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雅楽伝奏、の家の人  作者: 喜楽もこ
十二章 破顔一笑の章
217/314

#08 宵宮の千本鳥居

 



 元亀元年(1570)五月十五日






 おろろろろろろろろろろろろろろろろr――



「危機感さんはお亡くなりにならはったん?」


 天彦の目の前では天彦の愚痴も尤もな、ある意味での惨劇が繰り広げられていた。


 雅楽(琵琶)の風流人として雅号がごうを得て改名したばかりの見習い雅楽家さんが、祝い酒を浴びるようにしこたま飲んで酷い二日酔い状態でリバースしているのである。


 無様なりささら、風流人にあるまじき姿。


 その一言に尽きる元三介の失態に、周囲はお決まりの極めて苦い顔をする。

 天彦はどうだろう。少なくとも嫌悪感は覚えない。

 むろん通常なら迷惑千万な話である。人物が人物だけに気は使うし大荷物だしで預かっても碌な目には遭わないだろう扱いに非常に苦慮する人物である。


 だが何度も言うが天彦の瞳に嫌悪感は浮かんでない。

 嫌悪感どころか逆に嬉し味を浮かべる始末。それもそのはず。

 親友ずっトモが去って極限淋しい思いをしているところに、入れ替わるように親友ずっトモ中でも特等賑やかな親友ずっトモが参ってくれたのだから。


 嬉し味も一入。煙たがるどころかむしろ肯定的に受け入れ、愛すべき愚か者が将来的な天下第一の立場を放り投げた無謀に見て見ぬふりをしているのである。

 三介絡みで立てていた無数の策がすべて須らく無駄に終わってしまったとしても恨まず愚痴らず。我が傍にきてくれたことだけを評価して全力で好意的に受け止めているのである。



 とか……、



「うるさい黙れ、茶筅死ねどす!」



 ひ――ッ



 天彦も人の子。人目も憚らず普通にブチ切れていた。



「誰がテイルズ・オブ・リバースやねん! どこのどいつさんが昨日の今日で酒喰らって二日酔いでゲロ吐いてるん、あたま可怪しいやろ!」


「……」

「……」

「……」


 元三介の世話役たちはもちろん、菊亭諸太夫たちも言葉を失くして消沈する。


 むろん天彦の態度には意図がある。本気に見えるのは本気だから。本気で辛く当たっている。

 元三介が貴族として生きるも僧として生きるも、いずれにしても菊亭で馴染まないことには未来は暗い。


 天彦の辛口対応は、そんな明日を見越したものでもあった。


「もうええわかったん。誰でもええさん。あのど阿呆を引っ捕まえて庭の松に逆さに吊るしてまえ! そしてその間抜け面を家中に晒しておくん」


「あ、いや……」

「そ、それは……」

「ど、どうかそれだけは」


 誰もが二の足を踏み、我先にと誰かの背中に隠れ潜んだ。それはそう。

 雅人となったからといって魔王の実子でなくなったわけではないのである。

 何しろこのど阿呆。魔王の飛び切りのお気に入りである。それを証拠に叡山に勝手に討ち入っても罪らしい罪には問われておらず、それどころか有能な家臣を多く付けて送り出されていた。


 特別扱いは誰の目にも明らかである。


 対して、天彦の怒りもそれはそれで厄介である。何せ拗ねたらしつこい無類のネチャラーなのである。

 ならば誰が出るのか。決まっている。

 ルカはここが出番とばかりに腕を捲って火中の栗を拾いにいった。


「お殿様、ここは気分転換に藤の花でも愛でに参りましょうだりん」

「なんやわざとらしい気をまわして」

「てへへ」

「下手やのに頑張ってくれたルカに免じて参ろうか。この時分ならしだれ藤か……、ええさんやね」

「では」

「ん、参ろうか」

「はい!」



 おおお――!



