の一幕となる。……のだが。
果たして教如にそんな小賢しい意図はない。彼は平然と嘘をつく。だが彼は常に王道を歩んだ。すなわち彼は常に己の立ち位置から世界を計る。
それはともすると菊亭天彦が己の志向性を軸にして世界を謀るのとどこか似ていて。どこか通じていて。
教如は紛れもなく、この戦国乱世に堂々と君臨できる数少ない英雄英傑の一人であった。
その親友にして好敵手が態度を示した。
そうとう呑気な天彦でさえこれには身構えずにはいられない。それはそう。
この座に集う中で一番の脅威強敵が牙を剥いて襲い掛かろうとしているのだから。
おのずと握る掌にも汗が滲む。じっとね。
「汗掻いたん。お茶にせーへん?」
「お互いにめんどいことはとっとと片付けるに限るやろ」
「えらい急かはってどないしゃったんやろ。そちらさんが圧倒的に優勢やのに」
「間合いはとらせん。お前相手にはこの世の遍く優位性はなんの効力も発揮せんからな。いっちゃん近い傍に居ったこの儂が一番知っとる。そういうこっちゃ」
数舜視線を交錯させ、薄く嗤いあう二人。
けれどその印象はどこか冷たい。なのに二人はどちらも瞳の奥にメラメラとした焔を宿している。
この矛盾の意味するところは果たして。
いずれにせよ誰が誰であろうとなかろうと、けっして負けられない戦いがそこにはあった。ようである。
「だる」
「あん?」
「仰せ御尤も。ほなその前に、――作麼生!」
「説破! ……あ」
教如は天彦の挑発に乗ってしまう。だがこれは仕方がなかった。
ズルいのは天彦の方。天彦は120%受けてもらえることを承知で嗾けたのだ。
何しろ教如の記憶のある限り何度コテンパンに叩きのめされようとも立ち向かってきた盟友の挑戦は自分の意地に懸けても受けないという考えはなかったから。
そこを突いた姑息な手だった。
「愛とは何やろ」
「ふん、この世に数多ある概念の一つや」
「ほーん。概念なら定義があるはず。それを教えたってんか」
「なぜ知りたい。定義を知ったからとてその意味までもが理解できるとは限らんのやぞ」
「ひどい!」
「至極妥当や」
「くっ」
教如WIN――! 天彦の負け。ぼろ負けである。
用意していたその先の意図まで看破されては完敗も尤もであろう。
天彦は姑息な手段を放棄した。
むろん悪巧み大将を自負する天彦であれば、他にも手練手管はいくつもあるのだろうけど。すべてを封印して真っ向勝負で挑むことに決めた。
教如の心意気に免じて。
けっして負け惜しみではなく。けっして負け惜しみではなく。
「あ、そう。お利巧さんなことで。ほなどうぞ。真宗の御曹司のお好きされるがよろしいさんや」
「抜かせ最上位血統書付きの御曹司が。訊きたいことはたった一つ。それに賛同して儂らに何の利があるんや」
がびょーん。
実に端的だった。クリンチからの離れ際のレバー打ち。
的確なだけにそのジャブは天彦の言葉を詰まらせる。つまり効いた。
息ができない。だが隙は見せられないので表情は余裕を装う。得意である。故に容易い。
だが事はまったく容易くない。
何しろこれはらしくない慈善活動。究極的ないい人キャンペーンに分類される慈善活動の一環である。つまるところ延いては極論的には仏教界に利など一ミリだってないのである。
彼らは人を救うテイの守銭奴だから。
仏様の仮面を被った金銭欲の亡者だから。
利など与えられない。むしろ奪うばかりである。
よって言葉に詰まって当然であった。言葉に迷って当り前であった。
「解散。……で、ええんやな」
「そやね」
今日一、座に驚愕のざわめきが巻き起こった。
「なんと――!」
「さすが!」
「なるほど舌鋒、天下一であるな」
この場に集う者すべてが教如の勝利を確信し、同時に号外が飛び交う市中の騒然を想像したことだろう。
