#22 実は友だち多いとか、なん
永禄十一年(1568)十一月十日(旧暦)今出川殿・菊亭借り屋敷
粗末な造りの廊下を進み借り屋敷の中庭に向かう。と、居た。すぐにお目当てを発見する。
だが何やら佐吉は雪之丞と二人して密談している風である。興味本位から天彦はそっと聞き耳を立ててみることにした。
「ちょっと潜むで」
「はっ」
勘がいい。是知はすぐに意図を理解して指示に従う。
二人は生垣に身体を寄せてそっと聞き耳を立てた。
「この便所コオロギが」
「ちゃう、この便所こうろぎがっ! こうや、覚えたか」
「この便所コオロギが」
「ちゃうやろ、この便所こうろぎがっ! やろ」
「この便所コオロギがっ」
「惜しい。けどなんか違うねん」
佐吉、お雪ちゃんも。何しとんるん。
そんな台詞、西岡何某さんしか言わんのよ。しかも本物の便所コオロギ(カマドウマ)相手にゆうことちゃうのよ。主の顔が見てみたいわ。顔が熱い。
「わかったで佐吉。“う”に胆力込めるんや」
「う?」
「そや。こうろぎ、の“う”や」
「お、では」
「ちゃう。う、や」
「某、解せませぬ。コオロギはコオロギでござる」
「やかましい。近江の田舎ではそうなんやろ」
「む。京の都では正しい呼び方も教わらぬのですか」
「田舎と都、どっちが上や」
「それは帝が坐、都に決まっております」
「そやろ。そういうことや」
「解せませぬ」
「なんでや! 上司の言葉は絶対やろがいっ」
「某、いくら声を荒げられても、納得しかねる物事には上司も主君もないと存じます故、納得なしに首肯できかねまする」
どっちでもええ――!
いや、あかん。雪之丞が権力を振り回していた。あんなやんちゃな振り回し方は教えていない。あとで説教や。
それと佐吉、おまえ死ぬぞ。短気な上司やったら段平抜いてるで。
天彦は別ベクトルで二人を心配しつつ、もう少し様子をみる。
「しかし聞きしに勝る頑固もんやな。ええか佐吉、そういうときは若とのさんに倣ったらええんや」
「なるほど。得心参りましてござる」
「ではこ“う”ろぎやな」
「はい。こうろぎで」
「よし」
「はい」
そこで納得するん、なん。
天彦はあまりの恥ずかしさに聞いていられなくなった。息のかかる至近から熱量を感じるほどの熱視線が突き刺さっているから。是知、違うんや。
気付けば次の瞬間には立ち上がり生垣から飛び出してしまっていた。そして、
「この便所コオロギどもが――っ!」
同じ穴のムジナであった。
が、
「あれや!」
「然り」
妙な納得と同意を得たところで、扇子をぱちぱち圧迫面接。天彦は全身に有りっ丈の威圧感を纏い(ったつもりで)にじり寄る。
おそらく威圧感など必要なくとも改まる二人は、やはり即座に改まる。
天彦は地べたに膝をつく二人を下目遣いに睨みつける。そして十分な間を取ってから扇子で雪之丞を単独指名。殊更権高く言い放った。
「で、植田雪之丞。部下共々お勤めさぼって何をやってるんや」
「滅相もありません。若とのさん、これには訳が」
「そやろ。訳がないとさすがに本気で心配なるで」
「さすがのご慧眼です」
「ヨイショはええから、何でか早う訊かせてや」
「はい。実は佐吉に近々故郷から知己の者が参るらしいんです。訊けば竹馬の友やそうで。ですけどなにやら身分差があるようで」
「なるほど。でも佐吉は今や身共の直臣や。そう遠くないいずれは将軍さんかて直言許さはる身分になるで。もちろんお雪ちゃんもやで」
「はい。ですので某、そうと知れば菊亭の武官として舐められたらあかんと思い立ち、こうして直々に威儀の何たるかを仕込んでいたところです」
なるほど。
ほんでなんで便所コオロギになんねん。そうはならんやろ。
「わからん」