 さすルカ、御手前お見事。


 イツメンたちは息を吹き返し俄然活気づいて騒ぎ立てた。


「このお調子者さんらときたら」


 天彦はぽつり。イツメンたちの鳴りやまぬルカへの賞賛の声をつぶやきで吹き飛ばし、藤の花が咲くらしい堤へと向かった。




 ◇




 醍醐寺桜馬場(京都市山科区)。



 五月晴れがきらきら眩い日中(正午)、昼九つの鐘が鳴る頃、ささらの阿呆はいったん放置して。

 天彦はいつものメンツ(与六・高虎・且元・氏郷・是知・佐吉)に加え、新参メンバー(市松・夜叉丸・九郎・枢)を引き連れ、お目当てのしだれ藤を愛でに桜馬場の堤沿いを歩く。


 但し菊亭一の御家来さんだけは別。

 雪之丞は元三介と同じ勝手に部隊を動かした罪で罰として、泣くほど嫌いな用人働きに汗をしている真っ最中である。具体的には竈番。その竈にせっせと薪を焚べる係のお仕事中。


 さて藤だがすでにピークは過ぎ去っていて、


「うん、微妙」

「ははは、我らが共に集っている。そのことにこそ意味がございましょう」

「氏郷、物は言いようやな」

「ははは、はは、はぁ……」


 対して氏郷が下手な気を回して天彦の機嫌を取っているその外側では。

 古参が主君の脇を固めていて天彦のその顔さえ拝めない新参側近衆四人が、どうにか近づけないものかと頭を捻る。

 だがさすがはイツメン。完璧に脇を固められてしまって付け入れる隙はまったくない。


「おのれ」

「無理じゃの」

「ぐぬぬぬ」

「ムリっぽ」


 市松・夜叉丸・九郎・枢の四人は、万策尽きた頃にはそれなりに意気投合していて、気安い会話を交わせる程度の仲にはなっていた。

 仮にそこまで打ち解けてはおらずとも、少なくとも当初の猛烈に肩肘張り合う感情はかなり鳴りを潜めていた。


「しかし夜叉丸よ、主家にはけったいなお人ばかり集まってくるの」

「確かに。市松の申す通りじゃ」

「其許ら、言動には注意なされよ」

「なされよー」


「なにを、小癪な」

「何じゃ貴様、いい子ぶりおって」

「いい子ぶってはおらぬ。某とて出る場面では打って出る。だが其許らの言動にはメリハリがござらぬぞ」

「ござらぬぞー」


「夜叉丸、こいつ生意気じゃぞ」

「市松、こいつ生意気じゃの」

「おもしろい。某も格付けの必要性を感じていたところにて。丁度数も揃うておる。白黒つけようではないか」

「ないかー」


 九郎は齢十つにしてすでに剣術の達人クラス。くるるは未知数だが将来を嘱望される射干の逸材。並みの技量であろうはずがない。

 対する侍二人はフィジカルギフテッドの戦闘馬鹿。相手にとって不足はない。


 菊池の若君九郎は闘志を瞳に、勢い勇んで相棒の姿を目で追うと、


「なっ……!」


 相棒となったはずの枢は棒きれをぶんぶん振り回し、あろうことか市松と夜叉丸側に立っていた。


「枢、貴様……、冗句にしても笑えぬぞ」

「もぐもぐ九郎、吹き飛べー!」


 その口を頬張り切れないほどの何かでいっぱいに満たしてもぐもぐと咀嚼しながら。

 その枢を脇に置き市松と夜叉丸は勝利を確信した顔で言い放つ。


「殿はこう仰せであった。戦は戦う前に決していると」

「そしてこうも仰った。五分の勝負を挑むなど愚か者のすることよと」


 殿様なら如何にも言いそうだということも含めて九郎は震えた。