その都を騒がせる瓦版の紙面にはきっと大々的に“菊亭敗れる”この文言が躍ることだろうことを確信して。
◇
「お殿様の馬鹿、阿呆、おだんごなすび! なんで裏切者になんて負けただりん!」
「負けてへんやろ。それとお団子と大きい声で叫ぶな。いっちゃん五月蠅いのが鼻を利かせて参るやろ」
「ほら、ツッコミにもキレがありません」
「ボケが温いんと違うんか」
「あ」
「あ」
これに関しては互いに有効打無し。仕切り直して、
「何と申そうとも引き分けや」
「負けたでしょ! ぼろぼろのめっためたにされただりん!」
「見解の相違や」
「その見解、巷では圧倒的な少数意見だりん」
「お、おう?」
「嘘だと思うなら諜報部員を呼び寄せますか」
「あ、結構です」
「ビアンカ、フローラ。おいで」
「はい!」
「はい!」
何そのドラクエ5のどっちがいいかヒロインみたいなネーミング。
だが天彦はイヤイヤをして報告に耳を塞いだ。
世間の評価などどうでもいいのだ。
天彦自身が本気で引き分け(ドロー)を疑っていなければ。
なぜなら茶々丸の本心をしれたから。
彼は本気で神仏界を纏める気だ。それが知れただけでも大収穫。ほとんど勝利したも同然の感覚だったのだが……。
諜報部員ビアンカ、フローラの報告を耳にした家来達の反応はいつになく食い違ったようで。
「殿、是非とも再戦のお下知を!」
「殿!」
「殿っ」
「殿が負ける……だと」
「ほえ、日ノ本は広いの市松」
「まさか殿が。……再戦の立会役に何卒某をお命じくだされ!」
「腹立つ。許せぬ。此度ばかりは絶対に悪風覆していただきたく候!」
「殿様、さすがに放置は厳しいですぞ」
「高虎殿に同感にござる。殿には殿のお考えがござろう。ですがさすがに」
「殿ぉ……ぴえん」
是知、泣くなし。
あ。鼻水拭きよった。設えたばかりの一張羅の袖で……。
あと氏郷しばく。お前のは私心100やろ。
あヤバ。いっちゃん五月蠅いのが参ったん。
天彦は雪之丞の姿を目の端に納めると思考を放棄。早々に場を治める算段を練り始めた。
だが家来たちは疑っているようであった。これは非常に珍しい現象である。
欲目でも何でもなく、厳然たる事実としてイツメンたちの天彦信奉に揺るぎを感じたことなどなかったのだ。これまではただの一度も勝利を疑われたことはなかったのである。ところが……。
別室に場所を移してさて本題。
天彦は左に佐吉、右に与六、そして数歩離れて後ろにルカを従えて進む。
「お相手が悪うございましたな」
「与六……」
「違いますかな」
「訊かんといてんか」
「ふふ、ならば口を噤みまする」
「そうして」
図星。すべてが与六の言葉に集約されていた。
そういうこと。
裏を返せば茶々丸への絶大すぎる信頼感が為せる業。こればかりは天彦には如何ともしがたく、あるいは如何ともする心算がなく。いずれにせよ嬉し悲しの大誤算であった。
「殿……」
「ん、どないした佐吉」
「いえ、なぜかお笑いになられておられましたのでつい」
「笑う? 笑うたらあかんのんか」
「いえ滅相もございませぬ。……与六殿」
助けを求められ与六がにやり。
「石田殿は殿の反応が思いの外であったとそう申されておられるのです」
「……ふっ、そうか。身共は佐吉の裏を掻いて笑うてたか。それは重畳」
「と、殿……」
「悪いお人だ」
どれだけ深い暗闇もほんの少しの光が差せば消えてしまう。
天彦には闇が多い。
だが天彦の中に巣食うそんな暗闇を消し去ってくれる一条の光明。そのひとつが茶々丸であった。
「気高く耐えるん」
「いやお殿様、それが言いたいだけですよね、だりん」
「いいや」
「では何と」
「ミドモテや!」
「わたもて……?」
どうせしょーもないことを。ルカの訴えかける目が正解。
身共がモテないのはどう考えてもお前らが悪い!
