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雅楽伝奏、の家の人  作者: 喜楽もこ
十二章 破顔一笑の章
214/314

#05 惹かれ合うほど敬遠する二人

 



 元亀元年(1570)五月七日






 広隆寺伽藍堂。



 後宮から使者がきた。この緊迫した現下、わざわざ危険を冒してまで。

 しかも人物は思いもしない御方であった。


「参議、久しゅうおじゃるな。健勝におじゃったか」

「はい。お蔭さんを持ちまして健やかに過ごさせてもろうておじゃりますぅ」

「ふん、何もしてへん。あんたさんはいっつも自分勝手に健やかや」

「お褒めに預かり光栄さんにあらしゃりますぅ」

「褒めてるかいな。まったくふてこい童さんやで」


 典侍の一位、大典侍であった。

 参議万里小路賢房の娘にして今上天皇の叔母にあたる人物のリア凸に、さすがの菊亭家内も多少ではないレベルで揺れていた。もちろん応接役を仰せつかっている天彦自身も。


 大典侍は後宮の統括者である。言い換えるなら内裏内向きの意向はすべて牛耳っていると考えて差し支えなく、必然対外的にもけして少なくない影響力を発揮するだろう重要人物である。


 その大典侍が人目も憚らず遠路遥々天彦の逗留する避難先、広隆寺まで足を運んだ。その意味をはき違える公家はいない。いたらそれは公家ではなく仮に公家であるなら詰んでいる。お仕舞いです。


「……主上さんの御内意におじゃりまするかぁ」

「愚問にあらしゃいます。もそっと賢しいとお聞きさんやが」

「噂とはそんなものにおじゃります」

「己の風聞が誇張されているとそう申すのか」

「はい」

「ふん、抜け抜けとほざく」


 大典侍に隙はない。裏を返せば油断なく天彦の存在価値を最大限で評価し、能力を高値で買っている証。

 そして口調、目線、表情、態度。そしてそれらすべてを包括的に内包する熱量すべてが一つの事実を表わしていた。――菊亭天彦、お前が目障り邪魔やと。キッズ貴様を排除しに参ったと。