「お、の、れ、卑怯な。貴様らに武士の誇りはないのか! ええい多勢に無勢など気迫と根性で――――あ」



 あ。


 あ。


 あ。



 驚愕の“あ”が四つ。なぜ四つなのかは枢に訊け。


 枢が懐から何かを取り出しぽいぽいと放り投げた刹那、凄まじい突風が吹き荒び激烈な閃光が煌めいた。




 ◇




「貴様らとは金輪際、けっして二度と歩調を合わせぬ!」

「こっちの台詞じゃ」

「以下同文。お前の顔は見とうない」

「枢、哀しい」


「悲しいのはこっちじゃ!」九郎が吠えると、

「同感じゃの、ドアホめ」市松が同調し、

「こいつはヤバい」夜叉丸は本気で引いていた。


「へへへ、照れる」



 ……、……、……。



 九郎、市松、夜叉丸の三人は三様の表情でドン引くのであった。


 格付けはさて措き、誰が一番ヤバいかの白黒だけは付いたところで。

 四人は肩を並べて竈に薪を焚べ、炎に勢いをつけるべく竹筒でふーふーと風を吹き込みながら、わちゃわちゃと罵り合っていた。


 すると、そこに。


「おーい用人さんら、こっちの竈の火も弱まってるでー」


「誰が用人じゃい」

「儂らじゃろ。……しかしなんであの方は馴染んでおられる」

「仮にも東宮様の永代別当なのに」

「はーい」


 屈辱さえ忘れるほど、先輩用人の姿に魂消ていたとかいないとか。


 いずれにしても四人は先輩懲罰囚の姿を見習って、許されるまで懇々と下働きに精を出していたとか。

 菊亭の流儀に従い本来なら禅宗の僧侶しか着ない作務衣さむいの、それも用人の誰かが着込んだ襤褸の御下がりを着て。




 ◇◆◇




 元亀元年(1570)五月十七日





 キッズたちが煤で顔を真っ黒に染め上げている頃。

 天彦は天彦で五里霧中の真っただ中にあった。


「申し訳ございません、だりん」

「両名の監督不行き届きをお詫び申し上げまする」

「申し訳ございませぬ!」

「傳役である某の不徳。何卒この奥松をお罰しくだされ」


 ルカを始めとしていい大人たちが平謝りするも、天彦は取り合わない。

 若さは一瞬、魅力は一生。とか。言い換えるなら稚気が抜ければ後には魅力しかない。

 あのキッズたちにはその魅力が満載。ましてやあれほどの逸材揃いとくれば少々のやんちゃは目を瞑ってもお釣りがくるほど。


 そして何より目下天彦の意識はそこにはなかった。

 目付け役たちを目と手で追い払い、天彦は長考に沈む。


 大見得を切ったはいいが具体策が纏まらない。

 もちろん腹案はある。だがこの案は使えない。この札を切るにはあまりに重要ピースが欠けすぎていた。ならばどうするのか。それが問題であった。


「じんおわ」


 いつもの常套句を口にするもやはりどこか歯切れが悪い。


 さて如何したものか。どの策も浮かんでは消え、消えては浮かぶを繰り返し、けれどやはりどれもが決定力に欠けていた。

 むろん次善策なら幾つかあるし、五山の狐と揶揄されるだけあって品格に乏しい悪巧みなら幾つか思いついているが。


 今回は使えない。今回ばかりは正道かつ王道の策を披露しなければならないのである。

 何しろ相手は御公儀(帝)であり、似非正義マン(惟任)であり、その似非を信奉するおバカな民衆なのだから。