ご存じ。という謎の主張を展開させた天彦だが、例えばその背景に本当につまらない人間などこの世にはいないという主張が隠されているとしても。
あるいは人生とは他者理解に費やす時間であり、この数式を読み解く長くて短い1コマであるという主張が紛れ込まれているとしても。
「チェンジで」
「え」
「え」
「え」
「え」
「ひっ」
ばたん――
天彦の存じ上げないところで謎進行していたお見合いという名の完全政略婚約のお相手が、側近侍女ごとひっくるめて気を失うようにその場に崩れ落ちていったとかいかなかったとか。
むろんお見合いという名の政略婚約のお相手は魔王の実の娘姫様である。
たとえネタであろうとも、チェンジなどという下品な言葉を向けてよい相手ではけっしてない。
現況、この日ノ本で一・二を争う貴種姫様にあらせられる。
「じんおわ」
「それはこっちの台詞だりん。それとは別にお殿様、ひどいだりん!」
「同感にござるな。あまりに品性に欠ける言葉にござった」
「殿、……某も此度ばかりは」
さ、佐吉ぃ……。まぢじんおわ。
むろん終わらせにかかったのは天彦自身。誰のせいでもなく。
だが仕方がない。意図して終わらせにかかったのだから。
揺るぎない信念と自身の練った策に准じて。正しさなど度外視して。正解など粗末に扱って。
けれど一番粗末に扱ってしまったのは人の心。
愛を問うた天彦は、やはり愛の本質を見誤っていた。
けれど行為として悪手であったことは察している。察しているというよりもこの間断なく向けられている憎悪の視線に晒されれば否が応にも。
「おのれ菊亭、なんたる破廉恥な。けして許すまじ」
「この愚弄、けっして許さぬ」
「朝顔、夕顔、妾はこのような場にひと時たりとも居るとうないぞよ」
参りましょう姫様。
幼い姫は侍女に連れられおよよと言い残し去っていった。
「あ」
「う」
「え」
「お」
さすがの天彦も言葉を失い猛省する。むろん手段の間違いに痛恨を覚えて。そしてチェンジの文言を織田家中に広めた二人の人物の内の一人に眩暈を覚えて。
まだ存命の一人はあとでシバくとして。……ぐぬぬぬぬ茶筅め覚えとれ。
残りの一人。その人物が逝ったらしい北東方面に辞を低くして、けれどそれも含めてレクイエムには程遠い感情で小さくつぶやく。
「藤吉郎さん。逝ってもよう効く呪詛を残してくれて。ほんにおおきにさんにおじゃりますぅ」
むろんすべてのフラグを回収し終わらせにかかったのは天彦自身。誰のせいでもないのである。そこに関してはとうのとっくに腹を括っている身の上。
だが反省すべき点は多々あった。今回の場合は根拠に乏しくほとんど地合いで判断したこと。言ってしまえば勘である。
この勘も案外馬鹿にできないのだが、それでも強いて挙げるのなら。
だって織田さんちの血筋って漏れなく全員ヒステリックなんだもの。
この言葉に尽きるのだろうか。いずれにせよ偏見がえぐい。
そんな天彦の独白が五山颪の気流に乗ってどこかの国にまで届いたとか。
◇◆◇
「時は参った。余は天下取りに名乗りを挙げる――!」
関東のほとんどと奥州はすべて余に賛同するとの旨を皆に告げ、毘沙門天の化身は視線を虚空に預ける。
「おめでとうございまする」
筆頭家老の祝辞が耳朶を叩いたとき、呵っと目を見開き気炎を上げた。
「者ども、出陣じゃ。勝鬨を上げよ!」
応、鋭、応――! 鋭鋭、応――!
越後の龍が東宮の呼びかけに応じなかった理由がここにすべて集約されているのだろう。そして畿内に訪れた飢饉の真の理由と。
奇しくもこうして天下分け目の天彦争奪戦が繰り広げられようとしていたのである。
日ノ本はどこへ向かうのか。あるいは歴史は。
いずれにせよ新たな風雲来訪と共に畿内の平和は秒で消し飛んだ。それだけはたしか。
じんおわ。
まさに飛び切り取って置き。正しい使い方の出番である。
【文中補足】
1、地合い
相場の気配や雰囲気のこと。みんなこの地合いを基に何となくで株をやっている。……ですよね! ラドンもそうだと言っています(泣)