 嫌われていることは自覚しているが、まさか内裏の総意とは。



 ははは、参ったん・・・・・・。



 道理に反して生きることはそれ即ち道理を正道として生きる人たちからの反感を買うことと同じである。または敵対することと同じである。そのくらいの理屈は承知している。


 天彦は薄く嗤った。


 むろん総意が異論反論のないすべての意見意志というわけではないとしても。

 最大公約数には落とし込まれた意見であることは紛れもなく。

 するとならば状況は果てしなく不利。控えめにいって詰んでいた。

 決定的な打開対策が打てないこともそうだが、自発的な行動は立場をより一層悪くするだけである。大典侍来臨がその現実を厭が応にも突き付ける。


 ならばどうするのか。笑うしかない。つまり、


「大典侍さん、茶でも如何におじゃりますかぁ。宇治のええのんがありますの」

「さすがは英雄家のお血筋。落ちても風雅はわすれへんのやな」

「お褒めに預かり光栄さんにあらしゃいます」

「おほほほほ――! たしかに今のは褒めたった。参議は今一度、お前さんの中に流れるその血脈の由来を顧みるのがええさんや」

「はい。御金言たしかに頂戴さんにおじゃりまする」

「ほう殊勝な……」


 ほな妾も頂戴さん。


 大典侍は扇をひらり。天彦の申し出を快諾する。

 むろん勝利を確信してのことであろう。

 にちゃりと後を引くような独特な笑みを浮かべてお歯黒の歯を見せ勝ち誇っているのだから。




 ◇




「じんおわ」


 だが一方で、状況的に惟任軍も天彦の菊亭と同様手詰まりである。

 それがせめてもの救いであろうか。


「ほな会談に応じるのやな」

「ご厚情に感謝申し上げ、委細お任せいたしまする」

「結構さんにあらしゃります。ほな委細妾の捌きに一任するということで。そやけどなんや参議、話せばかいらしいとこあるやないか」

「おおきにさんにおじゃります」

「ほう、ちょけもせんのか。懲戒処分を覚悟してるんやな。やはり参議はお利巧さんや」

「御沙汰に委ねまする」

「ええ心がけや。妾は参る。しばし待ちおれ」



 ほほ、おほほほほほほほほほほほ――



 大典侍は上機嫌で広隆寺をいったん後にした。ちょろ。


 さて邪魔者は追い払えた。しかも鴨葱の会談までセッティングしてくれるというお土産付きで。上手すぎる。美味すぎた。


「こふ、くふ、くふふふ」


 天彦は久方ぶりの周囲もドンびく会心の笑みを浮かべて大典侍を見送った。


 皆が果てしなく天彦を敬遠する中、


「若とのさんったら悪いお人さんやわ」

「なんでやのんお雪ちゃん」

「だってあんな持ち上げて、落ちた時の反動がおっかないですやんか」

「くふ、さす雪。ようわかったはわる」

「悪いお顔さん、いつにも増して不細工ですよ」

「おいコラなんやて」

「間違えました酷いですよ、でしたん。ほら周り見てください」

「……あ、うん」


 周囲を見渡すと一番に、今にも泣きだしそうな菊池の若殿の顔が目に入る。

 そして次いで慣れているはずの佐吉の半泣き顔が。是知は俯いて表情を隠しているものの震わせた肩は口ほどに物を言っていた。


 こうなるとうるさい黙れ放っておけ。とも言えないので天彦は渋々素直に従い顔を作った。


「これでええさんか」

「はい。いつもの見慣れた不細工に後戻りです」


 いつかしばく。




 ◇




 さて本題の惟任だが、数の上では相当な劣勢。


 ならばと兵の練度を盾に真正面からぶつかれば甚大な被害を被ってしまうことが確定的であり、しかもその上で必勝とはいいがたいときているそんな状況で。


 小康した局面を動かしにきた。そう捉えるのはいくら何でも好意的に過ぎるだろう。内裏とはそれほどお人好しで善人面をしているのか。


 ならば残された答えは逆説的に一つに限られ。


 内裏には惟任の手が及んでいる。そう考えるのが自然である。

 もう一方の可能性、何が何でも反菊亭の可能性は考えずともよいだろう。仮にそれが真実ならあまりにもあんまりなので。お願いしますの意を込めて。


 ならば籠城して消耗戦に持ち込もうにもその手は愚策、使えない。

 なぜなら惟任軍を支援する大名などこの世のどこにも存在しないからである。

 猶、惟任軍に手出しできないほど惟任人気を支える京町の庶人に数万の軍隊を食わせるだけの甲斐性はない。よってやはり籠城作戦は使えない。

 その現実を踏まえると猶更籠城戦の愚策具合いが浮き彫りとなる。


 織田家はたしかに恐ろしい。現下戦力は日ノ本一。まだ越前遠征での部分的敗北(一時撤退)の報が知れ渡っていない現状、無敗神話も継続中である。

 そんな軍勢に反旗を翻すことは容易ではなく、ましてや当主信長公の性質、すなわち意に沿わぬ相手を確実に除外するという気性はすでに内外に広く知れ渡っていて、背くことイコール敵対の構図は広く庶人にまで浸透している。