 天彦にしては珍しく焦っていた。それも偏に、


「理が非でも勝ちたいん」


 から。


 その思いは本物である。少なくとも天彦には確かにそう感じられた。


「与六」

「ここにござる」

「ちょっと付き合うてくれるか」

「この夜分に、でござるか」

「そう。厭か」

「滅相もござらぬ。ですが足元も覚束ぬ闇の中、いったい何処いずこに参られるので」

「足元はこの月明りが照らしてくれる。ちょっと神さんにお願い事をと思ってな」

「な、な、な、なんと……!」

「ナンボなんでも驚きすぎ! ……与六も冗談言うんやね」

「まさか。これでも驚きを控えたくらいにござるぞ」

「あははは。ちょっとおもろい」

「ようやく本調子に戻られましたな」

「ん、なんや釈然とせんけど、礼はゆーとこ。おおきに」

「何のこれしきのこと」


 魔王との口約束は、神頼みをしたことのない男子に神頼みに向かわせるほどの瀬戸際へと追い込んでいた。




 ◇




 伏見某所。



 某所と言っても伏見を代表する神社仏閣といえば伏見稲荷大社しかない。

 しんと静まり返る境内に四人。

 天彦は与六と与六が集めた僅かな精鋭を引きつれ、神頼みに参っていた。


 神仏に希うには打って付けのまさに月冴える可惜夜であった。



 明日は祭神の一柱である宇迦之御魂神(ウカノミタマノカミ)を祀る降神祭である。つまり今夜は宵宮。

 しかし境内は荒涼としていて、大鳥居もどこか朽ちたようなうらぶれた感覚がしてどこか侘びしいそんな社に参っていた。


 なぜここを選んだのかは天彦自身謎である。強いて理由付けするのならかつての記憶に引っ張られたとなるのだろうか。

 元亀元年現在の伏見稲荷大社は単に稲荷神社と呼ばれていて、史実の秀吉がここ伏見に築城するまではとくに目を惹くような寺社ではなかった。

 故に現在も寂れたただの神社であり、するとやはりなぜここを選んだのかは過去の記憶に引っ張られたとしか言いようがないだろう。

 未来の現在では神秘的な朱塗りの千本鳥居は有名で、特にSNS映えするとかであちこちの頁や板で見かけた。そんな記憶に。


 いずれにしてもこの時代の伏見稲荷大社は映えるような神社ではない。


「殿」

「わかってる」


 与六が不穏を察知したのだろう。天彦に警戒を促すと自身が率先して身体を盾にして闇夜と向き合った。

 数十秒間は緊張していた天彦だが、次第に緊張を解きほぐし遂には表情まで緩ませてしまう。


「……殿?」

「与六、もうええ。おおきにさん」

「まだ危険は去っておりませぬぞ。確実に闇に何者かが潜んでおりまする」

「うんうん。そうやな」


 天彦は与六の背中越しに気の抜けた返事を返した。

 妙に波長の合わない天彦に異変を察したのか、たまらず与六が振り返った。



 とん――。



「くっ」


 その一瞬の隙を突かれ、与六の首が宙を舞った。……ような錯覚に見舞われるほどまったく見事な手前で与六の首は抑えられていた。


「奇麗な満月さんなん」

「誰が満月じゃい」

「お茶々のつんつるてんの頭さんがや」

「じゃかましい。おい与六、お前そんなことで我が至宝の護衛を任せられるんか」

「……お二人に共謀されては如何な腕利きも成す術ござらぬ」

「なんやお前。扶になって達者になったんは口先だけかい」