「若とのさん、阿呆やな」
「おい」
「だってわかるやん普通」
「ほう、ほなゆうてみ」
「はい。佐吉は偉そうにするんが苦手なんです。何しろ偉くないですから。だから格下相手で鍛錬してたんですやん」
「格し……まあええ。わかった」
「ほら」
「お馬鹿もの!」
「え」
惜しそうで実は一ミリもかすっていない。お雪ちゃんって、そこまでやったっけ。
天彦は雪之丞のやる気にこそ不安感を覚えた。それはもう猛烈に、激烈に、痛烈に。
だがこの絶望的なセンスのなさは天性のもの。それも含めての友好であり、故のずっトモ認定なのである。
君は菊亭のゆるキャラなんやで。死地に飛び込んではあかんし、部下を熱血指導してもあかん。そこは間違えたら絶っっっ対にアカン。
天彦はけっして言葉にせず、けれど確かに伝わるよう感情には訴えた。
「お雪ちゃん。事情はわかった。後は身共にまかせとき」
「ですが」
「お雪ちゃん、人は誰しも領分というものがある。気持ちは受け取ったで」
「領分。はい」
半ば取り上げる形となってしまたが佐吉は救えた。善しとしよう。
天彦は佐吉に目線を送ると、
「仲良しか」
「はい。昵懇にございます」
「昵懇か。そういえばそうとも言うな。おい佐吉、一つ訊くが身共を貶めてないやろな」
「よもや貶めるなど、あり得ません」
「ならええけど」
念のため。昵懇、覚えた。
佐吉には天然でそういうところがあるから警戒は怠れない。
天彦はやや不貞腐れて言葉をつづけた。
「それで昵懇相手との身分差とやらはどの程度や」
「故郷の土豪の倅にて。村では一番の有力者でございました」
「それで佐吉の家は」
「当家も土豪ですが、村の規模が違います。よって何らかの問題が出来すれば与力として合力する間柄です。いざのときに合力してもらうために」
「つまり相互協力関係と。家来やないんやな」
「はい。あくまで与力にて」
村問題も然りとて、六角周りはこのへんが実にややこしいので触れてはならない。理解がとても面倒だから。
「わかった。でもなんや、国人でもないんかいな」
「はっ。規模的には在地の豪族かと。ですが嫡男。家は継ぎまする」
「なるほど。そこは佐吉とは決定的に開きがあるか。ほんま次男以降は世知辛い世の中やで。でも佐吉、うちは腐っても名門今出川に連なる半家菊亭やで」
「はっ、重々心得ておりまする」
「それでええ。ツレの名は」
「青地千代寿にございます」
「青地……」
なぜだか一瞬でその人物の来歴が天彦の脳裏に思い浮かんだ。
どこかで聞きかじった。記憶は確とある。が、それがどこで誰から訊いたのかは失念しているそんな記憶。
「父親は青地駿河守茂綱やろ。六角氏式目に名を連ねた」
「なんと! 然様にございます。まことに殿はよくご存じで。いつも驚かされてばかり」
「佐吉の関わることや、それほどでもある」
「殿、それは」
「佐吉が身共にとって特別やっちゅうこっちゃ」
「はっ……! ははぁ、恐れ入りましてございます。不肖石田佐吉、殿の信に応じ報いるよう粉骨砕身お役目に務めまする」
「あ、はい」
煽っておいて怯むとは。
天彦は自分で自分が情けなくなる。その代わりではないだろうが、畏怖の念を体現すべく深々と首を垂れる佐吉に、心意気や見事、天晴なりの賛辞を贈った。
さて本題。佐吉のツレは、近江の国人領主(六角氏家臣団序列20位の重臣)である青地茂綱の嫡男。青地四郎元珍。父親(当主)を志賀の陣で失う。
六角方で参加したため領地安堵を危ぶまれたが、嫡男千代寿の家督相続並びに領地安堵の御家存続を許されたとあったが。むろん許したのは敵方大将、織田上総介信長である。
その嫡男何某氏が佐吉を頼って上京する。もう故郷の地は踏まない不退転の誓いを立てた佐吉を頼って。格下与力のそれも嫡男でさえない寺の小姓だった佐吉を。