 どう考えても得策ではなく、意向に背くことは利に薄い。

 しかし実際上の利害とは無関係に、あるいは反織田の踏み絵であるとか無いとかとは別次元で惟任軍は支持されなかった。

 それを証拠に惟任軍上洛の報を受けて丸二昼夜が経って猶、援軍に馳せ参じる大名はゼロ。国人豪族に至っても未だ名乗り上げの報せを受けていない。



 あ。



 そう。すでにお察しであろう。

 つまりは単純に不人気だったのである。惟任日向守十兵衛光秀という人物が。


 公家と武家という違いはあれどもいろんな人に支えられ今日まできた天彦と、いろんな人を蹴落として這い上がってきた惟任は、けれど結果的に同じ人生を歩んでいた。

 あるいは同じ人生を歩まずとも少なくとも人様から疎まれ嫌われるという結果は似通っている。


 つまり同類。同じ穴の貉であり、けれど相哀れむはずの同類はどういうわけか嫌悪し合い互いの喉元に切っ先を突き付けて弓弦を最大限に張って向き合っていた。


 感情はどうだろう。少なくとも折り合いを付ける段階はすでにとっくの昔に過ぎ去っているように思われる。

 惟任は天彦を舐めすぎた。そして粋りすぎた。これに尽きる。


 要するに惟任はイキリすぎたのだ。義昭の信用をいいことに将軍家の威光を振りかざして威張り過ぎたのだ。実力を超えた権力と領地を持ちすぎたのである。

 嫉妬は侮れない。家格が低い武家ともなれば猶更のこと、そこへの手当ては慎重になるべきであったのだ。


 現下の惟任、ある意味では足利将軍家などよりよほどヘイトを集めているだろう。そしてあるいは織田包囲網など可愛く思えるほど、惟任軍は四面楚歌であった。


 むろん惟任とてそのことは承知している。故に大典侍の申し出は快諾するはず。問題は和睦の受諾内容にある。

 天彦の勢力下と言っても過言ではない真宗一揆勢と睨み合う膠着状態に陥っているこのズバビタのタイミングで使者を寄越すなど、それはもう惟任派ですと名乗りをあげているのも同然であり、尚且つその人物は使者を立てずに自らの足で天彦の前にと参上していた。


 参る使者など惟任派に決まっている。するとどうなるのか。

 そういうこと。

 提案されるだろう和睦案は惟任に有利な内容となることは火を見るよりも明らかで。

 それはもはや公言されたも同然であり、だからこそ大典侍はそれと知らずに快諾した天彦を侮ってしまったのだが、そこに付け入る隙が生じていた。


 隙を突くなら今しかない。


 と、そこに影がひらりと舞い込んだ。


「お殿様」

「ルカか。どないさんや」

「茶々丸様より、いいえ教如光寿様よりお使者が参っております」

「ようやっとか。禅堂に通したって」

「はい。あの……」

「どないした」

「はい。あまりお喜びになられていない御様子に不審を覚えていますだりん」

「それを身共に答えさせて現実を受け入れさせる心算なら無駄やぞ」

「……下策にございました。お許しください」

「かまわへん。逆に申し訳なく思うてる」

「お殿様……」

「まだ何かあるんか」

「僭越なれどお一つよろしいでしょうか」

「首を懸けるなら好きにいたせ」

「ならばお一つ」

「待つん! 身共は今――」

「はい。この首を差し出しまする」

「要らんし! やめて?」

「ですが」

「あー、もうわかったん! 訊くから話して」

「はい。お殿様、花が好きなら花を摘み手元で愛でます。けれど花を愛しているのなら如何なさいますでしょうか」

「……禅問答してる暇はないんやけど」

「如何」

「……身共ならそうやな。けっして摘むことなどせずに、その花の生育に適した環境で育てるやろな。語り掛けて水をやって甲斐甲斐しく世話をして……」

「お気づきになられましたか」

「……うるさい黙れ」

「ならば結構。黙りましょう」


 それが好きと愛との違いである。ルカは言外に茶々丸への正しい応接手段を押し付けてきた。

 本当に愛するならば彼の行動を許し受け入れ、最も適した環境に戻すべきであると言って。それが茶々丸の本懐であると訴えて。


「ルカのくせに生意気なん」


 天彦のつぶやきは届いたのか。すでにルカは影も形も残していない。


 落ち込み悩んでいる暇はない。いずれにしても待ち望んでいた一報が舞い込んだのだ。事は動いた。もはや後戻りなどできず、問題は果たして成果は如何にだけ。


「お茶々……、がんばれ」


 お前が頑張らんかい! 


 今にも罵声が飛んできそうな自身のつぶやきに、天彦は苦笑いを浮かべてそっと肩を竦めるのであった。


「殿、ご気分が優れないご様子ですが」

「佐吉、おおきに。でも大丈夫やで」

「ですが」

「おおきにさん」

「……はい」


 佐吉の優しさに触れて本当にかなり気分は持ち直せた。


 嘘から出た誠に気分を良くしてさて。

 何を差し置いても思考を整理しなければならない。これから立ち向かう敵は生半可な相手ではないのである。


 惟任軍と真宗一揆勢。

 彼我の戦力にはそれほどの差が開いていた。ましてや真宗一揆勢は軍団ではあるが本体を持たないいわば幻影。しかもこの幻影はリアルな物理的攻撃力を有しており、実に扱いに面倒だった。