「ならば腕試しなされるがよかろう。いざ――」

「また今度や。儂も今や傷一つ付けられへん身になったよってな」


 茶々丸こと教如光寿は与六の首に沿えていた何かを引っ込めた。


 その瞬間、


「お茶々――ッ!」

「うおっ」


 全力ダイブ。


 天彦は全身で歓喜を表現した。


 すんすんすりすり、すんすんすりすり。

 これでもかと茶々丸成分を充填して、もうそろそろ。いやまだまだ足らんを繰り返す。


「おいコラ、ええ加減にせえ」

「痛っ、どつくな!」

「ほな離れえ」

「厭やろ」

「アホやろ」

「アホ言う方がアホやろ」

「……もうそれでええわ」

「何でよ」

「お前、その感じやったら夜が明けるまでやるやろ」

「いいやん。付き合ってよ」

「厭やろ」


 厭やろが往復し一周回ったところで。


「策は練れたんか」

「……まあ、ぼちぼち」

「下手くそか」

「何が」

「嘘がに決まってる」


 図星なのでノリアクで。

 その代わりならばと全力で甘えて強請っていく。

 茶々丸は天彦が利害を抜きにして全身で甘えられる数少ない存在であった。


「助けてよ」

「よし、助けたろ」

「え」

「強請っといて何を魂消とんねん」

「え、ほんま?」

「儂が嘘をついたことあるんかい」

「あるやろ。むしろ多すぎるくらいあるやろ」

「まあ、あるな」


 あった。茶々丸はウソも方便タイプの嘘使いマスターであった。

 さすがにマスターは盛ったがかなりの気分屋。虚実は気分次第みたいなところがある。

 だからなのか作麼生説破が異常に強い。その理屈は知らんけど。


 緩んだ空気に喝は入れず、けれど二人は仕切り直した。


「おい菊亭、ナンボなんでもいったん離れろや」

「厭やろ」

「暑いやろ」

「嫌なん?」

「おまっ……すきにせえ。で、どの策を用いるつもりや」

「うん好きにする! 善く戦う者は、先ず勝つべからざるを為して、以て敵の勝つべきを待つ――の計や」


 茶々丸はほんの一瞬だけ思案すると、


「孫子曰、昔之善戦者、先為不可勝、以待敵之可勝、不可勝在己、可勝在敵、故善戦者、能為不可勝、不能使敵之可勝、故曰、勝可知、而不可為――か」

「すごっ、さすがお茶々や!」

「当り前の知識ごときで褒められてもな。そやけど、なるほど……」


 翻訳)

 孫子いわく、昔の善く戦う者は、先ず勝つべからざるをなして、もって敵の勝つべきを待つ。勝つべからざるはおのれに在るも、勝つべきは敵に在り。故に善く戦う者は、よく勝つべからざるをなすも、敵をして勝つべからしむることあたわず。故に曰わく、勝は知るべし、しかしてなすべからずと。


 意訳)

 昔の戦い上手な者はまず自軍をしっかり守って誰にも負けないような態勢を整えた上で、敵が弱点を現して、誰もがうち勝てるような態勢になるまで待つ。

 誰にも負けない態勢を整えるのは味方のことだが、だれもが勝てる態勢とは敵側のことである。だから戦い上手な者でも味方をだれにも負けない態勢にできても敵をだれもが勝てるような態勢にはできない。

 つまり勝利はわかっていても、それが必ずできるわけではないということであり、要するに戦いに措いてはオフェンスよりもディフェンスを重視しなさいというありがたい金言である。