「佐吉、その何某は其許の出仕先を存じておるんか」
「はいおそらくは。父親同士が親しかったので存じてはいるはずです」
「なるほど、な」
つまり家に異変が出来した。当主自らが赴かなければならないほどの大事が。
織田上野介、移り気とは聞かないが、どうやらお気に召さないようだ。あるいは中間に入った家臣何某かの思惑含みやも。
いずれにしても、
「……相続、さては取り消されたな」
「へ」
「いやこちらの話や。佐吉、中立売門に客人や。迎えにいったり」
「はっ」
「その青地何某や」
「え、あ、はい」
「それと忠告や」
「はっ、承ります」
「ええか、安請け合いするな。もし情に負けて立ち入ると決めたなら、身共の顔を思い出せ」
「え、い、如何なる仕儀にて」
「如何なるも何も、身共は青地千代寿の話以外してないはずやが」
「は、はい。ですが」
「訊け」
「はっ」
「ええか。佐吉の決断は、選ぶ結果如何では身共を巻き込んだ大事になる。そうゆうてるんや」
「へ」
「今回は特別大事やが、それは今回ばかりやない。今後ずっと佐吉の決断には身共の命運がかかってくるんやで。これは鉄板の予言や。ちゃうな星読みか。土御門の節穴星読みなんぞ目ではないほど確実に当たる星読みの術や。ええか、常々肝に銘じとき」
「う゛」
佐吉は声にならないうめき声を上げて、それでも無理やり首肯した。
天彦とて優しくありたい。だが事が事、綺麗事はいえない。こればかりは命あっての物種だ。
なのに天彦は頭で理解している良識を感情で吹き飛ばしたい衝動に駆られた。こうなっては是非も無し。たった今この瞬間、偽らざる言葉を贈ることに決めた。阿呆である。
「ということを一旦全部忘れて、でも友達は大事にしなあかん。頼まれたら引き受けたり」
「え」
「昵懇の仲とはそういうことやろ、身共には友だちおれへんから知らんけど。けどこれだけは確実や。佐吉にどないもできひんかったら、身共らがどないか何とかしたる。そやから受けたらええ」
「あぅ」
佐吉は一息に矛盾する指示がいっぺんに下され、わけもわからず狼狽した。処理できずに中々復旧してこない。
頃合いを見て天彦が優しく肩を叩くと何とか我に返り、辞を低くして礼を申し述べ去っていった。覚束ない足取りで。
「ちょいと脅しすぎたやろか」
だが脅すくらいでちょうどいい。本音ではこの件を覆そうと思うとゲロを吐きそうだから。なにせこの件、必ず織田上総介までたどり着いてしまうとんでもない案件だからだ。想像するだけで震えてくる。
第六天魔王との決闘なんか絶対イヤに決まってる。
越冬せずとも差し向かいでの対話なんて勘弁や。
そうでなくとも彼の御仁、天子どころか神仏にさえ己の意見を押し通す増上慢DQN。三下公家の戯言などデコピン一つでお仕舞いである。
逃げるにも、お転婆雅趣さん一味のおかげさんで西国の大大名さんも頼られへんし。
天彦が渋い顔で愚痴っている背中越しに、
「若とのさん」
「あれが若殿……、菊亭の御嫡子」
ときおり見せる天彦の知らない顔。聞き逃さなかった発言とセットにすると五割増しで恐ろしい。
常に行動を共にする雪之丞でさえ恐怖するのだ。新人の是知など当然満身ガクブルであった。
【文中補足】
1、サボる
サボタージュの和製語。猶、密接な家来は、天彦が日常的に使用する和製語は理解できている設定。
2、織田上総介信長
上総守を自称したが介に改名。常陸・上野共に親王任国であり、国府の実質的長官は上野介であることは常識である。知らずに自称していたなんて、めっちゃはずかったと思われる。因みに知らずに守と書いていたような気がするがハズくはない。