 そして打倒したところで得られるものは名声のみ。

 損害を被った状態で帰還を果たす織田軍を迎え打たなければならないのだ。


 とんだ無理ゲー。にも程がある愚策。


 だからこそ天彦は当初惟任の正気を疑った。だが絶対に正気である。


 ならば……、


「義昭さんが逝ったんやな」


 導き出される結論はどうしたってそこに行きつき離れなかった。


 と、


「大典侍様、舞い戻られましてございまする」

「惟任も一緒やな」

「はい」


 久方ぶりの邂逅に、けれど気分が浮くはずもなく。


「参ろうさん」

「は!」


 護衛の青侍衆を引き連れ守られ、天彦は伽藍堂へと向かった。




 ◇




 無言で睨み合うように向き合う両者。久方ぶりの邂逅は惟任日向守の先制から始まった。


「どこかで見た砂利石が、おっと失敬。参議殿にござったか」

金柑きんかんはおやつに含まれるんかなぁ。あ、煮ても焼いても食えなさそうやし、やっぱしこの問いは引っ込めよ」


 天彦の口調からもお察しのとおり、天彦に惟任を遇する気持ちは更々ない。

 そんな緊迫よりも猶緊迫した雰囲気の中、会談の舌戦は和睦案の交渉前哨戦として火蓋を切って落とされた。


「御家にはこの一揆を主導したとされる宗派の世継ぎが居られたな」

「つまり日向守殿はすべての責を日ノ本の主上である帝に負わせると。そう仰せなんやね」

「馬鹿らしい。ならば重ねて問う。こたびの飢饉に関連した一揆、世間では専ら菊亭の不敬に神罰が下ったとの噂で持ち切りにござるが如何か」

「論拠と根拠。前後を逆に流用するなど愚の骨頂。そも何故その神仏とやらは身共に直接罰をお与えにならんのやろ。不思議やね」

「ふん、そんなもの決まっておろう。最も効く方法で罰をお与えになられているのだ」

「効く? はて効く何さんやろ。そや身共からお一つ。その支配的な物言い、即刻直さなえらい目に遭いますよ。という心優しい助言を差し上げましょ。とくに将軍がお隠れになった今となっては、下衆の勘繰りは尽きんやろうから」

「……己、それをどこで」

「あら口汚いことで。お里が知れるで、ほら早う取り繕わな。うふふふ」

「ぺっ――、口を開けば貴様ら公家は阿呆の一つ覚えのように血筋を持ちだす。血筋で何が叶うのじゃ。血統の良し悪しでこの日ノ本が纏まるのか」

「正統性やな。そしてこの日ノ本に措いてその正統性は正当性に通じている。故にその問いにはいずれ纏まるとお答えしよか」

「ほざけ口先だけの詭弁師が。たとえ里が何であろうとも、某の有利は微塵も揺るがぬぞ。武家を舐めるな、小童が――ッ!」

「公家を舐めすぎや、野蛮人さん」

「チビ助が。せめて視界に入ってから物を申せ!」

「ほな三年後に出直してんか。日向守のお帰りや。ぶぶ漬け出したってんか」

「貴様、何故某の邪魔立てばかりいたす」

「歪んだ自尊心を満たす愚劣な行為がいっちゃ嫌いやからやろ。知らんけど」

「何を」

「なんや」


 放っておくととち狂って魔王さんをブッコロすから。とも言えないのでこの辺が妥当な返しなのだろう。それこそ知らんけど。


 さて舌戦は五分五分か。場所柄少し菊亭有利で推移して、両者は第二ラウンドの鐘を待った。












【文中補足】

 1、敬遠

 表面では敬いながらも実際には関りを持たないこと。故意四球。












最後までお読みくださいましてありがとうございます。


お休みの方はよき週末をお過ごしください。そうでない方はがんばれー! またねーバイバイ



追伸、展開が思いのほかシリアスすぎてふざけられていないのごめんなさい……





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[気になる点] 、、、大典侍さんがいる場所で、公家の悪口言うって、、、金柑頭さん色々大丈夫なのか、、、それともこの場面では天彦さんと惟任さんしかいないのか、、 (互いに警護いるから二人きりでもないか)…
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