 むろん公家である天彦には最も理解度の深い格言でもある。


「……よっしゃわかった。お前の策には東宮が要るんやな」

「え」

「なんや要らんのか」

「いる! いりまくる! お茶々はやっぱし凄いん!」

「お茶々やめい。ま、まあ、それほどでもあるんやが」

「うん凄い!」

「お、おう。儂は凄い……? 凄いな、儂は……凄いんかな」


 茶々丸は五分五分の賭けが当たったときの顔で吃驚しながらドヤった。

 だからなのかとても気分よさそうに機嫌のいい口調で言った。


「ほな儂が何とかしたろ」

「え、まじ。伝手あるん」

「伝手などどこからでも手繰り寄せたる。あれもそろそろ表舞台に出てもらわんとな。儂らにつくのか父親につくのか。この期に及んで日和見は許されん」

「お命さんは大事なん」

「限度がある。大事に仕舞って朽ちて果てたら意味がないやろ」

「……」


 二人は沈黙がまったく苦痛にならない間柄だが、それにしても天彦は無言の時間を長く保った。

 天彦がなぜ沈黙を守っているのか。それは茶々丸がこの表情をしたとき、絶対に酷いことになるからである。

 では誰が酷い目に遭うのか。むろん天彦が、に決まっている。的に掛けた敵ではないことがこの場合の肝である。


 だが茶々丸に腹案があるのならそれでもいい。天彦は腹を括る。東宮にはいったん氏んでもらうお覚悟で。

 むろん東宮は味方である。だが確かにセイフティゾーンに身を置き過ぎのきらいは強かった。

 その点は今上天皇を見習っていただきたい。帝ならけっして身を潜めない。

 天彦にはその確信があった。そんな僭越なれど激励の意味を込めて茶々丸の腹案に乗ることを決心した。


「で、どないするん」

「式神を走らす」

「式神?」

「おう、そや」


 おそらくは流言の計を用いるのだろう。どうやら覚悟は本気っぽい。

 だがそれで丁度いいのだろう。

 今後どうなるかわからない一寸先は闇の日ノ本を牽引できるのは東宮しかいないのだから。という確信的期待感込みで、茶々丸の策を受け入れることに決めたのであった。


 策は決まった!


 ならば任せた以上は結果を信じる。天彦はそれ以上深く追求せず、またぞろすんすんくんかくんかと茶々丸成分を補充する作業に腐心した。


「こら、さすがにどつくぞ」

「ギブ」


 名残惜しいが仕方がない。離れた。シバかれると三日は痛む。


「ほな儂は参るで」

「厭やろ」

「ほなら儂を菊亭へ連れて帰ってくれるんか」

「……ごめん、でけへん。でもいつか」

「期待して待っとるで。おい菊亭、それはそうと細川とは繋がってるんか」

「藤孝さんなら。それがどない」

「文を寄越せ」

「ええけどなんで?」

「義昭も招くんや。そでいて初めてお前の策は完ぺきなものとなる。義昭も細川に説得されたら首を縦に振らざるを得ん」


 たしかに現状では義昭にとって唯一絶対の家臣である。

 問題は説得材料だが、


「餌は」

「惟任亡き後の京都所司の空手形で十分やろ」

「亡き?」

「都を離れた人気芸者の末路など、生きてようが死んでようが同じこっちゃ」

「わっる、お茶々わっる」

「お前には負ける」

「ひどっ」

「酷いことあるかい。そや菊亭、お前からでは角がたつやろ。そこの盆暗扶にでも書かせたらええ」

「うん、そやね。わかったん」


 与六はそっと首肯した。


 こうして天彦の策は輪郭を描き始めた。

 そして奇しくも初めてやってみた神頼みは即効性を以って成就するのであった。




 ◇◆◇




 就 御入洛之儀、重而 被成下 御内書候、謹而 致拝閲候、度々如御請 

 申上候、上意次第、不日下向 成共御供奉之儀、無二 其覚悟候、 

 然者越前若州、早速被仰出尤 存奉候、猶大草大和守、和田伊賀守可被申上之旨、御取成所仰候、恐々敬白


 五月十九日 樋口大膳亮兼続 花押


 細川兵部大輔藤孝殿



 細川藤孝の下に届けられた書状と同じくして、日ノ本全国の上は大名から下は国人領主にまで上洛のご案内が舞い込んだ。

 その差出人は発起人として東宮誠仁親王殿下の御名が。そして別当菊亭天彦と織田上総守信長の名も連名で書き連ねてあったとか。


 日ノ本津々浦々に。


 前代未聞の一大パレードの招待状が届けられるのであった。

 但しその招待状はむろん強権仕様。背けば逆賊の烙印も十分に考えられた。何しろ十六葉八重表菊紋章がでかでかと描かれているのだから。


 如何な武辺一門も一服し、どれほどの虚勢も萎れるというもの。

 何せそれに背いた大名家がつい最近、二家ばかり滅亡したばかりなのは人々の記憶に新しすぎた。














【文中補足】

 1、菊亭期待の新参側近メンバー(同級生カルテット)

 >福島市兵衛正則(通称市松・数え10つ)

 >加藤虎之介清正(通称夜叉丸・数え10つ)

 >米良(菊池)石見守九郎重隆(通称菊池の若君・数え10つ)

 >くるるコンスエラえら可愛がりの秘蔵っ子(通称ボマー・数え10つ)













いかがでしたか。

ドクシャ―がモチベーターです。よろしくおなしゃす。じゃあまたねー

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